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10月 シンデレラ

 それから一分もしないうちに、大ホールに開演を告げる司会者の声とブザーの音が鳴り響き、アタシと観客席を遮る舞台の幕がゆっくりと上がっていった。


 アタシはいつものボサ髪と、所々が破れて継ぎ接ぎだらけの衣服を身につけて、姉妹と継母に苛められて弱々しく崩れ落ちた姿のまま、自分の台詞が来るまで屋敷のセットでじっとしている。

 ふと気になって横目で観客席を見ると、寿司詰め状態の先程よりも明らかに人数が増えており、そのほぼ全てがアタシを観察している気がした。

 名家との関係が知りたいのか、シンデレラが主役だからか、そんな招待客からの好奇の視線に耐えきれずに、観客はカボチャ…観客はカボチャ…と、心の中で何度も念じる。

 とにかく練習通りに役になりきってしまえば、すぐ気にならなくなるのだ。今はとにかく早く台詞を喋らせて欲しい。

 家族役の女子生徒たちがシンデレラを順番に罵倒して、いよいよアタシの番が来た。


「申し訳ありません。お母様、すぐに用意致します」

「相変わらず使えない子ね。シンデレラ。靴磨き一つまともに出来ないなんて」

「ええ本当に、こんな不器用ではダンスは踊れないわ。これじゃお城の舞踏会には出られないわね。シンデレラ」

「たとえ出られたとしても、みすぼらしい服しかない平民の小娘だもの。お城に入る前に、兵士につまみ出されますわ。ねえシンデレラ」


 継母と姉妹は容赦なく折檻して、自分たちやお城の舞踏会がどれだけ素晴らしいか。シンデレラがどれだけ駄目なのかを、口汚く罵る。

 やがて屋敷に鍵をかけ、お城に向かうための馬車の小道具に乗り、舞台の端に去っていく。


 彼女たちが全員居なくなった後に、アタシはゆっくりと膝をついて両手を合わせ、自分の不幸を嘆きながらお城の舞踏会に行きたかったと神様に祈りを捧げると、舞台照明がこちらに集中して周りが暗くなり、やがて舞台の一部が開いてそちらもライトで照らされて、魔女役の友梨奈ちゃんが姿を現した。


「ああシンデレラ、何を悲しそうに泣いているんだい?」

「魔女さん、実は…」


 そこから事情を簡単に説明するのだが、何しろ三十分という時間制限でシンデレラの絵本を演じきらなければいけないのだ。長くなりそうなシーンはカットか、展開早めでひたすら巻いていくしかない。

 アタシはせめて見ている人たちが退屈しないように、台詞は短いながらも身振り手振りを交えて、大げさに友梨奈ちゃんに話しかける。


「では、そんな可哀想なシンデレラに、私がとっておきの魔法をかけてあげましょう。…それっ!」


 こちらの演技が終わった瞬間を見計らい、魔女役の友梨奈ちゃんがステッキを掲げて魔法を唱えた瞬間、アタシを中心にキラキラとしたライトアップ演出と一緒に、舞台の垂れ幕が降りて全てを覆い隠す。

 その後アタシと友梨奈ちゃんは一時的に舞台の袖に移動して、場面を舞踏会へと変えるために屋敷のセットは片付けられて、職人が手がけた絢爛豪華な王宮のセットを急いで組み立てる。


 その間にアタシは、今回で三度目になる馴染みのメイク職人さんに身なりを整えてもらう。次の役まで時間がないので一人ではなく、初対面の職人さんの合計四人がかりだ。

 全員が鬼気迫る表情だったため、小学一年生の出し物で三十分のお芝居なので簡単に仕上げてくれていいですよ…とは、口が裂けても言えない雰囲気だった。

 メイク職人さんを駆り立てるのが一体何なのか、皆目見当がつかないので。アタシには作業が終わるまで、石像のように動かずにいることしか出来ない。


 舞台の方はこの日のために雇ったプロの劇団員が作業を行うので、合計で一分もかからずに舞台の幕が再びあがって次のシーンが始まった。

 舞踏会のシーンでは本物のドレスを着てキャピキャピとお話する女子生徒と、近衛兵や門番として整列する男子生徒が登場する。

 そして階段の上のテラスの第二王子役の裕明君にライトが当たり、婦人役の女子生徒たちを見下ろして退屈そうに口を開く。


「これが今回の俺の花嫁候補か。どいつもこいつもまるで話にならんな」

「弟よ。せっかく父上が取り計らってくれたのだし。せめて表面だけでも嬉しそうにしたらどうだい?」


 裕明君にゆっくり歩み寄りながら声をかける、第一王子役の光太郎君がライトアップされて、テラスの王子二人の登場に気づいた舞踏会場の婦人たちが、次々に黄色い声を漏らす。


