4月 他人から見た智子ちゃん
<卯月 友梨奈>
わたくしは卯月友梨奈。卯月家の令嬢ですわ。
今は智子ちゃんを送り届けた後の帰りの車の中で、広々とした座席に腰を沈めて冷たい飲み物を口に運び、お母様に今日行われた入学式の様子を、一生懸命聞かせてあげていますの。
「ふふっ友梨奈は本当に、智子ちゃんが大好きなのね」
「当然ですわ! わたくしの一番のお友達ですもの!」
新一年生の期待と不安でソワソワしながら正門前に並んでいた時、偶然出会ったのが朝倉智子ちゃんですの。
彼女はわたくしの知らないことを何でも知っていて、クラスの皆をビシッとまとめたり、逆に気を緩めて楽しませることも出来ますのよ。おまけにわたくしに並ぶほど可愛いのですわ。
でも彼女は見た目にはこだわらないせいか、本来の可愛さの半分も表に出ていませんのよ。本当に勿体ないこと。
でもそれが智子ちゃんらしいと言えば、らしいのかしら?
それに月の名を持つ家だろうと関係なく、自分の意見をはっきりと言い切るのも、わたくしがとても気に入っているところですわ。
今までのお友達は、わたくしが卯月家だとわかると途端に愛想笑いを浮かべたり、距離を取るかのどちらかでしたもの。
「そうよね。でも智子ちゃんも最初は、友梨奈とお友達になるのを嫌がってたいたわよ?」
「お母様! それはきっと智子ちゃんなりの照れ隠しですわ! だって最後にはわたくしのお友達になってくれましたもの!」
表向きはお母様がお金で釣り上げたようなものだけど、それにしては相変わらずはっきりと自分の意思を貫くし、嫌なものは嫌だと拒否もする。
お金で友達付き合いを強要するのなら、もっと一方的にへりくだるのが普通ですわ。
もしかしていつ嫌われて友達料を止められても構わないと、思ってませんわよね?
でもまあ、そのぐらいのサバサバした友人関係のほうが、智子ちゃんらしいと言えそうですわ。
「そうでしたわ。お母様、適材適所という言葉をご存知?」
「ええ、知っているわ。それがどうしたのかしら? もしかして言葉の意味を知りたいの?」
「いえ、その言葉の意味ならもう、智子ちゃんに教わりましたわ」
副委員長に立候補したわたくしを説得するために、一生懸命言葉を選びながら噛み砕いて説明してくれた。
そんな智子ちゃんのことを考えると、迷惑をかけてしまった恥ずかしさで顔が赤くなり、副委員長にはなれなかったものの、彼女の隣に立てるだけの素晴らしい女性に、親友として誇れる存在になりたいと、強く思いましたわ。
「わたくし、これからもっと習い事を頑張りますわ」
「友梨奈がやる気になってくれてるのは嬉しいわ。でも無理のし過ぎで体を壊して、智子ちゃんを心配させちゃ駄目よ」
まだ一日しか話せていないけれど、いつかわたくしが立派な令嬢になったときに、仲良くしてくれたお礼を、何倍にもして返してあげるのですわ。
でもその頃には彼女への借りが増えすぎて、一生かかっても返せなかったらどうしましょう。もしそうなったら仕方ありませんが、一生智子ちゃんの近くで地道に返していくしかありませんわね。
「友梨奈、それはかなり危険な考えよ。はぁ…娘は光太郎君とくっつくと思ってたのにねぇ」
お母様が何か言っていますが、わたくしには聞こえません。問題は月の二人も智子ちゃんを狙っていることですわね。
わたくしと同じように異性の相手には不自由しませんのに。昨日までは睦月家の御曹司に少しだけ憧れていましたが、今は仲のいい知り合い程度にしか思いませんわ。
「友梨奈のお友達として釣り合わないのは、家の格だけですものね。後は全て智子ちゃんのほうが上だわ。
それでも入学前はパッとしなかったようだけど、面倒事を避けるために猫をかぶっていたのかしら?
