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6月 社交界のお誘い(強制)

 アタシが小学一年生として学園に入学してから二ヶ月が過ぎ、六月になった。

 実力テストの結果が出てから、三人は授業でわからない所や気になったことを、熱心に教わりに来るようになった。確かに聞いていいよとは言った。しかし教室には担任の先生もいるのだ。

 まあその点に関しては、アタシも人に教えることも勉強になるので別に構わないのだが、問題は教える場所だ。


「今日もクマ吉は可愛いですわね。あっ…やりましたわ! 難関ステージクリアーですわ!」

「友梨奈ちゃんは本当にクマ吉が大好きだよね。おめでとう。次のステージからは少しだけ楽になるよ」


 友梨奈ちゃんはアタシのベッドの上で伸び伸びと足を伸ばし、自分とは長い付き合いになるクマのぬいぐるみを抱えながら、アタシが去年の誕生日に買ってもらった携帯ゲーム機を片手に、楽しそうに遊んでいる


「なあ智子、この間借りた漫画の続きはあるか?」

「そっちは右の本棚の、上から二段目に最終巻まで揃ってるよ」


 裕明君は言われた通りに本棚から目的の漫画を見つけて、アタシから貸した本を戻し、クッションを床に敷いて数冊ほど横に積み上げて腰をおろすと、壁を背にして夢中になって読み始める。


「智子ちゃん、この小説の犯人は料理長だと思うんだけど、僕の推理はどうかな?」

「最後まで読めばわかるよ。途中で犯人をバラしたら面白くないからね」


 光太郎君はそれもそうだね。しかし先が気になるよ…と、同じくクッションに座って小学生向けの推理小説を、折りたたみ式の机の上に開いて、真剣に読み進めている。

 一方アタシは自分の勉強机に座って、授業の予習復習は終わっているので、中等部の問題集を開いて一問ずつ頭を捻りながら解いていく。

 今の三人は本日の勉強会を終えて、アタシの自室をまるで我が家のようにくつろいでいるのだ。




 何故このような状況になっているかと言うと、実力テストの結果が出てから数日は、学園の教室で放課後に残って、こっそりと三人に教えていた。

 しかし教え方が先生より上手でわかりやすいという迷惑な噂が広がり、一組だけではなく他のクラスから、果ては上級生からもアタシから勉強を教わりたいという生徒が、それこそ連日押しかけてきたのだ。


 そうなるともはや完全にアタシの許容限界を越えてしまい、人に教えることは勿論、自分の勉強すら手に付かない状況に陥ってしまい、最後には教師からも教えを請いたいと頼まれていた気もするが、その時点で完全にオーバーフローだったので、詳しいことは覚えていない。


 とにかくこのような事情により放課後の勉強会は中止となり、三人も名家なのだから専属の家庭教師ぐらい付いているだろうし、今度からその人に教えてもらってよ…と、直接口に出して大ブーイングを受けたのだ。


 しかしそれぞれの家の事情もあるし、学園に残って教えていると関係ない人たちも寄ってくる。色々考えたところ、それなら放課後は学園から近いのアタシの家に教えることを思いついた。


 ただし大切な息子や娘を一時的とはいえ、名家でも何でもない庶民の、しかも同い年の子供に預けるのだ。アタシはちゃんと両親の許可を取れたらねとしっかり釘を刺し、三人もそれを了承した。

 しかし次の日学園で会ったときには、三人共がそれぞれの両親や名家の使用人たちから心良く送り出され、しかも菓子折りまで持たされたらしく、今日の放課後に早速アタシの家に行きたいと口を揃えて言われたのだ。


 ここまで外堀が埋まってしまえば、もう断ることは出来ない。

 もはやこれまでかと諦め、アタシは朝倉家の両親に連絡を取り、これから毎日平日の放課後に、卯月家と睦月家と弥生家の子供たちとの勉強会を自宅ですることになったからと、死刑宣告にも等しい事実を告げなければいけなくなったのだった。






 それから何だかんだで放課後の勉強会も一ヶ月が経過し、今ではアタシの部屋は実家よりも居心地がいいから…と、その日の予習復習が終わっても、皆すぐには帰らず、それぞれが好き勝手にくつろぐようになった。


 ちなみに勉強会のお土産に、毎回駄菓子を少しだけ持たせて帰らせている。

 何でもチープなスナック菓子が時々無性に食べたくなるが、名家の柵のせいで気軽に買いに行けないし、こっそり買っているのがバレると体裁が悪くなる。

 しかし小学一年生の友達からのお土産なら、そこには何の柵もなく、堂々と食べても問題ないらしい。

 何とも名家というのは面倒なものである。やっぱり今のような気楽な庶民生活が、アタシの肌に合っていると再確認出来た。


 アタシが物思いに耽っていると、階段をスリッパで登ってくる音が少しずつ近くなり、続いてコンコンと扉がノックされた後にドアノブが回され、アタシのお母さんが丸盆に飲み物とお菓子を乗せて、扉の隙間からひょっこりと顔を覗かせる。


「皆、勉強お疲れ様。お茶菓子を持ってきたから、そろそろ一休みしなさい」

「わあいっ! わたくし、朝倉おばさまのお菓子大好きですわ!」

「おばさんありがとう! 今日のも美味しそうだな!」

「ありがとうございます。いつも美味しくいただかせてもらっています」


 三者三様の感謝の気持ちを伝えている間に、アタシは勉強机から立ち上がり、折りたたみ式の机の上の勉強道具を簡単に片付けると、お母さんにありがとう。後はアタシがやるから…と直接伝えて、落とさないよう慎重にお茶菓子を受け取る。