「コウタ王子様よ! 相変わらずお美しいです!」

「ヒロ王子様もいるわ! 何という逞しいお方かしら!」

「今日の舞踏会でお二人のどちらかに見初められるなんて、私たちは幸運だわ!」


 第一王子は婦人たちににこやかな笑顔で手を振っているが、第二王子は相変わらずの仏頂面で彼女たちと視線を合わせようともしない。

 そこにプロの職人の技術で、田舎の芋娘からシンデレラにフォームチェンジしたアタシが、魔女の友梨奈ちゃんが呼び出したカボチャの馬車に乗って、舞台の袖から門番役の男子生徒の位置まで、ライトに照らされながらガタゴトと近づいていく。


「止まれ! 見たことのない馬車だな? 一体何処の貴族の娘なんだ?」

「既に招待客は全員揃っていたはずだが? 舞踏会に参加するには国王様より送られた招待状が必要だ。当然持っているな?」

「困ったわ! 招待状を持っていないと、舞踏会には参加出来なかったのね! どうしましょう!」


 門番二人に呼び止められてアタシが馬車の中で困っていると、再びテラスの第二王子にスポットが当たり、場面が切り替わる。


「表が騒がしいな。ここに居ても退屈なだけだ。俺が見て来よう」

「そうかい? 弟が出るまでもないけど、退屈なのは同意だね。わかった。でも何かあればすぐに衛兵を呼ぶんだよ」


 話が終わると二人はテラスの階段を降りて舞踏会場に向かい、第一王子が笑顔で婦人たちの相手を、第二王子は声をかける彼女たちを無視して、アタシを目指して真っ直ぐに外に歩いて行く。


「国王様からの招待状を持っていないとは怪しいやつだな!」

「馬車から降りて顔を見せてもらうぞ!」

「そこの者たち! 一体何をしている!」


 カボチャの馬車の扉を開けた門番二人は、こちらに歩きながら大声を出す第二王子に、驚いた顔をしながら振り向く。


「こっこれは! ヒロ王子様! 実は奇妙な馬車に乗った怪しい女を発見しまして!」

「はいっ! この女は、国王様からの招待状を持っていないにも関わらず、舞踏会に参加しようとしておりましたので! これより捕らえて尋問するのです!」


 そこで第二王子は開いた馬車の扉からシンデレラの姿を視界に収め、門番たちが次に口を開く前に、こちらに急いで駆け寄ってシルクのグローブを付けたアタシの手を取り、もう一度大声で指示を出す。


「この娘は俺が個人的に招待した者だ! お前たちが知らず、招待状が届いていないのも無理はない! これで問題はないな!」

「ヒロ王子様! そっそれは…! その通りですが…!」

「はいっ! 何も問題はありません!」


 門番二人がビシッと敬礼してその場を去り、アタシは裕明君に手を引かれるように馬車を降りると、ガボチャの馬車は舞台の袖に片付けられ、いつの間にか第二王子とシンデレラだけの世界になり、スポットライトも当たっていい雰囲気だ。


 ここで初めてお抱えのメイク職人の全力と、財の限りをつぎ込んだ純白のドレスで着飾ったアタシの全貌が明らかになり、観客席から隠しきれないどよめきが漏れる。

 卯月家のメイク技術は、きっと世界一なのだろう。


「あの、貴方は王子様なのですか?」

「俺のことを知らないのか? そうだ。確かに俺は王子だが、君にはどうかヒロと呼んで欲しい」

「わかりましたヒロ様。どうかよろしくお願いします」


 平民と王族とのやり取りで長々と葛藤をする時間はないので、ここもどんどん巻いていく。しかし練習と違って本番では、アタシと裕明君の距離はかなり近い。このままだと色んな所がくっついてしまいそうなぐらいだ。


 もし間違いが起こったらどう責任を取れというのか。優しく抱き寄せてくる裕明君から、水面下のアヒルのように必死に体を仰け反らせて万が一の唇の接触事故を回避し、無心で次のシーンに進める。


