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ミコの影帽子 夢心背話(ゆめうらせばなし)  作者: 心環一乃(ここのわ むの)
第19話 さいごのとき
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第19話_もんどう

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 食事を終え、手を合わせた後のヒカリとミコはそそくさこそこそ食器を片し、洗って仕舞って椅子にちょこん。ミコがレインとしての力で延々永遠に降らせている雨傘結界の雨を眺めつつ、雨音を聞きながら一息つける時間を迎えた。

 雨がふるふる。音はしとしと。肌はさらさら。舌はうまうま。

 食事の余韻を満喫しながら休息中の二人だったが、やがてそれにも飽きてしまい、本格的に二人の時間、すなわちヒカリを打って鍛える修行の時間に入ることにした。

 ミコはヒカリに向かい側に動くよう指示を出す。ヒカリも素直に従って、座っていたロッキングチェアから降りて持ち上げると、てくてくちょこちょことミコの正面に動いて椅子を置き、揺れるのも構わず飛び込み座る。そこにミコから投げ渡された膝掛け毛布がひらひらと宙を舞い、埃ひとつ出さずにヒカリの膝上に覆い被さる。ありがとうございます――ヒカリがミコの顔を見上げて礼状文句をしたため届けると、ミコも淡く微笑んで自分の膝に毛布をかけるのであった。これで準備は整った。

「さて――話をするのはいいけど、これは昨日までの続編でもあるのよね。一体どこまで話したやらやら?」

「んーと……先生の人生談でしたね。人生一周目『天雨乃原咲葉』時代の思い出と38thレインとの対決及び人生二周目、『39thレイン』として学都スコラテスで学んでいた頃の話や冬夏戦国時代での戦歴、そして嘘の神泉=ハートさまの歌声を聴いてアパートに向かい、出会ってセッションした後先生自身も消還の運命を知って気象一族を出奔、『ミコ=R=フローレセンス』を名乗ったとこまでは聞きました。つまり今日からは人生三周目の話を聞かせてください」

「そうなのなるほど、了解したわ。じゃあ、さっそくわたし、『ミコさん』の旅路人生とそこから学んだ心得集をお話ししましょう。では……」

 

 それからミコは語り始めた。今の自分、人生三周目『ミコ=R=フローレセンス』としての人生を。ヒカリに出会うまでずっと続けていた“旅物語”をつらつらと。

 

