第16話『摩擦』
6月24日、月曜日。
週明けというのは元気が出ず、物憂げな状態になることが多いが、咲夜という友達が同じクラスにいるからか、今日はそんな気分にはならなかった。
登校したら教室で咲夜と話し、午前中の授業を受け、昼休みは咲夜や紗衣と一緒に昼食を食べる。先週の後半から定着するようになってきたこの過ごし方は悪くないと思った。だからこそ、あっという間に時間が流れるのだろう。
今日はこのまま平和に1日が過ぎていく。
そう思っていたんだ。
「ごめん。終礼間近に、バイト先から急いで来てってメッセージが来たんだ。本当にごめんね」
終礼が終わってすぐ、俺達のところにやってきた紗衣はそう言うと小走りで教室を後にしてしまった。昨日、俺の家に遊びに来たときに、今日はバイトがあることは知っていたけれど。仕方ないのは分かっているけれど、何だか寂しい気分だ。
「紗衣ちゃん、バイトの方で急ぎの用事が入っちゃったのか。夕立駅まででもいいから、一緒に返りたかったからちょっと寂しいな。今日は2人で帰ろうか」
「そうだな。この後はどうする?」
「ショッピングモールにある本屋に行きたいなって思ってる。好きな漫画の最新巻の発売日だった気がするから。それで、今日は家に帰ろうかな。来週の月曜日から期末試験だし、そろそろ試験勉強しないと。中間試験、理系科目は平均点もいかなかったから、下手すると期末で赤点取っちゃいそうだし」
「そうか。俺も試験勉強しないとな」
中間試験とは違い、全科目について試験があるので、期末試験は1週間かけて行なわれる。
確か、試験1週間前の今日から試験最終日の前日まで、部活動は原則活動禁止だった気がする。生徒会や委員会は知らんが。
紗衣は今日もバイトがあるけれど、彼女は勉強の方は大丈夫なのだろうか。本人曰く、中間試験ではあまり得意ではない古典や社会科系の科目でも平均点は取れていたらしいから、赤点を取ってしまうことはないだろうけど。
「もしかしたら、颯人君に勉強を教えてもらうことになるかもしれない。それでもいいかな?」
「ああ。つまずいたらいつでも連絡してくれ。誰かに教えることも、立派な勉強方法の一つだと思ってるから」
「うん、ありがとう。じゃあ、帰ろうか」
「ああ」
俺は咲夜と一緒に教室を出て、1階にある昇降口へと向かって歩き始める。
俺達の教室があるのは5階だけれど、帰るときは必ずといっていいほど階段を使う。今日も階段を使って降り、3階まで来たときだった。
「きゃっ」
生徒と体がぶつかってしまったので、俺はとっさにその生徒のことを抱き止める。ぶつかった人のことを見ると、そこには皇会長が。
会長は俺と目が合うと一瞬にして顔が赤くなって、
「ご、ごめんね! 神楽君!」
素早く俺から一歩、二歩と下がった。恥ずかしそうにしている皇会長を見るのは本当に久しぶりだ。
「皇会長、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。ぶつかっちゃってごめんね」
「いえいえ」
「……こうして近くで見ると、会長さんって本当に綺麗な人……」
咲夜はほんのりと頬を赤くし、目を輝かせながら皇会長のことを見ている。美人で金髪でスタイルも良くて。穏やかな笑みも素敵なので女子からも好感度は高い。
「ふふっ、ありがとう。神楽君と一緒にいるし、あなたも1年生?」
「はい。颯人君のクラスメイトの月原咲夜といいます」
「生徒会長を務めている2年2組の皇麗奈です。クラスメイトってことは、もしかして、先週、神楽君と噂になっていた子ってあなた?」
「はい。諸事情があって、颯人君とあたしが恋人だっていう誤解が広まってしまって。今は友人として仲良くしています」
「そうなの。神楽君に友人ができて嬉しいよ」
そう言って、皇会長は俺に優しい笑みを見せている。その笑みを見ると、俺に友人ができたことが本当に嬉しく思っているのは分かる。でも、それだけだろうか。
「神楽君と月原さんはこれから帰るの?」
「はい! 途中、駅前のショッピングモールにある本屋に寄るつもりです。ところで、期末試験の直前で部活は原則活動禁止ですけど、生徒会の活動ってあるんですか?」
「禁止ではないね。仕事がある場合もあるし。ただ、なるべく早く終わるようにはしているよ。今日も仕事があって、今は1階にある自動販売機に飲み物を買いに行こうとしていたところだったんだよ」
「そうだったんですか。じゃあ、途中まで一緒に行きましょう。颯人君、それでいい?」
「あ、ああ……」
どうも、皇会長の姿を見ると息が詰まるな。彼女が悪い人ではないことは分かっているのに。
会長も加わって、俺達は3人で1階に向かって降り始める。
