調査3 異世界周回者(タイムリーパー) その1
続きです。
結果を言えば、僕たちは油断していた。
ゴードンさんとの契約の後、僕たちはさらに西に進んでいた。カント地方を越えた辺りで夜営をした。その時、火の番をしていたチェルシーが居眠りをしてしまって、気がついたら、目の前に巨大なトカゲと目が合った、そして、そのまま戦闘になったというわけだ。
「お前、サッキュバスだろ。夜の悪魔が居眠りなんてするんじゃない。」
怒り心頭のためか、キラさんのセリフも長くなっている。
「うるさいわね。悪魔だって、眠い時は眠いのよ。あ~ん、チェルは悪くないもん、ザインは分かってくれるよね。ねっ。」
「はいはい。分かったから、手を動かそうね。…けっこうヤバめだから。」
そう言いながら、僕はロゴスを組み立て始める。近づいてきているのはノコギリトカゲという魔物だ。背中に鋭い背びれが特徴的な巨大なトカゲである。立ち上がると僕らを見下ろす高さになるほど大きな魔物である。とはいうものの、このトカゲの攻撃力はそれほど高くないので、普通に戦えば負けることはない。…でも、それは相手が一匹ならの話だ。
「ちょっとお、いったい何匹いるのよお。数えきれないくらいいるじゃない。」
「…20匹。」
キラさんはすぐに応えると、目の前のトカゲの頭を剣で砕く。
「…19匹。」
彼女は訂正した。そして僕を見る。
「ザイン、頼んだ。」
キラさんも状況の悪さを理解しているに違いない。無表情の瞳にも不安の表情が浮かんでいるのが見てとれた。僕は羊皮紙を広げ、ロゴスを組み上げる。しかし発動はタイミングを計ってからだ。
ノコギリトカゲは我れ先にと、僕たちの夜営地に突っ込んでくる。僕たちはテントの後ろに陣を取った。トカゲたちは咆哮をあげながら突き進む。一匹がたき火の蹴散らした。
「今だ!」
僕はロゴスを発動させる。火炎呪文だ。たき火から炎の弾丸が次々と放たれる。6匹のノコギリトカゲがその犠牲となった。あと13匹。僕は続けてロゴスを発動、今度は革のテントが大きく広がり、そこに飛び込んできたトカゲたちを包み込む。
「よし、5匹かかった。」
同時にテントが収縮する。膨張呪文と集結呪文のコラボロゴスだ。閉じ込められたノコギリトカゲは息苦しさと圧迫で次々と動かなくなる。そして、このテントが壁となり、トカゲの進攻がストップした。しかし…
「しまった!」
1匹捕え損なった。怒り狂ったトカゲはみるみる僕たちとの距離を詰めてくる。しかし次のロゴス発動のためには、これ以上の後退はできない。他のトカゲたちの牽制をしていたキラさんがこちらに向かおうとしたが、間に合いそうになかった。
急にトカゲの動きが鈍くなって、倒れた。僕は驚いたが、横を見るとチェルシーがぶるぶる震えている。
「おええ、やっぱ魔物の精気はまっずいよお。」
自分も魔族のくせに、と僕は思ったが、「早くやっちゃってよお」と急かすチェルシーに、僕はうなずく。まだ十数体のノコギリトカゲが折り重なるようにして足止めを食っていた。その下には、まだたき火の火が残っている。
「よし。」
僕は火属性の中位呪文、業火炎壁呪文を発動させた。炎の柱が次々噴き上がり、それが壁のように連なって、やがて1本の大きな火柱になった。ノコギリトカゲたちの悲痛の咆哮が辺りに響きわたる。
「やったー!」
チェルシーがガッツポーズをした。…僕の魔法なんだけどな、とちょっと思った。そこへキラさんも合流する。
「ありがとう。」
こんな場合、ケガはないか、など聞くのが普通だと思うけど、キラさんはその辺りは一目見ただけで推察できる。だから余計なことをすっ飛ばして感謝の言葉が先にでるのだ。
「こちらこそ。キラさんは無事?」
「ああ。」
火柱はまだ上がっている。炎の中で、もがくノコギリトカゲの影を見ると、少し可哀想な気もしたが、これもこの世界の掟である、やむを得ない。ふと、その影が小刻みに震えているのが見えた。この炎の中でも、寒さに震えているようだ。いや…
「キラさん、なんかおかしい!」
僕の声で、キラさんは炎を見た。瞬間、僕とチェルシーに向かって跳んだ。ガタンと音がして車椅子が横倒しになる。同時にテントの壁が真っ二つに引き裂かれ、竜巻のように渦を巻いて2つの物体が飛び出した。物体は地面に独楽のように超高速で回転している。しまった、うっかりしていた。ノコギリトカゲには奥の手、回転攻撃フリスビー・ソーがあった。
「中心の2匹が炎にさらされる前に飛び出してきたんですね。失敗しました。」
「どどど、ど、どうするのよ。」
チェルシーは僕を起こすと車椅子に乗せた。キラさんは剣を構え直しながら、
「…おかしい。」
「どうしたの、キラさん?」
「統率が取れすぎている。」
もともとノコギリトカゲは単独行動を好む魔物だ。このように徒党を組むのは確かにおかしい。黒幕がいるのか?
