10月 反省会と文化祭二日目
文化祭一日目が終わり、早めに帰宅してアタシの自室に集まり、今回の演劇の成功を祝し、いつもの四人でオレンジジュースとポテトチップスを、折りたたみ式の机の上に広げて打ち上げを行っていた。
しかし、実際には反省会であった。
「だからね二人共、アタシは誰とも結婚するつもりなんてないからね。
劇を終わらせるために、どうしても選ばないといけなかったから、仕方なく裕明君に求婚したけど」
「結婚しないのは今だけだろ? 近い将来…十八歳になったら、俺が智子の隣に居るのは確実だ」
「それには不確定要素が多すぎるよ。主に僕の存在がね。裕明には悪いけど、未来はまだ定まってないよ」
本当は一年一組の出し物が終わってから、他のクラスの出し物も見たかったのだが、アタシを取材したいという人が殺到したため、担任から今日はもう帰宅するように、送迎はこちらですると言われたのだ。
その間に学園関係者と月の名家が総出で対処するので、明日には落ち着いて見学出来るはずとのこと。
ちなみに友達三人は、アタシが一緒でないと文化祭を見学しても楽しくないということで、有無を言わさず付いてきた。
矢面に立っているのは自分だけど三人のほうが名前を知られているので、落ち着くまで学園を離れるのは、そう悪い手ではないだろう。
「はぁ…でもまさか、大手の芸能プロダクションにスカウトされるなんて思わなかったよ」
「そうですの? 小学一年生でそれだけの演技が出来れば、スカウトは当然というか…むしろ遅すぎるぐらいですわよ」
「最低限遊ぶ時間とお金さえあれば、アタシは普通のOLで十分なんだけどね」
学園関係者が壁を作る前に、何人か特攻してきた中に大手芸能プロダクションのスカウトがいて、熱烈に勧誘された。芸能界のゴタゴタには巻き込まれたくないため、当然お断りさせてもらった。
半ば諦めているとはいえ、ただでさえ月の名家の方々に振り回される毎日なのだ。
シンデレラの劇で、公式動画の謎の少女の正体はアタシだと完全にバレてしまったが、それでもこれ以上の面倒事を増やすのは絶対に嫌だった。
「とにかく、一年一組の出し物は終わったから、明日はゆっくり出来るよ」
「初等部の文化祭は初日で終わりで、二日目は自由行動だからな。中等部と高等部の校舎に行ってみようぜ」
「一日じゃ周り切れなさそうだけど、僕も今から楽しみだよ」
前世のアタシはボッチかお嬢様のパシリの二択だったので、今の時期には一人寂しく回っていた気がする。身分違いでも友達というのはいいものだ。
寂しい思いをすることはずっと減ったが、出来ればもう少し静かなほうがよかったが、それは叶わぬ夢だろうと殆ど諦めていたのだった。
文化祭二日目の初等部は自由行動となり、無料チケットを持って好きな場所に遊びに行ける。枚数に限りがあるとはいえ、アタシの少ないお小遣いを節約出来るのは本当に嬉しい。
一年一組のホームルーム終了後、他のクラスメイトにも誘われたが、四人で中等部を見学しに行くことに決めていたので申し訳ないがお断りさせてもらった。
そして初等部の学生服を着たアタシたちは、ドキドキしながらすぐ隣の中等部に足を踏み入れる。
中等部の校舎は三年間通ったので全体の構造は頭に入っているが、小学一年生で入った経験は文化祭の一日だけだったので、少し緊張する。
「ここが中等部ですのね。いつも遠くから眺めているだけでしたけど」
「六年後に通うことになるって言われても、どうもピンと来ないぜ」
「でもワクワクするね。何だか少しだけ背伸びして、大人になった気分だよ」
文化祭の開催を告げるために飾り付けられた中等部の正門を潜って、アタシたちは色とりどりの出店の並ぶ広々とした校庭を、キョロキョロしながら歩き回る。
既に小中高の学園生徒や招待客が大勢詰めかけており、その誰もが四人組、中でもアタシに視線を向けてくるが、昨日学園関係者が念入りに釘を刺してくれたおかげか、直接話しかけてくる人はいなかった。
「取りあえずせっかくだし、無料チケットで何か買おうかな。すいませーん!」
「はーい、あら? 陸上部の屋台にようこそ、智子ちゃん!」
たまたま目についたたこ焼きの屋台から漂う食欲をそそる匂いに反応し、三人を少し離れた場所に待たせ、アタシは吸い寄せられるように歩いて行き、学園指定のジャージの上にエプロンを羽織った売り子のお姉さんに話しかけると、嬉しそうな笑顔で接客してくれた。
