第19話_しゅぎょう
雨傘結界の降らす雨はそんなに激しく強くはない。なのでミコもヒカリものんきなもの。天を仰いで顔に雨を滴らせるその様は、さながら蛙みたいである。
そんな客観論を気にすることもなく、ヒカリはひとしきりはしゃいだ後、ミコが影帽子から家に出していた武具コレクションより持ち出した武器防具他etcなどを身に着け手に持ち、地面に置く。ヒカリが持ち出した武器の量はかなりの数にのぼり、足の踏み場も無いほどに、地面は武器で覆い尽くされている。そんな大量の武器の中、ヒカリが初期装備にセレクトしたのは銃と槍。ロングレンジを主眼に置いた武装である。
「じゃあ始めますか。まだ実力差があるから手加減はするけれど最初から実戦だからね、油断しないように」
「はい」
「あと、腕が上がっていったらギアはどんどん上げていくからね。『この程度』って思い込まないでよ、ヒカリちゃん」
「了解です」
「そしたら……はじめますか!」
そう言うが早いか、ミコは説明を切り上げて影帽子のがま口チャックから黒い腕を出現させるとその手に背心刀・雨のシャドーコピーを持たせ、八方八手の刀をヒカリめがけて斬りつけだした。ヒカリはまずミコに向かって持っていたオートマチック拳銃の弾11発を全弾即座に発射する。そしてパッと手を離して使用済みの銃を重力任せに落とす一方、足元にあった盾を足先爪先で掬い上げてから空いた手で掴み、向かって右側に向かって全速速度で跳躍した。
ヒカリが跳躍の最中にも横目でミコのことを確認すると、ミコは自分に向かってくる11発の銃弾を、がま口チャックから追加で取り出した長い長い黒い足で立つことで自分ごと持ち上げ宙に立って全弾避けてしまっていた。ミコが飛び上がると彼女が元いた場所は細く長い黒い足数本と隙間しかなくなってしまい、弾は擦ることもなく通り抜けてしまっていたのだ。しかしそれも想定内。ヒカリは気を取り直して自ら接近した右側の黒い手に飛び乗った。横薙ぎで向かってくる刃を盾で受け止め押しとどめると、素早くジャンプして刃の上に乗り、そのまま躊躇せずに動いて黒い腕の上を走り出す。ヒカリの狙いはここにあった。ミコに接続されている黒い腕を伝って、ミコとの間合いを詰める算段。
「ほう、やるわね。でも!」
ミコはヒカリの作戦に感心したような素振りを示したが、手加減無用、すぐに反撃対策に打って出た。足場にされている黒い腕を自分の腕で引きちぎって影帽子から切り離し、空に投げる。ヒカリは足場を崩されたのですぐに飛び去ったのだがこれはミコにとって好機。まだ空を飛べないヒカリが空中に舞うことは、『いくらでも攻撃してください』と言っているようなものだからだ。ミコは遠慮なく展開していた残りの黒い腕を全てヒカリに向ける。まずヒカリの全周囲を包囲し、続け様にヒカリ目掛けて攻撃する。早くも絶体絶命の状況。ここでヒカリは最初の勝負に出た。持っていた盾を足に添えてそのままぐるんと半回転。上下に回転して下を向いてから盾を蹴って加速、下へ地面へと突っ込んだ。
「やっほーっ!」
元気な掛け声を出してミコの攻撃速度より速く落ちだしたヒカリは、下から向かってくる黒い腕を蹴り飛ばしつつも放さなかった盾を当てることで強行突破、そのまま盾を踏み台土台マット代わりに上に乗って着地した。
「どーん!」
ヒカリの叫びと正に同じ音が雨に濡れた柔土にもかかわらず轟く。ヒカリの着地の際の衝撃が衝撃波となり、地面に置いていた武器の大半を一瞬だけ、あくまで低い高さではあるのだが宙に浮かせた。ヒカリはその一瞬を逃さず袖の下に隠し持っていた超強度磁石付きのワイヤーを投げつける。すると宙に浮いていた大量の武器は強力な磁力に吸い寄せられてワイヤー先端に吸着、巨大なモーニングハンマーのような武器へと変貌したのだ。その間一秒にも満たず、ヒカリは即座にワイヤーを操作しハンマー部分をミコに投げつけた。
