4月 お好み焼き屋にて
広い車の中で、後部座席の全身が沈むソファーに座りながら、友梨奈ちゃんが楽しそうに話しかけてくる。友達を卯月家の車に乗せるのは、はじめてとのことだ。
そう言えば小間使いをしていた頃も、卯月の令嬢の身の回りの世話をする使用人こそ大勢居たものの、友達と呼べる者は一人も見かけなかったことを思い出した。
一瞬、前世ではアタシが唯一のお友達だったのではと考えたが、借金返済のために売られてきた奴隷同然の相手に、そこまで親しげな感情は抱かないだろうと、すぐに思い直した。
やがてお好み焼きの鶴屋を囲むように、あらかじめ大勢のガードマンに警護させる中、卯月家のリムジンはお店の駐車場に停車する。
その少し後に睦月家と弥生家の車が順番に停まったのを、通い慣れたお店への案内人として、卯月おばさんと友梨奈の先頭を歩いているときに、横目でチラリと確認した。
鶴屋と書かれた紺色の暖簾を潜ると、店員のいらっしゃいませー!という掛け声と、お好み焼きの香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。しかし、予想はしていたが店内にはお客さんは一人もおらず、貸切状態となっていた。
入店時の美味しそうな匂いは、自分たちが来店する直前のお客さんたちの残り香なのだろう。
はじめてのお好み焼き屋に目を輝かせる友梨奈ちゃん…と、少し後に暖簾を潜った光太郎君と裕明君は取りあえず置いておいて、アタシは一番近くにいた若い店員さんに声をかけて、予約席への案内を頼む。
「こここっ…こちらです」
可哀想に鶴屋の店員さん顔を真っ青にしており、緊張でガチガチである。
普通はもっと偉い人が案内するのだろうが、鶴屋は熟年の夫婦が営業する完全な個人店なので、パートを数人雇っているがそこまで人手に余裕があるわけではない。
「そっ…それでは、ご注文がお決まりになりましたら、ボタンを押してお呼び出しください! ごゆっくりどうぞ!」
決められたマニュアル対応が終わると、店員さんは背を向けて逃げるように走り去っていく。
少し意外だったのは、てっきり奥座敷の個室に案内されると思っていたのだが、仕切りのない複数の鉄板を囲むように椅子を置いた、通路横のスペースをあてがわれた。
「なあ智子、何かオススメはあるのか?」
「アタシは迷ったら定番のミックスを頼むよ」
「へえ、海鮮やチーズもあるんだね。どちらを選ぶのがオススメ?」
「その二択なら海鮮かな? チーズはちょっと好みが大きく分かれるから」
卯月家を中心にして、左右の鉄板には睦月家と弥生家に囲まれてしまった。
二家の予約で急きょ奥座敷から相席に変更したとしか思えないが、ここまで来たらジタバタしても仕方がないので、気づかない振りをしてスルーを決め込む。
「うーん、迷いますわ。どの具材も美味しそうで決められませんもの」
「じゃあアタシと半分こする? それなら別々の味が楽しめるよ」
「あらいいわね。私も参加させてもらおうかしら」
アタシは卯月家の注文を順番に決めていく。選ばれたのはチーズと豚玉と海鮮の三種類だ。ミックスを頼めば一種類済むが、味の違う三つを別々に味わうのも、これはこれで楽しいものなのだ。
「それじゃ決まったし、店員さんを呼ぶよ」
「わたくしが呼びますわ! こっ…このボタンを押せばいいんですわよね?」
普段は近くで待機している使用人に命令すれば、全部片付けてくれるのでこんな経験はなかったのだろう。
アタシはボタンを押すのは一回でいいからねと一言告げて、呼び出しボタンは友梨奈ちゃんにお任せすることにした。
「お待たせして申し訳ございませんでした! ごごっ! ご注文はお決まりでしょうか!」
呼び出しボタンを押して数秒かからずに店員さんが駆けつけてきた。
実は目と鼻の先の距離で、ずっとこちらの様子を緊張気味に伺っていたので、呼び出す必要はまるでなかったのだが、友梨奈ちゃんが押したそうにしていたので、あえてボタンを押させてもらった。
すぐ隣では光太郎君と裕明君もボタンを押したそうにしていたが、お好み焼き屋に行こうと最初に決めたのは彼女なので、今回は譲ってもらう。
友梨奈ちゃんは一生懸命注文を思い出して、写真を指差しながら店員さんを相手に受け答えをする。
やがて無事に全ての注文手続きを終えた彼女は、ほっと小さな胸をなでおろす。
このまま離れようとした店員さんを続いて二家が引き止め、まとめて注文も受けた後、忙しそうに厨房に走り去っていった。
お好み焼きの具材はあらかじめ用意してあったのか、全員分がすぐに運ばれてきたが、ここでアタシが思わず口を滑らせてしまった。
「そっそれでは! 焼かせていただきます!」
「えっ? 今日は店員さんが焼くの?」
「智子ちゃん、それはどういうことですの?」
その瞬間にアタシは自分の失言を悟った。
店側としては下手にお好み焼きを料理させて、万が一でもトラブルが起こすわけにはいかないのだ。
何しろ相手は世界的な名家なので、服のシミや汚れはもちろん、火傷なんてもっての外だ。ちなみにアタシだけは庶民なので、割りとどうでもいい扱いだ。
「あー…いや友梨奈ちゃん。いつもはお客さんが好き勝手に焼いてるんだけどね。
でもアタシ以外は名家だし、万が一にもトラブルが起きようものなら、お店の立場的に…そのね?」
「わたくしもお好み焼きを自分で焼きたかったですわ」
明らかに気落ちしているのは友梨奈ちゃんだけでなく、光太郎君と裕明君も同じだった。何故か大人三人もガッカリしているのが気になるが、店員さんもどうしたものかと、具材を持ったままオロオロと立ち竦んでいる。
このまま焼いていいのか迷っているのは一目瞭然だ。もし焼くのを強行すれば、失敗しようが成功しようが、名家の不興を買ってしまうのではないかと恐れているのだ。
そこでアタシは少しだけ考え、一瞬の迷いもなく覚悟を決めた。
「うん、お好み焼きはアタシが焼くよ」
「えっ? お嬢ちゃんが?」
「そうだよ。だから具材を全部ちょうだい。もし失敗しても、それは全部アタシの責任だから、お店に一切迷惑をかからない…と思う」
「そりゃ、お嬢ちゃんがいいなら店としては構わないが…だがなぁ」
それから店員さんと短いやり取りを行い、自分はお嬢様と親しい小間使いなので、この場で何があっても大丈夫だと、限りなく事実に近い誤魔化しで納得させる。
そしてお店に何故か置いてあったアタシとサイズの近いエプロンを借りると、手際よくパパっと身に着け、調理中に視界を塞がないようにボサ髪を簡単にまとめて、後ろの髪もリボンを結んで止め、適当なポニーテールに変える。
周囲からは、ほぅ…と一斉に息を呑む声が漏れたが、そんなことはいちいち気にしていられない。
「それじゃ、今からアタシが全員分を焼くから、皆は指示をお願い」
「指示ですの? 智子ちゃんがお好み焼きを焼くのですわよね?」
「案ずるより産むが易しだよ。取りあえず焼きながら説明するから」
そう言ってアタシは皆の分のお好み焼きを鉄板に敷き、順番に焼き始めた。
最初はチュートリアルのようなものなので、ある程度はこちらで調整を行いながら皆に説明する。
今回の料理の責任は全て、指示した人たちの自己責任として、まとめて押しつけてしまおうと考えたのだ。