10月 文化祭の終わり
結論から言えば、裏ルートを通って校庭の包囲網からの脱出作戦は、半分成功で半分失敗だった。目的の三年生の軽食コーナーにはたどり着いたものの、何度も客引き、つまり智子引きに捕まったため、お昼を大きく過ぎてしまったのだ。
「いらっしゃい智子ちゃん。それとお友達も、お好きな席にどうぞ」
「いっ…いらっしゃいました。はぁ…お腹空いた」
「こちらがメニューとお冷になります。お決まりましたら、呼び鈴を押してくださいね」
メイドのコスプレをした売り子さんの笑顔の出迎えを受けて、アタシたちは机を合わせて、テーブルクロスをかけて飾り付けられた四人がけのスペースに座り、目的地までお互いが生き残ったことを深く喜びあった。
しかしすぐにお腹が鳴ったので、現実に引き戻される。
「とにかくメニューを見てみようか。ええと…殆ど売り切れだね」
「既にお昼時ではなく、三時過ぎですもの仕方ありませんわ」
「もう殆ど残ってねえな。せっかくたどり着いたのに、これじゃあんまりだぜ」
「あぁ…もう動けない。智子ちゃんの手料理が恋しいよ」
ピークを大幅に過ぎた今、三年生の教室にお客はアタシたち四人しかおらず、メイドの売り子さんも申し訳なさそうにこちらをチラチラ見ている。
皆は到着当初はガックリと肩を落としていたが、光太郎君が口に出した言葉でアタシ以外の三人が突然息を吹き返す。
「智子ちゃんが料理を作ればいいのですわ」
「ああ、これ以上ないぐらいのいい案だ」
「僕も異論はないよ。取りあえず店員さんを呼ぶね」
「えっ? …えっ? ちょっと…ちょっと待って」
三人共空腹のせいで頭が回らないのか、明らかに目が据わっている。アタシが止めるよりも早く、光太郎君が机の上の呼び鈴を鳴らして、メイド服を着た先程の売り子さんを呼んだ。
彼女はすぐ近くに立っていたので、十秒もかからずにやって来る。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「今在庫のある料理を全て注文しますわ。そして料理は智子ちゃんが担当しますの」
「そっ…それは、どういった…」
「言葉通りの意味ですわ。そしてこれ以上の説明は必要ありませんわ。ただ智子ちゃんに全てを任せると言えば、それで万事解決ですのよ」
友梨奈ちゃんを止めようと口を開く前に、メイドの売り子さんはアタシを見て、おっ…お任せします…と申し訳なさそうな表情で、はっきりと告げてしまった。
本当に申し訳ないのはこっちだというのに、今さら待ったをかけて場を混乱させても相手に悪いので、こうなった以上はアタシに出来ることをやって、短時間で片付けてしまうのが、双方ともに一番ダメージが少ない。
「色々すみません。ええと、残りの材料と家庭科室をお借りしますね」
アタシが在庫を確認すると、やはり材料は殆ど残っていなかったが、パスタだけは多めに余っていた。
家庭科室に備蓄されていた調味料の許可を取り、余り物の肉と野菜をフライパンで炒めた後に、トマトホール缶を入れた後に塩コショウで味を整え、そのまま一煮立ちさせて即席のソースを作る。
茹でたパスタに有り合わせの素材で作ったトマトソースを絡めて、即席のスパゲッティが完成した。
料理器具や機材は最新の物が揃っており、朝倉家とは違うので最初は少し扱いに手間取ったが、使っているうちに何とか慣れてきたので、調理後半には材料を焦がすこともなく、何とか食べられる物には仕上がった。
ただし友梨奈ちゃんが宣言した通りに残った余り物を全て使用したので、四人で食べ切るには量が多く、テーブル一つを占める程の大皿に、ドカンと山盛りになっている状況だ。
それでも空腹の三人は鬼気迫る勢いで、自分が作ったスパゲッティをお腹の中に詰め込んでおり、アタシもまかない料理としては即席でもそれなりの物が出来たと満足しながら、粉チーズをかけた後にフォークを刺し、クルクルと回して小さな口に入れ、ちょうどいい固さのパスタを噛みちぎっては飲み込んでいく。
