第一章 13 【商業都市コルコタ】2
その町の造りからか王国や帝国の公人より、商業都市公務員の仕事量は多い。
例えば、検問に務めているA氏が残業として上下水道管理局の地下へとパイプの点検作業に赴くとか。
金払いも良く休日も多い商業都市公務員は狭き門であるからして、人員が少ないのだ。そういった手伝いは商業都市に務めていれば、特別珍しいモノではない。そして、残業手当も出るので不満も無い…かもしれない。
「ハァ……いくら足を運ぼうが、この臭いには慣れませんね………」
生活管理区、上下水道管理局の地下五階。
商業都市の生活基盤を支えているあらゆる施設が一部、下水道のパイプが集約されている地下水道室に彼は居た。
「それにしても、魔道具とはかくも素晴らしい。このランタンに魔力のこもった魔石を入れればあら不思議………この薄暗くて臭い道を照らしてくれているのですから」
薄暗い天井の豆電球…ならぬ極小魔道光体に照らされて。
病的なまでに細身細目で白髪、その身を黒いスーツに黄と白のストライプ柄のネクタイを首に締めたA氏―――アグルス・モーガンは悪態をつきつつも、ランタンを片手に前へと進む。
「疲れているからでしょうか………つい、独り言が多くなってしまいます」
彼が皮肉に恭しく右手に持つランタン。これは、本来の使い方である灯火の役割も当然なのだが、この地下水道室に入るための鍵、不備のある場所では強く光って故障個所を指し示す点検用の魔法という三用途を担っている。
つまりは、絶対に安静に扱わなければならない高級品で、そんなものを片手に仕事をしたくないのが彼の本音である。
「こんな場所に来るのなら電池式のペンライトの方が使い勝手がいいと思うのですが………こちら側の大陸にはないですし、頑張って適応しましょう」
パイプはトンネル左に集約されている為、職員通路は右端にあり高身長の彼からすれば少し手狭だが、これもアグルスが病に伏せさせた同僚の代行。
湿った石床が靴の裏を僅かに濡らすのを我慢しながら、目的地まで時間はあるので手元に注意を向けつつ思案に耽る。
(しかし、あのロー・ハイル・ヘルシャフトとかいう人物とその仲間………まさか、本当に“同郷の者”なのでしょうか?)
差し掛かった階段をゆっくりと降りて、今一度とコルコタへとやって来た新参者の恰好をアグルスは思い出す。
(――――確証として上がるのは、赤毛の彼女…確か、獄炎火煉さん……あの二本の角を偽装するには申し分のない額当てでしたね)
こちらではとある事件によって二本の角をもった生物というのは即討伐の危険分子のようなもの。ただ、その人種には覚えがあった。
(アレを見たのは………―――――あーそうそう、ダグザ神が自慢げに聖杯を守るための労働力としていくつかの人員を鬼人種にしていたのを覚えています)
彼らの出自には納得できる。しかし、そうなればと、またぞろ疑問点が泡のように浮かび上がる。
(そう仮定するとしても、大砂嵐越えを果たした。という稀有な人物であれば、私への連絡があってもよい頃合いなのですが………)
ただ、その不満…ならぬ思案の縁に浮かび上がるのは彼の常識の範囲外に居る天上の神々。
例えギフト能力者と言えど、末端より少し上の位に就いているだけの自分自身―――アグルス・モーガンを目にかける様な事をせずに、現状を楽しんでいるだろうと想像できるのが中間管理職のつらいところである。
(ともあれ、“賢者たる雷の主神”から何もありませんし………こちらはこちらでうまく立ち回りますかね)
深々と心の中でため息をつくのと同時に目的地へと着いたアグルスは、本来の仕事へと思考を切り替える。
(上司への文句は色々と思い浮かびますが…―――)
商業都市の地下五階部、深さからすれば四十メートル地点。場所は都市中央の噴水広場の真下。
アグルスが四角に空いた曲がり角右手の壁面にランタンを置けば、その全貌は明らかに。
(――――コレの造りを見れば少しはその鬱憤も吹き飛ぶというのモノです)
広さ百メートル以上、深さは一キロ弱。上下水のパイプが大穴の下へ上へと伸びる円柱の石造りの空間、鍵を専用の場所に設置した事で点検用の照明にて大空間が、照らされたのだ。
