第一章 3 【異世界、そして現状確認】
意識を集中させて起床すれば、後頭部を柔らかな感触が包み込んでいて頸椎の激痛を癒している。
「お気付きになられましたか? ロー様」
そうして痛みは消え去って、起床時特有の気だるさが身体を僅かながらにこわばらせて。
温和な声に誘われ、未だまどろみつつも瞳を開く。
さすればと。美しき女性が木漏れ日を背にして暖かな面持ちでこちらを覗き込んでいる。
その顔と声、恰好には覚えがある。
肩まで伸ばした翡翠色の髪、人間ではない少し垂れた長い耳、左右の瞳は蒼と朱の虹彩異色。
着ている服は綿麻で織られた翠玉色のシャツとショートのデニムパンツ、腹部を守る革の鎧と同じ材質のブーツ、魔術師のローブが合わさった特注品。
その容姿、性格、例えるのなら届かぬ太陽の如く、か。
「…あ、フィリアナか?」
明るく優しい彼女の名を忘れるはずもなく。すぐさまに思い出して口にすれば、満面の笑みで頬に手を添えられて告げられる。
「はい。貴方様のフィリアナです」
知っているとも、憶えているとも―――――しかし、しかしだ。
(………何が、どうなっているんだ?)
自分こと、十川四朗は今現在において自身の状況が全くもって呑み込めないでいた。
何故か、と問われればそれは至極簡単な話だ。
こちらを覗き込んでいる彼女という存在にこんな事を言われる筋合いは無いし、理由も無い。ましてや彼女の表情がこんなにも柔らかく滑らかに―――――まるで生きているかのように動く事も無いからだ。
「膝枕しておる!? ズルいぞ、フィリアナよ!!」
「オイオイ、天下の皇帝陛下サマが膝枕なんていいのかよ?」
聞き覚えのある二つの声に耳を傾けて気だるさにうつつを浮かす頭を動かせば、フィリアナのふとももを自分は枕にしていた。
「二人とも静かに。ロー様は今起きたとこなんだから」
「いや、大丈夫だ。すぐ起きるよ」
名残惜しく思いつつも気恥ずかしさが十川の身体を動かし、おもむろに上体を起こす。そうして、少し幼げな声と活発な声の方向へと視線を移せば、これまた覚えのある女性が二人。
「なーんだ。全然ピンピンしてンじゃねーかよ」
こちらを覗き込んでから呆れたように両手を腰に置いて肩をすくめるのは、額に立派な赤黒い角を二本生やした女性。
もちろん、彼女の事も知っている。
燃え滾る様な瞳と髪を雑に上げたオールバックもどきのやや長い髪、藍色で焔の装飾を施した羽織と胸にはサラシ、だぼっとした深緑の脚衣。
シメには朱色の下駄を履いて、設定通りに“鍛冶屋の一人娘”という見た目と言葉を濁さない真っ直ぐ活発な性格は言わずもがな。
「そうじゃなー、妾らが辺りを警戒するまでもなかったのじゃ」
幼げな声で溜息交じりに『のじゃ』を語尾につけて喋るのは、艶やかな黒い長髪と金の瞳を持つ少女だ。
上半身は袖の膨らみで手が隠れている和服もどき、下半身は短めのスリットスカートを穿いた全体的に黒と紫が基調の大人びた服装だ。少し底の厚い靴を履いている為、どことなく背伸びをした子供の雰囲気を纏った十二歳の彼女。
もちろん、十川四朗は知っている。その見た目のみが人間の十二歳である事を。
「…………」
十川四朗は口を噤み、僅かながらに思案する。
その容姿、性格等…彼女達の事は再三と言うが既知である。しかし、それは自分自身が遊んでいたゲームでの話――――春風が吹き、暖かな陽射しが照らすこの現実ともいえる今ではない。
ならば、どう会話を切り出せばいいのか迷う所だ。
口調を変えるか、素のままで押し通すか、それとも終始無言で務めるか。NPCという存在をどう扱えば最適なのか。
(……いや、取りあえず会話をしない事には始まらないよな)
迷いはあるが幸いにも彼女達の口調からして十川を慕っている様子。だったら、当たって砕けろの精神で直近の話題を聞くのが妥当であろう。
「火煉、ニーナ。周囲の状況はどうなっている?」
十川四朗の言葉にどう反応するのか――――その答えは、秒を待たずして少女より帰ってきた。
