2月 バレンタインデーの計画
三学期が始まって一ヶ月が過ぎ、二月の上旬。お菓子業界ではバレンタインデーフェアが始まり、チョコレート商戦真っ盛りだ。
そんな流れとは関係なく、アタシたち四人は朝倉家の自室で恒例の勉強会を行っていた。
しかし完全に無関係とはいかず、友梨奈ちゃんが折りたたみ式の机の上に開いた問題集から手を離して、ウキウキしながらアタシに質問してきた。
「もうすぐバレンタインデーですわね」
「そうだね」
「智子ちゃんは誰にチョコをあげますの?」
本当に女の子はバレンタインデーの話題が好きなんだなと思いながら、アタシも問題を解くのを一旦止めて、シャープペンを口元に当てて少し考えて正直に考える。
「お父さんと月の名家や学園でお世話になってる人たち、あとは一年一組の男子全員だよ。
あまりお小遣いに余裕がないから安いお得用チョコを買って。
それを元に、家にある材料でチョコ味のカップケーキを作って、当日に皆に渡すつもり」
「本命チョコはありませんの?」
「んー……ないね」
腕を組んでしばらく考えたが、やはり誰も思い浮かばないので、はっきりないと答える。すぐ隣で同じように問題を解きながらも、しっかり聞き耳を立てていた男子二人があからさまにガッカリする。
「智子、俺にはくれないのか?」
「僕もてっきり、智子ちゃんから貰えると思ってたよ」
「えっ? ちゃんとチョコはあげるよ? ホットケーキミックスで作ったカップケーキで悪いとは思うけど」
ちゃんと皆にチョコ味のカップケーキをあげるつもりだ。クラスの男子の半分でも十人以上いるので、そこに月の名家や学園でお世話になってる人も足すと、前日の準備がかなり大変かもしれない。
「いや、智子の手作りが食べられるならいいんだ。…しかしな」
「僕も全然文句はないよ。むしろ嬉しいぐらいだ…でも、男としてね?」
「二人とは友達だけど付き合うつもりはないから。変に凝ったチョコを渡して勘違いでガッカリさせるよりは、皆平等でいいと思ったんだけど」
アタシが事実を告げるとますます落ち込んでいく。どうしたものかと頭をかいて考えていると、いい加減友梨奈ちゃんがジメジメとした空気に耐えきれなくなったのか、二人に檄を飛ばす。
「あぁ…もうっ! 男のくせにいつまでもウジウジと! チョコは貰えるのですから、智子ちゃんに好かれているのは間違いありませんのよ!」
この言葉で少しだけ前を向けたのか、裕明君と光太郎君は顔を上げてアタシをじっと見つめる。
「裕明君と光太郎君のことは嫌いじゃないし、他の男子と違ってアタシにとって特別な存在だよ。それは間違いないから」
「何だか凄く元気が出てきたぜ」
「僕もだよ。今なら何でも出来そうだ」
その後に、勿論友梨奈ちゃんも特別だからねと付け加えると、当然ですわ! …と、誇らしげに小さな胸を張った。
どうやら皆の機嫌が治ったようなので、アタシもバレンタインデー当日に向けて改めて計画を練るため、白紙の雑記帳を開いて思いついたことを書き加えていく。
「学園と月の名家は別々に渡さないと荷物がかさばるね。徳用チョコと足りない材料は、次の休日に市の大型店舗に買いに行けばいいかな?」
「相変わらず綺麗な字ですわね。羨ましいですわ」
「友梨奈ちゃんも確実に上達してるから、アタシなんてすぐに追い抜くよ」
十年以上の積み重ねのあるアタシとは違い、友梨奈ちゃんは本当の小学一年生なのだ。しかし字の書き方だけではなく、三人共難しい言葉も覚えて、どの教科もみるみる上達するので、冗談ではなくアタシが追い抜かれるのも時間の問題だ。
今の時代は買い物は殆どネットで済むが、画像だけ見ても分量を測り間違える場合があるし、何度も注文するならともかく、たった一度の購入だけでそんな危険は犯せない。やはり食料品を直接買いに行くことに決める。
「ふふっ、ありがとうございますわ。では搬送の車はいつも通り、卯月家が出しますわね」
「本当はお父さんに送ってもらいたかったんだけど、その日は仕事が忙しくて…。いつも頼りにしちゃって悪いね」
「お気になさらず、卯月家一同は智子ちゃんのお役に立てることを、殊の外喜んでいますのよ」
「いや…アタシ、そんな喜ばれるようなことは、本当に何もしてないんだけど」
アタシの人気は月の名家の家族だけでなく、使用人の隅々まで行き届いているらしく、原因に全く心当たりがないので、頭の悪い自分がどれだけ考えても無駄だと早々に諦めて、引き続き必要な材料と予算を雑記帳に書き出して簡単に計算していく。
「んー…やっぱり必要な材料に対して、お小遣いが足りないかも」