 そして第二王子とシンデレラは動きを止めてスポットライトも消えた後、シーンは舞踏会に切り替わり、第一王子が大勢の婦人たちに囲まれて笑顔を振りまいていた。


「弟よ、戻ったのかい。おや、その娘は?」

「兄よ。この娘は俺の招待客だ」

「よろしくお願いします」


 第二王子に手を引かれて舞踏会に姿を見せたシンデレラを見て、他の婦人たちは悔しがり、第一王子も思わず見惚れるが、すぐに硬直を解いて、こちらに向かってにこやかに歩み寄り、そのまま強引に空いているアタシの手を取って傅くと、甲にそっとキスをする。

 これも練習とは違う。第一王子がシンデレラに近づいて、そっと手を取ってダンスのお誘いを行うのが本来の流れのはずだ。


「どうか僕とダンスを踊っていただけますか?」

「はっ…はい、王子様のお誘いであれば、喜んで」


 練習と違う展開のせいで若干どもってしまったが、何とかシンデレラの本来の役を演じきれ…なかった。現在ダンスの演奏が流れてアタシと光太郎君にライトが当たっているのだが、彼の距離がかなり近いのだ。

 先程の裕明君に対抗心を燃やしているのは間違いない。


 流石に小学一年生を相手にドギマギはしないぞ! …と頑張ってはいるが、未来の超絶イケメンは現段階でも彼氏いない歴=年齢のアタシが相手をするには強敵で、何とか平静を装ってはいるものの、あまりにも物理的にグイグイ距離を詰めてくるので、既に防戦一方でこちらの顔は耳まで真っ赤である。

 それと同時に裕明君がこちらに向ける視線も、やりきれない悔しさが混じって来ている。


 アタシは早くダンスが終わりますようにと、そこまで信じてもいない神様に必死に願った。やがて願いが聞き届けられたのか、十二時を告げる大きな鐘の音が辺りに響き渡る。


「ああっ、十二時の鐘の音です! すみません王子様、もう帰らなければいけません!」

「待ってくれ! 君の名前は…!」


 救いの鐘の音によってアタシは王子様から離れて、ドレスのスカートを両手であげると、静止を振り切り転ばないギリギリの速度で全力の逃走を図る。動揺はしているが途中でガラスの靴を落としていくのは忘れない。

 いつの間にか門の前に戻ってきていたカボチャの馬車に勢いよく飛び込み、急いで扉を閉めて舞台の袖に向かって一目散に走り出す。


 後の展開は絵本と同じで、城下町までシンデレラを探しに来た王子様御一行が、元の平民に戻ったアタシを見つけてハッピーエンドだ。

 観客から見えない位置まで来たアタシは、メイク職人に囲まれていつも通りのボサ髪に戻して、特注のドレスを窮屈そうに脱ぎ捨てる。思った以上にフワフワして動きにくかったので、野山を駆け巡っている男勝りなアタシには、やはりドレスは似合わないと再確認した。


 そうしている間に屋敷のセットに戻り、継母たちが今日は家に王子が来るので、現在灰かぶりのメイクに忙しいシンデレラに、奥の部屋から出てこないように命令する。

 やがて屋敷の前に一台の豪華な馬車が停まり、王子二人と従者や護衛を相手に、入り口で待っていた継母と姉妹と使用人一同が深々と頭を下げる。


「お待ちしておりました。第一王子様、第ニ王子様」


 王子様の前に出た従者が、ガラスの靴の片方を丁寧に床に起き、最初は姉妹が履こうとしたがブカブカで合わず、次に継母と、最後には女性の使用人も全員試したが、どうにもガラスの靴のサイズが大きすぎるため、従者は残念そうに首を振る。


「屋敷の女性はこれで全員か? 隠し事は許さん。嘘偽りなく答えろ」

「ええ…そっそれは、一人だけ屋敷の奥の部屋に娘が。しかし体が弱く舞踏会にも参加しておりません」

「ならば俺が直接行こう。案内しろ」


 第二王子の意思は固く、曲げる気がないとわかったのか。継母と姉妹は顔を見合わせて、やがて諦めたように、屋敷の使用人にすぐにシンデレラを呼んで来るようにと命令する。

 舞台の袖に向かった使用人役の子と入れ替わるように、アタシは継ぎ接ぎだらけのみずぼらしい服装といつものボサ髪スタイルで、王子様たちの元に歩いて行く。


「お呼びでしょうか。お母様」

「シンデレラ、王子様はお前がガラスの靴の持ち主か、この場で試すようにと命じられたわ」


 継母の言葉に戸惑いながらも、ガラスの靴を持った使用人が足元にそっと置くので、恐る恐る足を入れると当然ピッタリだった。

 アタシはクラス内で一番発育が良かったので、靴のサイズ的な意味ではシンデレラ役ははまり役だったのかもしれない。


「何と! ピッタリではないか! シンデレラ! 僕は舞踏会の夜に君に一目惚れした!

