第一章 27 【憤怒の業火(ウリエイル)】
ブレイスラル・ファンタズムというゲームにおいて、<形態変化>とは人間やエルフを除いた元は人型で無い者がレベルを上げる過程で自動的に習得するスキルの一つだ。
人型から元の異形の姿へと自らの形態を文字通り変化させて、全身体能力を一時的に向上させ、しばらくの間は操作や命令を受けつけぬ狂乱状態となる効果をもつクラススキルである。
例えば、獄炎火煉という人物。<形態変化>を使用すれば、理性は消し飛び、仲間以外全てを破壊する鬼神へと一定時間変貌するだろう。
竜人ならば、竜へと。
獣人ならば、獣へと。
それが、ゲームでの通説で理性が吹き飛んだ怪物へと至るのは必定―――――だったはずだが、今起こっている目の前の出来事はゲームではなく現実で、火煉もまた必定を覆すであろうことは彼女を見れば理解ができていた。
「腕を千切るか? 喰われるか? 果敢にも妾に刃を立てた褒美を与えよう……女よ。特別に選ばせてやろうぞ」
ローの知識にある彼女、ニーナ・レイオールドの<形態変化>とは至極色で質量を度外視した不定形の巨大な粘液生物に姿を変貌させる。
それがどうだ。
理性の象徴である言葉を発し、自らの首を切った獣人の女へと処刑の算段を選ばせているではないか。しかも、その姿は猛毒の巨大な粘液生物ではない幼き見た目をした彼女が成長したかのような美しき天女の形態。
もちろん、あの姿には覚えがあった。/この身体も知っている。
十川四朗ことロー・ハイル・ヘルシャフトが書き連ねた文字に、千年魔境の大瀑布がその長――――女帝、ニーナ・レイオールド・ショルティネス・ガドストラ。
忌み嫌うからこそ真名は封じたままに、名乗る事をせず真の姿を明かした彼女は美しき笑みを浮かべた。
「……決めぬから決めたわ。女、光栄に思うがいい」
団子のような天女の一部に雌の兎は囚われたまま、天女は手を隠した両の袖より長く細い紅藤色の針を取り出した。
「喰わぬこともせぬ、このまま侵すこともせず。妾は汝を一刺しで安寧に導こうぞ」
獣の口腔が如く、猛毒がぬめりとてかる両の手の針を天女は獣人の女の首筋に立ててみせる。
その猛毒は天女の体液であり、一度でも身体に触れようものなら生きとし生けるもの全てを殺す蠢く死。
「い、いやッッ………!!」
獣人の女は涙を浮かべて必死になって逃げようと腕を、身体を引きちぎらんが勢いで無駄な抵抗を続ける。
「綺麗に殺してやろうぞ」
恐怖の形相、死を覚悟したくないウルナ・ギウスに突きつけられたのは紛れもない現実。
こんな相手に、こんな場所で、武装蜂起など起こさなければ化け物に合わなかったという後悔を浮かべて、
「―――――――ッッ!!!」
ふと、声がした。
知っているし、大好きな声。
情けないけど、人一倍優しい彼の声。
「だ、め………」
一握りの理性でウルナ・ギウスは彼に告げる。
大事な人だからこそ、大事な人を救う命をここで立ってはならないと。
「その子を、離せぇぇぇぇッッッッ――――――!!!!」
瞬間、暖かな焔に彼女は包まれた。
魔外を唯一打ち滅ぼす【憤怒の業火】が夜を舞い、悪を退かせたのだ。
●
ニーナ・レイオールドの持つ能力やスキルは毒に特化したモノ、暗殺に特化したモノ、偵察に特化したモノが多い。
<黒影>がその最たるもので、ゲームでは暗殺や敵地の偵察の際によく使用するスキルだ。
暗殺を果たし、斥候をやすやすと成し遂げる毒特化の彼女だが、その組み合わせには唯一の欠点があった。いや、欠点というよりは種族故の特性であろう。
【黒毒の粘液女帝】というのは粘液生物が毒に特化した種族。つまりは、その身体は猛毒であり、汗や唾液も同様なのだ。
