4月 校外探検
一年一組の教室には既に多くの子供たちが集まっており、何人かのグループに分かれて賑やかに談笑していた。
廊下から中に入ったアタシは、皆におはようと声をかけた後に自分の席に向かい、学生鞄を机の横にかけて椅子に座ろうとする。
その時ふと周りを見ると、何人かの生徒が自分の席がわからないらしく、席に座れずにオロオロと戸惑っている様子が目に映る。
アタシは自分が昨日委員長にされたことを思い出し、その子の元に怖がらせないように笑顔のままで、ゆっくり近づいていった。
「どうしたの?」
「えっ? ええと…」
「もしかして、自分の席がわからなくなっちゃったの?」
「うっ…うん」
クラス内で孤立して泣きそうになっているクラスメイトに、優しく語りかけるように名前を聞いては、手を引いて席に案内する。そんなことを何度か繰り返して、皆が自分の席に座れたことを確認したとき、ちょうど担任の先生が教室に入ってきた。
「おっ、全員揃っているな。感心感心。しかし、優等生の朝倉が自分の席がわからないとは意外だな」
「まあ、…そんなところです」
今のアタシは一人だけ教室の中央に棒立ちしている状態だ。教卓でこちらに視線を送る担任の先生なりの冗談かもしれないが、受け答えするのも面倒なので、無視してさっさと自分の席に戻っていく。
「おっ…おい、ああ悪かったよ。冗談が過ぎた。すまん朝倉」
教室内の生徒全員からの軽蔑の視線にたじろぐ担任の先生を横目に、アタシは自分の机に辿り着き、椅子を引いて腰を下ろす。
昨日の一件で、クラス内のアタシに対する評価が爆発的に高まっているようで、一年一組に限っては、何故か大人の先生よりも小学一年生のアタシのほうが信頼も人気も上らしい。
「謝罪はいいのでホームルームをお願いします」
「ああ、わかった。今日やることは…」
まだ二日目なので本格的な授業はせずに、昨日とは別のクラス内の役割を決めていくことになった。当然委員長のアタシと副委員長の光太郎君が前に出て、司会進行を行う。
彼は飲み込みが異常に早く、たったの一日で副委員長に関しては教えることがなくなり、アタシが口に出さなくても立派に補佐を務めていた。
何度も同じことを繰り返してようやく覚えた自分とは頭の出来が違うようで、名家の子供は皆こんな天才なのかなと、表情には出さないものの心の中で物凄く驚いていた。
そんな彼の手助けもあってか、本日のホームルームも滞りなく終わることが出来た。
委員長の役目を終えて、担任にバトンを返して席に戻るために話しかけると、昨日と同じようにまたも呼び止められる。
「今回も時間が余ったのだが、朝倉。何かいい案はあるか?」
「何でアタシに聞くんですか? 先生なんだから、ちゃんと生徒を導いてください」
正直、面倒ごとを押しつけられたくない。何より教師の役目をちゃんと果たして欲しい。副委員長は先に席に戻したので、今は黒板の前に立っているアタシと、教室の隅の大机に教材を広げている担任の二人が向かい合っている形になる。
「まあ待ってくれ。実は昨日の一件で参加出来なかった他のクラスが羨ましがってな。
早く終わっても授業が終わるまでは、学園内の見学…いや、探検はさせずに自習するようにと叱られたんだ」
「でもそれアタシとは関係ないですよね? 叱られたのは先生なんだし」
何でそれでアタシに矛先が向くのか、命令通りにやったのに、世の中がつくづく理不尽なので口だけでも反対すると、そう言われると弱いんだよな…と、今度は泣き言を言ってきた。
「毎回早く終わるのはいいが、一組だけ授業が進みすぎるとマズイんだよ。
周りと歩調を合わせないと」
「そうですか。大変ですね。頑張ってください」
何だか担任の先生からのアタシへの人生相談になってきたので、さっさと自分の席に戻ろうと踵を返すと、今度はより強い言葉で引き止められた。
「朝倉、お前は変な所で知恵が回るだろう? 何かこう…いいアイデアとかないか?」
「そんなの普通に自習にすればいいじゃないですか。先生が教材を用意出来なくても、各自のスマホでも弄ってれば、時間なんてすぐに過ぎますよ」
「まあまあそう言わずに、ほら…皆も期待してるぞ?」
お金持ちが通う学園なので、親が連絡手段として渡していないはずがない。
ネットに繋げるかどうかはわからないが、暇をつぶすぐらいなら問題ないだろう。
