7月 体育祭のお昼時
お昼のご飯時になったものの、お父さんに急な仕事が入ったらしく、智子には悪いが出来ればお母さんの手を借りれないか…と連絡が入り、アタシは午前中だけでも見に来てくれてとても嬉しかったから大丈夫だよ。お父さんを手伝ってあげてと、話して安心させた。
それでもお母さんは申し訳なさそうに何度も謝りながら、お弁当を渡して午後も頑張ってねと温かな応援を送ると、急いで帰っていった。本当にいい家族に恵まれたものだ。
前世と同じで一人ぼっちの昼ご飯だけど、心はとても暖かかった。
「んっ? 智子、お前一人か? 朝倉おばさんは?」
「裕明君? えっと、お母さんが急な仕事が入ってね」
アタシが何処か人の少ないところで一人飯を決め込もうと、辺りをキョロキョロしながら適当にぶらついていると、レジャーシートを持った弥生おじさんと裕明君にばったり出会った。
きっとアタシと一緒に同じように、お昼ご飯の場所を探しているのだろう。
「智子ちゃん、いつも息子が世話になっている」
「あっ…いえ、裕明君にはアタシのほうが色々とお世話になってますので」
弥生おじさんとは朝倉家の倉庫で何度も顔を合わせているのだが、あちらは非公式の場で変装までしているので、表向きの顔合わせはこれが初となる。
アタシとおじさんはお互いに軽く会釈をすると、隣で成り行きを見守っていた裕明君が話しかけてきた。
「もしよかったら、俺たちと一緒にあっちで食べないか?」
「智子ちゃん、俺からも頼む。男二人だけだと花がないせいか、どうにもむさ苦しくてな」
「あー…別にいいですよ。アタシも一人で食べるのは、ちょっと味気ないなと思っていましたし」
ファッションセンスが皆無の庶民のアタシでは、花は花でも野山の小さな花がせいぜいだ。きっと息子さんのお友達として気を使ってくれたのだろう。
しかし一人飯だと味気ないのは本当なので、ここはお言葉に甘えさせてもらう。
裕明君と弥生おじさんの後を黙って付いて行くと、少し歩くたびに次から次へと食事を一緒にと、知らない人が集まってくるのがわかる。
そのたびに当たり障りのない言葉で綺麗に断るのは、流石は弥生家の当主だと感心する。
「親父、もうここで食べようぜ」
「そうだな。少し人が多いが仕方ないが、食事中に話しかけようとする礼儀に欠ける者は、そうはいないだろう」
何ともウンザリした顔で弥生家の親子がレジャーシートを広げだす。
しかし先程までのお誘いも相当家柄が高い人も多くいたはずなのに、そんな人たちを断ってまで、庶民のアタシが一緒にお弁当を食べて本当にいいのだろうか。
何だか自分のためにわざわざ断らせてしまったようで、申し訳なく感じてしまう。
「あの、アタシが邪魔ならやっぱり一人で食べま…」
「智子が邪魔なわけないだろ。むしろ大迷惑なのはさっきの奴らだろ」
「裕明の言う通りだ。息子も俺も智子ちゃんと食事をするのを、楽しみにしていたのだからな」
アタシの言葉を遮るように、弥生家の親子二人が全力で否定してくれた。
確かに庶民を相手にする分には、名家が気を使う必要は全くなく、そういう意味では気安い仲ではあるだろう。
アタシは何事にもど直球で口を出し、成るように成るさといった性格なので、いつ大ポカをやらかさないか心配ではあるものの、弥生家に対してそこまでの重圧は感じない。
「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますね」
「ああ、そうしてくれ。智子はここに座るといい」
裕明君はそう言って、弥生おじさんがたった今敷いたレジャーシートの一角を指すので、言われた通りにアタシが靴を脱いで足を乗せ、イソイソと座ってお母さんから受け取った二人分のお弁当を広げる。
するとすぐに彼が自分の隣によいしょっと腰を下ろす。最後におじさんがちょうど三人で三角形になるように、ゆっくりと座り込んで重箱をシートの上に置いた。
「その弁当は朝倉おばさんが作ったのか?」
「ええと、今回はアタシとお母さんで半々かな?」
入学式からそれなりに月日が流れたので、最初は子供包丁もなかなか握らせてくれなかったお母さんも、アタシが料理が出来るとわかってくると、家族が近くにいるときには包丁や火を使ってもいいと許可してくれた。
ちなみに揚げ物の許可を取るのが現在の目標である。
「ほうっ、こりゃ美味そうだ。少しもらってもいいかな?」
「どうぞ。元々アタシとお母さんの二人分なので、自分一人だと食べきれませんし」
「それじゃ、俺もいただかせてもらうぜ」
