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2月 ショッピングモールでの買い出し

 二月の一週目の休日に、アタシと友梨奈ちゃんは卯月家の高級車に揺られて、朝倉家のある田舎ではなく少し離れた都会まで遠出して、四階建ての大型ショッピングモールを目指す。

 その際には信頼できる護衛と使用人の車数台が、アタシたちの車を守るように付かず離れずで並走する。

 目的地まで何事もなく到着し、休日なので他の大勢の買い物客でごった返していたが、店員に頼んで入り口近くの屋外駐車場の一角を前もって確保しておいたので、満車表示こそされているものの、卯月家の車を全台停めることが出来た。


「では行きましょうか。智子ちゃんと一緒のお買い物、とても楽しみですわ」

「普段は駄菓子屋か学園の購買だからね。大きなお店はこれが初めてかな?」


 バレンタインデーということで気を使ったのか。護衛には男性もいるが、荷物持ちや会計の役割の使用人は全員が女性だった。

 アタシたちは若い女性の使用人さんに車の扉を開けてもらい、まずは小さなボンボン付きのカシミアのコートの友梨奈ちゃん、そしてウールのセーターのアタシの順番で降りる。

 護衛に守られながら寒い駐車場を移動して、自動ドアを通り店内に入ると、エアコンの温かさと人混みの熱気が、アタシたちに向かって一気に押し寄せてくる。


「食品コーナーは一階だから、ええと…コッチだね」

「道案内は智子ちゃんにお任せしますわ」

「エスコート役としては自信はないけど頑張るよ」


 護衛と使用人を引き連れた目立つ集団なので、全方位から物凄い注目を浴びているが、気にせずに食品コーナーに進む。両親と一緒に何度か来たことがあるので、おぼろげながらも店舗の場所は覚えていた。

 その途中で興味深そうに周りをキョロキョロと見回していた友梨奈ちゃんが、突然、あっ! と嬉しそうな声を上げた。


「あれはクマ吉ですわ!」

「アタシの部屋のぬいぐるみと似てるね。んー…帰りに覗いてみる?」

「ええっ、楽しみですわ!」


 友梨奈ちゃんはアタシの部屋で名前をつけて可愛がっているクマ吉よりも、遥かに立派なクマのぬいぐるみを、二階の吹き抜けの向こうの玩具売場で見つけたようだ。

 今の彼女の頭の中は、バレンタインのチョコカップケーキは綺麗サッパリ消えてしまい、クマのぬいぐるみに占められているのは間違いない。


 元々必要な数さえ作ることが出来れば、程々のところで質を味と妥協する予定だったので、食品コーナーの徳用チョコをいくつか手に取り、値段と予算を天秤にかけて、買い物かごを持ってきてくれた使用人さんに渡していく。

 続いてホットケーキミックス、卵、バナナ、ココア…等など、レシピにまとめた必要な材料を、必要な分だけかごに入れ、小分けの容器とラッピング素材も忘れないように気をつける。


「これでバレンタインデーの買い出しは終わりだよ。精算を済ませたら二階のオモチャ売り場に行こうか」

「早く行きたいですわね!」


 早速精算を済ませたアタシたちは、使用人さんの一人に車に購入済みの荷物を届けてもらい、アタシと友梨奈ちゃんは相変わらず護衛に全方位を守られながら、転ばないように気をつけてエスカレーターに乗り、友梨奈ちゃんがクマ吉を見かけたという二階の玩具売り場に脇目も振らずに向かう。

 しかしそこには、彼女が求めていたクマのぬいぐるみの姿は既になかった。


「くっ…クマ吉? 確かにここに居ましたのに!」

「うーん、アタシもここだと思ったんだけど、取りあえず近くの店員さんに聞いてみようか」


 玩具売り場の店員さんに話を聞いた所、友梨奈ちゃんがクマ吉と呼んだぬいぐるみは、アタシたちが来るほんの少し前に、他のお客さんに買われてしまったことがわかった。

 しかも店頭販売の一点物で、海外の職人さんがオーダーメイドで仕上げた特注品という。


「うぅ…クマ吉」

「そっ…そんなに欲しかったんだ」


 アタシの部屋のクマ吉を可愛がるようになった友梨奈ちゃんは、自分でもクマのぬいぐるみを集めだしたようで、今回見つけた物もコレクションに加えるつもりだっだが、残念ながらギリギリのタイミングで別のお客さんに買われてしまい手に入らなかった。


