第一章 9 【海を跨いだ向こうの一幕】
青白く輝く魔法の光が均等に照らされた薄暗な廊下、太陽の光が差すことのないセメントで塗り固められた通路を、男が一人歩いている。
彼の目的はこの通路の先にある両開きの禍々しい扉…いや、正確にはその扉の先にある一冊の本だった。
「今日はこれで最後の確認。彼女の予知が当たらなければよいのだが…………」
はぁ、と彼は年相応のしわがれた溜息をついて、ただただ何事も無いように憂う。
彼の名は、ルージェス・アルゴ・ナセル・リスカイオン。
清潔な白い長髪を金のアクセサリで一本に毛先で纏め、幾層にも質の良い布を掛け合わせた灰色のローブと黒い生地に赤く煌びやかな菩提樹の葉に似た模様が描かれたストールを身に着けた翁人。
その風貌、御年百七十歳ながら六~七十ぐらいの初老を思わせる印象の人である。
「………」
自身の顎に手を置いてから、先の独り言を思案してみる。だがしかし、出てくる答えは簡素で簡潔なものであった。
「いや…今に憂いても仕方がない事よ。儂は、ただその結果を噛み締めるのみぞ」
ルージェスの赴く足と気位が覚悟を決めながらに重くなっているのは、彼女ことリリアナ・ヘリスが生まれ持った“神より賜りし恩恵”で、これより先の未来を知ったからだ。
“神より賜りし恩恵”――――それは、通称を“ギフト”と呼ばれる神より人々が無差別に授けられし生まれ持った力。簡単に言ってしまえば、超能力や異能といった魔法ではない人による純粋な異能力。
そして、彼女の能力とは俗に言う未来を<予知>する能力である。
しかしながら、予知できる物事の時間や時期などは曖昧かつ不安定で狙って知れるなんてことは難しい。故にか、九割強の確率で的中し、その<予知>とは基本的には夢でしか視れないというクワセモノ。
そんな能力で視た未来とはルージェスの反応が答えで、もちろん悪い出来事であった。
加えて、視方がいつもとは違ったのだ。
○
「ルーじい様、これを」
今日の終わりも間近という深夜、彼を引き留めたリリアナから手渡されたのは一枚の紙だった。
相も変わらず顔の上半分を淡い赤色の前髪で隠し、『赤じゃーじ』というラフな着物で身を包んだ彼女。小動物の如くいつもの消極的な態度を取ってはいたものの、その時の口調は“怯え”の色に染まっていた。
「これはなんじゃ…?」
「………いいから」
不思議に思い渋々と三つ折りにされたその手紙を開けば、“<予知>で視た内容を記載している”という言葉を初めに、簡潔に記されていた。
(こ、これは……)
固唾をのみ、まじまじと食い入るようにして彼女の<予知>に目を通す。
箇条書きでまとめられていたその内容とは、能力による未来視とその異常性についてだった。
本来、夢でしか視れない未来の光景。彼女はそれを起きたまま視たそうで、時間や時期なども明確に数字として視れたらしい。
そして、肝心の予知した未来とは―――簡単に言ってしまえば、この国を作った“神”が啓示として言葉を残した警鐘を鳴らすべき出来事。
「…他の七教皇には見せたか?」
リリアナはルージェスの問いに首を振り、質問を投げ掛けた彼はホッと胸を撫で下ろす。
彼女が<予知>したのは世界を巻き込むような事象。しかも、いつもの方法ではなく意識のある状態で明確な日時を示したという事実は、“能力の変異・進化”か“予知の確実性を高めた”可能性が二つ。
つまるところが<予知>は九割強に留まらず、十割という確定した事象を視たかもしれないという事だ。
「ならばよい。もし、<予言>の通りに本の数字が変わっていたのなら………それは“始まった”という事。…確認をせねばなるまい」
本来、九割と的中する未来視。
今回、予想ではあるが十割と的中してしまう未来視。ただ、これだけの情報を元に国の中枢を取り仕切る我らが同胞に混乱を招くわけにもいかず。
