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9月 将来について考える

 夏休みが終わって二学期に入った九月上旬、宿題を無事に提出したアタシに、一ついいことがあった。両親が自分が勉強に使うための問題集を買ってくれたのだ。

 今までアタシの少ないお小遣いからやり繰りしていたが、高校に差し掛かった辺りで金銭的な限界を感じていたので、これは嬉しかった。


 最初は一学期の通知表を渡し、アタシが全科目で学年トップだと知ってとても驚いていた。そして公然の秘密だった自宅でのガリ勉も詳しく話すこととなり、両親は小学一年生からそこまで頑張らなくてもいい。子供らしく遊ぶことも大切だと諌めてくれた。

 その言葉を聞いたアタシは前世で若くして亡くなったこともあり、ここまで育ててくれた優しいお父さんとお母さんに、親孝行したい気持ちがますます強くなってしまった。

 結局両親が根負けして、ちゃんと気晴らしもするならと条件付きでガリ勉する許可をもらうことが出来た。


 しかし思えば当たり前なのだが、問題集を自主勉強するなら学習塾に通わせてあげると勘違いされたので、そこは慌てて否定した。小学一年生の勉強を今さら学ぶ必要はないし、高校生と同じ塾に小学一年生のアタシが混ざるわけにはいかない。

 そのために問題集さえ買ってくれれば、あとは自習するから大丈夫と、何ともお財布に優しい勉強スタイルに落ち着くことになった。


 それと同じように名家の天才児は、夏休み中は毎日のように朝倉家に入り浸っては勉強会が開かれたため、今では一年生の学問は全て終了した。

 二年生に突入するには教材にないのでこれで終わったと、肩の荷を下ろそうとしたところで、次の日には各家から二年生の教材がアタシの分も含めて届けられたため、渋々ながら勉強会の続行は決定してしまった。

 既に身に纏う雰囲気や日常会話は中学生の域にまで達している三人だ。このペースが続けば前世の知識があるアタシが抜かれるのも、そう遠い話ではない。


 だが師であるアタシを弟子が越えれば免許皆伝で、自分は晴れて自由の身だ。それは即ちお友達関係の自然消滅を意味する。いつか平凡な会社のOLをしているアタシに、育てた弟子の出世を風の噂で耳にしたりするのだろうか。

 そんなことを朝倉家の自室で、皆との勉強会の合間の休憩時間に、折りたたみ式の机を囲んで、サツマイモを練り込んだ蒸しパンを食べながら考えいた。


「モゴモゴ…何か考えごとですの?」

「うん、将来はアタシは平凡なOLをしながら、友達が出世していくのを遠くで見てるんだろうなって」


 友梨奈ちゃんもアタシと同じように蒸しパンを口にくわえていたが、取りあえず口の中の物を飲み込み、さらに温かいほうじ茶で流し込んでから、まだ未成熟な胸を張りながら自慢気に言い切った。


「智子ちゃんは、そんな心配必要ありませんわ! 将来はわたくし付きの秘書として、卯月家当主の大活躍を特等席で見ていますもの!

 当然平日と休日も関係なく、ずっと一緒ですわよ!」

「いやいや! それは流石に! 将来友梨奈ちゃんに恋人か婚約者が出来たら不味いでしょう?」


 この言葉は流石に予想外過ぎて、アタシは思わず食べかけの蒸しパンを口から離して、慌てて彼女の説得にかかる。

 確かに小学一年生は男女の境が曖昧で、身近な友達や家族が自分の世界の全てだと考えていたこともある。

 しかし友梨奈ちゃんは月の名家であり、年齢以上の考えをするアタシと一緒に毎日過ごしているので、自分の世界はもっと広いんだと、ちゃんとわかっている。


「えっ? 智子ちゃんが隣にいれば、結婚相手なんて必要ありませんわよ? そもそも卯月家の血脈を残すのなら、素質のある親戚から養子を取れば十分ですわ」


 きっぱりと言い切る友梨奈ちゃんを前に、アタシはもう何も言えなくなってしまう。女友達にしては妙に距離が近いなと薄々は感じてはいたが、ここまでこじらせているとは思ってもいなかった。

