第三章 9 【拳狼、人狼】
「…は」
拳闘死合のリングを下に臨むVIP席。防音も完備されており、感情に流されて笑っても良し、泣いても良し、叫んでも良しの仕様。
「…ははは」
であるからして、男は情けなく胸の内から湧き出る憤慨と茫然自失の感情に板挟みにされる様を露わにしていた。
「み…見たか、ラトプ?」
「ええ、見ましたとも」
ジグ・ドグゥ公爵は隣に座るナイアル・フォン・ラトプ辺境伯へと問い掛ければ、目を落とし微笑む彼の返答は一時をも待たず。
そんな簡易的な再確認が必要なぐらいに、眼下で起こった一瞬の出来事――――その驚きに値する攻防…もとい、攻勢一方に終わった“白銀”の彼の死合については信じられない。
「魔喰獣をハイキック…しかも一撃で沈ませるとは……」
「ハハッ、作戦は失敗ですな?」
「うるさいぞ、ラトプ」
正にバツの悪い。皮肉を述べて失笑する辺境伯を公爵は睨みつけるのであった。
そもそもな話、コベルニクスの女王へと“拳闘死合”の提案をしたのはジグ・ドグゥ公爵。つまりは主催者であるからして、コベルニクスの代表者を徹底的に潰せるカードを組むことができるのは当然。
しかし、結果は真反対の大裏目。
違和感が無いように人間からのトロール、巨人とのクォーター、魔獣と常人が勝てぬような相手を出した訳だが、コベルニクスの代表は決勝戦までいとも簡単に進んでしまった。
「かー…クソッ! あやつは何かしておるのか?!」
「いいえ、魔法やスキルの類は一切」
またもや辺境伯は即答。上手くいかなすぎた仲間の作戦を失笑しつつ、さりげなくフォローをする。
「まあ、大丈夫でしょう。こちらには拳狼…彼が負ける訳はないので大手を―――――」
言葉尻を終える前に辺境伯の顔色と口元が真剣な物に変わり、素っ気なく話は途中された。当然、公爵との会話に彼が飽きたわけではない。
こめかみに手を当てる辺境伯は宰相、魔導師としても一流の存在。故に、宮廷魔導師である彼は公爵や王とは違って魔道具なしで遠距離の相手とも通話が可能。なので、ジグ・ドグゥ公爵もよく見る光景だと察し、押し黙ったのだ。
「誰からだった?」
押し黙る事が幸いしたのか、落ち着きを取り戻した公爵は興味本位に聞いてみれば、彼自身も顔色を変える案件。
「王より、大至急こちらへと戻るようにと」
「…そうか。死合の結末を見たい所ではあるが、王よりの徴集なら急がねばな」
手に持った果実水を机に置き、手早く出立の準備を二人は終える。
「しかし、どうやって王都まで行く?」
辺境伯邸から王都までは二日と少し。当たり前の疑問に、ナイアル辺境伯は宮廷魔導師らしい解を口にした。
「転移門を使いましょう。ワタクシの部下が調整をし終えたので」
「ほう。もう終わっていたか」
流石は宰相を任され宮廷魔導師をも担うナイアル・フォン・ラトプ辺境伯。王の御下命となった自身の案を迅速に終える。
信頼、信用に値する男だとジグ・ドグゥ公爵は彼の姿勢について改めて感服しつつ、王都に直行する転移門へと二人は足を運ぶのだった。
(後はまかせましたよ。イェットバー)
「準決勝…残るは我の試合だけか」
選手入場口までの廊下。
つかつかと底の薄い靴音を鳴らしながら“拳狼”ウーロ・ヴォルフはシード枠であり、早々に終わりゆく拳闘死合に対して、寂しい思い半分に心を躍らせる。
(クハハ、それにしてもなかなか骨のある若造よ)
思い浮かべるのは先の一戦。
決勝に上がらんとする地震への挑戦者がどんなものかと、監視の目を掻い潜って物見遊山に死合会場に足を運んだ時の事だ。
力や体重が数倍をも優れた魔喰獣を小耳に挟んだ冒険者の男が、赤子の手を捻るように文字通りソレを一蹴したのは記憶に新しい。
(確か…ローとか言ったか? 今から拳を交えるのが楽しみで……――――ほう。)
響き渡り、聞こえる歓声に司会のアジェより賭け比率の提示。
いつも通りの死合会場。
いつも通り、所定の場所に靴を置いて会場へと歩を進めるウーロ。しかし、その中にいる歪なモノの気配、即座に感じ取れないわけが無い。
「血の滾る臭いよ」
久方ぶりに“強者”と呼べる存在に相対した彼は、高ぶる感情を抑えるべく足を早々に運ばせていつの間にか闘技場へと到着。
「フゥー……」
ならばと、拳狼は両足と目を閉じて後ろで腕を組みながら、肺に空気を深く入れて吐き出すことで精神を統一。元より血の気の多い彼であるが、こうする事で相手を殺すことなく死合を終えれるのだ。
耳からあらゆる雑音を掻き消して、己が心の音のみを波のさざめきが如く耳打ちにこだまさせる。
先の失態から学び、ウーロ・ヴォルフは殺気と殺意を早急に静めた。
(よし。良いぞ、是でやりすぎないで済む……か?)