でも友梨奈ちゃんが嘘をつくなんて無理そうだし、せいぜい弱さを隠そうとするぐらいよね」
確かに家に早く帰りたがっていたことから考えても、あまり積極的に動こうとはしませんわね。普段は家族にべったりで甘えているのかしら。将来はお互いに弱いところを見せられる関係もいいですわね。
「月の名家にへりくだらず、格が上でも間違っていればはっきりと自分の意見を貫き、身だしなみにさえ気をつければ何処に出しても恥ずかしくない一流の令嬢。
おまけに知識だけでなく雑学も深く、人望もあって気が効き日常会話も得意。…小学一年生とはとても思えないわね」
「当たり前ですわ! 智子ちゃんは凄いのですわ!」
「そうね。問題は腹芸が全く出来ないことだけど、それも含めて智子ちゃんの魅力なのよね」
わたくしの友達が褒められると気分がいいですわ。問題は自分が智子ちゃんにまるで釣り合っていないということですが、これから淑女を高めていけばいいのです。
まだ小学一年生の一日目が終わったばかりですし、ああ…早く明日になって欲しい。学園で智子ちゃんに会ったら、次はどんなことを話そうかと、今から楽しみですわ。
<睦月 光太郎>
広い洋館の一室で使用人を壁際に待機させたまま、家族と向かい合って食事を取っているとき、父さんと母さんに入学式の日の話をしていた。
大きく高級感溢れるテーブルに華やかな洋風料理がならび、舌も目も楽しませてくれるが、今の僕には一人の少女しか見えていなかった。
「光太郎にそれを教えてくれた子には感謝しないとな」
「うふふっ、そうですね。私たちが注意しただけでは、きっと理解出来ずに同じ過ちを繰り返してしまうわ。
物事は自分から知ろうとしないと、すぐに忘れてしまいますものね」
父は日本人で表情も仕草も厳格さがにじみ出ており、身にまとう紳士服も髪も黒く、少し怖いがとても優しい人だ。
母はドイツ人で今年で二十代の半ばになるのに、まるで十代のようなみずみずしい白い肌と流れるような金髪、透き通るような青い瞳と、常に太陽のように暖かな微笑みを崩さない人で、僕はそんな母そっくりらしい。
そして智子ちゃんの、いつか刺されるよという忠告の意味を、たった今両親から聞くことが出来たのだ。
まさか自分が良かれと思って取っていた行動が、こんな恐ろしい結果を招くものだったなんて。これからは女性を絶対に下の名前で呼ばないことにしよう。
ただし智子ちゃんだけは特別だ。上の名前で余所余所しく呼ぶのは、絶対に嫌だ。
「それで、智子ちゃんだったかな? 友達になれてよかったな」
「ええ本当に。光太郎の婚約者候補にしてもいいわね。特に月や名家の血が混じってないのが気に入ったわ。
身内や血筋ばかりの無能が凝り固まった、至上主義へのいい刺激になるんじゃないかしら」
智子ちゃんが僕の婚約者? 父さんと母さんと同じ、夫婦になるということだろうか。
入学式の会場で無造作に髪をかきあげたときに一瞬だけ覗いた美しい少女。
鶴屋で後ろ髪をリボンで縛り、僕たち家族のためにお好み焼きを焼いてくれた優しく家庭的な少女。
その智子ちゃんが自分の妻に…と、顔を真っ赤にして口元を緩めて妄想に没頭していると、両親だけでなく控えている使用人たちも、堪えきれないとばかりに小さく笑いながら、僕を見ていることに気づいた。
「いやいや、光太郎。まだ婚約者候補の一人だ。お前がいくらその気だろうと、彼女や朝倉家の意思を無視するわけにはいかんぞ」
「そうよ。智子ちゃんは弥生家の御曹司に告白されても、はっきりと断ったじゃない。
でも私は、裕明君はまだ諦めてないと思うわ」
僕は両親の忠告に言葉を失い、手に持っていたフォークを危うく落としそうになってしまう。
そうだった。智子ちゃんが刺されたくないと僕から距離を取ったように、自分は彼女の気持ちをまるで考えていなかったのだ。
ニコニコと微笑みながら右から左へ聞き流しているだけで、全ての人から好かれて当然だと思い込んでいたのだ。