「ちょっと…あれ。」
チェルシーが言った。まだ炎が立ち昇る夜営地に何かが噴き上がっていた。
「…泡?」
そう、泡なのだ。泡の雨が炎に降り注いでいる。泡は炎に積もり、それにつれて炎の勢いも小さくなっている。焼け跡の黒焦げになったトカゲの山が痛々しい。その向こうに大きな影が浮かび上がった。大きく息をするように上下している。その影が右腕が上がる。そこには不気味なハサミの影があった。
「もしかして、カニ?」
「みたいだね。キラさん、何の魔物か、分かる?」
キラさんは剣を構えながら、ジッと影を見ていたが、急によだれがツツーッと伝った。
「…うまそう。」
「やっぱり。」
そういえば、キラさんて意外に食いしん坊だったっけ。肉も海鮮も大好きだった。
「食料調達。」
キラさんの声が楽しそうになった。それに恐怖したのか、カニが大きくハサミを広げて威嚇した。と、同時にノコギリトカゲがキラさんに飛びかかった。確かにこのカニが、ノコギリトカゲを操っているようだ。そうだ、シャーマンクラブ、その名前が浮かんだ。長く生きて魔力を得た怪物。知能も高いと聞く。魔物を操ることも難しくは無いだろう。
「クッ!」
2体のノコギリトカゲの回転攻撃フリスビー・ソーの連携にキラさんが苦戦しているのが見えた。慌てて僕はロゴスを組み、発動する。シャーマンクラブの吐いた泡から大きなシャボン玉がいくつも生まれ、キラさんの周りに集まった。水属性の水膜防御呪文だ。泡に気づかないノコギリトカゲがフリスビー·ソーをかます。しかし泡に当たって不規則に跳ね返り、何度も地面に叩きつけられた。意識が朦朧としているノコギリトカゲに対して、僕は次のロゴスを発動させる。集結呪文だ。今度は泡が集結し、トカゲたちを包み込んで、大きな泡の中に閉じ込めた。
「キラさん、今だ!」
キラさんは剣を構えた。刀身は白く霜が張り、剣に宿る魔力を解放しているのが分かる。キラサンは剣をノコギリトカゲたちを包む泡に思い切り振り下ろした。一瞬、シャボン玉が凍り、真っ白な球になるが、それが真っ二つになって、地面に落ち、割れた。残ったのは白眼を剥いたノコギリトカゲの残骸である。
不意に空を切る音がした。背後からシャーマンクラブがハサミを振り下ろしたのだ。
「キラさん、危ない!」
僕は思わず叫んだ。その声にキラさんは振り向きもせずにそのまま跳び、後方に回転すると、何と振り下ろされたハサミの上に着地した。同時に剣がそのハサミを切り落とす。カニの絶叫が響いた。
「やったあ、キラさん。」
「ほお、ちょっとはできるじゃないの。」
チェルシーの憎まれ口が出てきたから、彼女も少し余裕が出てきたのだろう。反対にシャーマンクラブは悲鳴のような音を発して後ずさった。そのまま逃げようとする。
「キラさん、深追いは禁物。」
僕は言ったか、彼女はそのまま走り出した。
「あいつ、どうしたのよお。」
「うーん、ダメだ。よく聞いてみてよ。」
「チャーハン、カニ玉、シャブシャブー!」
キラさんの叫ぶ声が聞こえた。ちなみに料理は異世界転生者から教えてもらった調理法だ。試してみたらとてつもなくおいしかった。
「アカン。完全に食料調達モードじゃない。」
「はまってるからなあ。」
…結果を言えば、僕たちは油断していた。
逃げていたシャーマンクラブが急に振り返り、甲羅を見せた。その姿にキラさんと僕は一瞬驚いた。甲羅にはおぞましい人の顔があったからだ。その時、僕は異世界転生者と、このシャーマンクラブの話をしたことを思い出した。彼は僕たちの世界にもそんなカニがいたと笑った。甲羅の形が人の顔にそっくりなんだ、それが昔の戦士の一族の顔を思い起こさせるみたいで、そう確かヘイケガニ…と。しかしこちらの世界のカニは向こうの無害なヘイケガニとは少し違った。カッと甲羅の顔の目が開いたのである。同時に口が開き、何とロゴスを組み始めた。
「ダメだ。こっちのロゴスが間に合わない。」
僕が思った瞬間、甲羅の口から即死呪文を繰り出された。魔法の言葉は紫色の煙に変化する。この煙は雲のように集まり、渦を成した。
キラさんが煙に飲み込まれ、見えなくなった。
まだ続きます。