 戸籍改竄手続願を提出し、正式に改名した後気象一族の里を抜けたこと。

 旧知の郵便屋ソームと合流し、色巻紙九助の誕生日を謀略で祝ったこと。

 医療都市メディケアで置きた事件を解決し、子分と宿敵に出会ったこと。

 人を拒む野ざらしの森で、只一人の女性と動物達の優しさに触れたこと。

 夜の美術館を探検していたら、摩訶不思議な絵画に宝物を渡されたこと。

 幽霊屋敷を訪れて、幽霊たちと飲んで騒いで冥海へと送ってやったこと。

 前世の本を捜した骨董古書屋で、店主にお茶をもてなしてもらったこと。

 黒の日に闇夜の森で野営し、黒の視点でこの宇宙の輪郭を垣間見たこと。

 大自然のオーケストラを聴いて感動し、自分も歌を歌って参加したこと。

 春の日、桜島で心樹・オピィの元を尋ね話し、桜の樹を枝泥棒したこと。

 泥棒相手に「貧乏人なら毒を飲め」と毒薬(実は金運薬)を渡したこと。

 極上の水の味を求めて水の名所アルコ村を訪れ、その味に感動したこと。

 ある街で知り合った親娘に泊めてもらった日が丁度、縁の日だったこと。

 子分だったシャーロックとクララの結婚をお世話してやったときのこと。

 雪原に雪で「雪天橋」なる不思議な造形物を作って騒ぎを起こしたこと。

 気象一族の後輩だったスノウに追いつかれ、洞窟で一夜を過ごしたこと。

 摘まれている花がかわいそうに思え、摘んでいる子供たちを諭したこと。

 花を植えたくなったので、花一族本拠地ガデニアに向かったときのこと。

 開発過程で出たリバムークの種を作るべく、研究室に籠ったときのこと。

 神様の設計図を狙う若造たちが起こした事件を解決するため闘ったこと。

 そっちが解決したと想ったら、今度は神様たちと闘うハメになったこと。

 桜島へ出航した途端、海の心に助けを求められ、気象能力を使ったこと。

 二度目の春の日、桜島でオピィと再会し、桜の魔法を見せて貰ったこと。

 桜の魔法に導かれ、キティとアイズの兄妹に出会い花の種を託したこと。

 キティの名誉を賭けて、トランスフェイクの住民と三本勝負をしたこと。

 開花したリバムークの奇跡で自分の行き着く先を一足早く体験したこと。

 アパートでもない俗世本拠地で神様たちとカードゲームで勝負したこと。

 未来人犯罪者シク=ニーロとセフポリスの街で謀略戦を繰り広げたこと。

 ひょんなことから宇宙に拉致され、モエルとプルンを助けてあげたこと。

 メカニズモの機巧人形アリスと手合わせし、完成への布石を打ったこと。

 寿命の研究をしていた老発明家に寿命を買える金貨をクレてやったこと。

 動物たちの秘境を訪れ、とても美味な御馳走でもてなしてもらったこと。

 惑星の力が生み出した缶バッジを全て集め、光の魔法を見たときのこと。

 雨の降っていた日、ヒカリを見つけて保護し、この『家』に匿ったこと。

 自分を信仰対象にした不届き新教義を首謀者諸共完全破壊してきたこと。

 

 ――などなどほかにもつらつらぺらぺら。

 ミコは自分が旅してきた記録と思い出を全て話した。余すことなく赤裸々に。よくもまあそんなこんなに冒険探検含む旅をしてきたものだと話を聞いていたヒカリは圧倒された。もはや旅物語というよりは冒険奇譚の方が形容詞として合っているのではないかとも邪推してしまうが、ここはミコの主観こそ正解なのだろうとも思ったので、ヒカリは無粋なツッコミを口に出すことはなかった。

 ミコが滑らか柔らかに口にする詞を、聞こえるままにイメージするヒカリ。前述の通りバラエティに富んだ数々の旅物語は、聞いているヒカリの心をときめかせ、充実感をも感じさせてくれる。頭の中で鮮明に浮き上がるミコの活躍する姿は口伝であることを忘れさせてしまうほどの没入感があり、段々とヒカリは『現実』がどっちかわからなくなっていくほどだ。自分の想像力を褒めるべきか、ミコのストーリーテラーぶりを褒めるべきか、ヒカリは前者“そこそこ”後者“大いに”を選択し知識として常備準備する。臨機応変柔軟に頭を働かせることでヒカリは余裕をもってミコの話を聞いていた。

 そして全ての旅物語をミコが語り終わる――聞き取り感じるだけの時間が終わりを告げる。ここからはヒカリ自身もミコと話す“対話”の時間である。

「これでわたしの人生談はおしまい……ふぃにゃあ〜、長かったわねー。自分の人生まるまる話すっていうのは初めてだったから、喋りすぎた気がしないでもないわ。なーんか余計なことまで肉付けして話した気もするけど……」

「何を言うんですか先生、わたしは聞いていて楽しかったし、おもしろかったですよ」

「そう……? なんだか今度は恥ずらかしくなってきちゃった……いきゃんいきゃん! 次行こ、次!」

「はい」

「じゃあ早速……ここからは教育問答の時間よ。わたしの話した中でヒカリちゃんが気になったこと、なんでも質問して頂戴。そこから引き出したわたしの人生観をそこそこ参考にしてもらいましょう」

「わかりました先生。じゃあ早速最初の質問です。先生は先代、38thレインに嵌められて以来“人を信じる”ことが嫌いになりましたよね?」

「なったわね〜。信じる云々以前にあいつのことは今でも毛嫌いしてるわね」

「でも一方で39thレインだった二周目の人生では気象一族の端末仲間さんたちとわりあい仲良くやって冬夏戦国時代を闘い抜いたりもした……友達とも呼んでいた人たちですけど、それでも信じる、もしくは同義語で表すような関係ではなかったと?」

 ヒカリの第一問。それは“信じる”という概念を心底嫌うミコの対人関係を鋭く突いた問いかけだった。人生一周目、天雨乃原咲葉という名前だった頃、先代、38代目のレインに騙され嵌められたミコは、それ以来人を“信じる”ことができなくなったという。しかし一方で人生に周目、当代39代目レインとして活動していた頃のミコの話を聞くと、まあ仲間達への熱い気持ちが詞の端々から感じ取れるのである。それはやはり“信頼”、引いては気象一族の仲間たちを本心では“信じていた”のではないか――ヒカリはそう問いかけたのだ。

 

