第35話『カルマ-後編-』
――明奈ちゃん。
叶の名前を呼んだのは、3年前のことに深く関わる麗奈先輩だった。
「麗奈、お姉ちゃん……」
話すのはおよそ3年ぶりであっても、大好きな人が現れたからか、叶の目つきはそれまでと比べて大分柔らかくなっていた。
「麗奈先輩、どうして……」
「紗衣ちゃんから、校門近くに明奈ちゃんが来てるってメッセージをもらって」
「叶さんが颯人と話していることに集中している間にね。叶さんが話している内容も逐一報告したんだよ」
「……そうか」
俺も叶のことばかり気にしていたから、紗衣がそんなことをしているとは思わなかったな。
麗奈先輩は俺の横に立つと、真剣な様子で叶のことを見る。
「こうして話すのは3年ぶりだね。少なくとも、はやちゃんが重傷を負った放火事件が起きてからは初めてだよね」
「……そうだね、麗奈お姉ちゃん」
麗奈先輩が相手だと、さすがに叶も可愛らしい声で話すんだな。
「紗衣ちゃんから話は聞いているよ。……一昨日の七夕祭りで私達のことを見かけたことがきっかけで、はやちゃん達と話そうと思ったんだ」
「そうだよ。3年前みたいにお姉ちゃんのことを傷つけたら許さないって。痛い目に遭わせてやるって警告しに来たの」
笑みも見せながらそう言うのが恐ろしいところだ。そういった態度からも、3年前に自分がやったことがどういうことなのか分かっていないと伺える。
笑顔にもなる叶とは対照的に、麗奈先輩は真剣さを通り越して怒った様子になる。
「そんなことはしちゃダメだよ、明奈ちゃん」
「えっ……」
「今、私ははやちゃんに好きだって気持ちを伝えた上で友達になってるの。咲夜ちゃんや紗衣ちゃんとも。私がそうしたいから」
「そんなことをしたら、また麗奈お姉ちゃんが傷付くかもしれない! この2人はとても可愛いし、2人のどちらかと付き合ってお姉ちゃんがフラれちゃうかもしれないじゃない! それがとても嫌なの! 麗奈お姉ちゃんには幸せになってほしいの!」
「幸せになってほしいから、はやちゃん達に脅迫して、私を引き離そうとするの? 私はそっちの方がよっぽど嫌だよ!」
「お姉ちゃん……」
叶は目を見開き、彼女の顔から表情がなくなっていく。
3年前も、今も。叶を動かす原動力は幼なじみとして麗奈先輩のことが好きな気持ちなんだ。麗奈先輩に幸せになってほしいと動いたことなのに、その本人から嫌であると否定されてしまった。それが信じられないのだろう。
「明奈ちゃんの言うように、はやちゃんは咲夜ちゃんか紗衣ちゃんのどっちかと恋人として付き合うかもしれない。そうなったら、きっとかなりのショックを受けると思う。でも、それも覚悟して、まずは友達から付き合いたいって思ったの。3年前に好きになったときから、明奈ちゃんに相談したときも、フラれたときも、はやちゃんがいじめられて、放火事件で重傷を負っても。それから3年経った今もはやちゃんのことがずっと好きなの。私に幸せになってほしい気持ちは嬉しいよ。でも、それははやちゃんに嫌な想いをさせてほしいってことじゃない! だから、3年前にいじめをしていたときも、私は止めてって何度も言ったんだよ……」
麗奈先輩は涙をボロボロと流してそう言った。そんな先輩に咲夜がハンカチを渡し、頭を優しく撫でていた。
叶は無表情のまま麗奈先輩のことを見つめ、たまに俺のことを見る。麗奈先輩の言葉を受けて、彼女は今、何を考えているのか。
「あたしはただ、お姉ちゃんを傷つけた神楽君を幼なじみとして罰しただけ。お姉ちゃんは優しいから、あたしが代わりに告白を振ったことの復讐をしただけ。……そう、あれは当然のことだったの! だから、今回も明奈お姉ちゃんを傷つけたら――」
「だったら、俺も叶達に復讐をしてもいいんだよな」
「えっ……」
俺は右眼を覆う髪をかき上げる。
「颯人君、それ……」