 今さら悪人面して嫌われるなんて器用なことは出来ないので、今の彼女は子供特有の病気で、成長していくことで自然に治るのだと、都合のいい展開に期待するしかない。


「智子は学園卒業後に俺と結婚する。そして弥生家を守ってもらうから、悪いが秘書は諦めてくれ」

「それは違うよ。将来は睦月家に嫁入りして、僕の隣に寄り添って社交界のプリンセスになるんだ。そうだよね智子ちゃん?」


 友梨奈ちゃんだけでなく、裕明君と光太郎君も恋の病を患っていることが発覚したが、二人はお好み焼き屋で告白されたときに、はっきりお断りした。

 それからは目立った攻勢には出てこなかったので、てっきり友達以上の関係は諦めたものだと思っていたが、それは大きな間違いだったようだ。


 もはや自浄作用でどうにかなる問題ではないので、あやふやな態度で誤魔化すのではなく、はっきりと自分の気持ちを告げることにする。

 ど直球な性格なアタシが、これ以上関係をこじらせるグダグダ展開は全く望んでいないのだ。

 まずは睨み合っている三人の注意をこちらに向けるために、パンパンと軽く手を叩いた。


「はい注目ー。んんー…コホン! ただの庶民で平凡なアタシのことを好きになってくれて、とても嬉しいよ。

 自分も三人のことは好きだよ。まあ、友達としてだけどね」


 月の名家の三人はこちらを真剣に見つめたまま、誰も口を開かない。

 静かに話を聞いてくれるのは嬉しいが、世界レベルの美男美女から純粋な好意を持って注目されると、少し照れてしまう。

 そんな説得の途中だが裕明君がそっと手を上げたので、どうぞと発言を許可する。


「やっぱりまだ例の夢が忘れられないのか? だから俺たちとは、恋人関係になれないって言うのか?」

「えーと、予知夢は完全に克服したから大丈夫。三人のおかげだよ。本当にありがとう。

 今ならもう一度刺されても後悔なく逝けるよ。まあ、刺されるつもりはないけどね」


 自分が刺されることを冗談交じりに話して肩をすくめたが、三人には受けが悪かったらしく、微かに怒りを感じる視線が送られてきた。

 すぐ後に頬をかいて三人に向かって、こんなアタシを大切に思ってくれてありがとう…と、真剣な表情で深々と頭を下げた。


「アタシが恋人関係になれない理由は三つだよ。

 一つはアタシと三人では住む世界が違うこと。簡単に言うと庶民と名家の違いだね」


 たとえ付き合い始めの最初は上手く行っていても、すぐにアタシのほうがついて行けなくなる。金銭的な問題、価値観の違い、名家のしがらみ、見た目の平凡さ、無理に関係を続けても、きっと皆に迷惑をかけることになる。


「二つが、年齢が低くて心も体も未熟なこと。名家なら小さい頃に婚約を結ぶこともあるかもしれないけど、小学一年生の好きな人や嫌いな人なんて、日替わりランチみたいにコロコロ変わっても不思議じゃないし、もしもの場合はアタシじゃ責任が取れないからね」


 子供は実際に見たこと、聞いたことにすぐ影響を受けるので、好きな人も色々と目移してもおかしくない。もっと綺麗でお金持ちな名家の少女が現れたら、平凡なアタシなんてすぐに忘れ去られるのがオチだ。

 万が一でも肉体関係を結んでしまえば、双方の親にどう申し開きをすれいいのか。


「そして三つが一番重要。前の二つはお互いが頑張ればどうにかなるよ。特に三人が本気を出せば、鼻歌交じりにクリアー出来るんじゃないかな?

