4月 アタシが目覚めた日
作品タイトルにも小学一年生が記載されているので、小学二年生になる前に終わる予定です。終わる…はず。とにかくよろしくお願いします。
アタシはリアルな悪夢にうなされて目が覚め、年の割には豊かな肢体に滝のような冷や汗と荒い呼吸を繰り返しながら、ベッドからゆっくりと身を起こしてた。
辺りを見回すと、年頃の少女っぽくない実用性を重視した、殺風景な白色の壁紙が張られている。つまりアタシの部屋だ。
唯一の少女らしさは誕生日に両親が買ってくれた、ベッドの上に置いてあるクマのぬいぐるみぐらいだろうか。あとは飾りつけや小物も最低限で、男部屋に近く簡素なものだ。
そして朝倉家はそれ程裕福ではなく、二階建てで申し訳程度に庭の隅に簡素な車庫があり、周辺には他の民家はポツリポツリとしかなく、殆どが田畑であった。
「うっうん、確かにアタシの部屋だ。やっぱり、いっ今のは、ゆっ…夢?」
アタシは早鐘を打つ心臓を落ち着かせるために、現在の状況を冷静に振り返っていた。
確か今日は、学園の初等部に入学する日だったはずだ。デジタル時計を見ると四月六日の朝の五時とボンヤリと表示されており、カーテンの隙間から微かに朝日が漏れているのがわかる。
念のためにひよこ柄のパジャマをめくって、夢の中で怪我をしたはずのお腹を何度も撫で擦ってみるが、何処にも異常はない。それらを確認した後に、ようやくアタシは大きく息を吐いて僅かばかり安心することが出来た。
「やっ…やっぱり夢かぁ。よかった…って、何でアタシこんなに冷静なの? 小学一年生って、もっとこう…」
怖いことがあったら感情のままに取り乱して大泣きしていたはずだ。それに本当にただの夢なら、起きてすぐに詳しい内容は忘れてしまう。
しかし今なおアタシの頭の中には、まるで実際に体験したかのような明確な記憶がこびりついており、それがジクジクと熱を持ち、小学一年生のアタシを塗り潰そうとしている。
そう思い至った瞬間、やはり夢ではなく現実だったのではと混乱し、夢と現実が頭の中でごっちゃになり、思わず口元を押さえてあまりの気持ち悪さで吐きそうになってしまう。
「とっ…取りあえず覚えていることをノートに取ろう。怖くて何かしてないと落ち着かないよ」
何とか嘔吐だけは無理やり押さえ込むと、呼吸を落ち着かせてベッドからモゾモゾと這い出て、電灯の紐を引いて室内を明るく照らす。
寝間着に染みた汗は気持ち悪くて、シャワーで洗い流したいが、今は自分に起きた状況を確かめることのほうが重要だと考え、子供用の可愛らしいスリッパを履いて、入学祝いにと買い揃えてくれた学習机に向かうと、椅子を引いてゆっくりと腰掛け、引き出しから筆箱とノート取り出す。そして走り書きでもいいので夢の内容を片っ端から書き加えていく。
夢中になって思考を整理していると、気づいたら二時間が経過しており、覚えていることの全てを書き終わり、悪夢の直後よりも気持ちを落ち着けることが出来た。
夢の内容は大まかにこんな感じだ。滑り込みで無事に私立学園の初等部に入学したアタシは、勉強はあまり得意ではなかったものの、何とか成績は平均を保ち、最初の時期は問題なく学園生活を送れていた。
しかしやがて両親が離婚し、アタシはお父さんに引き取られることになった。
暴力こそ振るわれないものの、お母さんがいない寂しさを慰めるためか、お父さんは酒に逃げる毎日になり、やがて自分の会社を大きく傾けることになってしまう。会社と言っても両親の二人を足しても従業員は十人にも満たない。
ともあれそんな資金繰りに苦心しているお父さんに救いの手を差し伸べてくれたのが、世界を代表する月の名家の一つ、卯月家である。