きっと智子ちゃんは、そんな僕や家族以外の全てを、気づかないうちに見下していたのを見透かしていたのだろう。
そしてそんな僕よりも、心の赴くままに堂々と告白して振られた裕明のほうが、彼女にとって好ましく映るのは当然だ。
「まあまだ入学初日が終わったばかりだ。焦る必要は…と言いたいが、智子ちゃんを射止めるなら、早いほうがいいぞ。
何しろ今年は、学園にとんでもない少女が入学したと、早くも噂になっているからな」
父さんの言う少女とは、十中八九智子ちゃんのことだ。小学一年生でありながら、教師さえ感心する幅広い知識、皆を引っ張っていく統率力、確固たる自分の意志と、相手が誰だろうと怯まない勇気、面倒見や家族思い等の細やかな気遣い、僕や裕明以上の運動能力、美貌…だけは本人が無頓着であり、ボサボサの前髪で隠れているので明らかにはなっていないが、彼女に注目が集まればバレるのも時間の問題だろう。
「友梨奈ちゃんが一緒の時はいいけど、智子ちゃんが一人になったら狙われるかもしれないわ。直接じゃなくても、恋文という間接的な手段もあるしね」
聞けば聞くほど初日から出遅れたことが、致命的なミスのような気がしてしまう。僕は食事中にも関わらず、ガックリと肩を落として思わず頭を抱えてしまう。
「そんなに悲観するな。もし振られたとしても、光太郎ならすぐいい相手が見つかるさ」
「そうかしら? 智子ちゃんのような女の子が早々見つかるとは思えな…ごっ、ごめんなさい。
大丈夫よ光太郎。まだ初日じゃない。それに裕明君を除けば、男性の友達の中ではナンバー2よ。ナンバー2」
父さんと母さんの慰めを受けて、僕は前向きに思考を切り替える。昨日までは家族と言ってもここまで和やかな雰囲気ではなかった。もっと冷たく、食事中だろうと淡々とした事務的な関係だった。
それを彼女は、駄菓子や家族でお好み焼きを焼くという突拍子もない行動によって、僕たちの凝り固まった心を溶かして、暖かな家族関係に変えてしまった。
そんな智子ちゃんに並ぶ女性が早々いるとは思えないし、僕も彼女以外の女性とお付き合いする気にはなれない。
それに裕明が一歩先んじていると言っても、たったの一歩だ。
たとえ入学式や告白で出遅れても、裕明には絶対に渡したくないと、はっきりと自覚したのだった。
<弥生 裕明>
日本的な木造建築の豪邸で、親父と向かい合って食事を取っていた。堅苦しい昔ながらの決まり事が多いが、ここが俺の家で小学一年生になる今日まで暮らしてきた弥生家だ。
使用人たちは障子戸の向こうで静かに待機しているが、普段から無口な親父は食事中でも口数が少なく、微かな声でも漏らせば廊下の使用人に届くのだが、今まで一度も彼らを呼びつけたことはない。
お互い無言で畳の上の黒机に広がる、高級料亭で免許皆伝を受けた料理人の作った料理。
その中の煮物と焼き魚を箸で摘んで、白米に合わせて口の中に放り込む。
そんないつも通りに親子二人で黙々と食事を取っていると、珍しく親父が口を開いた。
「裕明、新しい学園はどうだ?」
「べっ…別に、普通だぜ」
「…そうか」
一言二言だけ言葉を交わして、また食事を再開する。家ではここ最近まで殆ど口を開くことはなかったので、とても珍しかった。本当はお好み焼きを焼いていた時のように、もっと親父と会話を続けたいのだが、自分から話しかけるのが不得意なのが残念でならない。
そんなとき、巧みな話術でクラスの皆の信頼を勝ち取った、とある女子生徒の顔が思い浮かんだ。その人物なら俺も普通に話しかけられるのにと、思わず口から溢れる。
「…智子」
「ん? もしかして駄菓子をくれたり、お好み焼きを焼いてくれたお嬢ちゃんか?」
「えっ? ああそうだぜ。智子はなぁ…」
気づけば自然に口が開いていた。聞かれてもいない彼女のことを、思い浮かぶままに親父に話す。智子がどれだけ凄いか女の子か。最初は友梨奈が他の女子を友達として隣に置いてるのが珍しく、ちょっとからかってやろうと考えていたこと。