「ちいっ!」
ここで初めてミコは舌打ちをした。でもそれは悔しいとかそういう意味ではなく、ヒカリが自分の計算を超えたことに対する嬉しさから出たものらしい。その証拠に、顔は笑っていたのだ。黒い足を引っ込めたミコは開いていた影帽子のがま口チャック両端から黒い羽根を出現させ、バサッと羽ばたき空へと逃げた。ワイヤーハンマーはその下を擦ってその勢いのまま飛び抜けた。ミコはその運動に疑問を抱いたが、考える暇もなく強烈な殺気を感じた。
「はっ! ヒカリちゃん?」
「えーいっ!」
ミコが気配を感じた方角――死角となっていた方向にヒカリの姿があった。そう、ヒカリはワイヤーハンマーを投げ飛ばした瞬間踏ん張っていた足を宙に浮かし自身もジャンプすることで飛んでいくワイヤーハンマーに引っ張ってもらい、うまいことミコの死角へとこれまた隠し持っていた他のワイヤーと噴射装置を駆使しつつ潜っていたのだ。その成果が実りまさに零距離接近戦まで間合いを詰めたヒカリ、槍を短く持ってレンジを詰め、ミコに強烈な突きを喰らわす!
「とりゃ!」「なんの!」
ヒカリの攻撃。当たることは当たったがそれもミコの手までで止まる。なぜならミコが黒い手でもなく自分の手で槍の切っ先をつまみ止めて魅せたからだ。
「くっ!」
「やるわね、ヒカリちゃん。第一段階はクリアでOK。次に行くわよ。ギアアップ!」
「うわわっ!」
ミコはヒカリの腕が一定レベルを突破したことを認め、自らの実力“ギア”を上げた。すると対応がそれまでから一変、指で摘んでいたヒカリの槍をそのまま無造作かつ豪快に投げ飛ばした。突然の超反応にヒカリは対応が遅れ、槍もろとも投げ飛ばされそうになる。
が。
「なんの、これしきーっ!」
ヒカリはそれまで手から放さず愛用していた槍をあっさり捨ててバイバイさよならと別れを告げる。そしてまだまだ隠し持っていたワイヤーを射出装置で地面へと打ち込み、巻取装置で地面へと急降下、そのまま地面に着地する。ヒカリの撤退ぶりを見たミコは、またもや安心した素振りを見せつつ、すぐに追撃を仕掛けてきた。そんなに時間は経ってはいないが、空中で遊んでいた黒い腕とその武器一同を一斉に地上のヒカリへと向けて攻撃させてきたのである。
ヒカリはすぐに迎撃に出る。先にワイヤーハンマーを作った際、磁力に吸着されなかった武器――地面にまだ残っていた武器群に走り、腰を落として手に取ると、矢継ぎ早に空中から向かってくる黒い腕目掛けて投げつけだしたのだ。
道具と道具のぶつかり合い。雨に染み込んだ鈍い金属音が空中で立て続けに木霊する。ミコが繰り出した黒い腕、その手に握られていたシャドーコピー武器群はヒカリの投げつけた武器群に弾かれて、次々に黒い手を離れて空中に飛散する。シャドーコピーはミコが影の秘術で生み出したものだが、黒い道具と異なりその本質は黒い手、影帽子の能力である。能力の大元である黒い手との接続が絶たれてしまったので、元の影、実体のないモノへと還元されてその全てが消滅した。それでもミコは止めることなく、黒い手を握らせ拳を作り、拳の多重奏といわんばかりにラッシュをヒカリに喰らわせてくる。ヒカリはギリギリまで動かず十分にミコの拳を引きつけてから、またもや隠し持っていた煙玉を自身の真下に投げつけて煙幕を張る。煙の広がりはかなり大きく、結構な距離のある空中のミコさえも煙幕の中に捉えた。
「随分色々と隠し持っているわねヒカリちゃん。煙幕とはまた骨董好きな……気配も消してる、ならば!」
