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4月 駄菓子の魔力

 入学式の朝、正門前の列に並んでいたアタシのお母さんは、目の前の相手が卯月家だとすぐに気づいたらしく、娘のことを事細かに聞いてくるので、何か失礼なことをしてしまったのではないかと、内心でヒヤヒヤしていたらしい。

 何しろ卯月家とアタシの家では、社会的地位、財力、権力、政治力、その他諸々が圧倒的に違うのだ。蟻と象と以上の差があり、どちらが蟻かはわざわざ口に出すまでもない。


 結果的に卯月おばさんは、友梨奈ちゃんがアタシを気に入ったのでお友達になりましょう。これはほんの気持ちで、娘さんの学費の足しにしてくださいと、初等部の六年間の学費を遥かに超える金額が記載された通帳を、その場でポンと渡してきた。

 あまりの展開にお母さんは卒倒寸前なのを堪えて、全身を震わせながらお父さんに連絡を取り、会社の仕事を中断して急きょ学園に駆けつけたもらった。


 新学期の初日なので学園の生徒を昼を過ぎてすぐに帰宅させた後に、アタシの件で卯月家とお話するために、防犯性の高い学園内の一室を貸し切ることになった。

 校舎の外や廊下には念のために複数人のガードマンに警戒させ、さらには専属の使用人を何人も呼び寄せて、突発的な要求にも即時に答えられるような万全の状態だ。


 現在警戒厳重な中心部にはアタシと友梨奈ちゃん、そして何故か光太郎君と裕明君、その保護者までがセットになって、月の名家が集まるという異常事態になっていた。

 朝倉家のお父さんとお母さんが青い顔をしている最中に、アタシは睦月おばさんは外国人で、金髪で青い瞳、露出の少ない朱色のドレスを身にまとっていたので、だから光太郎君はお母さん似なんだなと心の中で納得していた。


 そんな居たたまれない針のむしろの中、卯月おばさんに両親二人がペコペコと頭を下げて、こんな大金は受け取れません。ほんの気持ちですので、お願いしますから受け取ってください…と、贈り物の押しつけあいを見学すること数十分。

 結局絶対的な権力者の機嫌を損ねてアリのように踏み潰されるわけにはいかず、最終的に朝倉家が折れる形で、渋々ながら受け取ることになった。


 そして優秀な使用人にお願いして、学費の引き落とし手続きと名義の登録を済ませた後、名実共にアタシ専用の口座になった。

 しかし触らぬ神に祟りなし、これはアタシが友梨奈ちゃんの友達だから渡された通帳であり、自分以外の人が勝手に引き落として、もしバレた場合、どんな災が降りかかるかわからない。

 仕方のない措置ではあるが、アタシも好き好んで危険な金に手を出すつもりはないので、この通帳は一生タンスの奥に寝かせたままにするつもりだ。


 卯月おばさんが学費だけでなく、智子ちゃんのお小遣いだから自由に使ってもいいのよと言ってきたが、絶対にノーである。

 お小遣いなら毎月数千円ずつ受け取っているのだ。その気になれば駄菓子やB級グルメがたくさん買える。リッチだね。


 そんなことを卯月おばさんに伝えると、やっぱり卯月家の子にならない? と、微笑みながら言われたが、当然お断りさせてもらった。

 子供たち三人からは、駄菓子やB級グルメについて質問されたので、両親との連絡用に持たされたスマホを操作して、近所の駄菓子屋で撮影した写真を何枚か見せてあげた。


 名家の三人は、コンビニなら使用人付きで何度か行ったことがあるものの、昔ながらの駄菓子屋は名前すら知らないらしい。そしていつの間にか卯月おばさんや他の二人の保護者も、アタシのスマホの画面を興味深そうに覗き込んでいることに気づいた。


「子供の頃に召使いに頼んで、こっそり買い食いしたことを思い出すな」

「私はこの小さなドーナツが好きだったわ。今では気楽に食べられる立場でなくなったのが、とても残念よ」

「お店はまだやってるのかしら? 懐かしい雰囲気だし、一度行ってみたいわ」


 アタシは子供たちに見せてあげているのに、男性一人と女性二人の保護者がグイグイ覗き込んできて、少し鬱陶しい。

 しかし相手が庶民とは違う雲の上の名家なためか、お父さんとお母さんはオロオロするばかりで、とても助けれくれそうにない。


「跡取りがいないお婆さん一人で営業してるから、いつお店を畳んでもおかしくないけど。昨日は開いてたよ」


 そう言ってアタシは、スマホの画像を最近常連になっている飲食店に切り替えた後、友梨奈ちゃんに自分のスマホを渡して、名家の集団から逃げるように距離を取ると、学生鞄の中から昨日駄菓子屋で買ったばかりのキャベツ太郎を引っ張り出す。

