第一章 2 【ハンナ・カンベルトの幸運】
ガタガタと居心地悪く揺れる感覚に瞼をゆっくりと開けば、木と皮で出来た骨組み丸出しな天井がハンナ・カンベルトを出迎えた。
(……荷馬車の中?)
幼少期、親の仕事や小旅行で町へと赴く際によく見た天井、村に三つとしかないうちの一台。だからこそ、自身が何に揺られていたのかは瞬時に理解ができる。
(…でも、どうして?)
しかし、だ。
アレからどれほど気を失っていたのだろう、村はどうなったのだろう――――そんな疑問よりも先に覚えたのは、今この状況の不自然さである。
大怪我も傷も一つとして無く、万全とも言える自身の身体。普通に考えて、あのような凶悪な魔物に対峙すれば無事で済むわけが無かったはず。
その不自然さに答えを得たのは、仰向けに寝転がった身体を深呼吸しつつ起こそうとした時だった。
「………もごっ?!」
自由に動かない両手と両足、叫ばぬようにと口には猿轡。
話は単純。不自由さを強いるようにハンナ・カンベルトは拘束されていたのである。
麻の縄にて足は前に、手は後ろに。口には丸めた布、口元には轡を固定するようにほつれ気味の布が痛いくらいに堅固に結ばれて。―――――まるで逃げ出さない様に、と。
「気が付いたか…」
そう言ったのは馬の手綱を器用に右手のみで扱っている渋顔の中年。
ハンナ・カンベルトの知る人物であり父の友人。
「…もふははん」
そのふくよかな体型と彼の怪力はクオイという魔物に負けず劣らずの豪快な人物だ。しかし、今の彼にその豪快さは微塵も見えず、こちらに向ける背中には後悔と哀愁が漂っている。
「………」
どこか小さく見える父の友人に対して、つい言葉が詰まる。
何で左腕が折れた状態で御者を勤めているのか?
どうして自分は両手両足を。或いは逃げ出さないに、叫ばせないように縛られてるのか?
怒りにも似た疑問は尽きることなく降ってくる。しかし、ハンナが感情に任せて睨みつけて唸るよりも早く、モルダの言い放った一言が感情の全てを冷静にさせる。
「すまない、こうするしかなかったんだ。」
●
話を聞けば、あの人間ゴリブこと『シルベ』は村に二つの要求をした。
一つは、一週間分の食料。ここ最近この地に来たばかりで、懐事情がさみしいそうだ。
一つは、顔の整った女を一日に一人づつ。まず初めにハンナ・カンベルトを馬車で明日の昼過ぎに、誰にも見つからず南方の洞窟に持ってこいとのこと。
初めは当然拒んだプカド村の住民であったものの、モルダの左腕が見せしめに潰され、駐在する冒険者ならび自警団数名が『シルベ』の提案に逆らって立ち向かうも瞬殺。惨劇に手の平をクルリと翻し、快く要求を飲まされたそうだ。
「と、まあ…これが事の顛末だ。ありゃ本物の化け物…三級の冒険者が紙くずみたいに殺されてな……みんな意気消沈で逆らう気力も起きなかったよ」
「………」
生き残った者の自慢話が如くモルダはひらひらとへし折られた左手を見せつけ、彼の謝罪で鎮火したはずの怒りが心にもう一度湧き上がる。
理解はできた、そうするしかなかったと納得は出来る。でも、それは人間ゴリブが村を攻め落とした昨日の話。
「どうして、領主様に報告しなかった。て、顔してるな」
なら、出来る事はあったはずだと。
ハンナ・カンベルトの視線からにじみ出る疑問はもっともだと、モルダは頷いた。
「…………したさ。でも、村一番の馬乗りのハンスは帰ってこなかった」
領主様の屋敷は村から少し遠いく、馬ならば最短で半日の距離、歩きでは一日と少しの距離。
人間ゴリブが要求を伝えて村からいなくなったのを見計らい馬を出せば、深夜となってはしまうが今現在の要求までに十分間に合うであろう距離。
「ふぇ……?」
自分がここまで不運だとは思ってもいなかったからか、喉元まで湧き上がっていた怒りがぐったりと腹の底へと沈下。
プカド村とハンナ・カンベルトもう詰んでる。ソレを悟るのにはモルダの言葉は十二分な答え。
(………)
村に力自慢は多くいるが、魔物との戦いに長けた者は駐在する冒険者を除けばハンナの両親のみ。
その両親はというと、コルコタという町に出稼ぎに出ており、一報を聞きつけて村に帰るとしても野宿を挟まずとも三日の帰路。距離的に近いテリュール王国に応援を要請するにせよ二日は掛かる。
それに領主様の元へ向かったハンスは元王国騎士団員。後輩である下級冒険者よりも対人戦に長けていて強い。が、その彼は半日経ったのに村に戻らない。
おまけにここから命大事に逃げ出そうにも、ぐるぐる巻きの拘束中。
つまるところ、戦力も救援も逃げ出す足もない――――詰みである。
「まあ、そのなんだ。そこまで気を落とすことはないぜ? こうやってお前を運んでいるが、今頃村の連中が領主様の屋敷に大急ぎで向かっているだろうから……何かあるまでには助け出せるだろうよ」
約束した時刻に積み荷を届ける以上、監視の目は緩くなる。と、精一杯のモルダの慰めにハンナは現状を正しく理解してうなだれた。
いくら領主様の屋敷に人を向かわせたとしても、相手はあの統率の取れた魔物の群れとその頭目。村民の数が上回ってるとはいえ、人海戦術ではどうにもならない実力差だ。最悪を察するに、人骨の貝塚が出来て終了であろう。