「アタシのことを知ってるんですか?」
「当然よ。智子ちゃんは学園の有名人だからね。知らないのは外からの招待客ぐらいよ。それで、何にするの?」
「うぅ…恥ずかしい。じゃっ…じゃあ、醤油味のたこ焼きを一パックください」
確かにお姉さんが言うように初等部で毎日忙しく走り回っているが、そんな噂が中等部にまで広まっているとは、校舎が隣り合っているのだから当たり前かも知れないが。
そしてどんな噂か興味はあるが、知るのが怖いのでスルーした。
「ええと、それじゃ無料チケットを…」
「いいのよそんなの! 智子ちゃんからお代はいただけないわ! これは私たち陸上部のサービスだから、何も言わずに受け取ってちょうだい!」
「あっ、ありがとうございます」
グイグイ迫ってくる陸上部のお姉さんにたじろぎながらも、作り置きされて保温機に入ったたこ焼きを一パックだけ取り出し、青海苔と鰹節を振りかけて、醤油で味をつけてアタシに握らせる。
ここで無料チケットで払うからと断っても、結局強引に受け取らされる姿が見える。それぐらいの勢いがあった。
「気にしなくてもいいのよ。智子ちゃんが買いに来てくれたってことで、いい宣伝になるもの。それにしても、噂通りで本当に可愛いわね!」
「かっ…かわっ! びえええっ!?」
今日は初等部の制服を着たいつものボサ髪のだらしないファッションのはずだ。卯月家のメイク職人さんに劇的ビフォーアフターをされたわけでもない。そんなアタシを売り子のお姉さんは可愛いと言ってくれた。
あまりにありえない現実に、受け取ったたこ焼きを持ったまま、悲鳴をあげて小さく飛び上がってしまう。
「智子ちゃんの可愛さは遠くからだと全然気づかないけど、ここまで近づけば私でもはっきりわかるもの」
「はっ…はひっ、そうでひゅか。たったこ焼き、ありがとうございました」
「どう致しまして!」
アタシは最後に軽く頭を下げ、照れで赤くなった顔を俯かせ、逃げるように背を向けて後ろの三人の元に早足で駆け戻る。
もし自分が売り子さんの言ったように本当に可愛いくても、容姿に合わせて生活スタイルを変えるのは面倒なので、いつも通りに無頓着に過ごすだけだ。
決してファッションセンスが壊滅的なので諦めているわけではない。
「はぁ…ただいま」
「おかえり。智子が動揺するなんて珍しいな」
「んー…素のアタシは褒められ慣れてなくてね。特殊メイクなら受け流せるんだけど」
ようやく早鐘を打つ心臓が落ち着いてきたので、たこ焼きのパックを開けて十二個入った丸の一つに、付属の爪楊枝をプスリと突き刺す。売り子のお姉さんがお世辞を言ってるようには見えなかったので、きっと本気で今のアタシを可愛いと思っているのだろう。
「俺たちもしょっちゅう、素の智子を褒めてるけどな」
「だって友達を褒めるのなんて珍しくないし……うん、美味しい」
外はカリッ、中はトロッと、学生が作っているとは思えない出来栄えだ。おまけに蛸の具も大きくて噛みごたえがある。口の中で熱さを紛らわすためにハフハフと転がす。
「ねえ智子ちゃん、僕にもたこ焼きをくれないかな?」
「えっ? ああそっか。名家の御曹司も大変だよね。
ここ最近は劇の練習で買い物に行けなかったから、すっかり忘れてたよ」
光太郎君たち月の名家が人の目がある場所で物を買うと、周囲に大きな影響を与えてしまう。なので買い物の精算はいつもアタシの役目だ。
三人が確保した品物には後でお金はちゃんと払っているので問題はない。苦労するのは毎回購入した金額以上に多く払おうとするので、お釣りを突き返すことぐらいだろう。
「光太郎君が欲しいなら、味の違うのをもう一パック買ってこようか?」
「うーん、一パックは多い気がするよ。他にも色々つまみ食いしたいしね」
「確かにそう考えると一パックは多いかも。じゃあ光太郎君、口を開けてよ」
彼の言うように、ちょっとずつつまみ食いするほうが、たくさん楽しめてお得な気がする。アタシは疑問に思いながら目の前で口を開く光太郎君に、爪楊枝で突き刺したたこ焼きを躊躇せずに放り込む。
「智子ちゃん! こっ…これは!?」
「光太郎君、早く口を閉じてね。アタシも次が食べたいし、開けっ放しは辛いでしょう?