 この学園のお菓子の持ち込みについてなのだが、著しくマナーを損なうか、授業中に食べない限りは大丈夫だ。


 本当なら今頃は朝倉家に帰って、家族で仲良くお昼ご飯を食べているはずなのだが、急な会談により既にお昼は過ぎている。

 しかし話し合いも終わったようなので、少しでも小腹を膨らますために、カエルのマスコットキャラが描かれた包装紙に切れ目を入れる。


「ねえ智子ちゃん、おばさんに一ついただけないかしら?」

「何で? 名家なら駄菓子なんかより、もっといいモノ食べてるよね?」


 物欲しそうに眺める卯月おばさんを無視して、室内に安物のスナック菓子の匂いが広がるが、アタシはお構いなしに指先で摘んでは自分の小さな口に運ぶ。

 しかし現在は家族を含めた室内の全ての視線がアタシに集まっているので、いくら空腹でも流石に居心地が悪い。


「ほら、おばさんたちは名家じゃない。だから口に入れる物も厳選しないとね。でもやっぱり、毎日高級食材ばっかりじゃ…」

「つまり舌が飽きてきてるんだね。確かに体に悪い物は美味しいって聞くし。

 うーん…あまり数はないけど、他の人もよかったらどうぞ」


 アタシは一つづつ取り出すのが面倒なので、適当な机の上に自分の学生鞄を裏返し、中身を全て吐き出す。十種類ほどの駄菓子と、お気に入りの小説や漫画、教材等が机の上に広がる。

 その駄菓子の小山を見て、何故か子供よりも大人のほうが目を輝かせていた。


 このままでは手を出しにくそうなので、まずは全てのお菓子の封を開けてから、適当に一欠片を指で掴んで、自分の口の中に放り込む。


「どうぞ好きに摘んでください。早く食べないと、先に子供たちに食べ尽くされちゃいますよ」


 アタシが許可を出したので、早速三人が目についた駄菓子から一つを手に取った。友梨奈ちゃんはさくらんぼ餅、光太郎君はモロッコヨーグル、裕明君はビッグカツだ。

 見るのも食べるのもはじめての駄菓子に興奮状態である。気づけば大人たちもちゃっかり自分の分をキープしており、三人寄って子供の頃の思い出などを、和やかに語り合っている。


 アタシも残りの駄菓子を適当に口に入れながら、帰ったあとでお小遣いを追加でもらわないと考えながら家族の方を見ると、お父さんとお母さんは信じられない物を見たように、青い顔をしたままお互いの手を持って震えていた。

 わかっているが、この部屋の光景は当然他言無用だ。


 これ以上付き合う義理はないので、アタシは友梨奈ちゃんに貸したスマホを返してもらって、家族と一緒に早く家に帰ろうと近づくと、彼女は爪楊枝で刺したさくらんぼ餅を一つずつ丁寧に食べながら、とある飲食店の画像をこちらに見せてきた。


