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第21話『日常』

「ありがとう、咲夜。気持ちが大分落ち着いたよ」

「う、うん。それは良かった」


 ゆっくりと咲夜への抱擁を解くと、咲夜は顔を真っ赤にして俺のことをチラチラと見てくる。俺の部屋で2人きりでいて、抱きしめ合っていたらそんな反応をしてしまうのは当然か。

 制服のワイシャツに咲夜の残り香がついていることもあって、俺も結構ドキドキしてしまっている。

 この空気の中、咲夜にどんな言葉をかければいいのだろう。なかなか見つからない。


「……は、颯人君!」

「うん?」

「あ、あたしのことを結構長い間抱きしめていたけれど……だ、抱き心地はいかがでしたか!」

「えっ?」


 思いも寄らないことを訊かれてしまったので、思わず間の抜けた声が出てしまった。

 抱き心地なんてどう言えばいいんだ。ただ、嘘を付いてはいけないな。


「……俺の腕の長さだと抱きやすい感じだったな。後は柔らかかったか」

「や、柔らかい? あたし、太っちゃったかな? 一昨日も昨日も気持ちを落ち着かせるために、コンビニで買ったお菓子をたくさん食べたから……」

「そ、そんなことはないと思うぞ。見た感じ、先週から変わっていないと思うし。ただ、柔らかいって思ったのは……む、胸の方で」

「……な、なるほど。お胸の方ですかぁ」


 咲夜は依然として顔を赤くしているけれど、ほっと胸を撫で下ろしている。てっきり、胸のことを話したから怒られると思ったんだけど。

 花畑で話しかけられたときにスタイルがいいと思っていたけれど、こうして抱きしめたことで、それを身をもって知った感じだ。


「でも、またこうやって颯人君と話せるようになって良かった。事情を知らずに、興味本位でしつこく訊いて颯人君のことを苦しめちゃって。朝はきちんと挨拶をしてくれるのに、どう返事をすればいいのか分からなくて失礼な態度を取り続けちゃって。ごめんっていう颯人君のメッセージにも既読無視して。本当にごめんね、颯人君」

「……気にしなくていいからな。気にしちゃうかもしれないけど。俺も友達との喧嘩をするのは初めてだったから、色々と分からないこともあって。こっちこそごめん。あのときはついカッとなったから」


 俺がそう言っても、咲夜はボロボロと大粒の涙をこぼす。そんな彼女の頭を優しく撫でた。喧嘩してから、咲夜は単に怒っていたわけじゃなかったんだ。


「今朝も、宏実に怒って頬を叩いたのは、あたしが気に入らなかったからって格好付けたけど、本当は颯人君が宏実にダサいって言われたことにカッとなったの。ありがとうって颯人君が言ってくれたこと、本当は嬉しかった。でも、颯人君に謝ってないし、恥ずかしかったからそっぽを向くことしかできなかったの」

「……そうだったのか。でも、咲夜が俺のためにしてくれたことはすぐに分かった。だから、あのとき俺はありがとうって言ったんだ。……ありがとう、咲夜。咲夜がいて俺は心強かった。本当にありがとう」

「……うん」


 咲夜は涙を流しながらも、俺に笑顔を向けてくれた。そんな彼女の涙を自分のハンカチでそっと拭い取った。やっぱり、咲夜は笑顔でいるときが一番いいな。


「さてと、せっかく颯人君の家に来たから宿題やっちゃおう。分からなかったら颯人君に助けてもらえるし」

「そうかい」


 俺も咲夜と一緒に課題をやるか。

 咲夜も俺も麦茶を飲み終えてしまったので、おかわりを持ってきた後、課題や期末試験の勉強を一緒にやった。

 たまに、咲夜が質問してくる部分を教えると、彼女はとても嬉しそうな様子で「ありがとう」と言ってくれて。そのことに心が温まったのであった。



 夜になって紗衣と皇会長に、咲夜と仲直りしたことと、3年前のことを中心にこれまでの話をしたという旨のメッセージを送った。すると、


『良かったね、颯人。じゃあ、明日のお昼は3人一緒にお昼を食べようか』


『月原さんと仲直りできて良かったよ。これからも仲良くするんだよ』


 という返信がほぼ同時に届いた。俺のことを気にしていてくれたのか。良かったと言ってくれる人がいるというのは有り難いことだと思った。




 6月27日、木曜日。

 今日は朝からしとしとと雨が降っている。この雨は一日中続くらしい。それもあってか、気温は平年よりも低めで涼しいという。

 久しぶりにぐっすりと眠ることができて、外も涼しいからかここ数日の中では一番気分がいい。


「うわっ、アドルフよ」

「今日も相変わらず恐いな……」

「ただ、昨日とかに比べるとマシ……なのか? 恐いのには変わりないけど」


 周りの生徒は相も変わらず俺のことを恐れている。恐れることにも慣れというのはないのだろうか。人間の防衛本能としてそれはないのかな。


「あっ、颯人君!」


 正門の前で咲夜が笑顔を向けて、こちらに手を振ってきてくれる。昨日の放課後になるまではあまり相手にしてもらえなかったので嬉しくなるな。


「おはよう、颯人君」

「おはよう、咲夜。一緒に教室まで行くか」

「うん!」


 俺は咲夜と一緒に校舎に向かって歩き始める。隣で歩いている咲夜の姿を見て、日常に戻ったんだなと思う。あと、こういった状況に安心できると中学までの自分に話したら、きっと驚かれるんだろうな。