だがそれは無償の施しではなく、アタシを売る形での資金援助の契約が結ばれた。まるでドラマや小説に登場する悪役令嬢として、私立学園で有名な卯月友梨奈の小間使いとしてだ。
その頃の彼女は、同じ月の名を持つ財閥の御曹司、睦月光太郎に燃えるような恋心を抱いており、彼の周りに群がる女子生徒を排除するために、アタシをいいように使っていた。
と言ってもそんな酷いことをしたつもりはない。お嬢様は邪魔者は学園追放ですわ! …と毎日のように癇癪を起こしていたけど、根っこが庶民のアタシにはそんな大それたことは出来ないし権限もない。
なので卯月家のお嬢様に怒られて学園にいられなくなる前に、身を引いたほうがいいですよと、ペコペコと頭を下げながら説得という名のお願いして回っていたのだ。
家の格の違いを教えるというか、虎の威を借る狐というか、そんな感じで大抵の女子生徒はアタシに不満をぶつけながらも、仕方ないわね…と身を引いてくれた。
しかし、一人だけ徹底抗戦の構えを崩さない女子生徒がいた。彼女は元々の在校生ではなく転入生なのだが、アタシと同じ一般人でも名家と庶民の距離感というのがわかっていなかった。
そして来る日も来る日も睦月家の御曹司に、無謀とも言える熱烈アタックを繰り返した。
そんな彼女の態度にお嬢様が冷静でいられるはずもなく、当然アタシへの風当たりも強くなる。
日に日にお茶会の席でお嬢様のご機嫌取りも辛くなってきて、そろそろ直接的な妨害工作を行わなければ爆発し、卯月家が直接介入するかも知れない気配を感じ始めていた頃に、事件は起こった。
睦月家の御曹司から、放課後にある場所に来るようにと呼び出しを受けたのだ。その時のお嬢様は自分の思いがようやく届いたのだと狂喜乱舞した。
しかし、呼び出し先の学園の体育館に到着したお嬢様とアタシを待っていたのは、大勢の学園生徒たちによる、身に覚えがない罪に対する糾弾だった。
当然反対して無罪を主張したものの二人対全生徒では多勢に無勢であり、何故か証拠品や証言者も完璧に揃っており、結局その場では自分がやったとは認めなかったものの、後日お嬢様やアタシの親族が学園に呼び出されることになった。
その先がどうなったのかは覚えていない。何故なら学園の廊下を肩を落として自分の教室に向かうお嬢様を、アタシは冤罪ですからちゃんと調べれば疑いはすぐ晴れます。大丈夫ですよ。…などと慰めながら隣を歩いていると、突然後ろから慌ただしく走ってくる誰かの気配を感じた。
何事かと気になって後ろを振り返ったところで、お腹に急に刺すような痛みと共に、火で直接あぶられるような熱に襲われ、アタシはとても立っていられる状況ではなくなり、冷たい廊下に受け身を取ることも出来ずにドサリと倒れ込んだ。
ぎこちなくもズキズキと痛むお腹に顔を向けると、包丁のようなものが深々と突き刺さっていた。
学園のセキュリティーを突破出来るとは考えにくいので、きっと家庭科室から調達してきたのだろう。
お嬢様は大きな悲鳴をあげて取り乱し、続けてアタシの肩に手をかけてにしきりに智子ちゃん! 智子ちゃん! …と名前を呼ぶが、お嬢様…このぐらい大丈夫です。でもいつもは朝倉じゃ…と、軽口で落ち着かせようとしたが、鋭い痛みのために呻き声しか出せずに、すぐに目を開けるのも辛くなり段々視界がぼやけ、やがて意識が完全に途切れた。
そして次に目覚めたら、何故か小学一年生の入学式の朝に時間が戻っていたのだ。
「ヤバイ…どうしようこれ」
嘔吐感は治まったが滅茶苦茶な現状に混乱してしまい、アタシは思いっきり頭を抱えることになった。