「あ、あー……はぁ」
バツの悪そうに隻腕の御者は口ごもりつつ、言葉を選ぼうにも選べず。人身御供の少女から目を背け、黙々と自身の仕事に専念した。
彼の態度に文句の一つも言いたいところだが、口や手足は動かず喋れず。
「アグっ……?!」
どうにもならない状況でせめて横になろうと。荷馬車後部の食料盛沢山な革袋の山に全体重を預けようとするも、大事の小事と言わんばかりにハンナ・カンベルトの右肩にチクリ。
老朽化でまさしく頭角を表したイヤに鋭い釘が不幸体質よろしく刺さり、ハンナは心の中でため息をついてからそれを避けて改めて天井を仰ぐ。
(……どうなるんだろ、私)
ここで逃げても結果が変わらないことは目に見えているし、この拘束具合では無理だ。
だったら開き直って現実を逃避する妄想に浸るのも悪くはないだろうと、ハンナ・カンベルトは到着するまでに起こり得る出来事を考えてみる。
(山賊にでも出くわす? 白馬の王子さまが来てくれる? ………もしかしたら通りすがりの冒険者さんが助けてくれるかも――――――)
心の中で乾いた笑いが浮かび上がる。
どんな想像、妄想に浸ろうと現実は変わんないし、虚しさが募るばかりだ。
だがしかし。
「――ない。………」
馬車がゆっくりと速度を落として停止する。
目的地に着いてしまったのかと耳を澄ませるが、依然隙間から見えるのは草原の景色と澄み切った青い空、風の音――――そして、一人の男の声。
聞き耳を立てれば、どうやら旅人が近くに村は無いかと尋ねている様子。
一拍子速く、ハンナの心臓は脈を打つ。
「は、はい。この先を真っ直ぐ行けば、プカドという村に着きますよ」
「そうか。助かる」
御者を勤めるモルダは演技派ではないが、上手く体面を保つことに成功し、言いつけ通り積み荷が見つかる事は無かった。
だが、その旅人。モルダが断り、馬を走らせようとした瞬間に声を掛け、中も見ていない馬車をおもむろに指す。
「その娘……拘束されているようだが貴方の子か? 重大な疾患や怪我…あるいは呪いの類ならば、私に治せるかもしれないぞ?」
楽観的な妄想が現実に変わるかもしれないその一言にハンナの心臓は恐怖ではない感覚に高鳴る。
彼女が今考えている事は直感から来たソレであり、安易な解決策そのもの。しかし、その直感こそ不運な彼女が信じれるモノで、同時にこの顔も見ていない旅人の先の言動はその証明となっている気がしてならない。
(今は私の不幸加減に感謝しなくちゃねっ……!!)
手に足に口が拘束されているものの、それなりに自由は効くし、一つの必要な動作を済ませるのに十分な環境は整っていた。
そう。
芋虫のような寝返りで頭でっかちの釘に顔を近づけ、口元のボロ布を引き裂き、噛ませられていた布を拘束された両手で口から引き抜くぐらいには。
「スゥ…」
気だるげであった肺に一杯の空気を送り込み、直感に基づいた安易な解決策の準備は整った。残る作業は、一か八かで叫ぶのみ。
「助けてくださ――――いッッッッッ!!!」
「お、オマエッ!?」
目一杯の演技で取り繕っていた御者の笑顔に焦りと脂汗がじっとりと滲み込む。
『誰にも見つからず』彼女を持ってこいというのが人間ゴリブの要求で、ハンナの大声はソレを百八十度ひっくり返すような危険な行為だ。
「え?」
当然、誰にも見つからないようにモルダは反射的に馬に鞭を打って走らせる。
しかし、旅人から目を離して前を向けば眼前に広がっていたのは澄み切った青空であった。
「う、浮い…てる?」
モルダに続いて、いつの間にか宙に浮いていたことを視認したハンナの両名はしばしの浮遊感を味わった後に言葉にならぬ絶叫を発する。
おおよそ三秒程度の浮遊と絶叫、後に起こるは重力による荷馬車の落下と衝撃による攪拌である。
「きゃ!!」
「うおっ!」
落下した荷馬車は音を立てて地面へとぶつかり、荷馬車の後部…もとい見慣れた天井はいとも容易くひしゃげて半壊。
「やってしまった…」
馬車の外から後悔交じりの小声が聞こえる。しかし、今現在において構っている余裕はない。
革袋があった為に打ち身程度で済んだハンナだが、馬車は全壊間近の倒壊寸前。早々に脱出すべく、姿勢を低くしゴロゴロと転がるのみだ。
「お前達はあの男と馬を助け起こし、縛っておけ。私はこっちを助ける」
顔を上げれば、宙に浮いたショックで伸びきっていたであろうモルダが見えた。
『はっ!!』
そしてモルダは旅人の彼の指示の元、いきなり気配と声を現した三人の女性に引きずられて、いち早く馬車より脱出。
負けじとハンナも身体を動かすものの、それよりも早く天幕の布の切れ目から太陽の光が差し込み、旅人の彼はハンナへと手を差し伸べて。
「すまない。まだ力加減が難しくてな………大丈夫だったか?」
恐怖。いや、歓喜のよって今一度心臓が高鳴る。
掛けられた声の方を見上げれば、そこに居た人物は恐怖を醸し出す人間ゴリブの様な存在ではない。彼女、ハンナ・カンベルトの救いの御手。
漆黒の黒髪と吸い込まれるような深紅の瞳をした白銀のヒト。