ならば、確認に向かう必要があるのは必然。
「リリアナ。ヌシはこの事を黙っておくように」
「………うん」
「物分かりが良くて助かる。儂はこれより封印の間へと赴く故、明日に備えて早く寝ておきなさい」
○
ありえない、とは言い切れない懐にしまった彼女の予知を今一度噛み締めて言い聞かせる。
(…今は確認に向かっているだけじゃ。そう気負う事は無いだろう儂よ)
これより行うのは本を開いてその有無をルージェス自身の目で視るだけの簡単なお仕事。
しかし、だ。
リリアナ・ヘリスの<予知>が的中してしまえば、この国…いや、世界が動き始めるであろう事が確定する。
そんな重責の玉手箱を一人の老人が詳らかに開いても良いのかと、ルージェス・アルゴ・ナセル・リスカイオンは重い足取りで…………辿り着いてしまった。
「………はぁ」
眼前にあるのは分厚い鎖が何重にも絡まった封印の間の入り口、両開きの血よりも赤いその扉。
このまま結果を見て重責を初めに背負わなくともよいと彼の心が叫ぶが、この国を統べる七教皇であるルージェスの矜持がそれに勝る。
「汝、人類の寄る辺とならん」
両手をかざし、いつものように始まりの合言葉を唱えれば、半透明の記号のような文字が彼の目の前へと浮かび上がる。
【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■】
文法、文字の整合性、全てバラバラ。先代、先々代の七教皇でも解読が叶わなかった超が付くほどの古代文字。
ルージェスもこの記号に似た文字を読む事は出来ず。しかして、“答え”は知っていた。
「ファーィペ」
この国の最高機密の一つで七教皇の起源より受け継がれてきたその“答え”。
全部で三つとあり、彼が唱えると次なる文面が現れる。
【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■】
文字数こそ変わりはないが、恐らくは違う内容。
「オゥフンル」
続き、現れるのは最後の問い。
【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■】
「アンジン」
淡々と答え終わり、始まるのは第一の封印の解除である。
最初に扉に絡まった分厚い鎖が幻の如く闇の中へと消え失せ、次に何重にも扉に掛かっていた攻性魔法障壁が解除されて、封印の間の入り口は初めて触れる事が可能となる。
その光景はいつ見ても見事だと感心でき、不安を乗せる彼の背中をストンと押した。
「……よし」
部屋の構造は円柱の中といえば分かり易く、壁全体には魔力を宿した丸石が所狭しと敷き詰められており、この空間では魔法やギフトの類は一切使えない様になっている。
その部屋の中心、藍色の石柱で形作られた祭壇には本が一冊。
「我が名はルージェス・アルゴ・ナセル・リスカイオン。七教皇が一人、『不老不死を探求する』七星魔導師が長である! 我が御名において魔呪全書の呪縛を解き給え!!」
白銀と黄金の装飾に光を拒むような漆黒の魔本。彼がおもむろにその本へと右手をかざして高らかに宣誓すれば、視ること叶わない古の力を用いた第二の封印が解かれる。
「さて……」
千年以上もの間、この場所に封印されているという魔呪全書の保存状態は良好で虫食いや日焼けはしておらず、物が物でなければ文化的芸術的遺産として城内に堂々と飾られていたであろう一冊。
ついぞ触れるようになったソレを手に取り、ルージェスは覚悟を決めた。
「………」
パラパラと指を滑らせてページをめくる。
単調な作業だがこれもまた、事態の重さを考えればその軽快な音さえも重苦しい。
(ふむ…いつもの通り、あのページ以外は白紙か)
本の内容が白紙なのは元からなので驚きはしない。肝心なのは一番後ろの項だ。
「…………予言は的中か。青黒の数が減っておる――――“始まった”ということじゃな」