裕明君はサーモンフライを、弥生おじさんは厚焼き玉子を箸で掴んでゆっくり口に運ぶ。
アタシは里芋の煮っころがしを落とさないように慎重に箸で掴んで、左手を下に置きながら小さな口にくわえる。
「うん、これは朝倉おばさんの味だな。冷めても美味しいぜ」
「アタシはまだ、揚げ物料理は許可されてないからね」
「この厚焼き玉子は…うっ…!」
裕明君は口の中で美味しそうにモグモグしているが、弥生おじさんは厚焼き玉子を一口かじったところで、顔を上に向けて両目を左手で隠したまま動きが止まってしまった。
「あの、どうしました? その厚焼き玉子はアタシが作ったんですけど、もしかして砂糖と塩を間違えたりとか?」
調味料の確認は行ったが、絶対に失敗しなかったとは言い切れない。
それにお母さんと比べたらまだまだ未熟なため、所々に小さな焦げ目がついてしまっている。アタシはひょっとして美味しくなかったのかなと、ドキドキしながら弥生おじさんの評価を待つ。
「いや、美味い。味付けも亡き妻と瓜二つだ。
思えば仕事の忙しい合間を縫って、好物の厚焼き玉子を作ってくれたことを思い出してな。
智子ちゃん、もしよければレシピを教えてくれないか?」
料理が失敗したわけではないとわかり、アタシはほっと息を吐くが、ただでさえ迫力がある弥生おじさんが物凄く真剣な表情でこちらを見ているので、何というか無駄に怖い。
「ええ、大丈夫ですよ。でもレシピはお母さんに聞いたほうがいいと思います。アタシは教えてもらった通りに作っただけですから」
「ありがとう。今度智子ちゃんのお母さんに聞いて…」
「いっ…いえ、やはりレシピはノートにまとめてから渡すことにします!」
アタシよりお母さんのほうが料理技術は上なので、最初はお任せしようとしたが、教えてもらう相手が年の近い男性で、しかも結婚相手に先立たれているのだ。
この二人を引き合わせてはたとえ料理を教えるにしても、世間体が色々とマズイことになるし、お母さんの胃にも確実に大穴が開く。
何とかレシピをノートにまとめ、後日アタシが裕明君に渡す案を出す。
弥生家当主様が言うには、料理長に頼んで時々食事に一品加えてもらうとのこと。
朝倉家の他のレシピも知りたいとのことなので、まずは厚焼き玉子のレシピを渡した後で、暇を見つけて追々ということで納得してもらった。
ただでさえ最近は多忙を極めているのだ。これ以上負担をかけるのはご遠慮してもらいたい。
アタシが何度目かのため息を吐いていると、いつの間にか自分のお弁当の量が半分以下まで減っていた。さらに詳しく調べると、減っているのはお母さんとアタシが作ったお弁当だけで、弥生家の高級なお弁当には全く手がつけられていなかった。
「あのー…アタシのばかりでなくて。そろそろ自分たちのお弁当も食べたらどうですか?」
「いや、だって智子の弁当のほうが美味いしな。そっちを食べ終わった後に腹に余裕があれば、弥生家のほうもちゃんと食べるから大丈夫だぜ」
「そっそれはだな。智子ちゃんのお弁当はどれも亡き妻に味付けが近く、口の中に懐かしい味が広がり、箸が止まらないんだ」
元々お母さんとアタシの二人分を作ってあったが、育ち盛りの男性二人の胃袋を満たすには、たとえ完食しても量が足りるわけがない。
こうなればせめて弁当箱が空っぽになる前に、少しでも自分のお腹を満たそうと、仁義なき弁当争奪戦に、アタシも慌てて参戦するのだった。
昼の休憩中の欠食親子の猛攻を凌ぐのは至難の技だ。
最終的には自分のお弁当箱を強引に取り上げて、二人が抗議の声をあげる前に小さな口を大きく膨らませ、弁当箱を傾けて流し込んで急いで咀嚼することで、何とか腹八分目を確保出来た。
周りからせっかく弥生家の当主と御曹司が食べたがっているのに、お弁当を取り上げるなんて酷い。親は何をしているんだ。黙って全てを差し出すべきだろうと言う声が聞こえてくる。
最初は空っぽになった弁当箱を、捨てられた子犬のような目で見つめていた弥生おじさんと裕明君だったが、周囲の反応に気づくとこちらに顔を近づけ、心底申し訳なさそうな顔をして、囁き声で騒がせて悪かったと謝罪してくれた。
なのでアタシは口の中に大量の料理を詰め込んだまま、いえいえ、お気になさらずと返答しようとしたが、実際にはモゴモゴとしか喋れず、それでも意味は通じたようで、二人はそんなアタシの様子が心底おかしいらしく。
リスみたいで可愛いよと、褒めているのか貶しているのか反応に困る言葉を口にしながら、しばらくの間、腹を抱えた二人の大爆笑が止まらず、周りの他の名家たちを大いに驚かせたのだった。




