第一章 19 【邪眼怪魔(パジフ・マカラサヌ)】2
「<石化解呪>、<石化解呪>!! ………え、なんで、なんで効かないのッ?!」
大盾を構えるガウスの後ろから、メアリーは<石化>を解呪する第三階級魔法<石化解呪>を石像となった仲間にめがけて発動させるも依然効果は無く、魔力を無駄に消費するだけに彼女の魔法は終わった。
「ね、ねぇ…どうしよう? 私の魔法が効かないよ………」
連れ添ってきた仲間が目の前で石に変わるという事態に、年端もいかぬ齢十四歳の少女は青い顔をして自らの震える身体を押さえる様に両の手で抱きしめる。
それは、恐怖。
絶対だと思っていた自身の魔法が意味の無い物だと知って、身体の底から自然と湧き上がる負の感情がメアリーの身体を震え上がらせていたのだ。
(もはや、これまでか…)
石になる直前まで我らがイータイルトのリーダー、クインツ・アーケロイの行動を見ていたガウス・ゴンゴルドは目を閉じて覚悟を決めた。
魔物の討伐というのは人々に求められる故、四天教の教えに許された命のやり取り。敗北も勝利も含めて、その行いは無益でなく虐殺でないから良しとされる。
――――あるがままに、そうあれかしと。
だからこそ、敗者となった彼は覚悟を決めたのだ。
「メアリー嬢、失礼する!!」
「え………――――ひゃっ?!!」
信仰する神が敗北を良しとしようとも、彼女の死だけはその教えに背信してでも、我が身に代えて阻止せねばならない。
彼自身の責務として、自らの力量を見誤った者のせいぜいの罰として。
「ふぅんッッ!!」
パジフ・マカラサヌの眼孔から守るように大盾を地面に突き刺し、彼女を抱え、その剛力を活かしたガウス・ゴンゴルドは森の中へと弧を描くようにメアリーを投擲した。
「ガウス―――――!!」
着地地点については目星を付けているので心配はない。これでも投擲の調節には自信のある方だ。
「逃げ延びるのだぞ…」
最後に一応の最年長者らしくメアリーに言葉を残し、もう手遅れな彼は巨大で特異な魔物と対面する。
(幸いにも鎚矛を握る腕から始まったか…)
遅効性の毒ならぬ遅効性の<石化>の邪眼。
両の足はまだ動く、鎚矛を握る腕も振るう程度ならまだ大丈夫、大盾を担ぐ左腕も存分に扱える。
「フゥー……」
ならばよし、と。
ガウス・ゴンゴルドは大きく息を吸い、吐いて、臆すことなく目の前へと迫りくる巨大な魔物に全速力で鎚矛を振るった。
「ウオオオォォォォッッッ――――――!!!」
●
「リクス!! みんなを見殺しにする気なのっ!!?」
初老ながら肩の強さはガウス自身が誇るほどに健在で、その見事な彼のコントロールによってメアリーは荷馬車の天井を突き破り、大事なく討伐対象から距離を取っていた。
踵を返し、大急ぎで荷馬車を走らせているのはもちろん馬の番をしていた『薬師』リクス・トラシアだ。
「………」
メアリーの問いかけに彼女は答えない。答えるまでもない。
口を開く理由が無い位にメアリー・マクベルの言葉の通りなのだから。
「……何とか言ってよ!!」
恐怖に締め上げられた喉から絞り出すように、動揺と怒りの感情を乗せた弱々しい言葉をメアリーは馬を走らせる彼女にぶつける。
それは、ただの八つ当たりだった。
少し魔法ができたぐらいでいい気になって、過剰な自信を抱いていた自分への嘲笑も含めた感情。なにせ、幼い頃から知っている二人が自分の不甲斐なさでああなってしまったのだから仕方のない事なのだ、と自らを或いは叱咤するかのように。
「舌を噛みますよ。姫様」
リクス・トラシアは二人しかいないが故に、正しき呼び方でいつものまったりとした喋りをせず動揺する少女に喝を入れる。