 その生き様は矛盾しているのではないか?――ヒカリの質問に対しミコは慌てた素振りも全く見せなかった。普通都合の悪そうなときは、人間動揺したり虚を衝かれてしどろもどろなったりするものだが、ミコにはその素振りが全くない。かといってすぐに返答をくれることもなかった。視線の先のミコは、ヒカリの方を向いているようでその実見ているわけではなさそうに見えた。なんかこう、回答のシミュレーションというか、イメージというか。現実のヒカリではなく、頭の中の景色を視ているような気がしたのだ。そんなに悩み考えるほど回答に困ることなのか、でもだったらなんであんなに悠然と受け止められるのか、ヒカリは師事してまだ時間が浅いこともあり、ミコのそういう在り方がホントよくわからないのだ。矛盾した生き様なのはなんでだろう――と、それこそ考えだすとこっちが困ってしまうくらいに。だからこその質問であった。

 ミコにとってはヤな質問だろうとは思う。でもヒカリは回答をはぐらかされるとは思っていなかった。師事して幾許も経っていない間柄だが、そこだけははっきりとわかっている。ミコは自分が投げたボールを落とすことは決してないと。ちゃんとボールをキャッチして、返事をしたため返してくれると。そればっかりは“信用”できた(ミコにとっては複雑だろうが)。どんなに痛く苦しい詞だろうと、ミコは教え子であるヒカリを無下にも無視もしないのだ。だからヒカリはとにかく待った。ミコが答えてくれるのを待った。

 そうしてヒカリが待機を始めると、ミコはそっと視線を外した。上の空みたいな目つきで膝掛け毛布の上に置いていた右手を持ち上げて、オーケストラの指揮者がタクトを振るように静かに指でなにやらなぞる。回答光景をシミュレーションしているというよりは、どう回答したものかと詞を選んでいるようにヒカリには見えた。丁寧に。慎重に。

 そしてさらに十数秒、ミコは上の空だった視線をヒカリの方へと戻した。空をなぞっていた右手も毛布の上に戻し、「お待たせ〜」とのんきな返事をしつつも、ヒカリの待っていた『答え』をとんとんと話しだしたのだ。

「まず答えから言っちゃうと、やっぱりわたしは“信じる”ことが苦手だし大嫌い。でもヒカリちゃんのいう通り、ウィンドやカーレントたち気象一族の仲間たちとの関係は一般用語的にいえば“信じる”ものではあったかもしれないわね」

「やっぱり……そうなりますよね」

「うん……でもねヒカリちゃん、それでもわたしはこの関係性を“信じる”なんて表現にはしたくないの。わたしはどれだけ仲の良い子相手でも、心のどこかで“疑っちゃっている”人間だからね」

「oh, I see. 確かに“信じる”って疑わずに『こうだ』って思い込むことですものね。100%を示す詞、だから疑ってしまう先生にとっては、ふさわしくない詞――」

「うん、そうなるわね。わたしはとにかく疑りっぽい。1%はないけれど、億に一くらいの割合ではなんでもかんでも疑っちゃう。それにね、可能性やら縋りたいものを“信じた”ところで、現実がそうだ、100%そうだってことになるわけでもないのよ。信じるものの大半は自分以外のものだからね……それこそ自分じゃどうしようもないわけだし。ましてや疑り深い自分の心の中なんて……もっとどうしようもないわ。自分がどんなに『100%だ』って言い聞かせたところで、もうそれは自分で自分を騙しているのと一緒。わたしはそんなことしたくなくなったから信じることをやめたんだと思う。実際、先代のレインに嵌められたとき、『こんなハズじゃない』って思い込んだ挙句裏切られたことを知り、すっごい気持ちが落ちたからね」

「だから“信じる”という詞は使わない――なるほど納得、得心です。でも先生、それなら“友達”レベルまでは“頼り”にしているウィンドさん達との関係はどう言い表しましょうか?」

「そうねぇ……“背中を預けられる”関係、かしらね。信じるってさ、“心を許す”ことだと思うの。それもほぼ無条件かつ無償って感じで。でもわたしはあの老いぼれ先代の経験や過ごしてきた環境からか心を許せる状況って、なかなかなくってね……だから、わたしは“信じる”なんて詞は使わない。無言で“背中を預け”られればそれで十分だと思っているから。ほら、背中って口よりも雄弁なときがあるでしょ?」

「ああ、確かにありますね!」

 ミコが辿々しくも辿り導き詞にした答えを聞き、ヒカリはポンと手を叩いて相槌を打つ。待ち望んだ回答は、ミコの“本当”を体現するミコの本音で相違ない。心を裸に裸足にして伝えてくれた“詞”を聞いたヒカリは、ミコ=R=フローレセンスという人を初めて本当に“理解した”。後継者にと策謀し一方的に強迫した挙句逆に殺された先代38代目レイン、学都スコラテスの学生時代からずっと一緒に行動しつつも真に心を許すことはとうとうできずにその関係で満足してしまったウィンドやカーレントを初めとした気象一族の仲間たち、闘いという極限状態の中、理解する余裕さえなかった対戦相手の数々と……ミコがこれまでの人生で出会い触れ合ってきた全ての人間・神様を追い越し追い抜きかっ飛ばし、ヒカリはミコの“隣”にその身を置いた。