 でもこれだけは、アタシも月の名家もどうにもならないの」


 最大の難関を聞き逃さないために、子供たち三人はゴクリと生ツバを飲み込み、今まで以上に真剣な表情でアタシを射抜く。

 そんな張り詰めるような空気の中、一呼吸置いてゆっくりと説明を続ける。


「最大の問題は、アタシが男女の恋愛をまるで知らないこと」


 前世も含めて彼氏いない歴=年齢という有様だ。たまに現れる体を目当てに告白してきた男性は全てお断りしたので、結果的に刺されて死ぬまで独身を貫くことになった。

 目の前の三人のように見た目も家柄も文句なしで、常に周囲からチヤホヤされて、小学一年生にも関わらず、異性との付き合い方を修得している天上人とは違うのだ。


 入学式以降の光太郎君は二日目以降は、見違えるように異性との距離感を掴み、にこやかな笑顔はそのままに完全に手玉に取っていた。

 これはもう、恋愛マスターの称号を会得していると言っても過言ではないだろう。


「いっ…いやでも智子。お前は俺たちの知らないことをたくさん知ってるじゃないか」

「アタシだって知らないことぐらいあるよ! 何しろ予知夢でもずっと独身だったからね! 誰とも付き合った経験はないよ!」


 恐る恐る声をかけるイケメン裕明君に忌まわしい古傷をえぐられたため、思わず立ち上がって大声で逆上してしまったが、持つ者には持たざる者の気持ちはわからないのだ。

 既に終わった過去だが、相手に不自由しないリア充と、家族や名家に毎日を忙殺された平凡な庶民との差は、とても大きかったのだ。


「はぁ…はぁ…ごめん。ちょっと取り乱しちゃった」

「それはいいんだが智子。予知夢は克服したんじゃなかったのか?」

「それはそれ! これはこれだよ!」


 辛い過去を思い出してもこれっぽっちも気持ち悪くはならないが、前世では充実した青春を送れなかったためか、目の前の三人に対して嫉妬の念が漏れ出てしまう。

 もっとも、今の彼らは前世と違うことはわかっているので、完全に八つ当たりなのだが。


 アタシが自分のクッションに腰をおろした後も、しばらくはお互いに無言だったが、やがて裕明君、光太郎君、友梨奈ちゃんの三人は、満面の笑みでアタシを見つめ、示し合わせたように順番に口を開く。


「しかしこれで俺と智子の間には、何の障害もないことがわかったな」

「そうだよ。僕と智子ちゃんなら、一番と二番の問題は難なくクリアー出来るしね」

「最後の障害も、じっくりと時間をかけて、智子ちゃんに恋愛とは何かと手取り足取り教えてあげれば、余裕で突破出来ますわね」


 先程は三人を全力で突き飛ばしたはずが、息の合ったコンビネーションで逆に言質を取られ、あれよあれよという間に距離を詰められてしまい、アタシは思わず口を半開きにしたまま呆然としてしまう。


 これがもし現実ではなくてゲームだとしたら、もしかしてアタシが三人の攻略対象ではなかろうか。しかし平凡なボサ髪の小娘が唯一のヒロイン役で、美男美女の御曹司たちが攻略するなど一体誰得なのか。

 おまけに全員が出会って半年で好感度がカンストしており、家族と使用人の人気も相当高い。


 このままアタシが何の手も打たずに結婚可能な十八歳になれば、三人のうちの誰かのルートに強制的に入り、次の日にはウエディングドレスか白無垢を着て、次の日の朝には布団でお互い抱き合ったまま赤いシミを作り、前世とは別の意味で人生のエンディングを迎えてしまう。