「もしよかったらだけど、アタシがクマのぬいぐるみを作ろうか?」

「どういうことですの?」

「店売りやプロの職人と比べられると下手だけど。材料と時間さえあれば、アタシでもクマ吉っぽいぬいぐるみは作れるから」


 もう少し早く買い物を終わらせてれば、友梨奈ちゃんが悲しむことがなかったのではないか。ならば自分に出来ることで少しでも償いをしたいと、口には出さないがアタシはそう考えた。

 もし先に買った場合は本来買うはずだったお客さんが涙するのだが、そちらは棚上げしておく。


「智子ちゃんのせいではありませんわ。でも、ありがとうございますわ。

 ぬいぐるみの材料費もわたくしが出しますから。いえ、出させてもらいますわ!」

「それは助かるけど。素人の作るぬいぐるみだから、安物の材料でいいからね」


 本当なら材料費も全額自分が負担するべきだろうが、足りない素材をアタシのお小遣いで買い足すのは正直厳しいので、この場はありがたくお言葉に甘えさせてもらう。


「智子ちゃんがわたくしのために作ってくれる。世界で一つだけのクマのぬいぐるみですのよ?

 勿論、最高級の素材を取り揃えますわ!」

「うぅ…プレッシャーだよ。失敗しないように慎重に作るとなると、出来上がりまでかなり時間がかかるかも」


 前世の学園の家庭科授業で、簡単なぬいぐるみを作ったことはある。その出来は可もなく不可もなくだったので、アタシがいくら高級素材を使って丁寧に作ったところで、素人の域を出ない。

 期待に胸を膨らませる友梨奈ちゃんを見ていると、自分の心に針がチクチクと刺さるように感じてしまう。


「心配無用ですわ! そのぐらい一年でも二年でも待ちますわよ!」

「いや…流石にそんなに長くはかからないよ。デザインや型紙は授業中に考えるから。

 毎日学園と家で少しずつ縫ったとしても…ええと、長くても一ヶ月かな?」


 自室のクマのぬいぐるみを参考にするのだから、アタシがアレコレ考える必要は殆どない。

 素人の手作業なので削れる部分はガンガン削って、それでもなるべく見栄えするように縫っていくのだが、その辺りは高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に立ち回るしかない。

 頭の悪いアタシが長時間悩み抜いたところで、ろくな結果にはならないからだ。ならば多少行き当たりばったりでも、いつも通りに全力で駆け抜けたほうがいい。


「ぬいぐるみの素材を購入してからお店を出ようか」

「先程も言いましたけど、最高級の素材を揃えますから、別に購入の必要はありませんわよ?」

「駄目。絶対にここで揃えるよ。目の届く範囲で値札を確認しないと、アタシが安心出来ないからね」


 過去にも値札の見えない物は色々あった。キャンプの食事は月の名家や料理人にお任せすることで、アタシが直接手を加えることはなかった。

 特注のパーティードレスや演劇の小道具も全部借り物だ。使用後はアタシの物にしていいと言われたが、全部強引に突き返してきた。卯月家が渡した貯金通帳もタンスの奥から一生出さないつもりだ。


「はぁ…遠慮する必要なんてありませんのに」

「親しき仲にも礼儀ありだよ。今回はアタシから友梨奈ちゃんへのプレゼントなんだから、素材に何を使うかはこちらで全部決めさせてもらうよ」


 そうと決まれば玩具売り場から離れて、大型ショッピングモールの中でぬいぐるみの素材を売っている店舗を、一つ一つ頭の中に思い浮かべていく。

 友梨奈ちゃんと護衛と使用人の皆さんもアタシの後ろを付いて来てくれているので、一応は納得してくれたようだ。


「確かに友達だからと無理強いはいけませんわね。

 智子ちゃんはいつも頼りないわたくしを、教え導いてくれますわ」

「そんな大したことは言ってないけどね」

「いいえ、もし智子ちゃんがすぐ側で諌めてくれなければ、

 わたくしはきっと、自己中心的でわがまま放題で人の気持ちがわからない、愚かな令嬢に育っていましたわ」


 彼女の言葉を聞いて一瞬ビクッと硬直してしまった。もしかしたら友梨奈ちゃんはアタシの日記を読んだのだろうか。

 後々まで保留して関係がこじれると困るので、気になることはその場ですぐに聞いてみるに限る。


 恐る恐る振り返ったアタシは彼女に近づいて、護衛の人たちにも頼み、周囲の視線から完全に隠れた後、そのまま通行の邪魔にならない壁際まで移動し、囁き声でこっそりと質問する。


