8月 お泊まり会(名家が)
最初の予定では送迎用の車を朝倉家に向かわせ、アタシを回収して現地で合流だった。
しかし前日の金曜日にすっかり日が沈み、また明日ね…と、朝倉家の庭先で笑顔でお別れをする直前にトラブルが発生した。
何と明日の旅行が楽しみすぎるので、三人がこのままアタシと別れずに一緒に行きたいと言い出したのだ。当然アタシの両親はとても困った。
こっそり勉強会やお忍びで遊びに来ることもようやく慣れた頃に、今度は朝倉家に一泊したいと言い出したのだ。
万一にも何か問題が起きれば、即座に対応することは難しい。急に親が恋しくなって泣き出したり、実家に帰りたいと言い出すかも知れない。
動けずに固まってしまったお父さんとお母さんに変わって、アタシが仕方なく口を出す。
「あのね。それはちょっと責任重大過ぎるよ。トラブルが起きた場合も日中じゃないから、アタシたちだけだと色々と対処しきれないと思うし」
「ならば我々全員もこの場に残れば何の問題はない。さて、急ぎ宿泊の準備をしなければな」
アタシの返しに合わせて満面の笑みで必殺のカウンターを返す弥生おじさんに、思わず言葉を失ってしまうが、フリーズした頭をすぐに再起動させて言い訳を並べる。
「ええとっ! いやいやいやいや! 朝倉家の別邸はあくまでも休憩所ですよね! と言うか元々倉庫だったはずですよ!」
「大丈夫だ。秘密基地らしく各種最新の設備や備品は揃えてある。急ぎの一泊でも何の問題もない。
しかし今回は助かった。流石に我々立場のある大人が、急に泊めてくれとはなかなか口に出せないからな。
だが前例さえあれば、これからは気が向いたときに酔い潰れるまで宅飲みが出来るというものだ」
何度かの増設を得て中身が倉庫の家から、中身は普通の家をすっ飛ばして、見た目は普通の家だが中身は最新の高級住宅に変わっていた。
アタシが別邸に行くときは、娯楽室と一部倉庫とトイレしか利用しなかったため、無駄に多い残りの部屋も倉庫か何かなのだろうと考えていたが、実は違っていたらしい。
あまりの用意周到さに今度こそ完全に沈黙してしまったアタシは、辛うじて一言だけ口を挟む。
「宅飲みや宿泊はもう止めませんけど、くれぐれも朝倉家を巻き込まないでくださいね」
「当然だ。ただでさえ智子ちゃんと朝倉両夫妻には多大な恩があるんだ。これ以上迷惑をかけられるか。
今後朝倉別邸での全ての責任は、我々月の家が背負うことをここに誓おう」
屋敷と言える程の大きさはまだないと思うが、これからさらに広くなるのだろうか。
横にも縦にもだ。
とにかく別邸のトラブルは朝倉家とは何の関係もないと、名家の名にかけて誓ってくれたのだ。どのぐらいの効果があるのかは不明だが、これ以上アタシから言うべきことはなくなった。
しかし朝倉家に恩があると言っていたが、両親もアタシも大それたことはした覚えはない。また何か勘違いしているのかもしれないが、急な展開で精神的に疲れていたアタシは、すぐに間違いだと気づくし、アタシが聞いても面白がって教えてくれないし別にいいやと、いつも通り思考を放棄する。
硬直していた両親に、何だかんだで話がついたしこれ以上この場に居ても意味はないので、そろそろ家に入ろうと促すと、ようやく再起動を完了させて、ぎこちない仕草ながら、皆に何とかお休みの挨拶を返し、アタシよりも一足早く朝倉家の玄関を潜る。
「そう言えば智子ちゃんの今晩の食事は何ですの?」
「んー…手伝いで切った食材とこの匂いから考えて、カレーじゃないかな?」
「まあっやっぱり! わたくし、朝倉おばさまのカレーは大好きですの!」
殆どの子供はカレーが大好きなので、その気持はわかる。大人になっても好きな人は多いが。夏休みになり朝倉家への滞在時間が伸びた三人は、アタシと一緒に何度かお昼ご飯にお母さんのカレーを食べたことがある。
「でも月の家と手間隙かけて工夫を凝らした料理と違って、普通に市販のルーを使った家カレーだよ?」
「そんなことないぜ。俺も朝倉おばさんのカレーは好きだからな」
「ありがとう。きっとお母さんも喜ぶよ」
裕明君の家では、専属の料理人に朝倉家のお料理レシピを渡してあるので、お母さんの料理を時々作ってもらっている。それでも朝倉家やお弁当で食べた味の完全再現は難しいらしい。
これは料理屋の本店と支店みたいなものだろうか。どちらかと言えば、料理人の腕と素材と設備であちらが本店なのは間違いないが。
「図々しいのはわかってるけど、僕たちもカレーをいただいていいかな?」
「別にいいんじゃない? カレーはいつも大鍋で作るから、食べる人数が一人か二人増えたところで、足りなくなることはないし。
お母さんなら、子供が遠慮するものじゃないわよ…って言うはずだよ」
恐る恐るの光太郎君の要求に勝手に許可を出したけど、本当にいいお母さんだと思う。最近では慣れたのか普通に接するようになったので、アタシだけでなく家のお母さんにも三人はベタベタと甘えだすぐらいだ。
小学一年生なら親に甘えるぐらい普通のことなのかも知れないが、そんな彼らに独占されるお母さんを眺めていると妙に落ち着かなくなり。三人が帰った後には久しぶりに両親に長時間くっついていたので、あらあら、智子は甘えん坊ね…と優しく頭を撫でられた。
「では、我々も一緒に…」
「それとこれとは話は別です」
三家の大人のうちの誰が言い出したのかはわからないが、そんなことは関係ない。
これ以上両親の胃に負担をかけないためにも、口を挟んではっきりとお断りする。しかしアタシも鬼ではないし、前々から準備をしていても急に泊まるのなら、困ることもいくつかあるだろう。
もっとも、月の権力を使えばすぐに解決できるのだが。
「子供たち三人には。今日の夕食と明日の朝食を配膳してもらいますから。その間いつもの娯楽室で待っていてください」
「ありがとう智子ちゃん! 信じていたわ! お礼に卯月家の養子になっていいわよ!」
「養子はお断りしますが、夕飯は庶民の家庭料理なので、名家の方々のお口に合わないかもしれませんが、よろしければどうぞ」
卯月おばさんの冗談を受け流して、準備が出来たら呼びますので、それまで別邸で待っていてくださいと釘を差してから、背を向けて歩き出す。
名家の家族全員の食事を用意することは、お父さんとお母さんは断りはしないだろうが、アタシと子供たちが手伝うのはもちろん、あとで全員分の食費か、それに代わる何かぐらいはそれとなく要求しておこう。
アタシは家カレーの美味しそうな匂いが漏れる玄関の扉に、ゆっくりと手をかけるのだった。




