第34話 魔王軍指揮官、雑貨屋になる
「本当に辞めてしまうのかね、キマドリウス君」
そう告げるのは、高級そうなデスクに座る一匹の化け物。
大きさは人間程度で、色は青緑、そして動く度に「ねちょっ」と粘り気のある音を立てる。
そう、スライムだ。
そしてそんなスライムの視線の先には――
「はい、既に腹は決まっております。今更変えるつもりは御座いません」
人間っぽい見た目をした悪魔、キマドリウスだ。
だが彼の見た目は、魔王や領主の時とは大きく違う。
二本の角のついたカチューシャを頭に付け、スーツの背中に接着剤で黒い羽を付けている。
おそらく、人間によく似た見た目を気にしているのだろう。
「いやぁーキマドリウス君。君のような優秀な人材に抜けて欲しくはないんだけどなぁー」
「実家を継ぐ予定だった妹が、人間と駆け落ちしてしまって……」
「それは災難だったね……。でも悪魔魔術学院を首席で卒業した君が、わざわざ継ぐ必要はないんじゃない?」
「……」
「それに、君は未来の魔王候補なんだよ。君だって本当は抜けたくないんじゃないの?」
「……」
「ね、悪い事は言わないから、もう一度魔王軍のキャリア組として頑張って行かない?」
「……いえ、それでは亡くなった両親に悪いので」
「そうか……」
「はい。……それと、そろそろ終業時間なので帰りますね。……今までお疲れさまでした」
そう言うなりキマドリウスは踵を返して、スライムの上司に背を向けた。
「いつでも待っているからね、キマドリウス君」
「……ありがとうございます」
そしてキマドリウスは部屋の扉を開いた。
◇◇◇
魔王城の長い出入り口を抜けると、そこは雪国であった。
夜の底が白くなった。
「うぅ……さむ」
季節は冬、時間は夜。
城下町は一面の雪景色だ。
建物は雪の頭巾を被り静謐を深め、道路も白く染まり熱を失う。
彼の吐く息でさえ静かで、冷たく、そして空気と混じり合い儚げに溶ける──
だが、彼はあくまでも悪魔(笑)。
淑やかで風光明媚な場景に、一縷の感動さえ覚えはしない。
故に、
「早く帰ろ」
家目指して、足早に帰り始めた。
「はぁ……雪の日はいやになりそうだな」
彼の家は魔王城から遠い。
何故なら彼の家は城下町の最も外れ、周囲に家屋の全く無いような場所にあるからだ。
普段ならモンスターを使った乗合馬車で通っているが、今日は大雪だ。
それを使う事は叶わない。
だからこそ家が見えてきた際、何故か達成感が込み上げたのだ。
「やっとだな……ん? あれは?」
しかし達成感は長く得られない。
何かが彼の中で引っかかったようで、キマドリウスは自身の家を目を凝らして見る。
彼の家は2階建ての建物で、その1階が雑貨屋。
おあえつらむきに、『雑貨屋トラビニウス』の看板が立てられている。
だが、それは彼にとっても見慣れた存在。
彼が引っかかったのは、その家の前に見える"何か"だ。
「物……なのか? いや、あれは……!」
キマドリウスは走り出した、大雪だという事も忘れたかのように。
……いや、大雪だからこそ走り出したのかも知れない。
何故なら、彼の家の前にあった"何か"は行き倒れた人間だったのだから──




