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6月 睦月家当主から見た智子ちゃん

<睦月家 当主>

 三家が主催した社交界から家族を先に帰らせた後、私は夜道を静かに走る車内で、子供の頃からの付き合いのベテラン運転手に帰りの送迎を任せ、パーティー会場で出会った少女との一コマを思い出す。

 何時間にも及ぶ世界中の名家や著名人たちとの社交の場だったが、そのどれもが朝倉智子ちゃんの一瞬の煌きの前では、泥のように濁って見える。


 本来ならば睦月家の当主に対して、あのような口を聞くだけで重罪になる…と殆どの者は思っているだろうが、それは当主である自分がそう判断したときだ。余程酷くない限り、大抵のことは笑って許せてしまう。

 その中でも彼女は歯に衣着せぬ物言いで、遙かなる高みに立つ自分に、下々の人が暮らす暖かく優しい世界に触れさせてくれた。

 残念なことに彼女は自ら社交界を辞退したため、楽しい時間はほんの数分で終りを迎えてしまったが。


「当主様、本日の社交界で、何かいいことでもありましたか?」

「ああ、わかるかい? 今日は光太郎の友達の朝倉智子ちゃんに、ようやく会えたんだよ」


 運転手がルームミラー越しに、こちらが無意識に顔を綻ばせていることに気づいて、話題を振ってきた。

 身にまとう雰囲気も、いつもの微笑んではいるが近寄り難いものと違い、表情だけでなく物腰も柔らかくなっているため、ここ最近はずっと乗り降り以外は黙っている運転手が、珍しく口を開いたのだろう。


「なるほど、それはよかったですね。名前からして女性のお友達ですか?」

「ああ、そうだ。光太郎に女性の友達は珍しくないんだが、智子ちゃんは庶民の出ながら特別らしい」


 あの子はただの令嬢ではない。もちろん家柄が低いというのもあるが、たとえ朝倉家の格が月の名家に釣り合ったとしても、普通の令嬢には絶対になれないだろう。

 あの年齢で既に礼儀作法、知識、美貌が頭一つどころではなく二つも三つも抜きん出ており、さらに腹芸を好まず思ったことを直接口に出したり、月の名家に興味を持たない風変わりな少女だ。

 こちらが他の家が羨むほどのお礼を渡そうとしても、その場できっぱりと断るのも、他の名家とは大違いだ。


「息子が特別扱いするのもわかるよ。智子ちゃんは人の内面を見て好き嫌いを判断するんだ。いくら睦月家が物や金を積んでも、光太郎自身に魅力がなければ確実に振られるだろうね」


 運転手が驚いたような表情をしたのがルームミラーではっきりとわかった。息子の恋人になりたがる女性は事欠かないが、そんな彼が有ろうことか庶民の少女に振られるなど想像できなかったのだ。

 そして自分の口元も、車に乗った直後からニヤつきが止まらない、こんなに楽しい気分になったのは何年もなかったため、戻し方がわからないぐらいだ。


 彼女が庶民と名家の事情や知識を持っていることは、日夜研究が進んでいる日記帳を読み解けばよくわかる。

 人や物の流れは未来が変化したことによって、予知の的中率は一割以下だが、それでも記載されている情報から、幅広い関係性を読み解くことは可能だ。


 そして国内外の大規模災害の予知は、正確な日時は多少曖昧な部分があるものの、今の所は的中率は100%だ。おかげで災害に対する備えや支援物資の輸送等がスムーズに行えたので大いに助かっているが、もし日記帳のデータが悪用された場合、最悪国家転覆や世界経済が崩壊しかねない。


 今回は早期に、然るべき機関で厳重に管理出来たのは本当に運が良かった。ただしこの未来予知は十数年後、つまり智子ちゃんが殺される日までしか記載されていない。


 最後の文章には、気落ちした友梨奈お嬢様を慰めながら教室に向かっていたら、突然包丁で刺された。お腹が焼けるように痛いけど、お嬢様が殺されなくてよかった。死ぬ前だけでも、小間使いのアタシのことを、智子ちゃんと呼んでくれて嬉しかった。

 短い言葉だが、自分の胸が締めつけられるように苦しくなると同時に、弥生家の息子が啖呵を切ったように、智子ちゃんを絶対に守ろうと決意を新たにする。


 そして大抵の知識は使用頻度の低い物から順番に忘れていくため、最初期と比べて今の彼女の危険性はゼロに近く、時間が過ぎればさらに低下する。

 学園を卒業する頃には予知夢のことはすっかり忘れて、勉強と運動が得意で、明るく活発な性格で雑学に詳しく、優しく面倒見がよくて愛情に溢れ、大人顔負けの知恵と美貌を兼ね備えたパーフェクト美少女に成長するのは確実だというのが、各分野の世界的な専門家たちの総意である。

 欠点は直情的で腹芸が嫌いなことだが、それも彼女にとっては数ある美点の一つだろう。


「智子ちゃんが光太郎の嫁に来てくれれば、自分も妻も安心して息子に跡目を継がせられるんだけどね」

「とっ…当主様! それは流石に気が早いですよ!」


 確かに引退するにはまだ早いし、智子ちゃんも光太郎も小学一年生だ。

 運転手の言う通り、いくらなんでも気が早すぎるが、彼女の子供の姿をしていながら大人びた仕草や考えを近くで見た身としては、小学一年生の現時点でも、まるで二十歳近くの女性と楽しげに談笑したかのように感じたのだから、将来の安心感が段違いなのも仕方ない。