「周囲の状況は先の場所に似ておる………しかし、今いる草原と森や山の位置があべこべで恐らくは別の場所に転移したと思うのじゃよ」
「そ、そうか…」
存外にも早いニーナの返答に若干言葉を詰まらせるが、すぐさまにその違和感へと辿り着いたのは収穫と言えよう。
「じゃあ、手鏡…持ってるなら貸してくれるか?」
「…手鏡? ふむ。火煉、お主持っておったであろう」
「いいぜ。ホラ」
不思議に思われつつも十川は火煉よりヒマワリの刺繍が施された手鏡を受け取り、覗き込む。
「や、やっぱりか……」
その違和感とは鏡に映り込んだ自身にあった。
深紅の瞳に前髪を少し上げた漆黒の髪、高圧的だが人々に好印象を与える清廉な顔立ち。着ているのは高価そうな足元まで丈のある純白のロングコートで襟には飾りの革ベルト、胸から腹にかけては同様の物が前身を留めている。
(…ああ、そうとも。NPCである彼女らを見て“あり得ない”って、考えない様にしてただけさ―――)
脇腹部分には雑嚢や武器をぶら下げる大きなベルトが二つ、腰には一つ、肩甲骨同士を結ぶように一つ。腕部分はというと炎と嘴をイメージした大きく開いた袖に漆黒の手袋。股下に余裕のある赤っぽい黒のズボンを穿いて、銀の金具が付いた黒いブーツを装着している。
その服装、一言で言い表すならコスプレ紛いのシロモノ。だが、服の質や触感は実用的な高級品。
そして十川四朗はこれらの顔、装備、全てが見慣れた造形物であり、同時に彼自身のモノではなかった。
(―――でも、どうして……俺が、俺の身体がッ、ゲームで作ったキャラクター『ロー・ハイル・ヘルシャフト』になっているんだ?!!)
心情こそ動揺を隠せないでいるが、“ロー・ハイル・ヘルシャフト”という創作した人物の肉に宿る“十川四朗”はその焦りを悟られない様、顔に出さない様に状況を整理するべく立ち上がって一歩、二歩。
「どちらへ行かれるのですか?」
「ああ、えっと………少し考え事だ。」
木の裏に移動してから腕を組み、身体をもたれ掛け、頭をフル回転させて昨日の出来事を鮮明に思い出すのであった。
●
十川四朗、年齢二十二歳、一人っ子、独身。都内の高校を卒業した後、他界した両親の家の権利を引き継いで暮らす平凡なフリーターである。
そんな彼は数年前、とあるゲームに巡り合った。
―――その名は【ブレイスラル・ファンタズム】
発売当時、家庭用ゲームとしてオンライン、オフライン共に最大規模のデータ量と自由度、売り上げを叩き出したロールプレイングゲームだ。
自由度として、オフラインでの仲間となるNPCを三人と自分自身のキャラ一人を事細かく作成することができる。
本編ストーリーにおいても、クリアするのには三百時間と必須。オフでも十分楽しめる内容だ。
対してオンラインは攻略という概念が存在するものの、攻略に掛かる時間はオフラインの倍でエンドコンテンツも倍。
本編で作成したNPCや自身のキャラをそのまま使用でき、武器や防具の見た目、能力の強化も規定はあるが自由自在。
技、魔法を会得する為のクラスの組み合わせは二万通り以上で、自分に合わないキャラクターは作れない程である。
その【ブレイスラル・ファンタズム】は十川四朗の人生を変えたといっても過言ではなく、彼のやり込み度は中々のモノだった。
強さの基本となるレベルの上限は百二十レベル。
自身のみのレベルを上げるのであれば簡単だが、一人二人と仲間を引き連れるならパーティレベルの合計の二倍で敵の強さが算出されるためレベル上げは困難そのものを極める。
ならば、一人ずつと仲間を強くしようとしても結局は同じで、NPCを拠点に預けていてもそのルールは適用される鬼畜仕様。
対し、彼は真っ向から挑んで見事勝利した―――――四人共がレベル百二十という結果を持って、だ。
しかも、しかもである。
古参のゲームプレイヤーでも習得した人が少ない近接最強クラス【武神兆雷】を彼は修めており、NPCの一人“フィリアナ”には魔法系最強クラスの一つ【虹色の魔導元師】を習得させている。
団体戦や個人戦においては、世界ランク二十位以内に二度食い込んだことがある実力者が彼、十川四朗なのだ。