 その一瞬、ヒカリは心が風か川で洗われるような体験をした。万事流転の理の中、流れに揉まれ流されて、前後不覚の姿勢から、一気に視界が膨張したのだ。一瞬の中のさらに一瞬、刹那の時間で見えたのは、星の誕生輝く草原、そこにいる師と傍らの自分、ヒカリの視界は急速に収束し、草原の中の自分と一体化した!

「っは! はっ、はっ、はぁ……」

 次の瞬間、ヒカリは元の『家』の中ロッキングチェアの上、毛布を被さっている自分の元に戻っていた。“一瞬”が終わり、現実に帰ってきたのだと即座に理解できたが、身体は異常なまでに高揚し熱くなっていた。五臓六腑筋に皮、脈打つ血管に至るまで、余すことなく滾っている。こんな感覚は生まれて初めて――というより自分が初めて宇宙で最初じゃなかろうかとさえ思えるほどだった。こんな体験、辞書にも教科書にも載っていなかったし。

 今の体験を“理解”するのに頭と思考が追いつかないヒカリであったが、その想いは壮絶に空回りすることになる。様子を伺っていたミコが、「大丈夫、ヒカリちゃん?」と声をかけてきたからだ。

「えっ、先生?」

 なんとも呆けた声を出してヒカリは『外界』のミコに詞を返す。それがきっかけとなり、自分の『内面』ばかり向いていた自意識が、再び『外』と繋がったのだ。すると勿体無いことに、あれだけのインパクトがあったさっきの経験がどんどん霞みだしたのである。ノイズが走る。画質が落ちる。そして熱くなっていた身体が熱を失うのが身にしみてわかった。

 慌てるヒカリ。理由は単純。折角獲得した『ミコの隣』という絶好のポジション、失いたくはないからだ。そりゃヒカリだって幻覚の話だということはわかっている。しかし本人の感覚からしてみれば錯覚も幻覚もない。感じたことは一様に、全て等しく経験だ。その幻覚経験の価値が高いと、ヒカリの本能が告げるのだ。なので本能的むしろ条件反射的にヒカリは手足をジタバタ、もがきあがいて抵抗を試みるが、まあ世の中とは無常なもの。願った結果と真逆の現実になるなんて日常茶飯事繰り返し。そう、ヒカリの無造作な努力は全て無駄な努力へと帰結したのだ。簡単に言えば、さっき経験したばかりなのに、思い出せなくなっちゃった――というオチである。合掌。

 しかし幼いヒカリにとっては相当堪える結果なのもまた事実、ヒカリはとうとう――。

「うみゅ……うええ〜ん」

 泣いてしまった。

 思いがけず手に入れることができた素晴らしき体験をリピートする術を、泡のごとく掴み損ね、失ってしまった悲しみが少女を泣かせた。最初は涙がぽろぽろと。そのあと涙の存在に気付いた心が時間差で震えて身体を泣かせる。それを見たミコは少々戸惑った様子で、優しい声をかけてきた。

「どうしたのヒカリちゃん。まさかわたしの話にプレゼンテロリストが毒を仕込んでいたとか……?」

「違いますしぇんしぇ〜。わたし、先生の隣から自分に蹴落とされちゃいました〜」

「え?」

「実は……先生の本音本心を聞いたとき、とってもしゅっごい幻覚体験をしたんです。ユートピアに先生の偶像があって、その隣にわたしがいるってゆう」

「ほほう?」

「でも我にかえったとたんその情報が頭と身体からアンインストールされちゃいまして、それで泣いているんです〜」

「なるほど。全てわかったわ。悪いのはわたしってことね」

「そう、悪いのは先生……ってえええ! 違います違います! わたし、先生が悪いなんてこれっぽっちも思ってません!」

 ミコが平然と答えたミスリードに迂闊にも乗っかってしまったヒカリは慌てて全霊、否定する。しかしヒカリは知っている。自分が師事する先生、ミコ=R=フローレセンスはこういう言葉尻を捉えたトリック遊びと悪乗りも大好物だということを。なのでこれは持久戦の泥沼になるのかとも覚悟したのだが、今日のミコは意外なことにすぐ引いた。