しかし担任だけでなく一年一組の全員から、次は何をするのかという期待の視線が一人の女子生徒に集中する。どうやらアタシは自分の席に帰ることが出来ないようだ。
ならば責任は先生が持つかわりに、せいぜい好き放題にやらせてもらうことにする。
「はぁ…わかりました。それじゃ今回は探検範囲を学園初等部ではなく、外に広げましょうか。それなら学園内の見学は一切行わないので、問題ないですよね?」
「いっ…いや、それは…手続きは身の安全やらが色々と…」
「問題ないですよね?」
「あっああ…問題、…ない」
貼り付けたような笑顔を崩さずに丁寧に受け答えをして、担任から許可をもぎ取ると、アタシは白いチョークを手に持って、黒板に校外探検とひらがなと漢字の両方で大きく書いた。
「学園からはそんなに離れませんけど、先生は警護の手配と校外活動の許可をお願いします。アタシは皆に説明しないといけないので」
「わかった。しかし朝倉は凄いわ。色んな意味でな」
「名家でもない庶民の何処にでもいる小学一年生です。アタシは普通ですよ」
あと何年かすれば月の名家の三人には追い越されるのは確実だ。もちろん油断せずに勉強は毎日頑張るが、中身が平凡以下のアタシがどれだけ食らいつけるかはわからない。
先生は絶対に嘘だろ…と口に出したあとで、学園関係者に許可を取るために内線で相談をはじめる。その間にアタシは自分のスマホを開いて、学園周囲の地図検索を開始した。
「学園を中心にして、そこにドーナツのように小さい丸と大きい丸を書いて…っと」
黒板に凸の字を書き、それを学園に見立てて周りに小さな丸を一つと、さらに大きな丸を書く。
そこまで終わってから、教室の皆のほうに一度体を向けて、静かにー! 注目ー! と言い放ち、まずはチョークで学園を囲む小丸をトントンと叩く。
「ここが今アタシたちがいる学園で、昨日探検し終わったところだね。
でもその周辺はまだ未開の地が広がっているの。外にはどんな危険が潜んでるかわからないよ」
そこまで言えばクラスの皆も理解したようで、ゴクリと生ツバを飲む音が聞こえてくる。次に凸マークのすぐ隣にチョークで新しく小さな丸を描き加える。
「今回はこの場所を調査するよ。アタシや先生は外の世界を知ってるからちゃんと言うことを聞いて、何か気になることがあればどんどん質問するように。
それじゃ、先生や皆の準備が整ったらすぐに出発するよ」
クラス内の皆は好奇心が旺盛なのか、説明し終わるとすぐに、近くの子供たちと楽しそうな表情で賑やかに話し始める。アタシは関係者の許可を取り終わった先生に近づき、もう一つの要求した。
「今の時間から外出すると昼までには帰れなくなる可能性が高いので、人数分のお茶と外で食べられるようなお弁当、もしくはサンドイッチかおにぎりを学食のスタッフに頼んでください。後で現地に届けてもらいたいので」
「そんなことまで…。朝倉、俺の代わりに教師をしないか? 副担任でもいいぞ」
「嫌だよ!」
即決でのお断りで大人を相手に思わず素が出てしまった。先生は砕けた感じで年相応のアタシを知っているので大した問題はないが。
それから十分程経過した後、校外活動の準備が整ったと担任に連絡が入ったので、新品の体操服に着替えて、早速出発することにする。
お弁当はアタシの提案通り、昼時になったら車で届けてくれるらしい。
しかしここでアタシにとって大きな問題が起こった。
「男女別の更衣室を用意するように言っておくべきだったよ」
男女共に同じ教室での着替えに、アタシは隅に移動して一人だけ見えないようにコソコソと体操服に着替えるが、元々殆ど隙間のない空間なので当然のように皆にはバレバレであった。
「智子、お前見た目通りに胸でかいんだな」
「んなあっ!?」
羞恥心の欠片もない裕明君が、堂々と胸元をガン見してくる。
まさかセクハラや保険体育を目の前の小学一年生に教えても、まだ女性と一緒にお風呂に入っているかも知れない年齢のため、それが理解出来なさそうだなと考え、しかしあまりに突然の展開にアタフタと取り乱してしまう。
さらにマズイことに、彼の発言とアタシの驚愕でクラス中の視線が集中したため、アタシは思わず顔を真っ赤にして、中学生体型よりも大きく育った乳房を隠す。
