第20話『炎狼』
――皇会長に告白された。ただ、その場ですぐに断った。
それを話したからなのか、咲夜は顔を真っ赤にして、コップに残っていた麦茶を一気に飲んだ。
「会長さん、颯人君のことが好きだったんだ」
「……ああ。告白されたときはさすがに驚いた。でも、皇会長のことはそこまで知らなかったし、誰かと恋人として付き合おうとは思わなかった。それに、中学生になってから状況はマシになったけど、自分のことを守るので精一杯だったし」
「……断ったとき、会長さんはどんな反応をしていたの?」
「……涙を流しながら、分かったって言ってその場を走り去ったよ」
そのときの皇会長の姿はよく覚えている。両眼から涙を流して、精一杯の笑顔を浮かべて言葉をひねり出すように言っていたな。
「皇会長を振ったことをきっかけに、叶を中心として俺をいじめるようになった。人気のある女子生徒・皇麗奈の告白を断った罪人として。皇会長の人気の高さや、叶の巧みな訴えもあって、小学生のときよりも酷いいじめを受けた。最初はクラスメイトだけだったけれど、後から皇会長のファンだと名乗る別のクラスや上級生の生徒も加わって」
「そんな……」
「俺も全力で抵抗した。でも、こっちは1人。当然、疲弊していった。ケガもするようになったし、両親や教師と相談して警察に被害届を出すことも考えていたんだ」
「いい判断だと思う」
その判断もっと早く、迅速に動くことができていれば何かが変わっていたかもしれない。それは何度も考えた。
「……ただ、告白があって2週間くらい経った頃だったか。その日の夜、何の気もなしに外を見たら、変に明るいのが見えたんだ。窓を開けたら、何かが焼けている臭いほんのりと香ってきて。見えた方向には俺が育てている花畑があったから、嫌な予感がした。確認しに花畑に行ったら、その予感が当たってしまったんだ」
今でも、あのときのことを思い出すと特に胸が苦しくなる。胃がキリキリとしてきた。
「俺は定期的に花畑に行っていたから、叶達も俺が大切に花を育てていることが分かっていたんだろうな。……花畑が燃えていたんだよ」
「えっ……!」
「周りに全然人がいなかったから、持っているスマホで119番と110番通報をしようとしたんだ。そうしたら、叶の取り巻きであり、いじめの中心メンバーでもある男子数人に、燃えている花畑に向かって突き飛ばされたんだ」
「そんな……!」
「突き飛ばされただけならまだマシだったかもしれない。でも、彼らは花畑を燃やすのに、ガソリンを使ったんだろうな。俺の体や服にガソリンがついて、火が回ったんだ。燃える中で、叶達が俺のことを『ざまあみろ』とあざ笑い、すぐに逃げていった姿は今でも覚えているよ。俺は助けを呼ぶために必死に叫んで、自分の体や服に広がる火を消すために、何とかして花から離れて土の上で転がったんだ。無我夢中だった。でも、いつしか意識を失ってしまったんだ」
とても熱くて、嫌な臭いがして。あのときは逃げていく叶達のことよりも、どうにか体にこびりつく熱から逃げ、生きることに精一杯だった。
俺の話が想像を絶することだったのか、咲夜も息苦しそうな様子になっていた。
「ごめん。一旦、話すのは止めようか?」
「……大丈夫だよ。あと、思い出した。中学に入学した年の5月か6月くらいに、夕立市で火災があって中学生が重傷を負ったっていうニュースを観た。友達と『怖いね』って学校で話したよ。あの事件の被害者が颯人君だったんだね」
「……ああ」
俺も叶達も未成年ということで匿名だったけれど、みんな同じ中学に通っていたり、事件の前までに俺がいじめられていたりしたこともあって、当時はそれなりに報道された。
「気付いたときには病床の上だった。夜だったことや俺が叫んだことで、すぐに近所の人が気付いて救急車を呼んでくれたらしい。だから、俺も命の危機に瀕することはなかったそうだ。それでも、目を覚ましたとき、家族や紗衣は泣いて喜んでくれた。数兄も泣かなかったけれど、安堵の笑みを浮かんでいた。みんなの話だと、俺は事件があってから3日間意識を失っていたらしい」
「そうなんだ。やっぱり、紗衣ちゃんや当時のことを知っていたんだ」
「ああ。……俺が重傷を負い、これまでにいじめを受けていたことから、中学校でも警察による捜査が行なわれた。俺の証言や花畑の近くにあるコンビニやスーパーの防犯カメラの映像などによって、叶など13歳以下の生徒は補導、14歳以上の生徒は俺に対する殺人未遂容疑と放火の罪、器物損壊罪で逮捕された」
「そうだったんだ……」
ただ、あれから3年経ったので、叶達も少年院を出たり、保護観察を終えたりして今は普通の生活を送っているらしい。そこまでは事件の被害者として情報が入っている。中学も卒業扱いになったそうだ。
ただ、現在、高校に通っているのか、どこかで働いているのかは興味がないので知らない。性格が変わっていなければ、どこかで悪さを働き、新たな被害者を生み出している可能性はあるだろう。皇会長に訊けば、叶の現在を知ることはできるだろうけど。
「重傷を負った俺はしばらくの間、入院をした。入院中、一度だけ皇会長がお見舞いに来たことがあったんだ。自分のせいで、俺がこうなってしまったんじゃないかとずっと悔いていたらしい。彼女は泣きながら謝った。でも、彼女がしたことは俺に好きな気持ちを伝えたこと。そして、フラれたという結果を、告白の場を作ってくれた叶に教えたこと。だから、皇会長は何も悪くないと何度も言った。ただ、これ以上、俺と関わると皇会長も何かされるかもしれない。だから、もう関わらない方がいいと言って、それからつい先日まで3年近く話すことはなかった」