彼女が持つ能力の一つに<恐怖の呪毒>というモノがある。
その名の通り、恐怖を生み出す呪いにも似た毒でゲームでは道中の雑魚モンスターを寄せ付けない効果を持ち、戦闘の際にはニーナ・レイオールドの近くに居ればいる程、レベル差によって相手の精神を蝕み、魔法などの発動を確率で失敗させつつ魔力を蝕むのだ。
もちろんこの異世界に来た時には彼女も自らの毒の事は周知であり、日常生活に支障をきたさぬよう<恐怖の呪毒>は能力であろうと発動させていない。
ただ、戦闘時は別だ。特にロー達との足並みをそろえた戦いの場合は。
<恐怖の呪毒>に掛かるのは自分より下位のレベルのモンスターや仲間以外で、敵とみなしていれば即効性の毒が敵の身体を蝕み、レベル差があればあるほど毒の回りは早くなる空気感染型。
テルガス・ルグムという獣人の強さは多く見積もっても七十~八十がよいところで、その差から毒の回りはかなり早く、動けなくなるまで秒は掛からないだろう。
一度と毒が身体を蝕めば、指一つとして動く事は叶わない―――――彼の業火、対プレイヤーの異能が無ければの話だったが。
(何でもいい……力をよこせ【憤怒の業火】ッ!!)
ギフト…特筆して【権能】は保有者の精神がその力を左右させる。
怒り、恨み、殺意、覚悟…強い感情が【権能】を活性化させて保有者に力を与える――――無論、代償を添えて。
彼、テルガス・ルグムはニーナ・レイオールドの毒で動けずにいた。その彼を動かしたのは、もう何も無くさないという“覚悟”。
妻を亡くし、娘を連れさられたあの日。
怒りのままに力を振るい、何も取り戻せなかったあの日。
もう二度と、大切な者を無くさない様にと。
「gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!?」
火が灯る。静かに、しかして大きく。
テルガスの爆炎が、【憤怒の業火】の一撃が、大瀑布の女帝へと命中する。
大切な者―――ウルナ・ギウスを殺そうとする猛毒の大女帝は彼の業火によって火だるまとなり果てて、至極色の肉塊は堪らず獲物を放してしまう。
「ウルナ!!」
すかさず獣人の彼はウルナの柔らかな体を奪い取るように怪物の毒牙より引きはがし、後ろへと跳躍。
抱きかかえた彼女に声を掛けると同時に外傷を調べる。
「大丈夫、です……」
幸いにも大きな怪我はなく、腕も青くなっているが打ち身程度。ウルナの意識もはっきりとしておりテルガスは今一度胸を撫で下ろす。
「立てるか?」
「はい」
ただ、彼女を助けた所で戦いは終わっていない。
どくん、と。
ウルナを立ち上がらせた途端、獣人二人の直感は前方の殺意に特級の危険信号を告げている。
「お主、妾の玉体に傷をつけたとは良い度胸よ。いいだろう、お主らのような童に見せるものではないが……――――」
テルガスの安堵により火は潰えて、【憤怒の業火】の篝火により元の姿に戻ったニーナ・レイオールドではあるものの、怨敵を殺せぬ術がない訳ではない。
少女は怒りの矛先を自らを燃やした獣人の男へと。
少女はその細く愛らしい小さな手を天に掲げて。
星々をも覆うソレ、ニーナ・レイオールドの身体を構築していた至極色の粘液が自由気ままに気のままに、天に掲げた腕に従い球体を構築していく。
「<月喰らい…――――」
さながら、月に蓋をする闇。
「待つんだ、ニーナ」
「何故じゃ…? 妾の怒りを諫める程の理由でもできたか?」
「ああ、そうだ」
ソレは放たれる事はなく、男の一声でニーナ・レイオールドより放たれる何もかもが霧散した。
「<月喰らいの深淵>は特大の範囲攻撃だ。そんなものをここで放てば、町ごと腐り果てるのは分かっているだろう?」