それと、皆も欲しい物があったら言ってよね」
褒められたり好意を感じさせる仕草に絶望的に弱いアタシでも、こちらから仕掛ける分には、相手は小学一年生の小さな子供なので別に何も感じない。
しかし今回は爪楊枝が一本しか入っていなかったので、次からは四人分の割り箸を要求しないといけない。
結局たこ焼きは一人三個ずつ、仲良く食べて空っぽになった。引き続き運動場の屋台コーナーをぶらついていたアタシたちだが、どのお店からも客寄せが盛んに行われ、なかなか先に進めない。
「おっ! どうだい智子ちゃん! うちの焼きそばは美味しいよ!」
「いやいや、女の子が好きなのは甘味よね? クレープはどう? 智子ちゃんなら特別にタダでいいわよ!」
「綿菓子なんてどうだい? 智子ちゃんが実演してくれれば、いい客引きになるんだけどな!」
皆が皆そんな感じで引き止めるので、一つ一つにお断わりか購入かを選択させられて、逐一足を止めざるを得ないのだ。
予想以上に気疲れしてしまい、一旦先に進むのを諦めて人混みと屋台コーナーから離れると、ちょうど人通りが少ない場所に空いているベンチを見つけたので、ため息を吐きながら腰を下ろす。
「智子ちゃん、大人気でしたわね」
「うっ…嬉しくないよ。何でこんなことに!」
「智子が演じたシンデレラが、公式動画としてアップされたせいだな。
謎の美少女の正体が明るみに出たので、学園での活躍もシリーズ化が決定したぞ」
またもやアタシのプライベートが本人の知らない間に暴露されていた。しかし元々皆の前で演じたことだし、わがままを言って困らせるわけにもいかない。何よりお父さんとお母さんに、ちゃんとシンデレラ役をしている所を見てもらいたいのだ。
月の名家のカメラマンなら、しっかりとした動画が撮れるだろうし、その点は安心して任せられる。そんなことを考えながら、裕明君が説明のためにスマホで卯月家のホームページにアクセスして、朝倉智子ちゃんの軌跡と記載された一覧の中から適当に選ぶ。
「えっ…これ体育祭の? 何なのこの動画一覧?」
「今言っただろう? シリーズ化が決定したって。
身バレした以上はどれだけ秘密にしてもアングラ動画が出回るから、堂々と公式化したほうが最低限の手綱を握れるから扱いやすい。…って、親父が言ってた」
今開いている体育祭の動画は、仕事が忙しくて見に来れなかった朝倉家の両親のために、卯月家のカメラマンが撮ってくれた物だ。手ブレなどを全く感じさせずに綺麗に取れているので、明らかにプロの仕事だとわかる。
「何か再生数とコメント数が桁違いなんだけど。昔の動画なんだよね?」
「いや、昨日の夜からだぞ。中でもシンデレラが一番反響が大きかったな。
月の名家の俺たちの手を叩くなんて、同格の名家でもまず出来ないから、そのせいだろうな」
プラスチック製の安全な小道具だったし、最低限の手加減はしたので二人の手も腫れていない。アタシは一日経たずに億超えの再生数から目をそらしつつ、二人の王子のシンデレラ争奪戦をおぼろげながら振り返る。
「だって友達が馬鹿なことをすれば、普通は殴ってでも止めるでしょう?」
「確かにそうだが、月の名家の御曹司を前に、はっきりと言い切れる奴はそうはいないと思うぞ」
自分たちの手を打たれたことを振り返っているのに、当人たちは何処と無く嬉しそうだ。まさか痛いのが好きなわけでもあるまいし。
「とにかくアタシが人気の理由はわかったよ。でもこういうブームは一過性のものだから、すぐに落ち着くはず」
「そうかな? 智子ちゃんはこれからもっと、皆の人気者になるんじゃないかな?」
「夢ぐらい見てもいいじゃない!」
人気の理由がわかっても、アタシのブームがすぐに下火にはならない。少なくとも文化祭の間は絶対にだ。
光太郎君のツッコミに条件反射で返してしまったが、新しい動画のネタが出ない限り、徐々に下火になるのは確実なので、それまで辛抱強く耐え抜くのだ。
「はぁ…ここは本流に乗らずに、裏側から回り込んで校舎に入ろう。
客引きに捕まったら今度は逃げられずに、確実に捕食される気がするよ。主にアタシが」
「そうですわね。そろそろお昼時ですし、このまま運動場の屋台でお腹を膨らませるよりも、何処かで落ち着いて軽食をいただきたいですわ」
友梨奈ちゃんが文化祭のパンフレットを開きながら、お昼を何処で食べるかと真剣に考えている。
このままでは運動場から逃げられずに、文化祭が終わるまで餌付けされ続ける、庶民の雛鳥として飼い殺されてしまうので、何とか脱出ルートを構築するのだ。
「うーん、このルートだと途中で捕まりそう。でも家庭科室に近い三年生の軽食コーナーは捨てがたいよ」
「だったら裏から回って校舎の東ルートを目指すか?」
「いいね。その辺りは店舗が少ないから狙い目かも」
「少なくとも部活棟は回避しないと不味いですわ。あとはお昼の時間までに、わたくしたちが間に合うかどうかですわね」
こんな感じでアタシたちはベンチの上にパンフレットを広げながら、綿密なルート構築に余念がなく、その際に周りからは怪訝な目で見られていたのは、言うまでもなかった。