ただ、気を静めた彼の鼻を―――餓狼の空腹感を眼前に映る男はくすぐる。
〔飛竜の方角ッッ!! 今日までの死合は全て無敗。無口ながらに、イケメンながらに、超大型の新人。その所業、第二の“拳狼”となるか?! “ピットファイト”イェットバー・ジューリィィィッッッッ!!!〕
地毛であろう青紫の短い頭髪と黄色の瞳、身体つきは細めで着ている服は深緑の長ズボンのみ。
いかにも普通などこにでもいそうな若者であるが、その佇まい――――尋常ではない。
〔皆さま、賭けは済みましたね? では、死合開始とまいります!!〕
観客全員の賭けも終わり、後は死合を始めるだけだ。
強者であろう目の前の彼へと、ウーロは気を高めながらに無駄なく研ぎ澄ませる――――準備は出来た。
〔下剋上となるか、それとも拳狼が悉く圧倒するのか?! 武器の使用以外を一切認める、拳闘死合……開始ィィィッッッッ!!!!〕
ゴングが鳴り響き、最初に身構えたのは若輩の挑戦者。
イェットバー・ジューリは脇を開いて両の手をこちらに向けて、右足を一歩下げる事で半身に。組みやすく、殴りやすい構えを取る。
続けてウーロ・ヴォルフはいつもの通り、餓狼の構え。
右足と右腕を前に若干浮かせ、脱力しながら突き出し構えて左は深く落とし握り込んだ。
(ク…)
昂ぶりから洩れそうな歓喜を“拳狼”は奥歯で押し殺しつつ、相手を睨む。
そうして、何を思ったか。唐突に構えを解いて、すぐさまにウーロは歩を進めてリング中央へと到着し、構え直した。
「クハハ…是で戦いやすくなったであろう?」
彼からすれば、ほんの準備運動とばかし思っていた準決勝戦。その実、誰もが震えあがる“拳狼”の殺気をものともしない力を持った“挑戦者”を目の前にしては、歩は前に進み、隠した牙を剥き出しにしたくなるというモノ。
〔ど、どうしたのだ?! 動かない…先程の“拳狼”歩み以降、一歩一動作たりとも両者動かないッ?!!〕
荒野を駆けるガンマンのように、相対した侍のように。
睨み合う両者は一つとして、感情さえも譲らない。出方を窺う、気を窺う、委細動かず位置が定められたかのように。僅かながら永遠の時が過ぎようとしていた。
「………………ハ」
死合内容にのめり込んだ観客席の貴族が持つガラス細工のコップが落ちるまでは。
「………」
掛け声などは無い、発する声も無く。
「クッ?!」
仕掛けたのは“挑戦者”イェットバー・ジューリ。
狙うは顔面。神速とも謳えるその攻撃は『組み技』や『殴り』ではない、相手を地面に縫い付けるが如く踏み殺す『踏み落とし』。
思わぬ足技に意表を突かれたウーロだったが、すかさずに身を翻し事なきを得る。
「破ッ!!」
続けざま、反撃には足を地に着け、腰を落とし、身体の中心に沿って五連撃。
下から上に、腹から頭骨にバシュヌへと喰らわした必殺の正中線五段突き。避けられることなく、これまた神速の手腕。
「クハハッ」
思わず歓喜が洩れてしまう。これほどまでの実力か、と。
若輩の“挑戦者”は何とあの連撃を“拳狼”がしたのと同じように身を少しずらし、傾ける事で衝撃を受け流したのだ。
しかも、なんとも無い様な涼しい顔で。
「…」
そうして来るは第二の一閃―――右に重心を移動させ、軸とし、左足での上段蹴り。
ここまで差し迫った近距離であるなら直撃は免れないだろう。
実際、詰められたウーロが後ろに下がったとしても相手の射程距離から逃れる事できず、右に避けたとしても拳での突きが自身の脳髄を穿つはず。で、あるからして、避けられない頭蓋めがけて蹴りが当然に迫る。
「カッ」
無敗を謳うは虚言では無し。ならばとすかさず、頭蓋ではない防ぐ左腕で“拳狼”は受ける。