「そうよね、わたしがヒカリちゃんに嫌われるわけないしー……って、ごめんなさいねヒカリちゃん、嵌めるような真似しちゃって。これはもちろん、いつもの『ワザと』よ♪」

「やっぱり〜。にしても、なんでこのタイミングで罠を張るんですか先生? この修行問答中に?」

 自分の悪戯心を認めたりと意外性続行中のミコにヒカリはまず解放されて安堵しつつも柔く追及してみる。するとミコはさらに意外、意外の極みみたいなことを言ったのだ。

「だって、ヒカリちゃん泣いていたもの」と。

「え?」ヒカリは耳を疑った。悪戯の動機が自分への心配だったなんて、思いもしなかったから……。そんなヒカリを尻目に、ミコはさらに続ける。

「確かに、わたしを理解し“隣”に立てたっていうのは重要だし、ヒカリちゃんにとってアイデンティティの確立にも繋がるファクタだってこともわかるよ。それも大事だけど、わたしにとっては“今現実”にヒカリちゃんが置かれている状況を見定める方もとっても大切なの。だってわたしが手助けできるのは、夢の中じゃなくて現実のヒカリちゃんだけなんだからね。現実のヒカリちゃんが泣くのなら、その涙を乾かして気持ちを晴らして上げないといけない。そういうおせっかいよ」

「先生……」 

「頭と身体で忘れても、心がそこはかとなくでも憶えていればなんとでもなるわ。夢はある日突然続きを魅せることもあるからね。それに、そういう体験は『知識』みたいに憶えておけばいいというものではないと思うの。多分だけどそれは『条件』だとわたしは思ってる。一度でも体験したことで次のステージ段階へと進むきっかけになる。つまり『経験』の存在自体が重要であって、経験する回数ではないと思うの。リピート体験で骨に髄に染み込ませるようなことでもないと思うのよね。だってヒカリちゃん、もう染み込み済みに見えるわよ」

「あひゃ……確かに」

 ミコの柔らかな説明を聞き、ヒカリはとても温かい感覚を肌で感じた。ミコの思いやり、そして励ますための口八丁を聞かされて、色々と“失った”現実と向き合える気がしてきたのだ。軽い簡単な女といわれればそうだと肯定せざるを得ない変節ぶりだが、ヒカリは自分の単純さだけではないとも考えていた。ここまで安心して方針転換できるのは、師であるミコの喋りが上手いからに他ならないと、そう思えてならなかった。

 残念ながらヒカリの意見に賛同してくれる第三者はこの『家』にはいない。つまりヒカリが独断と偏見のみで決めつけなくてはいけないのだが、それでもヒカリは自分の解釈は間違ってないと決めつけた。何がそうさせるのか、そんなことには興味を持たない。語る相手がいないからだ。強いて言うならミコへの敬意なのだろう――ヒカリは再度決めつけて、ミコへの感謝をハッキリ伝える。

「ありがとうございます先生。先生の言う通りです。わたしは先生の“隣”に立てたんですからもう大丈夫ってことですよね!」

「そうよヒカリちゃん。あなたはわたしが選り好みして選んだ相手なんだもの。もっと自分を評価していいのよ」

「はい!」

 勢いのいいヒカリの返事。これでこの一件は落着となった。

 そして話の歯車は戻る。途切れる前の問答へと。

「さて、さっきのわたしとの問答はいったいどこまで話したやら……んー確か、『背中は口よりも雄弁』ってことを話したような気がするわね」

「はい、そうです。そこでわたしがトリップしたんです」

 ミコとヒカリの会話は問答のかなり前にまで戻る。ミコが今日初めて語ったミコとしての三周目の人生を語り終わった直後、「“信じる”でなければなんですか?」とヒカリが投げた問いに、「“背中を預ける”かな?」とミコが詞を選びつつ答えたところまで戻る。

 ミコは背中を『口より雄弁』だと言った。それは事実で真実だろう。なぜならヒカリはミコの背中から伝わるメッセージでミコに心を許したし、その後今日に至るまでの修行、特に推察視力の分野において、ヒカリはミコから『背中を観察しろ』との教えをこれでもかと摺り込まされていたからだ。ミコにとって背中は口よりも遥かに特別な場所。なのでそこを問答で取り上げる以上、そういう表現になるだろうとはヒカリにも予想できたし、事実そうなって安心した感さえある。そしてミコもそれがわかっているから安心して次の話題へと切り替える。重々承知というやつだ。