「それにしても、会長さんって颯人君のことを見ても驚かないなんてさすがです。それに、さっきの話からして、前から知っているような感じでしたが」
「神楽君は同じ中学の出身なの。当時から、彼は今みたいに有名でね。私も生徒会の役員をしていたから。有名人同士だと巡り合いがあるって言えばいいのかな。何度か話したことがあって。ね? 神楽君」
「……そうですね」
皇会長とは数えるほどにしか話したことがないけれど、色々とあったからか、彼女と言葉を交わしたときのことはよく覚えている。
会長と話したからか、あっという間に1階に到着し、昇降口が見えてきた。
「自販機のある食堂は向こうだから2人とはここでお別れだね。月原さん、これからも神楽君と仲良くしてあげてね。神楽君もせっかくできたお友達は大切にね」
「もちろんです」
「……ええ」
「じゃあ、私はこれで」
皇会長は咲夜と俺に小さく手を振って、食堂の方へと歩いて行く。さすがに生徒会長だけあって、俺達と離れてからすぐに周りの生徒に声をかけられ、笑顔で話したり、手を振ったりしている。今の様子だけでも、彼女の人気の高さが十分に伝わってくる。
「会長さん、後ろ姿も素敵だな……」
「中学のときから、男女問わず人気があったな。中学の間は会長にはならずに書記と副会長をやっていたんだ」
「そうだったんだ。きっと、中学の頃も素敵だったんだろうね」
「……ああ」
今のように歩いているだけで、周りの生徒の視線を自然と集めてしまうような存在感があったな。俺も似たような感じだけど、避けられてしまう俺とは違って、彼女の場合は周りの人を惹き付けるオーラがある。彼女の周りにいる生徒や、彼女に視線を送る生徒はみんな笑顔だった。
会長の姿が見えなくなったところで、俺達はローファーに履き替えて校舎の外に出る。
「それにしても、颯人君と会長さんが同じ中学出身だったなんて」
「まあな。ただ、あの人の頭の良さなら、もっと偏差値の高い高校に行けただろうけど、夕立高校は地元だからここに進学したのかもな」
「そんなに頭がいいんだ。あと、何か会長さんと颯人君って、同じ中学で何度か話しただけの関係って感じがしないんだよね。2人とも敢えて距離を取っているような気がして」
咲夜にそう言われ、思わず立ち止まってしまう。胸の鼓動に痛みを感じる。そんな俺の反応に感付いたのか、咲夜は俺の前に回り込んでニヤリと笑みを浮かべる。
「何だかワケありって感じだよね」
「それは……」
皇会長と話したからか、中学時代のことをどうしても鮮明に思い出してしまう。そのせいで胸が苦しくなって、呼吸が荒くなってしまう。全身が熱くなっていき、とても嫌な臭いがしているようにも思えてきた。
「ねえねえ、教えてよ」
咲夜の意地悪そうな笑顔は、3年前のあのとき……炎の中から見えた何人もの嘲笑と似ていた。
止めてくれ。そんな顔を向けないでくれ!
「……答えたくない」
「えっ? どうして?」
「答えたくないって言ってるんだ! 中学時代の皇会長とのことなんて、咲夜には関係ないことじゃないか! そんなことを訊こうとして何が楽しいんだよ!」
声を荒げてそう言ってしまったところで、ようやく我に返った。そうだ、3年前のことは、俺が中学生の間に一件落着したじゃないか。
周りに下校しようとする生徒や部活に行こうとする生徒がいるからか、段々とザワザワとしてくる。
咲夜のことを見ると、彼女からは笑みが消えて視線をちらつかせている。
「えっと、咲夜……」
「……ごめん。どうして答えたくないことってあるよね。しつこく訊いて本当にごめん。それでも……」
咲夜は両眼に涙を浮かばせながら、真剣な表情で俺のことを見つめ、
「今の言い方はさすがに傷付くよ。……ばかっ!」
そう言うと急に走り出し、校門を出て俺の家とは逆方向に行ってしまった。
俺の脚なら今から走っても咲夜に追いつくことはできるだろう。でも、走ることはおろか一歩を踏み出すことさえもできなかった。
「……何をやってんだ、俺は」
中学時代にあった辛い出来事に触れられてしまいそうな気がして、咲夜にあんな態度を取ってしまった。高校入学したし、3年前のことはより過去の出来事になっていくと思っていたけれど、そんなことはないのかもしれない。
ようやく歩き出すことができたけれど、その足取りは普段よりも明らかに重かった。
家に帰ってからも咲夜のことばかり考えてしまう。
咲夜に謝罪の電話やメッセージをしようかどうか迷った末、夜になって、
『あのときは言い過ぎた。ごめん』
というメッセージを送った。
しかし、『既読』というマークはつくものの、咲夜からの返信や電話は一切なかったのであった。