「……じゃが!!」
男、ロー・ハイル・ヘルシャフトは横に首を振った。
「ニーナの怒りは尤もだ。俺もお前に傷を付けられて冷静を装っているので手一杯だからな。しかし―――」
テルガスとウルナの敵意の視線をお構いなしに、ローは言葉を続けた。
「あの力を見ただろう? 対プレイヤーの力、魔法の水や氷でも消えぬ炎……あとで追々とフィリアナ達にもこの所感を説明するが、ヤツは我々に届きうる唯一の矛を持っているのだ」
確かにと。テルガスが敵二人が立つ地べたに視線をやれば、消そうとしたのか大量の水で浸されている。ただ、魔法が効かないというのは初耳で、ロー・ハイル・ヘルシャフトは見越したように視線をこちらへと向けた。
「だから、一つ提案……いや、競争をしよう」
「競争? それは我々に言っているのか?」
「無論。他に誰が居る?」
ロー・ハイル・ヘルシャフトは呆れる様に肩をすくめて、右手の人差し指を立てる。
「ルールは簡単。これから君らの本隊へとニーナを向かわせる。もし、キミらの仲間が彼女に見つかれば塵殺」
次いで、ローは親指を立てた。
「そこの兎のキミがニーナより早く仲間の元へと辿り着けば、仲間はとりあえず無事だ―――――ニーナ。くれぐれも手加減はしろよ? 犯人として突き出す際に原形が残っていなくては意味が無いからな」
「うむ。分かったのじゃ」
競争とは言ったが、まるで遊びの提案に「何故だ?」とテルガスが問えば、ローは目を点にした後に今一度肩をすくめた。
「いや、なに。君らの話の全貌を小耳に挟んだクチでね。そんな大事があるのに悠長にしてる君らの態度と不遜な眼差しにニーナもおかんむりだし、妥協案ってところさ――――……じゃ、競争開始だ」
ロー・ハイル・ヘルシャフトは掲げた右手の指を鳴らし、同時にソレが合図だと言わんばかりにニーナ・レイオールドは隠し階段が埋まった瓦礫へと猛毒を飛ばした。
「させるか!!」
【憤怒の業火】の炎で周囲を包むが、あの怪物に当たった感触は無く。
「ウルナ!!」
「はい!!」
瓦礫が猛毒で溶けて隠し階段が現れた以上、ヤツの魂胆は明白。
不服ではあるが競争に参加しなければ、確定事項のように仲間が死ぬ。テルガスはウルナの道を作り、隠し階段へと向かわせた。
「一対一だ。では、我々は我々で楽しもうじゃないか」
「何が目的だ?」
周囲に業火が舞い踊るにも拘らず。平然とロー・ハイル・ヘルシャフトは少しばかり考えた後、口を開いた。
「目的は君の能力、ギフトの調査だよ。―――あ、それとさっきの話は半分ウソ。同胞が塵殺されるとなれば君も急がないといけないだろうし、口ではああ言ったがニーナには捕縛の命を出しておいたよ」
「…何故、と聞いても?」
「いいとも、答えよう。先程も言った通り、ギフトは対プレイヤーの能力……レベル差や魔法に能力と全くもってソレら意に介していない――――まるで、闖入者を見つけた白血球のように一方的にね。なら興味本位で調べたくなるのもわかるだろ?」
「………つまり、今の状態はロー・ハイル・ヘルシャフト。お前にとって危険なものではないか? 周囲には私の【権能】、しかも魔法の水でも消えない自由自在に操れる業火だ」
ニーナ・レイオールドという怪物をせき止めようとした業火が周囲には燃え盛り、テルガスにはまだ余力がある。そして、業火自体はテルガスの手足。
全くもって敵からすれば致命的な地の利だが、ロー・ハイル・ヘルシャフトという別種の怪物はテルガスの挑発にも似た問いを「いや」と言って首を振る。
「確かにその通りだ。だがしかし、キミには迷いがある。故に見たところ、火力は不安定。――――今回の作戦、後ろめたい感情でもあったのではないか?」