「ヒカリちゃんがくれた最初の質問では『背中を預けるくらいの信頼関係』ってところで落ち着いたけど、次に行くとしてヒカリちゃん、わたしの人生話……いや、もうそれ以外でもなんでもいいわ。わたしにぶつけたい疑問質問ありましたらなんでも承りますわよ」

「うーん、じゃあ早速ひとついいですか。先生は状況がどうなったら闘いに身を投じるんです?」

「ほう……闘争の心得ね。いいでしょう、教えるわ」

 ヒカリの問いにミコは一瞬、何か含んだような表情を魅せたがそれっきり。刹那の間逡巡したかのような間を取った後、観念したような表情に変えてあっさり白状すると宣言。そしてその詞通りに、すぐに答えを語り出した。

「わたしが戦闘を選ぶときは……まあ気分次第というのが一番適切なんだろうけど、一応ひとつの基準はあるわ。逆質問するわよヒカリちゃん、俗に戦争は外交の最終手段って言うわよね……なら、闘いは何の最終手段かしら?」

「外交に位置するものってことですよね……えーっと。あっ、わかった! コミュニケーションですね!」

「痛快軽快大正解♪ 良く辿ったわね、ヒカリちゃん」

「いやぁ……教え子としてここはわからないといけないかなって義務を感じてましたから。でもそっか、闘いはコミュニケーションの最終手段。もはや口で語ることもないから拳で語る、ということですね?」

「そうなるわね。ま、わたしの感覚だけどね。これ以上話すこともない相手、話したくもない相手、話を聞きたくもない相手には拳や実力行使の方が口よりはるかに雄弁でこちらの意図がはっきりと伝わるってことを、経験則で学んできたかな。まあ、そもそもの大前提としては、今の世の中は法律と道徳と常識がわりと整備されているからそこまでさせる奴っていうのは滅多にいないものだから。レアキャラって呼んでもいいと思う。でもね、ウイルスを絶滅させられないのと同じで、こういう輩もまた絶滅死滅だけはしないのよ。この俗世惑星のどこかに最低一人はこういう常識からしてズレていて自分の考えを人に押し付けようとする奴、生き残っているんだなあ……」

「ああ、わかります。いるんですよねそういう奴。どんな教育を受ければそうなるのか不思議でしょうがありませんよ。存在自体迷惑ってやつですよね」

「そう。世の中悪い奴っていうのは実はあんまりいないんだけど邪魔な奴はありふれるほどいるからね……でもヒカリちゃん、そういうのは思ってても口には出さない方がいいわ。連中はどんな言葉尻でも捉えてそのくせ放そうともしないしつこさの持ち主なんだから。口は災いの元ってことよ。でもまあこの『家』なら大丈夫か。うん、要はそういうこと。わたしが“消えた”らヒカリちゃんは少なからず一人で行動する機会があるだろうから……くれぐれも気をつけてね。特に一見さんには注意すること、いい?」

「はい、先生」

 ミコの忠告ヒカリの納得、二人のコミュニケーションが見事にひとつの修行・教育をなした瞬間だった。それに気付いた二人は、目を合わせて微笑み合う。

「じゃあ次の質問を。たぶんこれで最後の質問だと思います」

「そう? 遠慮なくどうぞ」

「はい。先生は普通の死と違う、影の秘術を完成させたことによる“消還”の運命を持ってますよね。それを知ったとき、どんな気持ちでした? 普通に冥海に魂を還して輪廻転生の望みがあるっていう生命のサイクルを外れて――怖くとか、ありませんでしたか?」

 ヒカリの最期の質問、それはミコが迎える特殊な終わり――“消還”の運命とミコの死生観について問うものであった。質問を聞いたミコは一瞬だけ虚を衝かれたように間をおいてから、含みのある表情を魅せてその後逡巡、前のように詞を選び吟味してから、ようやくやっと、語り出した。

「そうね……“消還”の宿命を自覚したのは神様たちの住むアパートに行って泉さんに会ったときね。泉さんは“歌心”を完成させて“消還”された。言わばわたしにとっては先輩だった泉さんの“消還”を直で見たことで、わたしも自分が“消還”されるって気付けたの。これはラッキーだったと思うわ。影の秘術を完成させていたのだからどの道“消還”で消える結末なんだけど、最期の状況がイメージできるっていうのは、普通の死にはない利点だと思うの」

「あーそりはー、そうかも、ですね……」

「でしょ? 不安はもちろん感じたわよ。世間一般の死に方もできず、魂も肉体も永遠に俗世を離れて『保管』される。輪廻転生の可能性が潰れたって事実は少なからず堪えるものだったし、怖かったと言ってもいいわね……でも、もう確定した結末は避けられないでしょ? それこそ普通の人にとって死が避けられないように。そう考えたのは泉さんが消えた直後、一番最初に現れた翠様がやってくるまでの間ね」