「まっ…待って。ちょっと待って」


 結婚や恋人への憧れは確かにあるが、いくら何でも小学一年生で将来を決定するなんて早すぎる。

 それにアタシに直接恋愛を教えるのが近道だとばかりに、友達がグイグイ迫ってくる三番の問題だけでなく。

 一番と二番の問題も丸々残っているのでなおさら拒絶反応も大きい。しかし目に見える問題が全て片付けばオールオッケーどんと来いかと言えば、そうではないのだ。


「確かに障害はまだ残ってるから、焦りは禁物だな」

「そうだね。今は智子ちゃんが恋愛に対して前向きになってくれたことを喜ばないと」

「ええ、まずはお友達として少しずつお互いの溝を埋めていけば、女の子同士でも問題なく添い遂げられそうですわ」


 庶民のアタシが月の名家に三人がかりで全力で攻略されて無事に済むはずがない。

 幸い友達の意思を尊重して無理強いはしないのだが、自分が恋愛に対して及び腰なせいで、今一つ積極的になれない。


 小学年生の頃なんて、毎日のように喧嘩したり仲直りを繰り返していた。特に相手が身分違いの名家ならなおさらで、お互いの交友関係も用済みとなれば泡のように儚く消える。

 なのでこちらが熱を上げて深入りすれば、お互いにきっと傷つく。


「はぁ…せめて高校生ならね」

「そうだな。智子の言う通り、俺たちは良くも悪くも小学一年生だ。無理やり背伸びをしても上手くいかないだろう」

「その達観した物の考え方は、もう小学一年生じゃないけどね」


 教えたアタシが言うことではないけど、裕明君だけでなく三人は本当に賢くなった。元々月の名家という、子供でも大人らしく振る舞わざるを得ない環境だったのはわかるが、ここまで早く成長するとは思わなかった。


「しかし障害は取り除かないといけないよ。大人になっても友達関係を続けるためにはね」

「アタシは皆とお友達じゃなくなるのは寂しいけど。いつ解消してくれてもいいよ」

「僕たちの立場を考えて身を引くだろうと思ってたよ。でも安心して、絶対幸せにするから」


 アタシを真正面から見つめて幸せにすると堂々と言い切る光太郎君に、内心ドキリとしてしまうが、今回だけは小学一年生でよかった。

 これが中学生か高校生かそれ以上の年齢だったら、彼の視線と言葉だけで普通の女性は多幸感に包まれて腰砕けになり、しばらくはまともに動けなくなってしまっただろう。

 年齢が高くなるごとに威力が増す優しい雰囲気は、平民の小娘ではなく彼に相応しい名家のお嫁さんに使ってあげて欲しい。


「一番のお友達が断言しますわ。わたくしたちと智子ちゃんとお別れするなんて、絶対にありえませんわ」

「いやでも、今はまだいいけど色々と障害がね?」

「そんなもの、月の名家が本気になれば薄紙も同然ですわ。ですが急な変革は望まぬ歪みを生みますし、今は一つずつ確実に取り除いていきますわよ」


 本当に頼もしくて小学一年生離れした友人たちを見ていると、あれこれ考えるのも面倒になり、アタシは全てを諦めたように大きくため息を吐いてしまう。

 包囲網は着々と狭まってきたので、いい加減覚悟を決める必要がありそうだ。


「ああもう、わかったよ。降参する。アタシの負けだよ」


 両手をあげて降参のポーズを取り、何か憑き物が落ちたように晴れ晴れとした笑顔を浮かべているのが、自分でもはっきりとわかった。

 どう足掻いても逃げられないのなら、アタシらしく正々堂々と真正面から迎え撃ってやるだけだ。


「でも譲歩はするけど、友人までだからね。

 恋愛はアタシに経験がないのと、万が一の責任が取れないからイタズラに踏み込むのは絶対に禁止。せめてお互い十八歳になってからでないと。

 それでもまだアタシのことを好きでいてくれるのなら、…ちゃんと答えを出すよ」


 十年以上目移りせずに一途に思い続けるのは現実的ではないので、皆にはアタシ以上の相応しい相手がすぐに見つかるだろう。

 しかし口に出したものの恋愛経験ゼロのため、恋愛は禁止と言っても何を禁止したらいいのかまるでわからない。

 はっきりと宣言したのでよく知っている皆が自制してくれるだろう。もし気づかないうちに過ちを犯していたら、アタシが月の家の敷居をまたがないことと恋人関係の解消、そして慰謝料で何とか許してもらいたい。


「ああ、俺も智子に相応しい男になれるように、これから頑張らせてもらう」

「僕も智子ちゃんをお迎えする準備を、今から整えておかないとね」

「わたくしも智子ちゃんとの障害を取り除くため、多方面に働きかけるために三家と相談しませんとね」


 何とも皆がやる気になっている中、アタシは目の前の友人たちにここまで思われていることに、嬉しいけど恥ずかしく感じてしまい、すっかり冷めてしまったお茶を、照れを誤魔化すようにそっと口に含む。

 たとえ子供時代だけの一時的な交友関係だとしても、慕われている自分はとても幸せ者だなと、そう強く思ったのだった。


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