ふと食材を譲ってくれたり家庭科室の手配をしてくれた中学三年生の先輩が、何か言いたそうな顔で無我夢中で食べ続けている四人を見ていることに気づいた。
「あの、何か用ですか?」
「厚かましいお願いですが、私たちにも少し分けてもらえないでしょうか?」
「いいですよ。四人ではどう頑張っても食べきれませんし、何より皆さんには、色々とお世話になったので」
確かに即席のトマトソースパスタは見た目も美味しそうで、食欲をそそる香りも家庭科室に充満しており、廊下の向こうからも何人かの生徒が顔を覗かせているのがわかる。
これ以上人が集まってくるまえに、物理的に証拠を隠滅したほうがいいかも知れない。
中学生の皆が嬉しそうな顔をして各自のお皿とフォークを持って、専用のトングで大皿の山盛りパスタを掴んで取り分けていく。
「家の高級料理とは味付けが全然違うぞ! だがいけるな!」
「何これ! 有り合わせの材料なのにこんなに美味しく出来るなんて!」
「さっきからフォークが止まらないわ! これは癖になる味だね!」
「昼のシフトで飯が食べられない時はどうなるかと思ったが! 智子ちゃん! おかわりを頼む!」
そしていつの間にか、アタシがトングで取り分けて持て成す係に落ち着いていた。何故かと言うと、この人たちの殆どが取り分けるのが下手なのだ。
今日の文化祭以外ではあまり他人に振る舞う経験がないためか、このまま時間をかけると、せっかくの温かいパスタが冷めて伸びてしまう。
なのでアタシが代行して皆の小皿にテキパキと食材を分け与える。既にお腹は膨れたので、やりたくはないが問題なく世話を焼くことが出来る。
ちゃっかり覗き見していた何処の誰かもわからない人たちまで、小皿とフォークを持って物欲しそうに列に並んでいたので、いちいち弾いて渋滞させるわけにはいかず、そのまま食べさせてあげたが、もし今のが偉い人だったら後々問題にならないかと、少しだけ心配になった。
「即席トマトソーススパゲッティは完食しました! はいっ! 解散!」
最後の一人に大皿の底までさらって分け与えた今、もはや麺の切れ端すら見つからず、綺麗になっていた。
友梨奈ちゃん、裕明君、光太郎君の三人も満足そうな顔でお腹を押さえているので、一先ずの嵐は去ったようで、アタシもふぅ…とため息を吐く。
そのまま家庭科室から廊下の向こうに続く長蛇の列に、大きな声で解散を告げる。招待客と学園の生徒が混ぜこぜだったので、最初から最後までもう誰が誰やらの状態だったが、月の名家のおじさんやおばさんまでもが食べに来た気もするが、多分気のせいだ。
完食まで休まず捌き切った自分を褒めてあげたいぐらいだ。実際に今のアタシの二の腕は筋肉疲労でプルプルと小さく震えている。
いつの間にか補充されていた追加の材料で、二回目、三回目の大皿に山盛りのスパゲッティを作らされた時は、引き受けたからには中途半端に投げ出せない、責任感のある自分の性格を恨んだ。
「もう無理。動けない」
列を解散して人がまばらになり、ようやく気が緩められたアタシは、適当な椅子に座って真っ白に燃え尽きたかのように、四肢をだらりと投げ出す。
この後は校内放送で閉会の挨拶を行い、小中高に別れてキャンプファイヤーがあったような気がするが、自分はもう一歩も動けそうにない。
生徒が一人抜けたぐらいでは誰も気にしないし、重い体に鞭を打ってまでわざわざ参加する必要もないだろう。
やがて校内放送で本日の文化祭は全て終了しました。ただ今からキャンプファイヤーを行いますので生徒の皆さんは運動場に集まってくださいと流れた。
「三人共、行って来なよ。アタシはしばらく休んでから行くから」
「ではわたくしも、一休みしますわ」
「俺たちも食べ過ぎて動けないしな」
「智子ちゃんに付き合うよ」
前世ではキャンプファイヤーを遠巻きにして、一人でボケーッと眺めていた気がするが、そもそも参加すらしなかったのは今回が初めてだ。
こういうのも悪くはないかもと考え、友達三人に寄り添いながら、家庭科室の窓から夕日に染まる景色を眺めながら、文化祭二日目が終了するまで、疲れた体をゆっくり休めるのだった。




