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9月 紅葉狩り

 九月も下旬に入り、夏の暑さが鳴りを潜めて朝晩だけでなく昼間も涼しくなってきた頃、アタシたちの関係は何ら変わることなく、毎日のように朝倉家に集まっては勉強会を開き、月のおじさんやおばさんも、朝倉家の別邸に頻繁にやって来ては小学一年生のアタシに愚痴を漏らしていた。


 名家や仕事のしがらみがあってもなくてもマイペースを貫き通すアタシは、聞き役として最適なんだそうだ。

 月の当主が相手でも緊張感の欠片もないので、対等で親しい友人として気楽に愚痴れるとのこと。何が悲しくてクラスメイトのおじさんとおばさんの機嫌を取るために、お酌や接待をしないといけないのか。

 それでも普段お世話になっている分は、世話焼きで多少なりとも返せているはずだ。しかし名家が相手でも出来ないことや嫌なことはっきり口にも手も出すのだが、余程運がいいのか邪険にされることはなかった。






 そんなある日の夜、別邸の娯楽室に集合した三家の大人たちに、いつもようにお母さんの家庭料理でもてなし、アタシが手慣れた動きで瓶に入った国産の発泡酒を注いで回っていると、弥生おじさんが思い出したように声をかけてきた。


「智子ちゃん、いつもありがとうな。これは裕明から聞いたんだが、今度紅葉狩りに行くんだってな」

「どういたしまして。こちらこそ皆にはいつもお世話になってるからね。

 うん、学園の紅葉狩りは飛行機で北海道に、そこからバスに乗り換えて阿寒湖の近くの温泉宿で一泊して、次の日に帰るらしいよ」


 一年生で国内旅行は珍しいが、これも名家の集まる私立の学園だからだろうと納得する。きっと運営資金は潤沢にあるので飛行機もバスも宿泊地も全て貸し切りだろう。

 発泡酒を一周り注ぎ終わったので、空になったビール瓶を置いて離席しようとしたアタシを横目に、今度は睦月おじさんとおばさんが話題に乗ってくる。


「阿寒湖か。確か睦月家の支店もいくつか出ているはずだが、息子の新婚旅行の下見も兼ねて、夫婦でも一度足を運んでみるべきか?」

「あら、いいわね。ロマンチックだわ。私たちも光太郎に釣られて燃え上がっちゃいそうよ」

「はははっ、これでも忙しい仕事の合間を縫って励んでいるのだがな。しかし阿寒湖の温泉街に宿泊して、二人目を仕込むのもいいか」


 理解があるアタシだから気にしないものの、小さな子供の前ではそういう会話は控えたほうがいい。幸いなことに今の三人は。鉄道を操作して各駅の物件を買い占めるゲームを遊んでいるので、こちらの声は聞こえていない…はずだ。

 そして仲が良さそうな夫婦を見て、アタシは何となく新しく瓶ビールの蓋を栓抜きで開けて、そのまま弥生おじさんのコップにもう一度注ぎに行く。


「…どうぞ」

「んっ? どうしたんだ? ああ…なるほどな。気を使わせてすまんな」

「気にしないでよ。これはアタシが注ぎたくなったから、注いだだけだからね」

「ははっ、そうか。本当に智子ちゃんは妻に似ていい女だよ。裕明に嫉妬してしまいそうだ」


 弥生おじさんは奥さんと結婚してすぐに亡くしているのだ。目の前での睦月夫婦の会話に、態度には出さないが何も思わないわけはないだろう。

 今のお酌もアタシのただの自己満足だ。…そのはずなのだが、弥生家当主の表情はとても真剣であり、こちらを見つめたまま、片時も視線を外さないでいる。

 何か他に言いたいことでもあるのだろうか。


「智子ちゃん、裕明や皆のこと、これからもよろしくな」

「どちらかと言えばアタシのほうがお世話になってるんだけど。

 普通の友達としてなら、よろしくしてもいいよ。勿論、弥生おじさんもその一人だからね。

 それより、もう一杯どう?」

「ああ、いただこう」


 そうして朝倉家別邸の秋の夜は更けていった。

 次の日の朝は当然のように二日酔いとなり、中でも弥生おじさんが酷かった。


 アタシのことを何故か亡くなった奥さんだと勘違いしてひっきりなしに話しかけ、そのたびに適当に相槌を打ちながら氷枕を交換したり、水を飲ませたりと、すぐに朝倉智子だと気づくと思ったのだが、おじさんが笑顔のまま涙を流して安心して眠るまで、結局付きっきりで介護することになった。