そうして、時は来た。【ブレイスラル・ファンタズム】八周年記念の時が――――。
毎年と行われるゲーム内の記念行事は希少なアイテムや素材、武器などをゲットできる期間なのだが、八周年を祝う今年は他の記念祭に比べて文字通り景品の質が違ったのだ。
イベントの参加は自由で申し込むだけでも良し、参加しなくとも良し。
内容については火山地帯で大量発生したエンシェントドラゴンの討伐数を競うというもので、景品についてはゲーム内の希少金属や防具に通貨などではなく―――――なんと驚くことに、現実世界でのプレゼント…もはや新作の【ブレイスラル・ファンタズム】とも言えるVRA版【ブレイスラル・ファンタズム・リユニオン(仮名)】のベータ版が機材ごと無料で貰えるのだ。
当然、この豪華すぎる景品については真偽等ネット上で様々な憶測が流れたが、十川四朗は気にも留めずイベントに参加。そして、その栄誉を獲得できる討伐数百位以内に食い込んだのであった。
「フ…フフフ………」
夕暮れ時の商店街、機材が届く当日という事もあってか十川の心のニヤニヤは止められず、ついには声に出してしまう程の今日この頃。
彼としては人生で一番楽しんでやり込んだゲームの最新作を触れるという事もあって、この一年の三分の一の有休を今日より消化する準備は完了済みである。
「おっ!!」
急ぎ足に家路へと付いて自宅へと目を向ければ、家の前に泊まっているのは四トンの配送トラックが数台。しかも、【ブレイスラル・ファンタズム】の発売・製作元『ライフ&ピースマン社』のロゴが描かれた専用車両。
「あのー…」
玄関の前に立っているのは恐らくは従業員であろう黒のスーツを着た男性だ。
「十川様でいらっしゃいますね。この度はイベント上位入賞おめでとうございます。私は広報部の……―――」
声を掛ければ名刺を手渡され、流れる様に茣蓙の敷かれた居間へと機材の説明と設置が行われた。と言っても、特筆して注意するべきことがある訳ではなかったらしく。
彼自身の仕事を終えればトラックと共に早足に帰って行き、残されたのはワクワクとドキドキの止まらない十川四朗一人だけである。
今回貰ったVRAというのはその名の通り、『現実世界で身体を動かしてVR世界に没入する』装置だ。
直径三・五メートル強の三百六十度走り回ることのできる円型ウォーキングマシンが地面の役割を果たし、中心の人物を囲むように立つ八つの柱と柵に付いた無数のカメラで対象の動きを認識する豪華仕様のゲーム機材。
見た目こそ黄色で簡素な鳥かごのようだが、一般人では到底購入できないような一品。逆を言えば、全身をコントローラーとするには、このぐらいの設備が必要だろうとしみじみ。
おまけに最新機器という事もあり、その値は計り知れない。
「食料ヨシ! 飲み物ヨシ! 休暇ヨシ! VRヘッドセット…装着よしッッ!!!」
冷蔵庫、カレンダーと指さし確認し、電源を付けてVRヘッドセットを被り、装置の音声指示に従い、プレイヤーの位置情報が入力されて準備万端。
歳に似合わずとても気持ちが昂ってきた。
後は本格的にゲームが起動するのを待つだけだ。
「えーと、ここで微調整。アカウントの紐づけは………これかっ!」
赤いプログラムコードが上に流れ、しばらくすると視点の微調整や確認画面が表示されたので事細かに入力、調整は完了。
アカウントを紐づけてβ版起動用のパスワードを打ち込めば――――遂に起動した。
「うっひょー! スゲーッッ!!」
広大な草原が目の前には広がり、供回りには見知った仲間が三人。
装備についてはアカウント情報に登録された装備を身に着けており、細部まで見事に再現されている。
ただ、表情や体の動きはまだぎこちない。
(ま、β版だし仕方ないか…。今後アップデートで製品版になるっていうし、今は妥協しよう)
残念に思っていた所、軽快な効果音が突然鳴り響いて同時にチュートリアルが開始された。
〔アイテム欄から魔呪全書を選び、手にお持ちください〕
機械的な女性の声と共に表示された空中に浮かぶ赤い文字には、アイテム欄の開き方や装備の仕方などが書かれている。