俺が彼女に告白まがいの副委員長に立候補したこと。学園探索にバスケットボール勝負になり、俺と光太郎の二人がかりでも体格の違う智子に手も足も出なかったこと。
最後にはクラスがとても明るい雰囲気になり、皆が一塊になって笑っていたこと。そして親父も立ち会った、鶴屋での告白について…。
目の前の親父は俺の言葉を黙って聞いてくれていた。そして心なしか、普段の仏頂面ではなくお好み焼きを二人で焼いていた時のように、少しだけ嬉しそうに微笑んでいる気がした。
「裕明、智子ちゃんは母さんそっくりだったな」
「そうなのか? なあ親父、どんなところが似てるんだ?」
「そうだな。色々あるが、例えば…」
親父が言うには俺の小さい頃に亡くなった母親は、性格が智子そっくりらしい。
芯が強くて皆をグイグイ引っ張っていくところ、身だしなみにだらしなく、女性らしい体つきながらも比較的大雑把であり、それでいて優しく面倒見がいいところなど、俺の知らなかった母親の思い出を、親父は懐かしそうに語ってくれた。
「しかし結婚相手は自分の母親に似た相手を選ぶというが、…なるほどな」
「からかうなよ親父! 智子には振られたから、今はただの友達だって!」
月の名家に生まれた者として、最低限の教育は受けており、俺も結婚の意味ぐらいは知っている。
恥ずかしさのあまり思わず否定したものの、智子の隣に俺が立つというも悪くないと言うか、凄くいい。
今日のエプロンを身に着けた家庭的な姿もよかったが、頬を染めて照れている彼女は何というか、グッとくる。
思わず両手で抱き締めたくなってしまう。そこまで妄想したときに、親父が微かに笑いながら声をかけてくる。
「確かに裕明はまだ子供だ。いくら弥生家の御曹司でも結婚はまだ早いか。
しかしそれまでの間、智子ちゃんが誰にも取られないという保証はないぞ?
入学初日にも関わらず、既に学園では噂で持ちきりのようだしな」
「噂? あっ…!」
アレだけ派手に動いておいて噂にならないはずがない。智子の能力を目当てに利用しようとする者、純粋に好意を持つ者、妬みや嫉妬で危害を加えようとする者、たった一日で学園の有名人になってしまった智子に、今後近づく者は大勢出てくるだろう。
「月の三家が一人の少女を囲っているんだ。面倒事が集まってくるのは必然だが、智子ちゃんは色々と規格外過ぎて、どの程度の規模になるか予想できんな。
まあ、せっかく息子が多少なりとも気にかけているんだ。ここは父親らしく、降りかかる火の粉ぐらいは払っておいてやろう」
俺は親父の言葉に思わず目頭が熱くなってしまう。母親が亡くなってからは殆ど言葉を交わすこともなく、ただただ重苦しい雰囲気を身にまとっていた親父が、今はすごく頼もしく、そして鶴屋でのように家族に向けられる優しさも感じられた。
そして障子戸の向こうの使用人たちからも、嗚咽や鼻をすするような微かな音が聞こえてくる。
「しかし裕明。遊びで終わらせるなら友達のままでいいが、もし本気なら全力で挑むことだ。何しろ弥生家の御曹司のお誘いを、その場できっぱりと断るぐらいだからな。
まあたった一度で諦めずに、これからも頑張れ…こほん。以上が経験者からのアドバイスだ」
「親父、…ありがとう!」
冗談交じりな微笑みを浮かべる親父を見て、俺はとうとう我慢しきれなくなり、嬉し涙をポタリポタリとこぼれてしまう。
ここまでお互いが歩み寄れたのは、間違いなく智子のおかげだ。彼女がいなければ、親父と俺は次第に親子の情も薄れて、やがて完全な他人になっていただろう。
「智子ちゃんとは一度弥生家に呼んで、直接話をしてみたいものだ。
他の二家も狙っているだろうから、当主を交えて話す機会は早いかもしれないな」
俺は親父の顔から目を背けて、自分が泣いていることを誤魔化すために、一心不乱に残ったオカズを口の中に詰め込む。
少し水分が多い気がしたが、弥生家で食べた晩飯の中では、今日の食事が一番美味く感じたのだった。