 自分がお酒を飲ませた責任ぐらいは取らないと、どうにも気が済まなかったのだ。


 当主様の酔いが覚めた後、昨夜は飲ませすぎてすいませんと頭を下げたら、弥生おじさんは、智子ちゃんは何も気にしなくていいよと笑顔で許してくれたので、いい人だなと思った。

 そしてくれぐれも裕明のことを頼むと、やたらと念押ししてきたので、後ずさりながらも、持ち帰って検討しますと誤魔化しておいた。小学一年生から将来の家族計画は流石に早すぎると感じたのだった。









 九月下旬の紅葉狩りの日、学園から北海道の阿寒湖まで移動し、近くの温泉宿で一泊したアタシたちは、次の日の朝から、学園の小学一年生全員が乗船可能な大型の遊覧船に乗って、貸し切りで湖の見物していた。


 まだ年齢が低いので班別行動は許可されておらず、常にクラスで一塊になって移動していた。幸いなことに一年一組はまとまりがよくて落ち着いているので、先生ではなくアタシの指示にも、皆は素直に従ってくれて問題は起きなかった。

 少なくとも一年一組は。


「ちょっと迷子の女の子を先生の所まで連れてくから、光太郎君はその間は一組の皆をお願い」

「わかったよ智子ちゃん。副委員長の僕に任せて」


 遊覧船は学園の一年生で貸し切っているので、見知らぬ乗客相手とのトラブルは起きない。しかし好奇心旺盛な小さな子供が、ずっと大人しくしているかと言うとそんなことはなく。あっちにフラフラ、こっちにフラフラと移動し、その結果に船内で迷子になるのだ。


「もしもし、一組の朝倉ですが。そちらのクラスの子を…はい、これから一緒に向かいますので、一階の階段の踊り場で…それでは」


 何故か先生たちからやたらと信頼されているアタシは、一組だけでなく各クラスの連絡先も携帯に登録しておくようにと強制され、今も通話をしながら迷子の生徒を送り届ける最中なのだ。


「ああよかった! 智子ちゃんが居てくれて助かったわ!」


 階段の踊り場に付いたアタシたちは、二階から息を切らしながら駆け降りてくる別のクラスの若い女性の先生を見つける。彼女はアタシと迷子の女の子の姿を確認して、ほっと息を吐いた。


「大変なのはわかりますけど、遊覧船が貸し切りだからと気を抜かずに、次からはもう少し気を配ってあげてください」

「はっ…反省してるわ。ごめんなさい」

「いえ、わかってくれればいいんです。まだ若い先生が小さな子供たちの面倒を見るのは、とても難しいのはわかりますから、気を落とさずに頑張ってくださいね」


 若い先生が安心してゆっくり階段を降りてくるので、迷子の女の子に笑顔を向けて、背中をそっと押してあげると、こちらを一度振り返ってお礼を言った後、クラスの担任の元に嬉しそうに歩いて行く。