しかし普段とは違うしおらしい態度に何かを感じ取ったのか、ますます注目度が高まり、思わず身を強張らせてしまう。
「そこまでですわ! 智子ちゃん、わたくしが壁になりますので、今のうちに!」
「ありがとう友梨奈ちゃん」
一足先に着替え終わった友梨奈ちゃんの影に隠れて、多少はみ出ながらもアタシは指定の体操服に着替える。これはこれでボティラインが際立つけれど、自分以外の小学一年生は男女共にまな板体型なので、そこに混ざれば年の割には育った肢体のアタシでも、そこまで目立たなくなるはずだ。
「皆着替え終わったみたいなので、これから校外探検に出かけるよ。下駄箱から出た後に一度点呼を取るから。あと、廊下は静かにね。では出発!」
気を取り直してクラスの皆に号令をかけてから一人だけ先に廊下に出ると、数名の学園関係者が既に待機してくれていたので、今日はよろしくお願いしますと、丁寧に頭を下げておく。
その行動に何やら感心されたようだが、すぐに視線を外して気にせずに廊下を歩いて下駄箱に向かう。
殆ど時間はかからずに全員が校庭に出たことを確認し、アタシたちは再び歩き出す。
近くには担任以外の教師が数名と、少し離れて周囲を警戒する警護の大人が十人以上、目立たないように一定の距離を保っている。
あらかじめ話を通しているためか、正門はチェックなしで通り抜けられた。しばらく歩くと、今まで車の窓からしか見たことのない景色が、急に目の前に広がって興奮したのか、子供たちのどよめきが大きくなる。
「皆、アタシから離れないようにね。気になる物を見つけたら勝手に触らないで、まずはアタシか先生たちに質問してね。
あと車は危険だから、こっちに向かって来たら、すぐに列に戻るように、絶対に守ってね」
好奇心旺盛な子供たちがアタシの言いつけを守るかは疑問だが、問題が起こる前に周囲の大人が頑張ってくれるだろう。
「はいはい、皆車が来たから列に戻ってねー!」
景色を眺めながらのんびり歩く…わけにはいかず、アタシはてんてこ舞いしていた。思った以上に、素直にアタシの言うことを従ってくれるのはいいのだ。
「智子ちゃん、この変わった形の草は何?」
「ぺんぺん草…正式な名前はナズナだね。春の七草の一つだよ。若葉ならおひたしとして食べられるよ」
「へえー…食べられるんだ」
クラスの女の子が他の草とは違う、ハートマークのような葉っぱが気になったのか質問したので、アタシの知っていることを教える。
おひたしにするとほのかな甘味があるらしい。現代の日本で食べる機会はあまりないけど。
「委員長、こっちの小さな貝は何だ?」
「タニシ…ええと、これはモノアラガイだったかな。ホタルが餌として食べる貝だよ」
「ホタル?」
「綺麗な水があるところでしか生きられない小さな昆虫で、夏になるとお尻を光らせながら飛ぶんだよ」
今度はクラスの男子に用水路に張り付いた小さな貝について質問される。アタシ自身お金をかけずに地元を色々と遊び回ったり、気になったことを調べているので、こういった雑学はそれなりに知っていた。
「朝倉さん、あの犬は?」
「あれは柴犬だね。日本原産の日本犬と、どちらが正式名称だったかな? リードがあるからって不用意に近寄ると飼い主さんの迷惑になるから、触ろうとしちゃ駄目だよ」
「ワンちゃん可愛い」
別の女子生徒からの質問にもせっせと答えるものの、大忙しである。
と言うのも、わざわざ名指しで皆がアタシに聞いてくるので、学園を出発してから休む暇がない。
すぐ近くには何人もの先生が控えているのだから、そちらに質問すればいいのに。もしかして小さな子は大人が相手では人見知りするのかも知れない、
何にせよ代わりに同年代で気安いアタシを、馬車馬のようにこき使うのは勘弁してもらいたい。
始終こんな感じで右へ左へと忙しく走り回り、ようやく一休み出来たのは昼食予定としていた小さな河原に到着した後だった。
「朝倉、お疲れ様。隣で見てたけど大変だったな」
「見てるだけじゃなくて、助けてくださいよ」
小石の原っぱにあらかじめクラス分のレジャーシートが引かれていたので、アタシは適当な一枚の上にへたり込み、そこに学食の運搬車からアタシの分のペットボトルと弁当を運んできた担任が、嬉しくもないねぎらいの言葉をかけてくれる。
「まあそれだけ朝倉がクラスの皆に頼りにされてるってことだ。よかったじゃないか。