ただ、あれからも皇会長の姿を目にすることは何度もあった。きっと、皇会長も俺のことを何度も見ていたと思う。
「そういうことがあったから、月曜日に会長さんと会ったとき、2人の間に距離があったように見えたんだね」
「……そうだな。俺は退院をしてすぐ、再び学校に通い始めた」
「休むとか、転校するとかしなかったの?」
「……それらも立派で正しい選択肢だろう。でも、俺はそれをせずに卒業するって決めた。それが俺のできる、いじめてくる奴らへの最大の抵抗だと思ったからだ。それに、俺にいじめや嫌がらせをしても、何の処分も受けずに普通に登校している生徒がいたからな。もちろん、また学校に通い始めてからも、今みたいに「狼」や「アドルフ」などと恐れられ、色々と言われたこともあった。当時はヤケドの痕も残っていたから」
「そうなんだ。……紗衣ちゃんのアルバムに、中学生の颯人君の写真がなかったのは、ヤケドの痕があったからなんだね。そういえば、颯人君のアルバムにもなかったかも」
「……ああ。警察の捜査のために撮った写真以外はほとんどない。幸いなことに、3年経った今はヤケドの痕はほとんど消えた。脚や背中にちょっとあるくらいで」
痕もほとんど残らず、痛みもなくなったことはとても運のいいことだと思う。日常生活を送ったり、趣味を謳歌したりすることの影響は全くない。
「夕立高校に皇会長が進学していることは知っていた。でも、近いし、実力にも合っていると思うから夕立高校を受験して進学したんだ」
高校に進学した現在も、相変わらず「狼」や「アドルフ」と恐れられ、周りで色々と言われるけれど、3年前のあのときに比べれば全然マシだ。
「時々思う。確かに俺みたいに髪が真っ白で、目が鋭いのは珍しい。それを恐い、気持ち悪い、いなくなればいいと心の中で思うのは自由だ。勝手にやればいい。でも、どうして平気でそれを言葉にしたり、暴力を働いたりすることができるのだろうかと。何もせずにそっと離れるとかできるはずだろうに。人間を恐ろしく思うよ」
ただ、俺がそう考えるように、多くの人間が俺のことを恐ろしいと思っているんだろうな。そう思うのが自分だけではないという安心感によって、今も俺のことを色々と言う状況ができているのかもしれない。
世間的にも、個性とか多様性を大切にとか言われるようにはなってきたけど、実際は『普通』と『普通じゃない異質』のどちらかしかないんじゃないかと思う。そして、その『異質』が存在することが認められない。その基準は大抵、自分が気に入るかどうかなのだ。
きっと、自分が『普通』だと思っている人達が、見た目が珍しい『異質』認定した俺のことを非難し、排除しようしたんだ。もしかしたら、自分が『普通』であることの安心材料を得るためかもしれない。中には、本当に俺のことが恐ろしくて、身の危険を感じたからやったという可能性も否定しないが。それでも、彼らが俺にしたことは浅ましいものだと思っている。
そんな経験をしてきたからこそ、きっかけはニセの恋人になってほしいことだったけど、俺に普通に話しかけてきて、笑顔を見せてくれて、友達になってくれた咲夜のことが眩しく見えたんだと思う。そんな彼女が大切な存在になったからこそ、喧嘩をしたら寝ることができないほどに悩んでしまったのかもしれない。
「咲夜。長くて、中には重い内容もあったけど、聞いてくれてありがとう。咲夜に話して良かったって思ってる」
「……こちらこそ、教えてくれてありがとう。今の話を聞いて、やっぱり颯人君は素敵な人だなって。佐藤先輩のラブレターのことを話したり、友達になったりして良かったなって思うよ。これからもよろしくね、颯人君」
「ああ、よろしく。ありがとう」
俺がそう言うと、咲夜は両腕をゆっくりと両手を広げる。
「……どうしたんだ?」
「い、今の颯人君には抱きしめるのがいいのかなと思って。あたしが宏実達に絶交されたとき、颯人君のことを抱きしめたら、安心できて気持ちが落ち着いたから。緊張するけど、颯人君だったらあたしのことを抱きしめてもいいよ。あのときのあたしみたいに、胸の中に頭を埋めてもいいし」
そう言う咲夜は顔を赤くしている。
確かに、胸の中に頭を埋めたら安心できるのかもしれないけど、そこまでする勇気はない。きっと、かなりドキドキしてしまうだろうし。
ただ、俺に優しさを向けている咲夜に触れたいという気持ちもあって。俺は咲夜のご厚意に甘え、彼女のことをぎゅっと抱きしめた。
咲夜ってとても温かくて、甘い匂いがするんだな。柔らかさも感じられて。だからか、あのときのキスを思い出し、ドキドキもしてしまう。
ただ、咲夜が両手を俺の背中に回したのか、背中からも温もりが伝わるのが分かった瞬間、安心感を覚えた。
「ど、どうかな? 少しは気持ちが休まったかな?」
「過去のことを思い出した辛さは収まったけれど、自分の部屋で女子を抱きしめているからドキドキしてる」
「……そっか。あたしもドキドキしてる。あ、汗臭くない? 大丈夫?」
「そんなことない。いい匂いだと思ってる」
「……そ、そうですかぁ」
そう言うと、咲夜の体が熱くなっていくのが分かる。
中学に咲夜や紗衣がいたら少しは中学生活も変わっていたのだろうか。そんなことを考えながら、咲夜のことをしばらくの間、抱きしめ続けるのであった。