「友梨奈ちゃん、もしかしてだけどアタシの日記を読んだ?」

「いいえ、わたくしも直接は読ませてもらえませんでしたわ。智子ちゃんの日記は、現在国家機密に指定されていますので」

「えっ? …は? 国家機密? ああ、なるほど」


 いくら別の未来に向かって進んでいるとはいえ、変わらずに起こる事件もあるのだ。ならば国家機密にされて当然だと納得する。

 それに日記が表沙汰になれば、当然アタシの存在も明るみに出て、拉致監禁してでも情報を吐かせようとするか、人体実験で頭や体の中身を調べられるか。前世以上に悲惨な結末を辿ることになる。

 アタシは恐怖で体を小さく震わせた後、続いて月の三家に日記を渡してよかったと、大きく安堵する。


「とにかく、読んでないんだね?」

「はい、それでもお父様とお母様は内容を知っているようで、いくつから教えてもらいましたわ。

 わたくしが悪役令嬢と呼ばれていたことや、智子ちゃんを小間使いのように扱っていたことも」


 小学一年生という多感な時期に、卯月おじさんとおばさんは何てことを教えているのか。アタシは思わず天を仰いでため息を吐いて、友梨奈ちゃんに慰めの言葉をかける。


「友梨奈ちゃん、書かれているのは全部夢の出来事だから。現実じゃないよ」

「ええ、大丈夫ですわ。今のわたくしとは違うことはわかっていますわ。

 そして夢のわたくしが、一人ぼっちでずっと寂しがっていたことも」

「うん? どういうこと?」


 友梨奈ちゃんは寂しそうな表情をしているが、言葉は淀みなくはっきりしているので、取りあえずは大丈夫そうだ。

 しかも前世の友梨奈ちゃんに感情移入しているようで、その気持ちがわかると言う。アタシは最後までお嬢様が何を考えていたのかわからなかったので、少し興味が出てきた。


「智子ちゃんの日記のわたくしは、両親や家の者、そして友達にも心を開いていませんの。

 でも本当は誰よりも寂しがりやで、自分の気持ちを周囲にどう伝えたらいいのかがわからない、不器用な一人の女の子でしたのよ」


 わがまま放題で周囲を困らせていた悪役令嬢は、恋のライバルを排除するのもアタシに色々命令はするものの、自分からは一度も手を下さなかった。

 今考えれば一対一で相手の令嬢を説得しようとすれば、感情を押さえきれずに強行に排除してしまうと理解していたので、わざわざアタシに命令し待ちに徹していたのだ。

 それに愛しの彼に恋心を伝えるのも逐一アタシに代行させていたので、気持ちの伝え方の不器用さは筋金入りだと言える。


「どれだけわがまま放題で癇癪を起こしても、絶対に離れずに主人を辛抱強く諭してくれる、お金で買った同い年の小間使い。

 彼女の存在こそが、夢のわたくしにとっては唯一の心の拠り所でしたのよ」


 それはまあ、こっちは借金のカタに売られてきたので逃げるに逃げられない。なので基本的には主人のご機嫌を取るのが普通なのだが、アタシはゴマすりが出来ないので、いつもズケズケと正直に物を言うのだ。

 これは雇い主の怒りを買って絶対解雇になるだろうと思ったのは、一度や二度ではない。


 だが友梨奈ちゃんから聞く限り、割れ鍋にとじ蓋という感じで、たまたま上手く噛み合っていたようだ。


「しかし、失う間際にかけがえのない存在だと気づくのは、本当に悲しいですわね」

「まあ、アタシは刺されて死んじゃったからね。…ちなみにだけど、夢の続きはどうなると思う?」


 友梨奈ちゃんの話を聞いて、おぼろげながら前世の彼女が何を考えていたかがわかったような気がした。しかしアタシを失った向こうの友梨奈ちゃんは、この先どうやって生きて行くのだろうか。


「そうですわね。考えられるのは、智子ちゃんの後を追っての自殺。楽しかった智子ちゃんとの思い出に閉じこもる。

 そして一番可能性が高いのが、智子ちゃんの敵討ちですわね」

「あのさ、それって全部アタシ絡みの厄ネタなんだけど。辛い過去を忘れるために新しい恋に励むとかはないの?」


 アタシのせいで夢の中の友梨奈ちゃんの人生がヤバイ。目の前で大切な人が刺されて死んだのだから、トラウマになっても仕方ないのだが、せめて何か一つぐらいは希望の未来があってもいいと思うのだ。