ミコはこの煙幕が自分の感覚さえも封じる特殊な煙幕であることを確認すると、展開していた黒い羽根で風を起こして煙を吹き飛ばした。さらに念には念を入れ、感覚系の黒い道具である黒い眼をがま口チャックに出現させる。それと同時に、黒い羽根を除くそれ以外の黒い道具――黒い腕と黒い足をがま口チャックの中へとしまう。全周裂開の切り札を使っている時ならともかく、普通に開いているチャックの大きさでは、黒い眼を出してしまうと他のものはほとんど使えないからだ。特に数が売りみたいなところのある黒い腕と黒い足は一本でも展開していると、それだけで展開可能容量を喰ってしまう。同じ大喰らいである黒い眼とは、通常一緒には使えないのである。
そんな理由でミコが黒い羽根以外をがま口チャックの中にしまい、新たに出した黒い眼でもって気配を消したヒカリの姿を探ろうと煙を飛ばして探索開始。したのだが……。
「地中?」
その詞が示す通り、空中にいるミコが地上を探索したところ、見つけたのはヒカリが入れそうな地中へ掘られた穴がひとつ。ヒカリの姿はどこにも無かった。
「潜ったかー、でも黒い眼で探査すれば……ん? 反応あり? 真下?」
ミコが一人言を呟いている最中、黒い眼の発した警告で真下を向くと地中から10発以上の弾丸が上空のミコに向かって飛び出してきた。探索開始から間を置かずに攻撃され、ミコも若干慌てて防御態勢に出る。いつもなら黒い腕を多数出すか黒い盾で防ぐとこだが、黒い道具は展開可能容量が足りないので、雨を使うことにした。レインとしての能力で雨傘結界の中降りしきる雨を集め、雨装活化・水星球を造り出す。雨を使った防護球体の中に入ったミコは向かい来る銃弾から己が身を難なく守りきった。だが!
防護球体こと水星球は銃弾を防いだ途端弾かれた。銃弾が実は炸裂弾で、接触し防がれた刺激で爆発したのだ。それと同時に黒い眼が更なる警告をミコに知らせる。
「今度は上ですって? ……って、あれは!」
ミコは上を見上げて仰天する。ミコの上、即ち上空にあったのはヒカリが濡れた地面に置いていた大量の武器だったからだ。
「……ふふっ♪」
地中に潜伏中のヒカリはその様子を感じ取ってニヤリと笑う。そう、ヒカリは煙幕で自分とミコの周囲を隠した直後、地面に置いていたありったけの武器を記憶と予測でミコの遥か上空に投げ上げていたのだ。重力任せに自由落下、雨のように降り注ぎミコを襲うように計算して。雨装活化・水星球で防御されない隙を突くため、地中に隠れ援護射撃までした成果がここで現れた。
「ぜ、全周裂開!」
ヒカリの狙いはズバリ的中。ミコは目と鼻の先まで迫った武器を前に、黒い羽根の空中機動で地面へと逃げて少しでも距離を稼ぎつつ、全周裂開のコードで黒い道具の展開可能容量をMAXにして黒い腕を62本全て展開。降り掛かってくる大量の武器を受け止めるなり弾くなりして防御行動に専念していた。それこそヒカリの待っていた瞬間。
「とりゃーっ!」「なに? きゃっ!」
ミコは空中から突如引っ張られ地面へと投げ落とされた。引っ張られている原因は黒い腕の一本。それに不可視覚化してあった見えないワイヤーが引っ掛かっていたのだ。
ワイヤーを引いているのは……そう、ヒカリである。
「きゃあっ!」
ミコは着地の体勢を整える暇も無く背中から地面――水たまりに叩き付けられた。その上からは雨のように武器がまだ降り注ぐ。ミコは寝た体勢のまま黒い腕を使って向かってくる残りの武器を全て弾き尽くす。その最中にもヒカリが自分の方に落ちてきた武器を手に取ってミコ目掛けて投げつける。黒い腕だけでは手に負えないミコは黒い足も出して水平方向に迫ってくる武器を蹴り飛ばす。やがて全ての武器が弾かれ尽くされた。ヒカリもそれ以上の追撃はせずに、閑話休題、一時休憩と休んでいる。ミコもそれに応じるようにしばらく休んだ後、飛び起きて地に足を着ける。