「…………」
テルガスが何も言わなかったのは図星だからではない。
相手の観察眼、ロー・ハイル・ヘルシャフトの底知れぬ言動にテルガスはにらみを利かせつつ業火を這わせていたのだ。
「ああ、そうだ。それがどうしたッッ!!!」
ロー・ハイル・ヘルシャフトを包むのは十メートルは優に超える火柱が五つ。まるで、火竜の息吹が如く対象を包み込み、燃やし尽くすテルガスの技。
だが、敵は底知れぬ人物であった。
何事も無くローは火柱を真っ二つに剣で切り払い、その焼け爛れた皮膚を再生しながら散歩をする様に一歩、二歩と足を進める。
「…やはり、<HP自動回復>の回復速度が遅いだけだな、致命打には至らない。所感通り、気持ちの問題が故に不安定? はたまたギフト能力に個人差があるのか?」
答えの出ぬ敵の論争に終止符を打つかの如く、テルガスはただただ疑問を投げかける。
「何故、焼け死なない?!」
経験上、【憤怒の業炎】に体の芯まで包まれて灰とならなかったのは二人しかいない。
鮮血獣牙騎士団団長、ガラド・バンバジ。ヤツについては悪魔とか竜人とか様々なうわさが囁かれており、裏の界隈では有名も有名な人物。
ニーナと呼ばれた怪物。アレはどう見ても人間ではなく、種族的に言えば粘液生物だろうし焼ききれなかったのは水分が多いからと理屈で片が付く。
そんな化け物共なら【憤怒の業火】を退けたのも理解はできる。だが、目の前の男、ロー・ハイル・ヘルシャフトは怪物の一種ながら人間という種族の枠組みに収まっている。
底知れぬモノを持ちながらただの人間で、竜人や悪魔ではない。皮膚が焼かれている以上、炎に得意ではないのも見れば分かる。
「無論、強いから。という他ないのが恥ずかしいがね」
空気が変わる。
学者肌を演じていた人間、ロー・ハイル・ヘルシャフトは素っ気なく返答して事もあろうに巨剣を背にしまい、
「さて、それでは。君のギフトもくらってみた事だし、今度はこちらから行こう。『モノノフ』」
瞬間。飛んできたのは槍でも斧でも矢でもない。文字通り、飛ぶ斬撃であった。
「クゥッ――――?!」
間一髪のところでテルガスは両手を前に防御の姿勢で斬撃を弾く。そうして、目の前に視線をやれば、居たのは姿の変わったロー・ハイル・ヘルシャフト。
血に濡れたようなつばの長い中折れ帽子に銀のボタンの付いたコート、赤色の見た目へと変貌した男の左手には場違いにも白い鞘に包まれた太刀が一本。
ゲーム的に言えば、クラス【武神兆雷】の能力によるメニュー画面を開かずの装備変更で、テルガスからすれば背筋の凍る現象であった。
「<蛇火>!!」
ロー・ハイル・ヘルシャフトの突然の変貌に獣人の直感が働く。上空から蛇のごとき蠢く火柱を今一度お見舞いする。しかし、それを分かりきっていたかのように降り注いだ火柱を斬り裂き、斬撃が飛ぶ。
「ク、ウォオ――――ッ!」
両手を前に今度は攻撃の姿勢。テルガスは飛ぶ斬撃に狙いを定め、何とか弾き躱し、見た。
「なッ?!」
弾いた斬撃は訓練場を囲う建物に創傷を二つ形作っていた。まるで、巨大な怪物の爪に斬り裂かれたかのような二の線。
そして、ボロボロと建造物は瓦解して跡形もなく崩れ去る様は飛ぶ斬撃の威力がいかほどのモノかの証左だった。
「コレの名は『紅雀』。先程のが攻防一体の装備ならば、今のコレは攻撃と速さに特化した装備とクラス。どうやら『神討・凶』での戦闘は君と相性が悪いようでね。装備を変えさせてもらったよ」
「それで、オレに勝てると?」
テルガスの冷や汗を垂らしながらの言葉に、十全と言わんばかりにローは太刀を抜かず構える。
「当然。勝てるように装備を変えたんだ―――――全力を出せ。テルガス・ルグム」