それじゃ先生は行くが、昼の休憩が終わるまでゆっくりするといい」
軽快に笑って手を振りながら他の大人たちの方に歩いていく担任を眺めながら、アタシは受け取ったペットボトルのボトルをひねり、冷やされたお茶をそのまま口に運ぶ。
火照った体に冷たいお茶がじんわりと染み渡っていくのを感じながら、次に学食のお弁当を確認すると、豪華な幕の内弁当だった。流石はお金持ちの通う名門学園だけあって、急な注文でも手を抜かずに具材のバランスも色合いも綺麗に整っている。
おしぼりで手を拭いてから、割り箸を割っていただきますをすると、自分たちの分のお茶とお弁当を持って、顔なじみの三人が近寄ってきた。
「智子ちゃん、わたくしたちもお邪魔させてもらっても?」
「ん…どうぞ」
唐揚げを箸で摘んで口に放り込んでモグモグと咀嚼しながら、友梨奈ちゃんに肯定の言葉を返すと、彼女だけでなく光太郎君と裕明君もすぐ近くに腰を下ろす。
「智子ちゃん、大活躍だったね」
「そうだな。俺たちだったらあんな上手くは出来ないぜ」
「ありがとう。でも皆なら、アタシ以上に器用にこなせると思うよ」
三人共が、素質、環境、財力が全てアタシ以上なのだ。本人たちがやる気になれば、自分なんかすぐに追い抜かれる。そんなこちらの返事に、彼女も自分のお弁当をチマチマと食べながら、呆れたように言葉を返してくる。
「いくらわたくしでも、それは絶対に無理だとわかりますわ」
「そうかな? たとえ今は無理でも、未来はわからないよ?」
「ふふっ、そこまで期待されては、頑張らないわけにはいきませんわね」
アタシが平凡な人間だとわかれば、月の名家とは自然に疎遠になるので、面倒ごとを避けるためにも三人にはぜひ頑張ってもらいたい。
それとは別に予知夢の件で協力してくれてるのはありがたいのだが、前回は権力者にどっぷり浸かった結果のデッドエンドなのだ。
普通の友達として愚痴を聞くぐらいはいいけれど、今のように隙あらば至近距離でべったりは明らかにやり過ぎである。
こういうのは付かず離れずの距離感がちょうどいいのだ。…と、小学一年生に言っても、三人にはまだ理解出来ないので、アタシは小さくため息を吐いて会話を続ける。
「うん、でも体を壊しちゃ意味ないから、無理しない程度にね」
「ええ、すぐ追いつきますので待っていてくださいませ。
わたくしは必ず、智子ちゃんの隣に立つに相応しい淑女になりますわ!」
「僕も頑張るから、ええと…それまで待っててよ」
「まあ俺が本気になれば、チョチョイのチョイだからな。期待していいぜ」
何故かやたらとやる気になる彼らを見ていると、前世を遥かに超えて三人が成長する予感をヒシヒシと感じてしまう。何しろ一庶民のアタシとは頭も体の出来も違い過ぎるのだ。
やっぱりすぐに追いつかなくてもいいからと、言い訳じみた言葉を口に出そうとしたとき、担任とそれ以外にも数人の学園の関係者が、こちらに歩いて来ることに気づいた。
「朝倉、この後の予定なんだが…」
「ああ、はいはい。予定ですね」
今日の授業に使える残り時間と移動距離を計算して、スマホの地図を片手に帰りのルートを決める。
出来れば行き帰りは別の道を通りたいので、危険な場所の注意喚起や、ここは見学時間を取れないか等の、綿密な打ち合わせを行う。
学園の教室に戻ったら子供たちは皆疲れているので、お話もそこそこで即解散という流れにまとめる。
しかし今練っている計画は、生徒でなく教師の役目だと思うのだけど、何でアタシが中心になってアレコレ練っているのだろうか。少なくとも小学一年生のすることでは絶対にない。
だがどんな紆余曲折があっても、最初に計画したのはアタシなので、最後まで責任を持ってやり遂げないと、どうにもスッキリしないのだ。
そんなアタシの姿を名家の三人だけでなく、周りの一年生や大人たちも皆、眩しいものを見るようなキラキラした視線を向けてくるが、自分は貴方たちとは違って、名門の学園に辛うじて滑り込み入学しただけの一般人だからね! と、全力で突っ込みを入れたい心境だ。
幸いなことに全ての教師が小学一年生だと馬鹿にせず、こちらの言葉に真剣に耳を傾けてくれているので、アタシは各教員に個別の指示を出しながらも、早く家に帰って両親に甘えた後に、ベッドでゆっくり休みたい…と、強く願うのだった。