それはつまり反撃の機会を見出す瞬き。
武闘家は服装にも気を配らなければならないと、死合を見る者らはこの時初めてそう感じ取った。
〔投げたッ?!!〕
簡単な動作だった。
相手のズボンの袖口に指を二本入れて掴み、右足を軸に身体を回して投げる一本背負い。
「いや、投げられてないぜ?!」
観察眼の良い金髪の観客の言葉通り。
投げた先、ウーロの綺麗に入った一本背負いに対してイェットバーは両手で安全に着地。手を足の代わりに足を攻勢に扱う事で“拳狼”が掴んだ袖口の手と顔面に向かって、踊るようにその長い足で連続蹴り。
堪らずウーロは手を放し、双方距離を取れば、彼は正体を現した。
「クハハ、“拳狼”が“人狼”と対決か!」
唸りながら口は頬まで裂けて牙をむき出しに、黄色の瞳と顔半分にまとわりつく毛は獣特有のソレ。
亜人に対して敏感な観客がどよめかないのは不思議であるが、ウーロ・ヴォルフの目の前の彼は実在する存在――――人狼だったのだ。
「クハハハッ、良いぞ!!」
相手の強さを理解し、なお良しと構え直す“拳狼”。
無言に相手を殲滅すると、指をさし狙いをつける“人狼”。
「…」
先に動いたのは人狼だった。
〔何という速度?!! は、速い! 速いぞッ!!〕
強化ガラスを壁伝い、縦横無尽に跳躍。そして、天井のライトを背に死角からの強襲を行う。
「ハァ……フゥー………」
後に動くは“拳狼”。
(速い…人狼とは名ばかり、見てくればかりではないな)
肺の中から空気を全て出し切り、吸ってから目を閉じる事で神経を張らせる。構えは、上段と下段に拳を置いて、弧を描くように身体を正す。
「…」
ライトの優位が意味を成さなくなった以上、イェットバーの動きはさらに加速し、攻勢に移った。
〔恐らくは足蹴りだったでしょうか?!! 全く持って見えませんッ?!〕
目に頼らなくなったことが功を奏したのか。
ウーロは左腕で迅速の蹴りを間一髪に防いだ。しかして、避けるごとに防ぐごとに加速していく。
「…」
風のように、雷鳴のように轟く“人狼”の動き。目で追う事もはばかられるソレを喰らえば、骨は折れて皮膚は千切れていく。
何とか“拳狼”は神経を集中させて、その全てを防いでいるが、それも時間の問題。
〔拳狼が追い込まれているだとぉッッ!!〕
飽き飽きとしたいつもの通りの勝利。
【黄金黙示録ジパング】のギルド拠点第六層、【剣の丘】が四天王“人狼”イェットバー・ジューリは思った。
所詮は人間、こんなものかと。
観客も事の流れに次第にどよめきつつある。手も足も出せず、最強の拳客が終わってしまうのかと。
「…」
縦横無尽にリングを飛ぶのを最後。イェットバーは決着をつけるべく、止めを刺しに行く。
人外の動きで地面と平行に跳躍する事で、狙い穿つは喉元。得意の右で足蹴るのみ。
「掛かったわ」
そんな奇妙な勝利を確信するかのような呟きが聞こえた気がした。
改めて相手を見る―――喉元には足先が直撃、とてもではないが声を発することができる状況じゃない。はずだったが、
『敢えて』である。
敢えて喉元で“拳狼”は足蹴りを受け止める事により、顎でつま先を挟み衝撃を流したのだ。
さすれば地面に急直行。だが、織り込み済み。
「…」
地面へと身体が落ちる寸前、“人狼”は使っていない左足をばねにして、掴まれている故に蹴りで無く拳を放った。
(されど、是こそ織り込み済みよ)
ウーロは迫る左腕を掴んでから重心を移動させる。そのまま流れで左腕を下ろし、
「…小手返し」
観客の誰かが呟いたのも束の間、もの凄い勢いで体は地面に急落下。その後、踏み落とされたイェットバーの記憶はぷっつりとない。