「……実は右眼の近くにも少しだけヤケドの痕が残っているんだ」
この前、寝顔の写真を咲夜達に撮られたけど、前髪に隠れて、写真には写らなかったようだ。
「学校ではお前らを含めた多くの人間のせいで苦しい時間を過ごすことになって、挙げ句の果てには俺の大切に育てた花を燃やしたんだ。ここにはいないが、あのとき、俺を突き飛ばした男達も同罪だ。復讐として心身共にたっぷりと傷つけて殺してやりたいよ。でも、そんな背景があっても人を殺したら罪になるんだ。だから、叶達を殺せないんだよ! それが悔しくてたまらないんだ!」
「……はぁ?」
すると、叶は俺に対して再び嘲笑った態度を取り、
「そんな理由を言っているけれど、本当は弱いからできないだけなんじゃないの? あたしはあなたとは違う! 弱くないからお前に裁きを下してやったんだよ!」
と言い放つ。麗奈先輩が想いを伝えたというのに、よくそんな態度を取ることができるな。そんな彼女に怒りもあるけれど、不思議と落ち着いた感じもして。3人が側にいるからだろうか。
「……弱く思ってもらって結構だ。そんな俺だから、親や教師、警察官などの大人に頼ったんだよ。俺をいじめたり、放火事件を起こしたりした罪人であるお前達を法に則った処分を下すために。もし、俺はもちろん、麗奈先輩、咲夜、紗衣が傷付くようなことをしたら、あのときと同じように対処するつもりだ。覚悟しておけ。ここにいないお仲間達にも伝えておけよ」
ただ、もし復讐による殺人が合法だったなら、俺はどうしていたか分からない。今、叶がここに立っていなかった可能性もあり得るだろう。
「そうだ、いい機会だから叶に話しておく。お前は俺のいじめも、放火事件も全て麗奈先輩のためにやったって考えているんだよな」
「……そうだよ」
「さっきの先輩の言葉を聞いてもそう言えるのはある意味で凄いな。俺が入院している間、麗奈先輩は一度、俺のところにお見舞いに来たことがあるんだ。そこで先輩は俺に何て言ったと思う? 『ざまあみろ』じゃない。『私のせいでこうなったんじゃないか。本当にごめんなさい』って涙を流しながら言ったんだよ。それから何度も俺に謝った」
「えっ……」
そう声を漏らすと、叶は麗奈先輩のことを見る。
麗奈先輩は真剣な様子で叶のことを見つめながらしっかりと頷いた。
「確かに、俺をいじめるきっかけは麗奈先輩からの告白を振ったからだろう。でも、いつしかその目的は、俺が苦しむ様子を見て、そこから快楽を得るためになったんじゃないか?」
「違う……違う違う……!」
叶はそれから何度も「違う」と呟き、首を横に振り続ける。
「明奈ちゃん」
麗奈先輩は両手で叶の肩を掴む。そのことで、叶は首の振りが収まり、視線が麗奈先輩の方へと固定される。
「私の幸せを願ってくれることは嬉しいよ。でも、それを誰かに押しつけるのはいけないことだよ。ましてや、それを口実にいじめたり、放火事件を起こしたりすることなんてもってのほか! だから、今後私に何があっても3年前のようなことはしないで。傷つけないで! はやちゃんはもちろん、咲夜ちゃんや紗衣ちゃんにも。私は本当の幸せを掴みたいから、はやちゃんとまた関わることに決めたんだよ。もしかしたら、3年前にフラれたとき以上に傷付くかもしれない。でも、私が決めたことだから後悔はしない! 私の幸せは私が決めるの! 恋がどうなっても、最後は絶対に笑ってみせるから」
自分の想いをしっかりと話す麗奈先輩はとても見事だった。さすがは生徒会長と言うべきだろう。
俺の言葉に対しては嘲笑うことの多かった叶も、麗奈先輩の思いの詰まった言葉は心に響き、揺さぶられたのだろう。彼女は愕然とした様子で、その場で崩れ落ちた。そんな叶に取り巻き達の何人かが寄り添う。
「あたしは……今まで何をやってきたの……」
叶のその声には、さっきまでの威勢の良さは全く感じられない。そんな彼女の両眼からボロボロと涙をこぼす。