「相当短時間なんじゃないですか先生?」

「うーん、走馬灯効果だったと思う。あの時だけ時間の流れが遅くなっていたって感じで。でね、引き延ばされて与えられた翠様との対面までの時間わたしはさらに考えました。そしてこう思ったの、『人生道半ばで消えても“自分”のまま消えるのならわたしの道は続くのかも』って」

「道……ですか?」

 ミコが初めて使った“道”という単語。ヒカリは一回聞いただけではその意味を掴み取れずに、間の抜けた返事で疑問を表現することが精一杯だった。しかしミコはそんな返事も決して無下にせず丁寧に受け取って、優しい詞を返してくれる。

「うん、道。そのとき気付いて感じたことなんだけどね、生命って肉体とか魂とかが“残っている”限りは死んでも人生の先は続いているんじゃないのかなって、そう思うようになったんだ。死んだ後だからもちろん『人生』って詞は使えないけどね。でもさ、魂と冥海、輪廻転生のメカニズムがわかっていて、しかも死んだ魂はすぐに冥海へ帰るわけでもなく、俗世を数百年幽霊として徘徊することも考えてみて。それってもはや幽霊としての第二の人生とか、そういえるような気がしない?」

「なる……ほど」

 ミコの説明ヒカリの返事。説明はさらに続く。

「わたしは葬式とか供養って多分に遺族とかの俗世に残った関係者達の都合だと思う。特に火葬とかその最たるものよ。ゾンビになる可能性を潰して、肉体を燃やして灰にしちゃうんだから。遺言状もまるで意味を持たない。あれこそ死者に鞭打つってやつね。全く、魂の不滅は信じられなくても、肉体の不滅は努力次第で可能なのにね?」

「はあ……あの、先生? ちょっと話がズレてきてるような……」

「えっ? ああ……そうね。うん、遺族への文句はこのへんにしておいてっと、話を戻しましょう。で、死んでも魂とか肉体には次の“道”があるってわたしは思うの。でも、いつかはその道も消える。肉体の消滅はもとより魂も冥海の輪廻転生作用であらたな魂に生まれ変わる。そうなると完全に前世来世の概念よね。ところがよ、わたしが迎える“消還”には転生要素が一個もない! 永遠にわたしのまま消えるってことはそのまま永遠にわたしのままでいられる――こうも言い換えられるのよ!」

「おお! 確かにそうです! つまり先生は死ぬように消えはするけど未来永劫転生で別の生命体になることはないということですね」

「そゆこと! まだ消えてどうなるのかはわからないけどさ、ひょんなことで俗世に戻ってこれるかもしれないじゃん? 消えても保存、されるわけだし。それこそ死んだ人の幽霊と会うみたいに……ね?」

 ミコの楽観的な希望的観測にヒカリは首をブンブンと、荒々しく上下させて頷いた。確証もない、妄想に近いような勝手極まる希望だが、それでも可能性が0ではないという『事実』がミコの心を安らかにし、ヒカリの心を駆り立てる。ここでの別れが、この先迎える最初の離別が二人の最後ってわけでもない――そういう都合のいい認識、だけどそう思っていた方が人生楽しく生きられそうだと、二人ともわかっている。その気持ちの表現が先の行動そのものなのだ。

 二人の顔に笑みが零れる。

 二人の心に明かりが灯る。

 深刻神妙な話が、いつの間にか笑談に変わる。ミコはさらに語り続ける。

「みんながみんな幸せになれるわけじゃない。ましてや幸せに死ねる人なんてほんの一握りだけよ……。わたしは普通の死とは違う形の“終わり”を迎えるとは言え、最期を選ぶ自由を得たわ。これって相当なワガママが叶ったってことだと思うの。人間に限らず、心在りし生命はみんな欲張り。ずっと若いままでいたい。ずっと健康でいたい。欲を言えば思いっきり長生きしたいって、ね。でもそんなの普通の欲求。当たり前の心の働き。だからわたしはこれでよかったしこれが嬉しかったんだとも思う。わたしだって、死ぬことは怖いし、ちょっと不安だったしね。終わっても自分のままでいる――最期の日を憶えてられていそうってのも大きいわ。人間生まれた日は憶えているけど、死んだ日は憶えられないでしょ? 何せ死んじゃうんだから。生きてなきゃ憶えておくこともできないし。その点わたしは終わる日を憶えていられそうだからね……だからそんなに悲観してないの。確かにこの俗世を超越した場所に永久にサンプルとして閉じ込められる運命だけど、それに見合うメリットもあるのかな〜って、思ってるの。だから……ね? ヒカリちゃんも今からそんなに泣かないで。涙は別れるそのときまでとっておいて。ね?」