「………え、なっ?!」
荷馬車はかなりの速度が出ており、走る道はほぼほぼ獣道で揺れに揺れている為に彼女の言い分は至極当然だった。
よって、
「…」
「……」
自然と両者は言葉を詰まらせて、少しばかりの冷静になれる間が空く。
屋根を少女が突き抜けて半壊した荷馬車。
風を切る音と草木を掻き分ける音が二人の沈黙を許すように合間を縫って駆け抜ける。
「…このままコルコタへ戻りましょう」
その居心地の悪い許された沈黙を初めに破ったのは、今は『薬師』ではないリクス・トラシアだった。
「え、なんで?! 合流地点は……」
「それは“白銀”の皆様が生きていた場合の話です。レナードたちが<石化>したのですから、こちらからは確認できなくとも一番魔物と近い距離に居た彼等との合流は絶望的と言えるでしょうし、ここから応援を呼んだ方が皆の生還率も上がります」
冒険者となる際に冒険者稼業について前もって資料で勉強しており、逃走術から魔物の生態まである程度はこの仕事を理解しているつもりだ。
リクス・トラシアが言い放ったのは、石にして捕らえた獲物を数か月かけて捕食するパジフ・マカラサヌの生態、その資料に付随した治療方法の無い場合の答え。
その正論にメアリーは後ろ髪惹かれる気持ちを押し殺し、押し黙るしかなかった。
敵わない魔物と出くわした場合、剣を取るよりも先にその場から逃走して人を呼ぶのが何よりの最善策なのである。
『クゥカカカアッッ―――――!!!』
「もう追いついて来た?!!」
木々は軋み、暴力によって枝はへし折られ、葉を散らし。
草木の悲鳴が森を駆け抜ける荷馬車の後ろから響き、来る。
もはや暴風が如く地響きと共に邪眼怪魔が、歯並びの良い大口を体の中心から闇を縫うようにして開き、ヨダレを垂らしながら逃げる獲物に急接近。
二人の冒険者のアンサーに対する応答は、今回の討伐対象が知識外の存在だと見せつける怪魔の強烈な捕食本能。
「姫様、お願いします!!」
「ええ! <魔法の矢>ッ!!」
生きた物を食らいつくしたいと開かれた口腔まで残り十メートル足らずの間隔。
揺れる馬車の中で膝をついたメアリーは杖をかざして魔法の一矢を飛ばす。
「<魔法の矢>! <魔法の矢>ッ!! <魔法の矢>ッ!!!」
続けざまに間髪入れず。魔力を練って青白い魔法の矢を少女は迫り来る魔物に向かって発射、射出、迎撃。
「うそ、これも効かないの………」
投擲されたネストボレルを掻き消したようにパジフ・マカラサヌへと当たる寸前で少女の魔法は霞の様に消えていく。
結果、魔物の速度を落とすことはならず追撃を許す事となった。
「きゃあ!!?」
「くぅ?!」
ゼロ距離に迫った魔物は意外にも理知的に、その長い触手二本を荷馬車の後部車輪に思い切りぶつけて、勢いよく荷車を転倒させる。
天地が再三とひっくり返って、見える景色は歪んでドロドロ。
不幸中の幸いか。柔らかい草がメアリーの下敷きとなったおかげで身体に傷は無く、軽い脳震盪を起こしただけで済んだようだ。
『ルルルル………』
初めての脳震盪で立つこともままならない少女の前に、巨大な魔物が舌を鳴らしてウジュル、ウジュルと距離を詰める。
「姫様、お逃げください!!」
「リ、クス!?」
少女と怪物の間に割って入ってきたのは、幼げな顔立ちのただの薬師。
もちろん、無策に少女を守る為に邪眼怪魔の前に立ったわけではない。
「時間を稼ぎます――――――ネームドギフト解放ッ!!」
策はある。あまり使いたくないとっておきの策が。
「三、二、一…【肉体変容】!」
唯一の取り柄である【名在り】を用いて、まず初めに彼女の身体は成長を開始する。