「日頃から心の大部分を智子ちゃんが占めており、智子ちゃん以外に心を許していないのですから当然ですわ。

 あと、睦月の御曹司は駄目ですわね。

 少なくともあっちの夢では目の前の女性に良い恰好をするくせに、寄りかかったら全力で逃げ出すタイプですわ。ヘタレだと断言できますわ」


 確かに今の光太郎君は女性関係をしっかり精算しているが、夢の方では女性関係を踏み倒して逃げては、遊びでまた新しい女性に手を出す面倒なタイプだった。

 それでいて顔も頭もいいし、運動も得意で月の名家でお金持ち、さらには女性絡みの危険察知能力も高いのでなおさらタチが悪い。


「そっかー…駄目かー」

「ですがまだ、夢のわたくしには、希望が残されていますわ」

「え? あるの?」


 先程の三つ以外にもルート分岐があるのなら、夢の友梨奈ちゃんは亡くなったアタシを忘れ、明日に向かって生きていける。少し期待しながら次の言葉を待る。


「智子ちゃんが死んでいない場合ですわ」

「アタシ、包丁で刺されて死んだんだけど」

「ええ、そうですわね。でも智子ちゃんは、自分の死をはっきりと自覚しましたの?

 実は痛みで気を失っただけではなくて?」

「うぐ…そう言われると自信がないかも」


 刺された後に気がついたら小学一年生だったのだ。死の間際に見る、一瞬の夢だとしても不思議ではない。

 でもアタシはこの一年で何度か怪我や病気をしたが、一向に元に戻る気配はない。つまりここが現実である証拠だろう。


「何より卯月家の医療技術は凄いですし。

 学園にも最新の医療スタッフと警備員が配備されている状況ですのよ。包丁で一突きされただけで命を落とすのは、到底不可能だと思いますわ」

「つまり夢の中のアタシが助かってる可能性もあるんだね。なるほどー…じゃあ、ここにいるアタシって一体何だろう?」


 今のアタシは完全に混ざり合っているで冷静に、ありのままを受け入れられる。それでも自分の正体はとても気になるので、何となく全てを知ってそうな友梨奈ちゃんに、ワクワクしながら質問する。


「智子ちゃんの正体、それは…智子ちゃんですわ」

「そうだね。アタシだね」

「冗談はさておき、予知夢、未来、現実、智子ちゃん、この四つはどれも証明は困難ですもの。考えるだけ時間の無駄ですわ。」

「四番目のアタシがとても気になるけど、それもそうだね」


 小さな肩をすくめる友梨奈ちゃんから聞きたいことは大体聞けたので、アタシはそっと離れる。

 何はともあれ、前世のお嬢様が幸せな未来を歩める可能性も残っているとわかったので、少しだけ気持ちが軽くなる。

 こっちのアタシは小学一年生として生きていくので、あっちのアタシもしぶとく生き延びて欲しい。


 だがお嬢様は心底幸せでも生き残った向こうのアタシの人生は、別の意味で詰んでいる。まず覚醒を果たしたパーフェクトお嬢様が、全力でベタベタと甘えてくる。

 そして二度と失うまいと朝から晩まで、それこそお風呂やトイレや就寝まで付きまとって、一生飼い殺しにされる。

 何より言葉だけでは物足りなくなり、アタシの心と体の全てを自分のモノにしようと、妖艶な令嬢の肢体と天才的な性的技巧の合わせ技で、ベッドの上の関係を強引に求めて来る。


 最終的に重すぎるお嬢様の愛を断わりきれずに、綺麗な百合の花を咲かせる未来しか見えない。予想可能、回避不可能というやつだ。

 覚醒したパーフェクトお嬢様は、瓦礫を撤去するブルドーザーのように、アタシを引きずりながら二人の関係を妨げる全ての障害物をなぎ倒して、邁進して行くのだ。

 表と裏の両方で幸せを勝ち取り、めでたくゴールインさせられるのは時間の問題だろう。


 あっちの百合の花が咲き誇るハッピーエンドを確信してしまったせいで、鳥肌を立たせて身を震わせながら、小学一年生に戻れてよかった! …と、現在のアタシは本気でそう思った。


「そっ…それじゃ、ぬいぐるみの材料を買いに行こうか!」

「ですわね。いくら壁際でもずっと留まっていては、通路を通る他のお客さんたちの迷惑ですわ」


 目の前の友梨奈ちゃんは、明るくて他人を思いやることが出来る、とてもいい子だ。

 間違っても前世のような悪役令嬢にしてはいけない。アタシは壁になってくれた護衛の人に移動することを告げて、はぐれる心配はないが、小学一年生の彼女とそっと手を繋ぎ、店内を再び歩き出す。

 もう小間使いの仕事はしないけど、せめてお別れするまでは友達として。そう、あくまでも健全な友達として。出来る限り側で支えてあげようと、そう心に決めたのだった。

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