「ほほぉ、相変わらず真下の粘菌生命体ちゃんはお元気ですねぇ」
ひんやりとした手すりから少し身を乗り出して大穴を覗けば、見えるのは半透明の蓋をされてパイプに繋がれた藻のような深緑色の形を持たない魔物。
その身体を酸や泥、溶岩に海水など。液体、半液体ならば自らの身体とする粘液生物の原種、粘菌生命体。粘液生物とは違い移動のできないその魔物の習性を利用したこの施設は、汚水を浄化するように品種改良された粘菌生命体が要であり、機構の一つである。
商業都市の上下水道施設はコベルニクス商業国に習い、とても良くできている。
上水道に使う水は煮沸などをしなくともよい魔石を使った水が主だが、商業都市および商業国はその水にひと手間を加えて企業秘密なろ材でのろ過に様々な魔法で消毒し、蛇口をひねればそのまま飲めるという清潔なものを市民に提供しており、それが当たり前な世界にいたアグルス・モーガンを唸らせるほど水は美味。
都市中から集まった汚水には砂利や砂、炭の代わりに粘菌生命体がろ過を施して魔法による消毒を済ませた後、消火などの有事の際に扱う水へと変貌させている。
時たまに増えすぎた粘菌生命体の一部を切り取って商業都市名産の肥料として農村へと売りに出しているのは無駄がなく。
商業都市付近に川辺が無くとも、一つの町として栄えているのにはこういった理由があり、その点に関してはアグルスも称賛している。
「さてさて…」
とはいえ、そんな完璧とも言える商業都市にも抜け穴は作れてしまう。
職員通路を外れて下降に向かう螺旋階段へとアグルスは足を掛け、一歩、また一歩と手すりを使いながらに降りていく。
下るにつれ、空気自体に重みが増してくる。耳障りな鼓動が心なしか聞こえてくる。
その重みとは、生物的危険信号。その鼓動とは、正しく脈動。
本来の仕事として商品を提供したのは自分ではあるものの、かれの気配には未だ慣れず。
「確か、ここでしたね」
螺旋階段を下りて中腹。
目的の場所に着いた彼は深呼吸をしてから、目線の高さにある石壁の一部分を思い切り押し込んだ。
「よい………しょっ」
ゴソリ、と音を立てて石壁の一部は奥底へと消えていく。そうして現れたのは魔法の壁面に隠してあった不可視を可視にされた薄暗な一本の通路。
魔法で隠された通路、魔法で作られたランタン、素晴らしいと思いつつ。
「魔法とはかくも便利なものですが…」
その実、興味の対象外であった。
(どうも好感が持てないのは何故でしょう………?)
元来魔法に縁の無い仕事だが、使う道具自体は魔道具であるので嫌でも知識は増えていく。別に魔法を毛嫌いしている訳ではなく、本能的に好きという訳でもない。
何が言いたいのかというと、今思う事ではないが自分のこの感性は不思議だという事だ。
魔法に対して歓心こそ持つが関心は沸かず。長年に扱っている魔道具にしても、まるで意識に霞がかかったように相対すれば空虚なままで愛着の一つも沸かないのである。
「合言葉は…?」
一歩、二歩。
そんな思考の中、大人一人が歩くのが精一杯の手狭な通路、若干姿勢を低くアグルスが進んでいけば、前方の暗闇から女性の声が唐突に響いた。
殺気を纏った声の主は今も暗闇に居て姿を見せないでいるものの、その鋭い殺意の矛先はこちらへと向いている。
今いつでも殺しに行けるという相手の気概。この場に居たのがアグルスでなければ、とうの昔に素っ首叩き落とされていただろう。
「“トラとウサギ”、これでよろしいでしょうか?」
「………よし。いいだろう」
暗闇からぬるりと現れたのは、これまた可愛らしくも恐ろしいアグルスの顧客の一人。
「金剛月華会のアグルス・モーガンさんが一体何のご用でしょうか?」
アグルスの髪よりも健康的な白い髪と丸っこい尻尾、頭のてっぺんの長く細い耳をピクピクさせつつ周囲の音を拾うその容姿はとても愛らしく、しかして皮肉めいた口調で言葉を投げ掛ける彼女。
いつもの露出度の高い軽装を見せず黒いローブで身を包んでいるのは、一応に警戒している為なのであろう。