「あっ……」

 ミコに指摘されたヒカリはそのとき初めて気付く。自分が泣いていたことに。

 理由はわかりきったこと。寂しくて、悲しかったのだ。ミコと別れることが。

 でもそれだけじゃない。ヒカリは秘めたるもうひとつの理由を自覚していた。

 それは――喜び。歓喜と言ってもいい。本当に……歓び。

 ヒカリは嬉しかったのだ。ミコが嘘偽り無く喋ってくれたことが。恐怖も希望もあますことなく、全てをそのままありのまま伝えてくれたことが。裸の心を魅せてくれたことが。

 

 悲しい。寂しい。でも嬉しい。

 美しいから。温かいから。そしてなにより優しいから。

 

 ミコ=R=フローレセンスという“人間”に触れて、ヒカリはあらゆる感情を呼び起こされたのだ。それゆえの涙。その結果としての涙。悲しいも嬉しいも両方入っている。だから自分では止められなかった。ミコには「まだ早い」と言われても、もうこの涙は、今でしか流せないものだから……。

 ヒカリはますます涙を零す。ぽろぽろはらはらさめざめと。

 ミコはそれを見て困った顔。でもその顔の隅っこで微笑む。

 ミコもわかってくれている。それがさらにヒカリを泣かす。

 ……と、終わりも出口もないような永遠が続くかとも思われたが、その無限ループも終わる。泣いている当人であるヒカリが涙をついに尽かしたのだ。かつて泣いたときと同じ結末。でもかけた時間は随分短い。それだけ成長したのかもしれない。決して淡白になったとかではなく。慣れちゃったとかでもなく。

(でも、きっと先生は……)

 早く泣き止む理由。きっとそれがどんな理由でもミコは笑って受け止めてくれただろう――ヒカリはそう思った。そしてふたつの想いを抱く。敵わないなという尊崇の念と、でもいつかはわたしもそうなりたいという目標の念。頬を伝った涙の軌跡がまだ乾いてもいない中、ヒカリは淡く温かい笑顔のミコをじっと見つめる。

 その笑顔を、記憶のキャンパスに焼き付けておくために。

 いつか自分も、誰かをそんな笑顔で包んであげたいから。

 心に残るその笑顔を、ずっと見つめる見定める。今度は見つめ合うその時間が泣いている時間よりもずっと長くなっていた。だけど、飽きることはなく、二人はずっと、そのままで……。

 

 二人だけの空間。二人だけの時間。

 

 そうしてどれだけの時間が経っただろうか。とうとうミコとヒカリはその静止状態からお互い微笑み合ってから、息を吐いて動き出す。見つめ合う時間が、無言の問答時間が終わったのだ。長い時間が過ぎた気がする。夜を更かしてしまったかもしれないし、日を跨いだかもしれない。でも同時に、あっという間だったという気もヒカリは感じていた。この問答修行の時間も終わりである。口に出した問答の時間よりも口を噤んだ観察の時間の方が長かった気もする。でも十分だった。詞だけでなく表情、そして心を通して多くのものを学んだと、ヒカリは確かに感じていたのだ。

 だから次のような詞も、すんなりすらっと口にできた。

「問答修行はこれでおしまいですね、先生」

 そしたらミコもはんなりとこんな返事を返してくれる。

「そうね。もう教えることはないでしょうね。他に学ぶことがあれば、それはきっと、ヒカリちゃんの人生で経験や体験として修得していくものになるでしょうね」

「はい」

 ミコの詞にヒカリは真面目な、やる気に溢れた表情で頷いた。確実にミコの後継者に一歩進んで何歩も近付いたという達成感が、ヒカリの心を昂らせるのだ。

 ミコはここで影帽子のがま口チャックを開けて中から懐中時計を取り出した。なにやら時間を確認中。ヒカリは邪魔しないように口を両手で大袈裟に塞いでその様子を見守る。

 そしてミコは懐中時計を閉じて影帽子のがま口に放り込むと一言。

「寝ましょうか」と。それだけ。

「わかりました」ヒカリも返す。

 そうして二人は膝掛けを畳みロッキングチェアから立ち上がると、寝室へとゆっくり歩を進め部屋を後にした。

 そのとき部屋を出る際にミコがパチンと指を鳴らす。すると部屋の照明が一瞬にして消えるのであった。

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