目と目を合わせ見つめ合う二人。沈黙の後ヒカリが不意に微笑み、ミコも笑顔で拍手をする。
「すごいわ、ヒカリちゃん。わたしのギアを上げさせただけでもすごいのに、実力のリミッターを一段階上げたわたしを地に伏せてみせるなんて。やはり実戦修行は効果があるわね。今もあなたの実力がめきめき上がっているのをこの黒い眼が視ているわ」
「恐縮です。これも先生が手抜きの本気で闘ってくれているおかげですよ。わたしは闘いでその都度できることをやっているだけですけど、それでも選択肢と可能性が広がっているのを感じますね。ドキドキするので心臓には悪そうですが」
ミコの評価にヒカリの感想。両者の想いが絡み重なり、ひとつの現実を生み出していく。
ミコは両手を合わせて集中、例の呪文を呟きだした。
「母木から離れた葉っぱの心は虚っぽ
那由他の空には証の欠片も得られず
魅せる 誰も振向かず
繋がる 誰も応じない
星天に霞み輝く数多の涙
無限の星々が観守る中で
葉は花へと 魔法の変化
夢幻の花が ひとつ咲き
星の心歌が 宇宙に響く!
Now! Florescence!」
彼女が叫ぶ。雨が弾ける。そして彼女の背中には、見覚えのある羽衣が――。
「来ましたね。『幻の身体能力』、幻想レインコート……」
ヒカリは羽衣を羽織ったミコの美しさに息を呑みつつも、頬を両手でパンとはたき、気合いを入れ直す。自惚れは許されない。いくらこの実戦修行を通して闘いながら強くなっていると言ってもミコがレインコートを羽織り幻の身体能力を解放したら10秒……いや瞬殺でも遅すぎるだろう。それに加えて影帽子は全周裂開で最大活用。雨の能力も雨傘結界の箱庭の中絶好調に使えるのだ。あらゆる勝利へのファクタがミコに片寄っていると言っても過言ではないだろう。瞬殺どころか『わたしはもう死んでいる』と暗示をかけられている気分にヒカリは陥る。
そしてヒカリの考えを裏付けるかのように、ミコは静かに構えをとった。腰を落とし若干前傾姿勢になって、右手を掌底、左手を拳打に構えて静止。さらにその周りに展開していた影帽子の黒い腕と黒い足も手は両腕に、足は両足に添わせる形で縮めて待機させている。ミコの闘いを見聞きしてきたヒカリはその構えがミコの必殺技である月砂鏡の準備だと理解する。一撃必殺の目論見で臨むミコを前に、持久戦は不可能だとヒカリは悟る。一発勝負が不可避なのだと。
元々勝ち目は0のヒカリである。では何を目標に闘うのか? ヒカリはそれを『負けないこと』、『先生をギャフンといわせること』と設定した。勝つのは無理でもこれくらいならやり方次第でできそうだと……そう考えていたのだ。
(さて、どうやって一泡吹かせるか。考える時間は先生がくれてるからいいけど……)
静物モデルのように技の構えをしたままミコは動かない。それはヒカリの準備完了を待っているのだとヒカリは理解していた。逆に言えばその時間を駆使して作戦思考に使えるわけである。待たせることは趣味ではないヒカリだが、ここは一発勝負なので唸り吃り考えた。
沈黙数秒。黙考数分。随分とあれかこれかと命乞いシンキングタイムを経たヒカリはようやくとある『一手』を思い付き、それを試す勇気を作る。
ヒカリもミコに倣って構えをとる。しかし何か技を出すという風ではない。むしろその逆、『何もしない』と主張するかのような『無の構え』をとったのだ。
「ほう……受ける気、なのね。いいでしょう、いくわよ!」
ヒカリの覚悟を見て取ったミコは喋り終わると同時に消えてヒカリの零距離射程内に出現する。「諸行無常、月砂鏡!」と叫んで必殺の月砂鏡をヒカリへ喰らわせた――。
だが!