 智子ちゃんが大人になれば、どれだけ素晴らしい女性に成長を遂げるのか、今からとても楽しみだ。


「しかし、彼女にはライバルも多い。光太郎の将来は前途多難だな」

「はぁ…そうですか。大抵の女性ならば何不自由なく手に入るのに、坊ちゃんも苦労しますね」


 確かにどんな女性だろうと睦月家の名前を出せば、二つ返事で光太郎と関係を結ぶ。だが智子ちゃんは違う。もちろん朝倉家を揺さぶれば手に入れることは出来るだろうが、籠の中の鳥になった少女はもはや自ら光を放たず、息子や睦月家に好意を持つこともなくなるだろう。


「だがもし自分が光太郎の立場なら、たとえどれだけ困難だろうと、彼女を振り向かせる道を選ぶよ。絶対にね」


 月の名家ではなく、本当の自分を好きになってくれる存在。そもそも出会った当初から智子ちゃんは睦月家ではなく、小学一年生の光太郎を見ていたのだ。

 そんな女性から好意を持たれるのは、とても幸せなことだろう。もちろん自分の妻も最初はそのように接してくれていたが、他の名家の重圧に押し潰されて心身共に削られ、お互いの心は次第に離れていってしまった。

 そんな睦月家だけでなく、卯月家、弥生家の家族を暖かく包み込んで癒やしたのが、朝倉智子という小学一年生の少女なのは記憶に新しい。


 話を聞いた後に何度か妻と光太郎に誘われ、お好み焼きの鶴屋にお忍びで来店したものの、家族三人がサングラスと全身コートで変装して訪れたために、店員に不審人物として通報されかけたのは苦い思い出だ。

 それに最初に自信満々にお好み焼きを焼いたら、失敗して焼け焦げてしまい、二人に大笑いされたのも含めて、あの時間は久しぶりに本当の家族に戻ることが出来た。


 おまけに偶然、同じように変装した他の月の名家と席が隣同士になったときは、堪えきれずにお互いに変な笑いが出たものだが、どちらが上手くお好み焼きを焼けるかの勝負は、妻と息子の声援も虚しく、残念ながら引き分けになってしまった。

 睦月家の当主ではなく一人の父親としての悔しさに震え、次こそは必ず勝利すると妻と息子に誓うことになった。その時の好敵手も同じ心境なのは、想像に難しくない。


「当主様は変わられましたね。最近はよく笑うようになりました。それも智子ちゃんのおかげですか?」


 少し前の楽しかった思い出を振り返っていると、当主ではなく優しい父親の顔に戻っていたようで、運転手が柔和な笑みを浮かべて安心したように声をかけてくる。


「ああ、本当に智子ちゃんには頭があがらない。それに社交界の会場で聞いたのだが、彼女は釣りについても詳しいらしい。

 今度光太郎に。智子ちゃんを釣りに誘うように頼むつもりだよ」

「光太郎坊ちゃんが、釣りですか?」


 最近は緩和されたものの、今までは睦月家に相応しい当主になるために、光太郎には連日連夜厳しい習い事を強制してきた。

 そんな息子と釣りを結びつけても、運転手にはピンとこないのだろう。


「子供だけの川釣りは危険だからね。当然睦月家総出で行かせてもらう。

 しかし釣りなどここ何年もやってなかったからな。腕が鈍ってないといいが。

 そうそう、智子ちゃんは魚も捌けるらしいぞ」


 軽くスナップを効かせて竿を振る動作を思い出しながら、もう少し先に長期休みを取り、家族全員で川釣りに行けるようにスケジュールを組み直さないといけないが、それで愛する妻と息子の笑顔が見られて、自分も存分に楽しめると思えば苦ではない。


「彼女は本当に小学一年生なのですか?」

「確かに疑問に思うが、どうやら本当に小学一年生のようだ。三家が何度も調べた情報だ。間違いないよ」


 現実に彼女が小学一年生かどうかは些細な問題だ。むしろ自分たち家族を救ってもらった恩が積み重なっており、それをどうにか返そうとするものの、全て断られているのが大問題なのだ。

 卯月家は学費を全額払ったようだが、それでも小指の爪の先程度の恩も返せていないのは明らかだ。


「釣った魚が上手く焼けるといいのだがな」

「今度は使用人や料理人を連れて行ってくださいね。

 お友達の小学一年生の少女一人に、全員分の魚を捌かせるわけには行きませんから。それに、当主様がボウズになる可能性もありますよ?」


 確かに智子ちゃん一人を酷使するわけにはいかないが、エプロン姿の家庭的な彼女も鶴屋の写真だけでなく目の前で一度見てみたかった。

 運転手が言っているように、全員分…それは睦月家だけでなく、他の月の名家の分もという意味だろう。


 睦月家以外にも、卯月家、弥生家共に彼女に多大な恩義と好意を感じているのは明らかだ。なので智子ちゃんが川釣りに行くと言えば、すかさず便乗して来るのは間違いない。


 そんな中で自分だけが全く釣れずに、ボウズになるのはとても恥ずかしい。釣りに詳しい家の者にそれとなく…いや、睦月家の当主が使用人を相手にあまり下手に出るのは。

 しかしインターネットで調べただけでは安心は出来ない…と、これからの家族で過ごす楽しい時間を想像して口元を綻ばせる。


 先の人生も楽しみだが、そこには智子ちゃんも居てくれないと駄目だ。

 将来は息子の隣にいるのか、他の名家の隣か、それとも何処かの教員に貰われるのかは知らないが、少なくとも十年後にむざむざ殺させてやるわけにはいかない。

 もし本当に智子ちゃんの敵となる者が現れたなら、睦月家が全力で迎え撃つことで、毎日のように積み重なっていく恩を、多少なりとも返済するのもいいかと、不敵に笑うのだった。

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