「うぅ…ありがとう! そう言ってくれるのは智子ちゃんだけよ! 今度一緒に飲みに行きましょう!」

「アタシは小学一年生なのでお酒は飲めません。当然お断りです。他の先生を誘ってください」


 迷子の女の子を元のクラスに戻したので、用は済んだと帰ろうと思ったが、感極まった若い先生からの思わぬお誘いを受け、思いっきり戸惑ってしまう。


「だって学園の中で一番気が合うのが智子ちゃんなのよ! 学園関係者が飲みに誘いたい女子生徒、二位に大差をつけての堂々の第一位よ!」

「何!? そのいかがわしいお店のようなランキングは! 一位になっても全然嬉しくないよ!」


 一体アタシの学園での立場はどうなっているのか。前世の知識で多少は先んじているものの、いくら何でも平凡な庶民のアタシを過大評価し過ぎだ。

 思わず素に戻って大声でツッコミを入れてしまった。遊覧船は一階から三階までが吹き抜け式の構造になっているため、アタシの叫びは船内の隅々までよく届いた。


「うぅ…恥ずかしい。とっ…とにかく、用は済んだのでもう行きますね」

「あっ、色々とありがとうね。智子ちゃん、今度埋め合わせするから」

「当たり前のことをしただけなので、気にしなくていいですよ。それじゃ、アタシはこれで」


 そう言って若い先生に背中を向けて、階段の踊り場からそそくさと立ち去る。

 貸し切りでよかった。もし他の観光客がいたら、アタシの大声を聞いて何事かと集まってくることだろう。

 いい意味でも悪い意味でも、毎日のように学園中を忙しく走り回っているアタシは有名人なのだ。当然大人の学園関係者だけでなく、乗船している一年生にも噂は広まっている。

 今さら一つ二つ増えたところで大した影響はないだろうが、それで自分の羞恥心が軽くなるかと言えば、全くそんなことはいので、早足に遊覧船の通路を移動して、ほとぼりが冷めるまで一年一組のクラスメイトに混ざって、目立たないように身を潜めることにする。


「智子、それ全然隠れられてないぞ」

「智子ちゃんは皆よりも成長が早いですものね。羨ましいですわ」

「知らない人からは確実に中学生か高校生のどちらかとして扱われるから、アタシは嬉しくないよ」


 同じ一年一組の集団に紛れたつもりでも、体格的に小学生にはとても見えないアタシは、遠くからでもよく目立つ。内面も大人に近く落ち着いているで直接話しても目立つ。

 とてもではないが、一年生の中に隠れるのは不可能である。


 わかっているのだが、遊覧船内で大声を出してしまった恥ずかしさから逃れようと、背中を丸めて身を縮こまらせている。

 今は前世の経験を加算されて非常に目立っているが、いずれは皆に追い抜かれて、平凡な庶民として埋没していく。そう、この羞恥心も今だけのものなのだ。強引に割り切って気持ちを前向きに切り替える。


「いいよ。目立ってるのは自分でもわかってるから。光太郎君、アタシが留守の間ありがとうね」

「どういたしまして。しかし、副委員長もなかなか大変だったよ」


 光太郎君がおどけて返答するが、やっぱりイケメンは何をやっても絵になる。アタシは丸まった猫背をシャキッと伸ばしながら、立ち上がって辺りを見回す。

 遊覧船は秋の風を切りながら、紅葉に染まる阿寒湖をグルっと周り、もうすぐ停泊所に到着するようで、陸地との距離が近づくごとに少しずつ速度が落ちているのがわかる。


「まだ陸に着くまで時間はあるけど、人数の確認と忘れ物がないか。あとはトイレを我慢してる子はなるべく船内で済ませること。

 その時には一人で行かずにグループで行動する。もし適当な人がいなければ、アタシが付いて行くから。それじゃ光太郎君、皆への伝達をお願いね」

「了解。でも、やっぱり智子ちゃんの代わりは無理そうだよ」


 苦笑しながら光太郎はクラスメイトを一塊に集めるために、皆に声をかけに行った。

 彼は否定していたが、今は無理でもアタシなんてすぐに追い抜かれる。そちらは彼が自然に気づくのを待つとして、今は委員長の役目を果たすべく忙しく走り回るのだった。









 遊覧船から陸地に降りて紅葉に染まる並木道を歩く。のんびりペースだが、列からはぐれたり付いて来られない子がいないか、常に気を張りつつ移動しているのでなかなか休まらない。