零距離から月砂鏡を喰らわせ、双方共に吹っ飛ぶはずが、実際に吹っ飛んだのはミコだけだった。技の反作用でヒカリから遠ざかるように離れるように飛ばされる。一方のヒカリはなぜか飛ばされずにその場に留まり立っている。月砂鏡がもたらすはずの『結果』とはかけ離れた『現実』に、ミコは頭が真っ白になりプチパニック状態となる。その動揺で対処も遅れ、本来なら華麗に受身着地をとるところを、背中から地面に落ちて引きずられるように仰け反ったのであった。美的採点0点のみすぼらしさであった。
「なんで? どうして!」
仰向けに寝そべり顔に雨を受け、ミコはかなりの大声で叫ぶ。そのなりもかなりみっともない。もはや最強の俗物ミコ=R=フローレセンスではなく、どこにでもいそうな一人の女の子と化していた。
そんなミコを見やるヒカリははやる鼓動をなだめるのに必死であった。対策が『成功』した高揚感とかそんなものじゃない。月砂鏡を喰らって頭の中が真っ白になっていたのだ。再起動しミコの疑問に答えられるようになるまでは、雨に当たって2分ほどの時間を要した。
そして再起動が完了したヒカリは、まだ寝そべったままのミコに静かな声で話しかける。
「すみません先生、わたしの打った月砂鏡対策が思いの外成功したみたいです」
「成功? やっぱりこれヒカリちゃんの技なのね。どういうカラクリなの? わたし全然わかんない!」
ヒカリの詞にミコは即座に反応する。ヒカリは一回髪の毛を掻いて、やはり申し訳なさそうな顔をして説明を始めた。
「わたしは技なんか使ってませんよ、先生。ただ、“みんなを味方にした”だけです」
「“みんなを味方に”……? まさか、それって!」
「そうです。“みんな”ってわたしと先生以外の全部です。このぬかるんだ大地、雨雲に覆われた空、降り注ぐ雨、充満する空気、そしてこの俗世惑星に宇宙に至るまで、あらゆる環境を意味します。それらの力を結集した結果わたしは月砂鏡で受けた衝撃を“みんな”で受けたことと等価にできたんです。先生の月砂鏡は強力です。でも宇宙を壊すほどではない。受けるわたしを一点に、だけど“環境含めみんな”で一緒に受けたから、わたしは飛ばされず先生だけがわたしと環境から遠ざかるように一気に飛ばされたってわけです」
ヒカリが説明を終える。いまだ寝たままでヒカリの説明を聞いたミコはまだ起き上がらずそのまま寝ていた。ダメージなど最初から受けていないはずなのにだ。それどころかなんと彼女は寝そべったまま突然笑い出した。狂ったように笑い出したのだ。
「うふふふふっ、ははははは……あはははははっ! きゃはははははっ!」
突然の高笑い。ヒカリは思わずびくついて、お伺いでも立てるかのように「せ、先生……?」と声をかけるがミコはそれにはまるで応じず、一人言で答えを魅せた。
「負けた負けた負けた負けた負けた! 見えた視えた見得た視得たみえた! どうだ見てたか創生源! 最強の俗物だったわたしを上回って魅せたこの子の姿を! くぅ〜たまんないわねー。これだから人生は素晴らしいのよーっ!」
それは、凄まじいまでの喝采であり、歓声だった。大声で高笑いを上げて自身の満足をこれでもかと詞に表し歓喜する、一人の女の子の姿だった。ヒカリはミコが狂ったのかとちょっと不安に感じたが、すぐに「そんなことはないか」と考え直す。そもそもミコは普段から美的感覚や思考回路が狂っているところがあるし、元を正せばミコをこんなにしたのはヒカリである。今さら怖がって自責するのはおかしいと感じたのだ。自分は自分のやれる『最高』を尽くしただけ、それでミコが『最狂』に壊れ笑ってしまってもそれはミコの自己責任であるから。