グシャリという異音と激痛を奏でて背丈は伸び、顔立ちも大人びて、着ていた装備は恥部を隠すのみとなって身の丈に合わず、脱ぎ捨てて。
おおよそ二十代後半の、本来の年齢の三分の一に姿を変えて、続き始まるのは肉体の…正しく【変容】であった。
「ウォオ―――ン!!」
金色の毛が全身を包み、強靭な四肢となって、その頭は狼となる。
『ルルルル…―――シシイイイィッッ!!』
狼男ならぬ狼女となったリクス・トラシア。
待ちに待っていた邪眼怪魔がおいしそうになった彼女を貪らんとする瞬間、その眼球の一つが捕食対称の爪で切り落される。
『キィイイイイイイッッ?!!』
初めての痛み、初めての餌の反撃に魔物は怯む。そして、彼女は好機と魔物の肉体に喰らい付き、肉を削ぎ落した。
「獲った!!」
続けざまにその傷口を足蹴にリクスは強靭なる脚力で高々と跳躍、狙うは仲間を石とさせた剥き出しの邪眼すべて。
爪を立て、狙いを定め、落下の速度で回転しつつ邪眼を抉る。
「なっ?!」
しかし、相手は金剛月華会産の邪眼怪魔。狙われるであろう邪眼を根元から眼球まで息をつく間もなく、並みの刃物や魔法では文字通り歯を絶たせないように自らの邪眼にて硬質化。
爪が鈍い音を立てて金狼が体勢を崩した刹那の隙。
獲物から敵と認識した狼女の隙を至近距離で薄目で視ていた怪魔は、頭頂部に足をかけ宙に浮いたままの間抜けな敵に触手を突き刺し、咀嚼のしやすいキレイな歯並びを突き立てて齧り付く。
「くぅう…?!」
「リクスッ!? <魔法の矢>! <火球>ッ!! <電撃>ッ!!!」
何もできないメアリーに出来る事といえば、もはや意味の無い魔法での攻撃だった。
「この、このッ、このぉッッ!!!」
魔力の矢、火炎の球、迸る電撃、あらゆる属性の魔法を試すがやはり意味を成さず。せいぜいが、邪眼怪魔の注意をこちらに向けるぐらい。
しかして、その偶然の目論見は成功したようだ。
『キシャァァァッッ―――――!?!?』
メアリーが注意を引いた事で胴が二つに分断されようとしていたリクスは、邪眼よりも柔い口内を思いっきり引き裂き、間一髪で難を逃れたのである。
「リクス…!!」
ただ、状況は変わらない。
肉体が元に戻りつつあるが身体に深々と刻まれた噛み痕で出血の酷いリクス・トラシア、地面に放り出されてた彼女を抱えて逃げようとするメアリー・マクベル。
二人を品定めするように見下ろすのは巨大で特異な邪眼怪魔。
(幸いにも肉体が変容し続けているから出血は収まりつつあるわ………でも肋骨が肺に刺さってるようね。力の使い過ぎかしら……もう、動けない。意識も遠く―――――)
邪眼怪魔の万力の様な嚙み砕きに加えて、人間以外のモノに変容するという急激な【肉体変容】による肉体への多大なる負荷。
一方は魔法が意味を成さず、もう一方は満身創痍。
メアリーはその場にへこたれて彼女を抱えて目を閉じる―――――ああ、ここで終わりなのだと思い。
『クゥルルル……ガァァアアアッッ』
戦闘行動終了、ノルマ達成。
追い詰め尽くした敵に、命令を受けた邪眼怪魔は大口を開けて勢いよく今日初の朝食としてイタダキマス。
●
「“光”…?」
目を瞑って、生まれた頃から付き添ってもらった彼女を抱え、自らの死を覚悟した少女に“死”は訪れなかった。
目を開き、眼前を望む。すると、動きを制止させた魔物の口腔の先の方…いわば邪眼怪魔の伸び縮みする胴体が幻想的な青い光線によって抉り取られた。
「…ッッ?!」
ヒュン、ヒュン、ヒュンと音を奏でて。
矢継ぎ早に怪魔の肉体を粉々にした三本の青い光線が通り過ぎて数秒後、暴風が後を追うようにして吹き荒れる。