「では、お母様が渡した貯金通帳から引き出しますの?」
「あれは全部学費だから無理だよ。卯月おばさんもそのつもりでアタシに渡したんだからね」
入学式に受け取った貯金通帳とカードは、朝倉家の両親に渡してタンスの奥に仕舞い込まれている。家の何処にあるかは自分にはわからないし、学費の自動引き落とし以外に使うつもりはないので、別に知りたいとも思わない。
そんなアタシに友梨奈ちゃんはさらなる甘い言葉をかける。
「全額智子ちゃんの好きに使えばいいですのに。残高が尽きたら卯月家がまた振り込んでくれますわよ」
「いやいや、いくらでも使える魔法のカードなんてないからね。
限りあるお金は大切に使わないと。アタシもいつ路頭に迷うかもわからないし」
「智子ちゃんに限ってそんなことがあるわけ…ですが、もし住む場所がなくなったら、卯月家に住むといいですわ。智子ちゃんなら大歓迎ですわ」
友梨奈の目が獲物を狙う肉食獣のように輝いているのがわかる。心なしか、はぁ…はぁ…と興奮した息遣いも聞こえる。
何だかわらないけど、ますます卯月おばさんから受け取った貯金通帳を使うわけにはいかなくなった。
このお金をアタシが欲望のままに全額使い切った瞬間、まるで蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、友梨奈ちゃんの上目遣いからの妖艶な声色でのお願いを断れなくなり、骨までしゃぶり尽くされる未来が垣間見えてしまった。
「とっ…とにかく! 貯金通帳は絶対に使わないよ!」
「仕方ありませんわね。では、わたくしと智子ちゃんの合作にしましょう。
材料費はわたくしが出しますので、チョコカップケーキを作るのはお任せしますわ。
これなら、何も問題もありませんわよね?」
確かに問題はないが、アタシはお金も車も出せないので申し訳なく感じてしまう。
「やっぱりアタシも、少しぐらいお金を出したほうが…」
「お気になさらずに、こういうのは適材適所ですわ。
覚えていらっしゃいますか? 入学式のホームルームで、智子ちゃんがわたくしを諌めるため、この言葉の意味を教えてくれましたのよ?」
覚えている。友梨奈ちゃんが副委員長に立候補したときに使った言葉だ。
自由に使えるお金をたくさん持っている彼女と、少しは料理が出来るアタシ、チョコカップケーキを合作するとすれば、まさに適材適所だろう。
「あははっ、それを持ち出されると、もう何も言えないね。
これは一本取られたよ。それじゃ、次の休みの日はよろしく頼むね」
「お任せあれ…ですわ。久しぶりの長距離の送迎ですので、護衛も運転手も気合が入ること間違いなしですわ」
ともかくこれで、バレンタインデーの予定は埋まった。あとは二人で実行に移すだけだ。お互いに笑顔を浮かべるアタシを友梨奈ちゃんに対して、先程からずっと肩身の狭い男子二人が、オズオズと手を上げて意見を述べる。
「あの、俺たちは? 休日の荷物持ちで付いてっていいか?」
「当然僕たちも参加出来るよね? 言ってくれれば手伝うよ?」
何とも所在なさげな裕明君と光太郎君だが、彼らも薄々気づいているのだろう。今回のイベントは基本的に女の子が準備するので、男の子には出番がないと。
アタシは焦らす趣味はないので、直接聞かれたからには事実だけを淡々と告げる。
「バレンタインデーは女の子のイベントだから、二人に手伝ってもらうことはないよ」
「わたくしと智子ちゃんの、チョコカップケーキの味見ぐらいはしてもらうかもしれませんが。まあ…それだけですわね」
やはり気づいていたようで、二人共そこまでは悲観してはいなかった。肩を落として大きく息を吐いた後、仕方ないかという表情で渋々口を開く。
「そんな気はしてたんだ。智子の言ってることは正しい。カップケーキが出来上がるのを楽しみにしてる」
「付いて行きたかったけど仕方ないね。でも、僕の手を借りたければいつでも言ってよ」
「うん、二人共ありがとう。まだ先だけどケーキの味見は任せるね」
こうしてバレンタインデーに備えた女の子同士の話し合いは終わった。最後まで男子二人は寂しそうだったが、女子の買い物に無理やり連れ出しても退屈させるだけだし、本当に荷物持ちとして使うことになってしまう。
それを仕事にしてる人ならまだしも、チョコカップケーキの味見だけで友達にそんな扱いはさせられなかった。
そこまで考えたアタシは、学園で裸や水着姿を見られたときもそうだったが、近づかれたらドキドキするし、小学一年生ながらも目の前の裕明君と光太郎君のことは、一応は異性として認識ているのだなと再確認したのだった。