指示に従って魔呪全書という本を手に取れば、間を置かず続いての説明が始まった。
〔では、魔呪全書の説明を開始します。―――――魔呪全書とは、世界観、NPCや自身のステータス、覚えた呪文、スキルや取得アイテムの閲覧と使用を可能とする…いわばVRA版での“ゲームメニュー”となります。なお、スキル等を使用する際は魔呪全書用いて発動する事となりますが、音声認識や動作認識での発動も可能です。この設定はオプションで後から変更可能となります〕
確かに、銀と金の装飾が施された辞書並みの本――魔呪全書――を開いてみれば、音声説明通りにゲーム内設定や今まで覚えたスキル等が記載されている。
自キャラのステータス、種族名から十川のコリコリに凝って書き下ろした設定までも詳細にだ。
(今思えば、誰に見せる訳でもないのによくこんなに書いたよな~…)
設定欄に書かれているキャラクター名は『ロー・ハイル・ヘルシャフト』、オンラインでの通り名は簡素に『ロー』の二文字。
レベルはもちろん百二十、種族は人間種の最終進化である【カムイモノ】。そして長々と興と脂の乗った設定を要約すれば、ヘルシャフト帝国という架空の国の元皇帝である。
(でも、文字化けも無くて安心したな。設定のバックアップなんて取ってないし…)
自身のキャラを閲覧し終え、ページをめくればNPCの設定が目に入る。
十川四朗はかなりの設定魔でローを含めた四人の設定は事細かく書き連ねており、それこそ短編の小説ができる程。
(よしよし。今のところ不備はないな………と、何の音だ?)
一応の確認として流し読みで彼女達の設定を見ていると、今度は気持ちが早まる様な高音が鳴り響き始めた。
顔を上げて見てみると利用規約の文面が浮かび上がっており、どうやらソレの催促音だったらしい。
(……別に気になる項目は無いな。あ、ゲーム実況についてもしっかり書かれてる―――まあ、しないけど)
文面に触れると催促音は消えて、まじまじと規約を読む時間が訪れる。
下にスクロールさせて内容を把握するも、特筆して代わり映えのしない規約―――――だった。
「え、これタイプミスか……?」
ゲームに熱中しようとする彼が声に出して驚くほど、その打ち間違えは決定的で印象的なモノであった。
規約の最後尾、同意するか否かの選択肢の上部。
書かれていたその規約とは、本来ならば魔呪全書に記載されているような文面の一つ。
「えーと、『汝、命を賭けて玉座に座らんとする者ならば契約を認証セヨ』………」
三秒ほどの間をあけて、現実を認識した十川四朗は大きく肩を落とす。
(なんじゃこりゃ。完全に文章構成の消し忘れじゃないか…)
誤字脱字や多少のバグはまだいいとして、だ。
待ちに待ったβ版だというのに、未知のゲーム体験前だというのに、こういったストーリーの伏線のようなモノを消し忘れて、規約の文面に入れてしまうのは流石の自分でも落胆してしまう。
「まぁ、いいか」
出鼻こそ挫かれたが長期の有休の価値がある【ブレイスラル・ファンタズム】の新作だ。
もう新しい世界は目の前に広がっており、そんな変な文章があろうとも押さずにはいられない。
「同意、と」
宙に浮かぶ【同意する】のアイコンに触れて、煩わしい文字は横や縦方向に捌けていき、続いて始まったのは得も言えぬ浮遊感であった。
「――――――?」
声が出ない、口が動かせない、身体も同様に指一つとして。
(痛―――ッッッ?!! え。な、なに? なんだ!?)
頸椎に激痛が走る。
まるで頭と身体を首の部分で両断されたような。
意識は暗闇に溶け始め、
十川四朗の自我は真っ逆さまに落ちていった。
まるで頭と身体を首の部分で両断されたような―――――否、“まるで”ではない。
円形の床に転がるは、二つの肉塊と深紅の水溜り。
水溜り、それはそれは綺麗な彼岸の模様を映し出し。
二つ肉塊、それはそれは綺麗に無様に真っ二つ。
十川四朗、二十二歳、独身。
首を刎ねられた事による失血死でその人生に幕を閉じたのであった。