 こういうのは先生の役目な気がするが、委員長のアタシが気を抜いたせいでトラブルが起きたとなれば、責任は一切ないが良心は痛むのだ。

 アタシは無責任を貫いて先生に任せるよりも、委員長として一切合切面倒を見る方を選んだ。

 それをどう拡大解釈されたのか、一年生全員の面倒を見るハメになるとは思わなかった。


 既にマリモの資料館の見学は終わっているので、後は観光バスまで歩いて乗り込んだ後、途中の食事処に寄ってお昼ご飯を食べて空港へ、その後は飛行機で北海道から本土に飛んで、バスに乗って学園に付いたら解散だ。

 赤や黄の紅葉が見頃を迎えた阿寒湖近辺を、アタシは皆と歩調を合わせて歩いて行く。


「まだ九月ですのに、北海道は寒いですわね」

「やっぱり本土とは違うね。あっ、そこに小さな用水路があるから、皆足場に気をつけて渡ってね」


 紅葉狩りを楽しむ友梨奈ちゃんに相槌を打ちながら、後ろの一組の列に乱れがないか確認しつつ、周囲の状況にも適度に気にかける。


「しかし来てよかったな。学園よりも紅葉が綺麗に見えるぜ」

「裕明君は紅葉より北海道の食事が目当てでしょう?

 ええと…どうしたの? えっ? お手洗い? もうっ、何で遊覧船で済ませなかったの。

 ええと、もう少し歩いた場所にバスと一緒に公衆トイレもあるから、それまで我慢出来そう? もし無理そうなら、アタシがおんぶして急いで連れて行くからね」


 体を動かすことと食べることが好きな裕明君に相槌を入れている間に、近くを歩いている他のクラスの子の様子がおかしかったので声をかけたら、お手洗いに行きたいらしい。

 幸い我慢出来るようなのでよかったが、油断は出来ない。


「大変そうだね智子ちゃん。僕に出来ることなら手伝うよ」

「ありがとう光太郎君、少しの間この子をお願い。

 番号は…ええと、一組の朝倉です。実は……はい、それは大丈夫らしいです。でも小さい子の言うことですから……はい、お願いします」


 面倒見のいい光太郎君に先程から我慢している子を預けて、その間に一組とは別のクラスの担任に連絡を取る。何とか先生に預ける約束を取り付けて、通話を切る。

 子供が強がって大丈夫と言っているだけかもしれないので、そういう子にはちゃんと近くで異常がないか見ていないと、どんな事故が起きるかわからない。


「はぁ…何でアタシがこんなに苦労してるんだろう。かと言って放って置くことも出来ない。面倒事は嫌なのに」


 すぐ目の前に困っている人がいて、アタシが手を貸せば助かる。赤の他人なら見捨てるという選択も可能なのだが、相手は同じ学園の生徒で、しかも自分に助けを求めてくるのだ。


 観光バスの停留所に付いたアタシたちは簡単に点呼を取って問題ないことがわかると、バスに乗る人とすぐ近くにある公衆トイレに寄る人に別れて、アタシは念のために公衆トイレの個室に入り、用を足しながら独りごちる。


「うぅ…早く委員長辞めたい。二年生までは長過ぎるよ」


 一年生の委員長になった以上は、任期が終わるまでは頑張らないといけない。それでも二年生になれば別のクラス委員になることが出来る…かもしれない。まさか二年生も連続で委員長をやることはないだろう。

 しかしたとえクラスの代表から逃れても、背負わなくてもいい苦労を自ら背負ってしまいそうで、今から早くも気が重くなる。


「でも今回の旅行は紅葉が綺麗だし温泉も入れたから、来てよかったかな」


 少なくとも前世は友達やクラスの皆と、ここまで楽しくはしゃげなかった。

 その点も考えると、今回紅葉狩りに来てよかったと自信を持って言える。アタシは座椅子から立ち上がると、シャワーで洗い流してペーパーで拭き取り、簡単に着直してから水を流す。

 重い気持ちも排水口の奥に流れていったようで、アタシは気分も新たに個室の扉を開け、一組の観光バスに向かって軽やかに歩き出したのだった。

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