「ウルナ・ギウス様。わざわざフルネームで呼ばなくとも、私の事はモーガンで構いませんので」
「ふーん、そ………で、何しに来たの?」
アグルスとは仕事上の関係だというのに、相も変わらずのこの態度。
「まあ」と。王国で迫害されている種族であるが故と、アグルスは持ち前の真摯さで彼女の敵意をさらりと流し、本題へと入る。
「我らが金剛月華会が貴方様方へと提供した“商品”の進捗を見に来ただけですよ」
「そうなの。じゃ、付いて来て」
営業笑顔としてにこやかに笑みを作り、当然に敵意の無い事を示すアグルス。対し、ウルナは彼の返答に興味を失せたのか、素っ気なく踵を返して黙々と道案内。
「……」
「………」
静かすぎる沈黙のまましばらくと進み、辿り着いたのはアグルスの提供した拠点が一つ。
縦横高さがおおよそ百メートル前後の大空間。空気が淀み、薄暗なのはこの部屋中心にある“商品”の為で、目先の北側にある扉を開くと彼等の生活拠点がある。
これまた広い商業都市外部に直結した別室で、寝室から台所、風呂場まで勢ぞろい。しかし、“商品”の隣で寝るなんてのは正直言って正気に思えない。
―――という心中は、アグルスお兄さんと皆とのお約束だ。
「なんだ、アンタか……“アレ”の様子を見に来たのか?」
大空間にはウルナと同じような黒いローブを纏った人物が数十人ほど。
その中で大広間入口に胡坐をかいていたリーダーとも言える彼が、立ち上がって声を掛けてきた。
「ええ、はい。お客様に完璧、完全な商品を提供するのが我ら金剛月華会の務めでありますので…」
こちらを見下ろすのは二メートル強の身長のある大男。
頭髪は黒とオレンジの縞模様で、細く丸みを帯びた尻尾や頭上にある丸めの耳も同様に。足元が見えぬように覆う脚衣と火竜の鱗を用いた合金の胸当てのみを装備しており、その剛腕は子供の頭並みの太さで足はその倍である。
彼の名は、テルガス・ルグム。彼等の指揮官であり、アグルスと交渉をした頭脳、戦闘力と共に侮れない人物だ。
(三割引きに値切られた時には、このアグルス・モーガン。感服いたしましたとも………)
アグルスがしみじみと視線を向ける彼等『獣人解放軍』とは、人間という種族ではなく。
動物の形、特徴を人間に混ぜたかのような人間の一種“獣人種”という種族の集まり――――ないし、迫害を直接受けた者らの徒党。
人間の耳がある位置には耳が無く、夜目が利き、身体能力は普通の人間の倍でアグルスの務める金剛月華会にもいる一般的に『亜人』または『獣人』と呼ばれている存在だ。
「おお、素晴らしい。大変に順調ですね」
片や、獣人の中でも凶暴性の高いと謳われる『アムルトゥ』。
片や、兎の愛らしい丸っこい尻尾を持つにも関わらず、戦闘能力については『アムルトゥ』を優に凌駕する『ラフォビット』。
この状況、さながら虎と兎に睨まれた蛇。
ただの人間、ただのアグルス、ただのちょっとした【名在り】を持った一般人。
テルガスとウルナの凄みで三割引きに値切られたのはほろ苦い思い出であり、この場でそつなく仕事をこなす為の試練だったと言えよう。
「………分かるのか?」
「私、幼い頃は魔法生物学者に憧れていましてね。その為でしょうか、育てる魔物の調子が手に取るようにわかるのですよ」
プロ以上にプロらしく、サービス精神満点のスマイルを作って得意げな面持ちでテルガスの質問に答えつつ。
その視線の先、赤く光る魔法陣に縛られた“不定形の肉塊”をアグルス・モーガンはじっくりと観察する。
「うん、順調ですね。このまま死体を食わせていけば……おのずと死と腐敗、怨嗟と呪詛を纏う巨人“レクディオプ”はルグム氏の望んだ形になりましょう――――――それにしてもとても素晴らしい………!!」
まるで、魔女の窯の底を覗いた様な光景であった。
赤くぬらぬらと腐敗した肉塊は蠢き、その中へとぶち込まれた魔物や人間の屍は苦悶の表情でこちらを見つめている。
当然に当然だが、生きてはいない。
生物として最悪の状態、屍として最悪の状態。それこそが、商品“死肉の巨人”なのだ。