 どうか王女となって共にこの国を支えて欲しい!」

「はい、喜ん…」


 この第一王子の告白を受けて一年一組の演劇は終わる。三十分の苦行の果てに、ようやく舞台の幕が下りるのだ。

 途中で練習よりも過激なシーンがあったものの、何とか予定通りに行きそうだと、シンデレラの最後の台詞を口にしようとしたとき、第二王子から突然待ったがかかった。

 裕明君の台詞は異議あり! ではなく、第一王子とシンデレラへの祝福を口にするはずなのにだ。


「シンデレラに最初に声をかけたのは俺なんだ。ここは弟に譲るのが筋なんじゃないか?」

「……えっ?」

「いくらヒロ王子の頼みでも、彼女だけは譲れないな。シンデレラは僕と結婚するのだから!」


 第一王子の宣言が終わった瞬間、光太郎君と裕明君が数歩距離を離した後、腰に刺した刀剣の小道具を同時に引き抜く。


「やはり決闘しかないな」

「ええ、勝ったほうがシンデレラと結婚する。シンプルでいいね」


 本物そっくりだがプラスチック製のサーベルを構える二人は、油断なく相手の隙を伺う。周りの生徒も観客も、あまりに予想外の展開に言葉を失い、成り行きを見守ることしか出来ない。

 そんな中でアタシだけは取り乱すことなく、呆然と立ちすくむ護衛役の生徒から腰の刀剣を返事も聞かずに借りると、目の前の敵しか見えていない二人の元に、ズカズカと大股で歩いて行く。


「二人共! アタシを無視して勝手に決めないでよ!」


 正面の相手を警戒するあまり隙だらけだった二人の手の平を、護衛から借りた刀剣を鞘のまま振り下ろして、握っていたプラスチック製のサーベルを順番に落とす。

 その後小道具を高く掲げて、呆然とこちらを見つめる光太郎君と裕明君に向かって、完全に演技を忘れて素に戻った上で、堂々と勝利宣言を行う。


「はい、これで決闘の勝者はシンデレラだね!」

「くそっ! やられた!」

「はぁ…仕方ないね。それで、とも…シンデレラは、どちらを選ぶのかな?」

「…えっ!?」


 そうだった。シンデレラの絵本の最後は王子様と結婚してめでたしめでたしで終わるのだ。この場では決闘の勝者のアタシが、どちらかを選ばなければ、舞台の幕は下ろせない。


 確かにここで一人を選べば演劇も現実も丸く収まるだろう。普通なら散々悩んだ末に優柔不断などっち付かずな答えを選ぶのだろうが、アタシは迷うことなく今の気持ちをはっきりと告げる。


「んー…もしどうしても選ばなきゃいけないなら、僅差で第二王子のほうかな? でもまあ、第一王子も嫌いじゃないんだけどね」

「やった! とも…シンデレラ! 俺と結婚だ!」

「そんなっ! 僕が負けるなんて!!」


 裕明君がガッツポーズを取る一方で、光太郎君はこの世の終わりのような表情で唇を噛んで四つん這いになり、心底悔しがっている。もう少しフォローの言葉をかけてあげてもいいのだが、まずは一年一組の出し物を終わらせるのが先決だ。

 アタシは第二王子の手を取って片膝をつき、ヒロインとヒーローの立場が逆になってしまった台詞を、はっきりと口に出す。


「ヒロ王子様、どうかアタシと結婚してくれませんか?」

「ああ、俺が絶対に幸せにする! 約束だ!」

「今回は僕の負けだから祝福するけど、次は絶対に勝つ! 勝ってシンデレラを振り向かせて見せる!」


 悔しそうな顔をしながらも何とか立ち直って拍手を送る光太郎君に、周囲の生徒たちも自分の役目を思い出したのか、慌てて拍手を始める。

 そしてスポットライトの当たるアタシと裕明君に向かって、観客席からの大歓声を受けながら、舞台の幕がゆっくりと下りてくるのだった。

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