ノートにまとめたことで、小学一年生が知っているはずのない知識までも記載されたことで、ますます現実味を帯びてきてしまった。
正直もう一度学園に入学して包丁で刺されるのは絶対に嫌だ。だが当日になってやっぱり入りたくない。別の学校に転校したいと言っても、既に高額の入学金は振り込んでしまった。
お父さんは小さな会社の社長だが、実際にはあまり裕福ではないので、今回の私立学園にも苦心して学費を捻出したのだ。両親からアタシへの溢れんばかりの愛情に、前世は刺されて人生を退場してしまったことに、何とも申し訳なく感じてしまう。
「でもまあ、こうしてアタシが知ったことで、過去とは違った未来になっているだろうし…問題の人物と関わらなければ、大丈夫だよね?」
元々アタシは大雑把な性格をしており、あれこれ細かいことを考えるのが苦手なのだ。難しく考えるぐらいなら、まあいいかと割り切り、勢いのままに口や手を出すほうが断然早かった。
脈絡のない言葉で溢れたノートを見る限り、両親の不仲さえ何とかすれば月の名家と関わることなく、始終脇役に徹して平穏無事に学園を卒業出来るはずだと前向きに考える。
そのままアタシはノートを引き出しの一番奥に入れ、しっかり鍵をかけた。何となく厨二設定をこれでもかと詰め込んだ気がしたので、出来れば二度と開きたくなかった。
そして前世の思い出の殆どが辛く苦しいものばかりなので、こちらも厳重に心に蓋をする。もし何らかのきっかけで心の蓋が壊れてしまったら、アタシは今の自分を保っていられるか、正直自信がない。
何度か深呼吸をしてようやく気持ちが落ち着いてきた頃に、スリッパの足音が二階のアタシの部屋の前まで近づいてきて、続いて扉がコンコンと二回ノックされる。
「智子、もう起きてる? 今日は入学式だから、そろそろ朝食を食べないと遅刻しちゃうわよ」
「あっ…! はーい! お母さん、シャワー浴びたらすぐ行くから!」
アタシはお母さんの声に元気よく返事を返して、急いで身支度を整えるために新しい部屋着を用意して、一階の浴室へと小走りに向かう。
途中で居間でテレビのニュースを流しながら新聞を読んでいるお父さんに、忘れずに挨拶を行う。
「おはようお父さん。最近お母さんとは仲良くしてる?」
「はぁ? 急にどうしたんだ智子?」
「ええと…とっとにかく、お母さんとお父さんは仲良くしなきゃ駄目だよ! お互い何か問題が起きそうなら、一人で抱え込まずにちゃんと夫婦で相談してよね!」
上手い誤魔化しが思い浮かばなかったので、新聞を片手に頭にクエスチョンマークを浮かべているお父さんを横目に、アタシは急いで脱衣所に逃げ込む。
「なあ菜央美、智子は急にどうしたんだ? 昨日まではパパ、ママと呼んでたじゃないか」
「智子は今日から小学一年生よ。親離れはまだまだだけど、子供は成長するものなのよ。きっと背伸びしたくなったんでしょうね。この機会に、少しはオシャレに関心を持ってくれればいいんだけどねぇ」
「そうか。いや、そうだな…ふふっ、成長したと思うと少し鼻が高いか。だが本当にもう少し女の子らしい身嗜みをな…親が何度言っても聞きやしないし」
両親の微笑ましい会話を脱衣所で聞きながら、寝汗で湿ったパジャマを洗濯機に投げ込む。そのまま曇りガラスの扉を開けて浴室に入り、蛇口をひねってシャワーの温度を確認すると、すぐにボディーソープをスポンジに垂らして全身を簡単に洗う。
その後シャワーでしっかりと流したら、ボサボサに乱れたブラウン髪のミディアムヘアをリンスとシャンプーで適当にシャカシャカ洗って終わらせる。
流石に初日から遅刻するわけにはいかないので、手早く済ませたのだ。と言っても、アタシが念入りに全身を洗ったことは、数えるぐらいしかないのだが。