邪眼怪魔の巨体はまるで存在していなかったかのように、或いは今の一時が夢であったかのように、光線の過ぎ去った後に残ったのは静寂と魔物の血の匂い。
「ガハァッ――――――姫、様…」
「リクス!? 目を覚ましたのね!!」
何が起こったのか呆気に取られていたメアリーを現実に呼び戻したのは、血を吐いて目を覚ました少女の腕に抱かれるリクス・トラシア。
霞む視線で彼女が捉えたのは、目玉を数個残して粉々になった邪眼怪魔。
「死んでいる………これは、姫様が?」
「ううん。違うの、誰かは分からないけど倒してくれたみたい」
「そうですか。では、申し訳ございませんが私の背嚢を取ってくださいますか…? 身体が動きませんので……」
「う、うん。待ってて」
少女体となったリクスの言葉を聞いたメアリーは、乱雑に地面へと置かれていた背嚢に手を伸ばし、慣れた手つきで半液体の傷薬と扇状の薬草を取り出した。
「痛いと思うけど、我慢してね」
メアリーが<治療>という治療魔法で彼女の傷を修復しないのは、リクス・トラシアの生来の体質故だ。
リクス・トラシアに傷を癒す等の治療魔法は意味が無く、薬草などを扱う『薬師』という役割なのもそれが理由。自分の怪我は自分で治療するのが、物心ついた時より当たり前で薬草の知識は人一倍豊富なのだ。
ただ、不思議な事もあって魔法は効かずとも教会における“信仰魔法”は彼女にも癒しの効果がある。しかし、現状ガウスが石になっているので、彼女に信仰魔法で癒しを与える者はいない。
「………ッ」
ドロリとした真緑色の傷薬を患部に塗って扇状の薬草を被せる。そして、包帯で固定して取りあえずの応急処置は完了。数十分もすれば体内の出血も収まるはずだ。
「もう。こんな無茶はしないでよね……」
「…申し訳ございません。ですが、これも私の務めでありますので」
彼女のネームドギフト【肉体変容】のおかげで肉体は変容し続け傷は浅くなり、処置も済ませたことでそこまで重症ではなくなったが、その顔は脂汗を垂らして耐えている。
その蒼白な顔が痛みからなのか、後ろめたさからなのかは分からない。ただ、彼女の献身にメアリーはそれ以上踏み込んだことを何も言えず、涙を浮かべて押し黙る。
「では、クインツ達を……回収しましょう」
自身の不甲斐なさに泣くまいと唇を噛んで必死に耐えている少女の手と外套を借りて、荷物をまとめてリクスは立ち上がった。
「…姫様。あの三人は貴方を責めはしないでしょう」
「え?」
「それよりも姫様を守れなかった事と実力以上の仕事を受けた事を自戒とする筈です」
仲間として、人として、冒険者として。
口下手なリクスだが、侍女なりに使える主へと励ましの言葉を手向ける。
「だから姫様はもっともっと鍛錬と知識を積み重ねて、その自戒に押しつぶすくらいに強くなって次に繋げればいいのです。それが優しい貴方なりの成長の仕方なのですから―――――大丈夫、努力はきっと報われますよ」
彼女の言葉にメアリーは深く頷いて前を見上げる。
そこに涙は無く、いつものお調子者で真面目なメアリー・マクベルがはつらつさを取り戻していた。
「メアリー!!」
両手を力いっぱい握って自分自身を鼓舞する少女、その瞳に今一度と涙が溢れてきた。
「……ねぇ、リクス。“夢”じゃないよね?」
「………はい。どうやらその様です」
驚きに、開いた口を手で覆う少女の頬を嬉し涙が伝った。
自身の不甲斐ない魔法で<石化>の解呪をもままならなかった仲間の姿が、幻覚でも何でもなくメアリーの元へと走ってくる。
「いたい…いたいよ………」
赤く腫れた頬を抓って、抓れば柔らかな少女の頬に痛みが走る。
それは、紛れもない現実で夢や幻でもなかった。