「智子ちゃん、これは何ですの?」

「お好み焼きだよ。肉、海鮮、チーズ等の色んな具材を混ぜ合わせて、豪快に鉄板で焼く料理だね。

 このミックス焼きは、お好み焼きの鶴屋かな?」


 食事は家で食べるだけではなく、外食もそれなりの頻度で行ったりする。小学一年生なので家族と一緒の外食が殆どだが、前世では一人で何度か食べ歩きをしたことがある。

 ついでに離婚後はお父さんのためにアタシが家事をしていたので、家庭料理ならある程度は作れるが、今はお母さんと一緒でないと料理の許可は下りない。


 アタシの説明を聞いて、子供たち三人は頭の中で自分だけのお好み焼きを想像し、既にお昼過ぎなためか誰かのお腹が、大きくグーッと鳴った。

 そのすぐ後に真っ直ぐにこちらを見つめて何かを訴えるように、友梨奈ちゃんが口を開く。


「智子ちゃん」

「何となく予想出来るけど、何?」

「わたくし、このお好み焼きという料理が食べたいですわ」

「帰ったら卯月家の料理人さんにお願いするといいよ。きっとすぐに作ってくれるよ」


 彼女の家なら一流の料理人をダース単位で揃えているはずだ。わざわざお店に食べに行く必要はなく、注文すれば一も二もなくその場で作ってくれる。

 お好み焼きは材料を混ぜ合わせるのと片付けに時間と手間がかかるものの、それ以外は簡単な料理なので、月の名家の料理人が作れないはずがない。

 アタシの説得を聞いてもまだ友梨奈ちゃんは諦めていないらしく、なおもこちらに訴えかけてくる。


「その鶴屋というお店に…」

「友梨奈ちゃん、お店の迷惑も考えなきゃ駄目だよ」

「そうよ友梨奈、ここは私に任せておきなさい。ちゃんと予約を取り付けてあげるわ」


 いつの間にか卯月おばさんが友梨奈ちゃんの肩にそっと手を置き、優しげな声で安心させる。 どうやら説得も虚しく料理人に頼まず直接食べに行くことになったようだ。急な天上人の来訪に鶴屋の人はてんやわんやだが、どうか頑張って欲しい。

 アタシはこれで全ての用件は済んだと向きを変えて、大好きな両親の元へと歩いて行こうとしたところで、後ろから何者かに急に左手を掴まれた。


「智子ちゃんをしばらくの間お借りします。卯月家の名に誓って、ちゃんと朝倉家まで送り届けますので、どうか安心してください。

 では、私たちはこれで」


 いやいや、アタシは家族と一緒に朝倉家に帰るからね。って、卯月おばさん力強い!

 彼女は爽やかな笑顔を浮かべながら軽く会釈をしてから廊下に出ると、待機させていた使用人に鶴屋に予約を取らせるように指示を出す。

 そのままズルズルとか弱い小学一年生を引きずりながら、学園内の駐車場を目指して、精鋭のボディガードたちに警護されながら、止まることなく歩き続ける。

 たまにすれ違う学園の関係者は、皆ギョッとしてこちらに視線を向けるものの、それ以上は何もしようとしない。ここで悲鳴をあげても誰も助けてくれないだろうなと、つくづく月の名家の面倒臭さを体感しつつ、思わず諦めのため息を吐いた。


「わかったよ。一緒に行くからいい加減離して。これじゃ誘拐みたいだよ」

「ようやくその気になってくれたのね。とっても嬉しいわ。ずっと親しげな口調でもいいのよ」

「何だか色んな意味で疲れちゃったからね。でも素に戻るのは今回だけだよ」


 もう大人用の言葉遣いで取り繕うのも億劫になったので、素のままで対応することに決める。

 アタシは流石の面の皮の厚さにうんざりしながら卯月おばさんの後ろを歩きながら、不安そうな表情を浮かべ、こちらをじっと見つめる友梨奈ちゃんに気づいた。


「別に友梨奈ちゃんと一緒に行きたくないわけじゃないよ。ただ、この後は自宅でのんびりする予定だったのが、急に変更になったから驚いただけだよ」

「そうでしたの。嫌われてなくてよかったですわ」


 言葉に嘘はないが、名家の面倒に巻き込まれたくないという真の解答を言っていない。幸いなことに友梨奈ちゃんの機嫌は治ったようなので、まずは一安心といったところだが、問題は別にあった。


「ところで卯月おばさん。睦月家と弥生家が付いて来てるのは何で?」

「その辺りは私にはわからないわ。でも一つ言うなら、たまたま目的地が同じなのではないかしら?」

「あっ…ふーん」


 男子二人がこちらの様子をチラチラと観察しながらも、睦月と弥生の大人二人はどこ吹く風か、和やかに談笑しながらアタシたちと一定距離を保ったまま、付かず離れずに付いて来る。

 もう気にするだけ無駄だと考えて、卯月おばさんの用意した、やたらと横幅が広いリムジンに誘われるまま乗り込んだ。


 前世でお嬢様の小間使いとして何度も利用しただけあって、そこまで驚きはなかった。ただ、今の運転手さんは若いなと感じながら、当たり障りのない挨拶をした。

 卯月おばさんは前世と殆ど姿が変わっていないように思えたが、顔を合わせる機会は数える程しかなかったため、記憶に残らなかっただけかもしれない。


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[一言] 月の名家が揃ってお好み焼きパーティーですか。鶴屋さん、強く生きて下さい。
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