この世界において光の届かない真っ暗に死骸を大量に放置しておくと魔獣、妖虫、屍鬼などの温床となる。“レクディオプ”はその応用編とも呼べる魔物の一匹で、この蠢く肉塊の形状になるには調整が大変に難しい。
太陽の光を当てさせず、空気を一定以上淀ませて周囲に瘴気を漂わせて、魔力を常に肉塊に纏わせる。そうしなければ、死体単品で動き始めて失敗に終わるのだ。
しかも今回はアグルス・モーガンの自信作で、三割引きながらも大枚はたかれた彼に妥協は無かった。
検問官という役職を使って人間は勿論の事、蜥蜴人やゴリブに大から小まで多種多様な魔物。果ては岩石を身にまとう竜種の親玉である龍種、岩石龍なども集めた破格ともいえる一品。
本来竜種などは自身の魔力が大きいので死肉龍単体として誕生してしまう可能性が高いが、今回はそれが無く完璧に“レクディオプ”の一部として蠢いている。
つまるところ、こんなにも喜ばしい成果はなく。アグルスは自然な笑みについ口元を綻ばせてしまう。
「………そうか。喜んでいるところ悪いが、完成は何時だ?」
喜びも束の間、顧客からの疑問にアグルスは切り替えて応答する。
「この調子でしたら私がまた死体を手配して、おおよそ一週間後には完璧に稼働できるでしょう………―――――どうしました? お顔が暗いですよ?」
「いや、何でもない………」
「そうですか。まあ、いいでしょう」
顧客の隠し事にアグルスは素っ気ない返答で会話を切り上げる。
何故か、と問われれば顧客の詮索はご法度であるからして、既知であるからして。
(後ろめたいのであれば、止めればいいのに………と言いたい所ですが、口が裂けても言えませんね)
金剛月華会の仕事は情報収集や薬物売買、魔素に汚染された獣こと魔獣に、魔力を扱う術を持ち合わせて…或いは魔力に浸されながら生まれた生物こと魔物、それらの製造や販売など商業都市公務員以上に多岐に渡る。悪い職場ではないが、そんな商売をしていれば危険も同様に勇み足。
(さて、逃げおおせる算段もそろそろ付けなければなりませんか…)
テルガス達がコルコタで“レクディオプ”を育てて、用いて辺境伯の屋敷にある転移装置を使い王国領イスタラトに肉塊を転移させて、大きくしながら『国属制度』の置かれた中心部へと進軍する。という情報は予防措置の一環で、故に金剛月華会所属のアグルス・モーガンは知っていた。
「では、引き続き死体はこちらに運ばせていただきますので………あー、あとその魔石は失くさないで下さいよ? 死肉の巨人の手綱を握れているのは、それのおかげなのですから」
「分かっているさ……」
テルガスの右手に握られていたのはひし形に加工された紫紺色の魔石だ。
レクディオプとの繋がりである魔法術式の回路が魔石内部に刻まれており、もし砕かれでもしたら制御不能の死体の濁流が津波となって一気に溢れ出すであろう。
「次に出会うのは作戦当日ですね。――――何か他に入用なモノはございますか?」
「いや、大丈夫だ」
「そうですか。では、また」
●
「くっふっふー! 何か面白そうなことになってきたのじゃな」
可憐で可憐な少女の声が大広間に響き渡るも、振り向く者は存在せず。
それは至極色の少女の存在に誰もが気付けないからであった。
「<黒影>に気付けぬのは仕方ない事じゃが………些かこれはザル過ぎる警備ではにゃいか?」
声も、形も、気配もニーナ・レイオールドの全ては黒い影に包まれており、その台詞を噛んだ様子もである。
スキル名<黒影>。
相手に攻撃をしない限りはどんなことをしても見つからない【暗殺者】クラスの中盤に取れるスキルで、その効力は使用者のレベルに依存する。
「ロー様が知ったらどういう反応をするか楽しみじゃのー! 『相も変わらず、お前の晴眼には脱帽だよ』とか、くっふぅー!!!」
少女は艶やかな黒髪を揺らし、見た目相応の反応に身をよじらせる。
「その愛おしき尊顔、気高き声音。もう一度妾にのみ向けて欲しいものじゃな………」
その一言を最後に。少女から淑女に移り変わった彼女は見えぬ空を見上げて、その場を後に主人の待つ宿へと帰宅する。