バスタオルで水気を拭き取ると、あらかじめ用意しておいた下着を身に着けてから、室内着に着替える。脱衣場の鏡を見て自分の全身を確認すると、ボサ髪スタイルで、小学一年生にしては既に背格好が中学生に見えなくもない、いつものアタシが映っていた。
体の各部にペタペタと手を当てながら身長や体格を観察して、本当に小学一年生のアタシに戻っていることをしっかりと確認し、時間が勿体なくて面倒なのでドライヤーはかけずに髪はタオルで簡単に拭いただけで自然乾燥に任せ、前髪を少しだけ退けて最低限の視界を確保する。
そのまま子供用スリッパを履いて小走りで居間に向かう。
「おまたせ。お母さん、朝ごはんは?」
「はいはい、出来てるわよ。あとは智子だけだから、早めに食べちゃいなさい」
「ん…わかった。いつも美味しい食事をありがとうね。自分の分ぐらいアタシが取り分けるから、お母さんはお父さんと一緒にくつろいでてよ」
離婚してからの食事はアタシが作るか外食の二択しかなかった。それにお父さんとは一緒の食事は殆どなく、お酒を飲んでいる場面しか思い出せない。
お母さんの毎日作ってくれていた温かな食事がどれだけ得難いものだったのか、別れてからようやくわかったのだ。
現実に戻ったアタシは炊飯器を開けて白米をよそい、続いてガスコンロの弱火を止めた後、湯気を立てているお味噌汁や焼鮭を、変化後の慣れない体を使って、四苦八苦しながらも何とか取り分ける。やはり小学一年生で日常生活を過ごすには、高校生から急に体が縮んたので色々と不便に感じてしまう。
「あらあら、本当に急に背伸びしちゃって、ちょっと寂しいわ。そんなに早く大人にならなくてもいいのよ?」
「別に無理してないよ。でも寂しい…で、思い出したけど。
アタシの代わりにお父さんにもっと構ってあげてよ。お父さんって表には出さないけど、実はすごく寂しがりやだからね」
前世の離婚の原因はよくわかっていない。お母さんには相手がおらず実家に帰ったので、浮気ではなかったが、気づいたら離れ離れになってしまっていたのだ。
そもそも当時子供だったアタシに人の心がわかるかと言うと、家族でもはっきりとわかるものではなかった。
ただ、酔いの回ったお父さんがお母さんを恋しがっていたのは、寝言で何度も、菜央美…と口に出していたことで十分に理解できた。
「おいおい! 俺は寂しがりやなんかじゃないぞ!」
「でもこの間、寝言でお母さんの下の名前を聞いたよ」
アタシは証拠を突きつけることにした。実際にはもう少し先の未来の話だが、どちらにせよ父が母を愛しているのは事実なので、何も問題はないだろう。
現に二人はお互いを真正面から見つめ合ったまま、いい年して顔を真っ赤にし、照れている。
「貴方…私のことをそこまで…」
「ちっ…違…わないな。ああ、その通りだ。俺は菜央美を愛している!」
「ええ、私も周蔵さんを愛しています!」
お父さんは手に持っていた新聞を机に置いて立ち上がり、潤んだ瞳で夫の様子を見つめているお母さんに向かって、一歩ずつ近づいていく。
そして壊れ物を扱うように優しく両肩に手を置くと、ゆっくりとお互いの名前を呼びながら、柔らかな唇を重ねる。
アタシから焚きつけたことだけど、この焼鮭はやけに甘く感じるなと、目の前の光景を見てそう思ったのだ。
しかしこの様子なら、関係が冷え切って離婚はないだろうと少しだけ安心するが、ここで油断はいけない。これからも異常はないか見守らなければと気を引き締める。
だが定期的に関係調査をするたびに、今回のように口の中が砂糖で甘くなるような光景を見させられるのだろうなと、家族円満はいいことなのに、どうにも気が重くなるのだった。