「麗奈お姉ちゃんのためだと思ってやっていたのに、全然そうじゃなかった。むしろ、お姉ちゃんのことを苦しめてばかりだった……いやああっ!」
叶は号泣し、時折、悲鳴とも言える大きな声を上げる。
ようやく、叶は自分のしてきたことの愚かさや罪深さを思い知ったようだ。一生分からない人間よりはマシだが、だからといって、被害者として彼女を許すことは到底できない。
「……叶」
「……やめて。殺すのだけはやめて! 恐い……」
「……そんな恐い想いを、当時の俺も思っていたことだ。安心しろ。さっきも言ったとおり、合法じゃないから叶や取り巻き達は殺さない」
「ありが――」
「でも、復讐をしないとは言ってない」
「えっ……」
俺は叶の目の前に立って、ゆっくりとしゃがみ込む。だからなのか、叶は今までに見たこともないような怯えた様子になる。その証拠に、顔は青ざめ、体を小刻みに震えている。取り巻き達は叶から何歩か下がり、叶と同じように怯えた表情を見せる。
「お前にようやく、3年前にしたことの意味を理解する『善意』が生まれたか。麗奈先輩を苦しめ、俺に対しては大切な花畑を奪い、ヤケドなどの重傷を負わせ入院生活を余儀なくさせた。家族も苦しんだ。従妹の紗衣も悲しんだ。お前は仲間と一緒に、何人もの人達が本来過ごすはずだった平穏な生活や時間を奪ったんだよ」
「あ、あたしは……」
「もしかしたら、幼なじみの麗奈先輩は許してくれるかもしれない。でも、俺は決して許さない。もちろん、叶の取り巻き達も全員だ。特に叶。お前は一生、心に根付いた罪悪感に苦しみながら、花畑に火を放ち、俺を殺そうとした加害者の1人として、俺をいじめた首謀者として長く生きろよ。叶の言葉を借りるなら……死ぬまでずっと業火に焼かれ続けろ。それが被害者である俺からの復讐だ」
たとえ、復讐という名目でも、俺が叶に手を下すことは法律で許されない。
ただ、彼女の心に芽生えた罪悪感によって苦しませるくらいなら許されるだろう? そうさせるのが被害者である俺なら。
叶には死ぬまでの話をしたけれど、死んだ後もしばらくは業火に焼かれるんじゃないだろうか。人々の記憶に残っているのだから。死んでいるから自分で反論も弁明もできない。もしかしたら、死んでからが本当の地獄かもしれないな。ただ、それも彼女の業の代償ということで。
叶は涙を流しながら俯いてしまっている。
「今はこうして話せているけれど、特に叶の姿を見ると殺したい衝動に駆られるんだよ。お互いのためにも、俺とは二度と関わるな。3人や3人の家族も傷つけるな。もし、そんなことをしたら、長く囚われの身になってもらうように動くから覚悟しておけよ。叶だけじゃなくて、叶と一緒に俺をいじめたり、放火事件に関わったりした奴ら全員だ」
叶の取り巻き達のことを睨む。こいつらが何かやらかしたとき、衝動的に殺してしまわないように気を付けないと。
ここで何もせず、取り巻き達を含めて一生許さないという気持ちを示しただけでは甘いのかもしれない。
ただ、3年前の叶達のように暴行などの行為を実際にしてしまったら、彼女達はきっと「これで終わりでしょ?」と開き直り、俺にしたことが完全に過去のことにされる可能性が高い。実際にそんなことをしたら今度は俺が捕まる羽目になる。
あと、いじめの首謀者である叶に物凄くきつく言ったので、それが取り巻き達への抑止力になるんじゃないだろうか。
「……そうだ。叶、最後にお前に言っておくことがあるのを忘れてた」
「えっ……?」
叶はゆっくりと俺のことを見上げてくる。そんな彼女のことを見下ろして、
「……ざまあみろ」
3年前の放火事件のときに叶達がそう言って立ち去ったように、俺は彼女に同じ言葉を残してこの場から立ち去る。叶達とはもう二度と会いませんように。叶達のせいで、俺や3人が辛い目には遭いませんようにと願いながら。