 ここ一ヶ月で名家の三人の相手はそれなりには慣れたようで、表情には出さない。けれど、まだ緊張はしているようで、丸盆を持つ両手が微かに震えていることに気づく。

 しかしアタシに手渡せて肩の荷が下りたのか、お母さんは明らかにホッとした顔に変わり、一礼した後に半開きにしていた扉をゆっくり閉めて、パタパタと階段を下りて行った。


「なあ、朝倉おばさんは、まだ俺たちを見て緊張してるのか?」

「んー…多分。家の格差が大きい以上、そう簡単に受け入れられるものじゃないしね。焦らず気長に待つしかないよ」


 漫画を読んでいた裕明君だけでなく、他の二人もお母さんが緊張していたことには気づいていたようで、微妙に顔色が曇る。

 しかしアタシは気にせず、受け取ったお茶菓子の手作りクッキーと市販の果汁100%オレンジジュースを、折りたたみ式の机の上に順番に並べていく。


「そんなに気に病まなくても、あと一、二ヶ月もすれば普通に接するようになると思うよ」

「はぁ…そうだといいな。しかし、智子は最初から普通に接してたよな」


 裕明君、光太郎君、友梨奈ちゃんの三人は漫画、小説、ぬいぐるみを一旦元の場所に置いて、お茶菓子を食べに集まってくる。


「アタシ? アタシはまあ家柄とか色々言われて、どれだけ悩んでも。

 結局後先考えずに真っ直ぐに突き進むことしか出来ないからね」

「ああ、なるほど。よくわかったよ」


 アタシが二十年近くもこういう性分でやって来たので、今さら変えられるとは思えない。

 そしてお母さんから受け取ったお菓子を並べ終わったので、アタシは自分用のクッションを適当に引っ張ってきてからクッキーに手を伸ばすと、自分用のオレンジジュースを確保してストローから口を離した友梨奈ちゃんが、おもむろに話しかけてきた。


「そうそう。話は変わりますけど、一週間後に社交界が開かれますのよ」


 アタシは手に持ったバタークッキーをバリボリと噛み砕きながら、友梨奈ちゃんの話に耳を傾け、前世でお嬢様の従者として何度か参加したことを思い出す。

 その際に朝倉家の家柄や自分の身嗜みをネチネチと馬鹿にされた以外は、殆ど覚えていない。あと印象に残ったのは、テーブルに並んでいた食事や飲み物が美味しかったことぐらいだろうか。

 アタシがクッキーを飲み込んでジュースに口をつけると、今度は光太郎君が続きを話す。


「卯月、睦月、弥生の合同の、とても大きな社交界だよ。当然僕たちも参加するんだけど、三家全員が参加するのは初めてなんだ」


 つまりは三人の社交界デビューということだろうか。小学一年生の参加が早いか遅いかはアタシにはわからないが、多分おめでたいことだろう。


「そうなんだ。社交界デビューおめでとう?」

「ああ、それでな智子。今回三家全てから、名指しでお前に招待状が送られるらしいぞ」

「はぁっ? …何それ? 冗談?」


 裕明君の説明を聞いて、驚いたために飲んでいたオレンジジュースを少しだけ戻してしまったが、それだけアタシの動揺は大きかった。

 誰が好き好んで面倒ごとに関わりたいものか。社交界の会場なんて庶民のアタシにとっての地獄の釜だ。野うさぎが自分から焚き火に飛び込むような真似は絶対にしたくない。


「それって、辞退するわけは…」

「無理ですわね」

「無理だよ」

「無理だぜ」


 三人が息ぴったりにハモって断られた。

 断れないのはアタシも何となくわかっていたのだ。もし強引に辞退したら朝倉家の立場が微妙になって両親に迷惑がかかる。つまり自分が腹をくくれば全てが丸く収まる…のだが。


 こんなことになるなら、何故アタシは家から一番近くて歩いて通えるという安直な理由で、私立学園を受けて滑り込みで合格してしまったのだろうか、

 どうせなら学園の入学希望届けを出す前に戻りたかったと、心の底から後悔した。


「あー…そっかー無理かー…うん、何となくそんな気はしてた」


 それに名指しとなれば逝くのはアタシ一人で済む。文字通りに逝って来るわけだが。

 当然両親はお留守番なので、名家や著名人のバーゲンセールに行ってストレスで胃をやられることもないだろう。

 犠牲者は自分だけで済むのだと、天を仰いで諦めの言葉を吐き出す。

 辛いのはその日だけだと受け止めれば、まだ我慢は出来る。


「あっ! でも家には、社交界に着ていく衣装がなかったよ」

「そちらはお母様が気合を入れて用意しましたので、大丈夫ですわ」


 ひょっとしたら魔女と出会う前のシンデレラのように、ワンチャンで辞退出来るかなと考えたものの、当然のように逃げ道は見逃されることなく、速攻で潰されてしまった。

 友梨奈ちゃんの当日は仲良く社交界デビュー出来ますわねという期待感が、ヒシヒシと伝わってくるので心が痛い。


「ああうん、社交界の日は色々教えてくれると助かるよ。アタシも初参加だからね」

「ええ、わたくしに任せてくださいませ! お母様と一緒に、智子ちゃんを立派な淑女にコーディネートしてあげますわ!」


 小学一年生での初参加だが、前世の知識もあるので教えて欲しいのは会場の案内と、社交界ごとに微妙に変わる決まりごとだ。

 ファッション方面はいつも通り適当でいいのにと、一週間後に地獄の釜にダイブするという逃げ場のないモヤモヤを晴らすために。アタシはストローに口をつけ、オレンジジュースにブクブクと空気を送り続けるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 子供の教育引き受けて、親にも賄賂(駄菓子)渡して好感度爆上げしてればそうなりますわなぁ。 墓穴掘りまくっている事に何故気付かないのか。そういう抜けている所がまた可愛いのだが・・・
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