「何が始まったのさ? ルーじいちゃん」
彼以外が居ない場所で突然現れたの子供の声。思わず心臓が口から出そうになるが、一呼吸と落ち着いてその聞き覚えのある声の主へとルージェスは視線を移す。
「レオルか……ここには来るなと釘をさしておいたはずじゃが?」
「えー、いいじゃん別に。減るもんじゃないしー」
ドッキリを大成功させたことで無邪気に笑いながら、肩をすくめるのは齢十五歳の少年。
黒基調でオレンジのラインが入った股の広いズボンに半袖のコートを着こなす彼の名は、レオル・カンベルト。武闘派である。
リリアナ・ヘリスと同様にこの国が召し抱える人類史保全機構の一員であり、能力を持った人間だ。
「馬鹿者。ワシが封印を解いていなければ、今頃ヌシは八つ裂きぞ? それに…夜更かしは感心せんな」
「うぐッ! そ、それは~…」
深夜に差し掛かった時刻に保護者の目の前…ではなく真後ろへと突然現れたのだ。ショートに伸ばした栗色の髪を弄りながら言葉を詰まらせ、その釣り目を泳がせるのは当然の反応と言えよう。
「はぁ……して、何用じゃ? ヌシに<存在希釈>というギフトがあるとはいえ、儂を驚かしに来ただけではあるまい?」
レオル・カンベルトのギフト<存在希釈>とは名の如く、自身の存在を現世より希釈させる能力である。
例えば、四方を壁に囲まれた部屋から扉を介さずに壁をすり抜けての脱出したり、今のように存在を希釈させて地面へと潜り地下深くの封印の間の前に到達するなど。
要はあらゆる物をすり抜けられる“ギフト”である。
「えっとおー………いいの?」
そんな稀有な能力を使ってまで彼はルージェスの元へとやって来たのだ。
お叱りの言葉を設けるよりも呑み込んで、口ごもったレオルに対して老人は寡黙なまま頷いてから彼の目的を催促する。
「じゃあ、えと、“トマス”て人がこんな夜遅くにルーじいちゃんを訪ねてきたんだけど………知り合い?」
レオルの口にした人物の名は、ルージェス・アルゴ・ナセル・リスカイオンの人生において少しばかりの汚点であり旧知の者の名。
迷いに迷い五秒の後、腕を組んで「うむ」とルージェスは感慨をもって頷いた。
「“臆病者のトマス”か………久方ぶりに聞いたな。して、レオルよ。他にヤツは何と言っておった?」
「………いいや、特には無かったよ」
「ヤツめ……今更、貸した金を返しに来たという訳でもあるまいに―――――ああ、レオルよ。戻る前に伝言を頼まれてくれないか」
重力さえも希釈するレオル・カンベルトの能力。
ソレを用いて帰ろうとする彼をルージェスは慌てて引き留める。
「うーんと、誰に?」
「七教皇全員に“本の数が減った”と伝えておいてくれるか?」
「………わかった」
夜更かしが祟ったのか。少年は眠そうに目を擦りつつ、欠伸に大口を開けながら渋々と了解。
そうして、彼の存在はみるみると薄くなり始め、その場から文字通りに姿が消えた。
「行ったか………しかし、困ったことになったものだ」
これからの出来事に彼は同胞よりも先に頭を悩ませる。
“世界が動き始める”という絶対不変の神の言の葉、対して自身らができる事は少ない。
(まずはトマスの用向きとやらを済ませるとするかの。ヤツがいくら臆病者でも自ら墓穴を掘るような真似はせんじゃろ………それを三十分以内に終わらせて、教皇全員での緊急会議じゃな)
手の届く範囲で、今できる事をする。
コレが彼等に課せられた精一杯の働きであり、実在した“神”のお告げを真摯に受け止めた世界に翻弄される彼等の足掻き。
「草案をいくつか考えておくか………」
これより飛来するありとあらゆる災厄への対策を練りながら、魔術国家ユーセラスの最高権力者が一人、七星“ルージェス・アルゴ・ナセル・リスカイオン”は地下千メートルに位置する封印の間を後にした。