 俺にとっては平穏な高校生活が戻った。だからか、午前中の授業も昨日までと比べるとあっという間に過ぎていった気がした。


「午前中の授業お疲れ様。一緒にお昼ご飯を食べよう」


 昼休みになるとすぐに紗衣がうちのクラスにやってきて、俺の机で紗衣と咲夜と3人でお昼ご飯を食べることに。


「颯人と咲夜が仲直りして良かったよ」

「その節はご迷惑をおかけしました、紗衣ちゃん」

「紗衣には心配かけちゃったな。すまない」

「ううん、いいんだよ。あと、颯人は昨日、咲夜に3年前のことを中心に話したんだよね」

「ああ」


 詳細なことまで思い出したからか、咲夜に話したときは結構胸が苦しくなったな。

 そういえば、ヤケドして入院していたのは今くらいの時期だったか。病室の窓から、どんよりと曇った空を見ることが多かったな。


「ちなみに、咲夜は颯人に話を聞くまでに、色々な人に中学時代のことを調査したの?」

「ううん。一昨日、紗衣ちゃんが『颯人が話したくないなら、私も話さない』って言われたから、そういったことはしなかったよ。ただ、より気になったけれどね」

「そうだったんだ。私の予想通りだったね、颯人」

「……可能性の一つとして言ってただけだけど、その通りだったな」


 俺と同じ中学出身の生徒もいるから、咲夜ならそういった人達を中心に聞き込みをしているかもしれないと思っていた。あと、佐藤先輩のときのように、自分と同じ中学出身の先輩から情報を集めるというやり方もするのかなと。


「3年前、颯人が事件に巻き込まれて、ヤケドで病院に運ばれたって聞いたときは本当に驚いたし、胸が苦しくなったな。普段は落ち着いている兄さんも、さすがにあのときだけは犯人に対して凄く怒っていたし」

「そうか。ただ、警察や学校がしっかりと動いてくれたことが幸いだった。俺の証言や、現場周辺にあった防犯カメラの映像が証拠となって、あのときの事件の関係者が逮捕や補導されたし。あの事件に関わっていなくても、俺のいじめに関与していた生徒達の多くは学校から処分が下されたからな」


 あの放火事件がなかったら、いじめが長引いていたかもしれないし、より辛いことに巻き込まれていたかもしれない。だからといって、叶が指示した放火事件がいいということには絶対にならないが。


「指示した……叶さんだっけ。本当に許せないよ」

「あたしも昨日、颯人君から3年前の話を聞いたとき……彼女のことが特に許せないと思った。ただ、放火事件を起こしたのは12,3歳だし、3年経った今はきっと普通の生活を送っているんだろうね。今回はあたしのせいだけど、颯人君は今でも苦しむことがあるのに。何だか不公平だし、許せないな……」


 そう言う咲夜と紗衣の箸が止まる。叶のことを考えているのか、2人とも怒っている様子だ。


「2人の気持ちは分かる。俺も釈然としない部分がある。ただ、叶達も人間だからな。平穏に生きる権利はある。法に則った処罰を終えて、その後に人を傷つけず、罪を犯さずに生きていればそれでいいと思ってる」


 放火事件に関わった叶達とは二度と関わりたくないが。俺が退院した頃には教室に叶の姿はなかった。

 中学を卒業するまでの間に、遠くにいる叶の姿を見たことが何度かあったけれど、直接的に関わったのはあの放火事件が最後だ。叶達によって、新たな被害者が出ていないことを願うしかない。


「……空気を重くしてすまないな。昼ご飯を食べよう」

「そうだね。……そういえば、紗衣ちゃんは期末試験の方は大丈夫? 昨日もバイトをしたんでしょ?」

「うん。明日で定期試験前のバイトは最後だよ。ぼちぼちと勉強しているから、好きな理系科目と英語は大丈夫かな。苦手な古典と社会科科目はちょっと不安だけど。だから、これからはその科目を中心に勉強しようかなと」

「そっか。もし、今日バイトがなければ、放課後に一緒に勉強しない? あたし、文系科目は得意だからさ。上手く教えられるかどうかは不安だけど……いざとなったら颯人君がいるからね!」

「俺で良ければ教えるよ」

「颯人は中間では全教科高得点だったもんね。確か、最低でも90点は取っていたよね。2人がいれば安心だ。今日はバイトないし、放課後は3人で勉強しようか」

「うん!」


 咲夜と紗衣の顔に笑みが戻ったな。そのことに安心する。

 その後の話し合いにより、今日の放課後は俺の家で期末試験に向けての勉強会を開くことになったのであった。

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