そう思ってヒカリは心の平穏を取り戻そうとしたのだが、そうは問屋、いやミコが卸さなかった。高笑いを続けていたミコが突如、「うぐっ!」と悲鳴を上げて笑えない風になったのである。「まさか……消還?」と悪い方向にコンマ40秒で考えが及んだヒカリは慌ててミコの元に駆け寄って「先生! 先生!」と叫ぶ。一度消還が始まったらヒカリには止める術はない。それでもできることならこの場は止まってくれと願うヒカリであった。しかし。
「うっそぴょーん。まだ消えねー」
「がああああっ! そんなこったろうと思いましたよ!」
ちらりと舌を出して演技で騙していたことをミコがバラし、ヒカリは嘘だと気付いていなかったがノリとツッコミの勢いで思わず気付いていたというニュアンスの絶叫をかましてぬかるんだ地面に足を滑らせ、ミコの隣に倒れ込んでしまう。ちょうど頭の位置が並ぶ二人、どちらからともなく自然と目と目を合わせ、そして……。
「ふふ……んふふふふふっ」
「ははっ、あはははははっ」
二人一緒に笑い出すのであった。
笑い出して40分ほど経ち、散々笑ったヒカリとミコはようやく笑い止まってひと呼吸。上から降り掛かる雨を全身で受けながら、水と土に身を委ね同化しようと意識を溶かす。
そんな修錬にも似た状況の中、ついにミコは降参した。
「負けたわ。ヒカリちゃんにしてやられた。この羽衣、いや花衣を着た状態、全力の月砂鏡を完璧に捌かれた。完敗よ。肉体は全然闘えるけど、心がダメね、戦意を完全に折られちゃった。まさかアルルカインを使って月砂鏡に至る必勝コンボが崩される日が来るとは……まあ、これではっきりしたわね。世代交代の前と後が」
「先生……まだわたしは先生を超えたわけでもなんでもないですよ?」
「ううん、超えなくたっていいの。ヒカリちゃんの強さがわたしのトレースであれなんて義務もルールもないんだから。幻の身体能力なら近いうちに開花するでしょう。そうすればアルルカインも遠からず修得できる。いいじゃない。それに、いい機会だったのよ。わたし今とっても気分がいい。周囲から俗世最強とか望まぬ評価を戴いていても今までそれを覆すことができなかった。でもこうして消還前にヒカリちゃんに負けたことで俗世最強の肩書きが外れた状態で消えられる。それがとっても心地いいの。ヒカリちゃんには少々申し訳ないけどね」
「それは……そうですね。俗世最強なんていらぬ肩書きをわたしに押し付けたってことになるんですから。先生が強いからいけないんですよ?」
「ごめんごめんねごめんなさい……ってね。ふふ。でもね、ヒカリちゃん、自分らしくあるためには周りからの干渉を受け付けない程度に“強く”あることは必須条件。どんな些細なわがままでもそれなりの強さは求めてくるからね」
「はい。先生」
実戦修行を通してミコがヒカリにつらつらと教えを言って聞かせる。ヒカリも水を良く吸う綿のようにミコの教えをしんしんと聞き、心にとどめていく。雨に濡れているのも構わず、寝そべったまま、一風変わった光景は第三者から見てみれば、よくやるなあと感心する光景だっただろう。しかしそれがヒカリとミコにとって本当に心地いい、大切な時間であったのも事実、もとい確かな真実であった。
そしてとうとうミコは、その詞を口にする。
「わたしが消えるのは7日後ね。それまではヒカリちゃんと最後の思い出作りまくるわ。もう修行も全部完了しちゃったからね。かしこ」
「わかりました。いっぱい思い出、作りましょう」
ミコの寿命宣言にヒカリはまるで動揺せず、素直に受け入れ向き合った。それは二人の間に決して消えることのない“絆”ができた証明証左。ヒカリとミコは顔を見合ってどちらからともなく、微笑み合うのである。雨の中。濡れているのも構わずに――。