第14話_最期の会話 恐怖の死
ミコが生まれてない時代――正確にはミコの両親がまだ独身であった時代に、シク=ニーロは現れた。時間遡行をして、未来から過去へ跳んできた。
一瞥する。古びた家屋と絶滅した花――過去だ。
聞き取る。昔の生き物の生命の鼓動――過去だ。
感じ取る。古の息吹と若き風の感触――過去だ。
「アハハ、どうやら時間遡行は成功だね。何が『死ぬ』だよミコ=アール。そもそも設計図持ちのボクを殺すなんて不可能なのにさ。さあて、いよいよキミの御先祖様を抹消してやろ――」
「やろうかね――」そう言うつもりだったのだが、言えなかった。出せなかった。どういうわけか身体が痛む。全身あまねく痙攣する。内蔵が異常を訴えている。
「なに? なんなのさ……うっ!」
身体の異常を感じた直後、シク=ニーロは確かに感じた。心臓が破ける感覚を。
激痛に手で胸を掴むが暖簾に腕押し。正直な身体は前のめりに倒れ込む。ミコの両親の住む田舎町の、誰も見向きもしない老朽化した街を見下ろせる丘の上の公園で、シク=ニーロは地面に倒れた。
口からは大量の血反吐を吐き。
胸からは未来電話を落として。
するとそのタイミングで落とした未来電話に着信が入った。シク=ニーロは目を点にして驚く。この未来電話は購入してからずっと番号非通知で使い続けた上、番号の追跡捜査に対しては、設計図の秘技も駆使したジャミングを徹底的に施していたからである。早い話、この未来電話でこちらから電話をかけることがあっても、「電話をかけられる」ことは一度もなかったのだ。
そして画面に表示された相手の番号を見てまた驚く。なぜなら、その番号は――ミコ=R=フローレセンスが持っているものだったからだ。
「……ち、着信操作、ON」息をするのも苦しいシク=ニーロは倒れた体勢のまま、音声操作で回線を繋ぐ。苦しみと痛みは増す一方だったが、予想を超えて動いているこの女からの着信、出ないわけにはいかなかったからだ。
「やあミコ=アール。いったい何の用かな。非通知の電話番号を逆探するのは、犯罪だよ全く……」
できるだけいつもの調子を装いつつ、シク=ニーロは電話に出た。しかし電話の向こう側、今や未来にいるミコはいきなり大笑いしだして饒舌に語らいだしたのだ。
『にゃふ……にゃふふふふ。どうやら“罰”が当たったようね。苦しい状態なのに見栄はっちゃって。ごくろうさまねシク=ニーロ。ま、わたしの“根回し”がうまくいったってことだからなによりな結果なわけですが。どうよ必要悪、未知なる力で死にかけている気分は?』
衝撃の発言内容にシク=ニーロは目を点にして驚く。痛む身体に鞭打って詰問する。
「どういうことだよミコ=アール。設計図持ちで不死身のボクにどうやってこんな重傷を……ゲホ! ゲホッ!」
喋りの途中でまた激痛から血を吐いてしまうシク=ニーロ。そんな彼女を相手にミコはとんでもない台詞を続け様に吐いてくる。
『痛そうだね〜代わってあげようかー? それとも泣いてあげようかー? 今ならティッシュも2割引よ』
「ふっ、巫山戯るなぁ! これくらいのことで、設計図持ちのボクは死なな――」
『死ぬわよ。だってわたしがあなたに死罪の罰を与えてと頼んだ未来は、設計図効果を無効化して殺せる手段を持っている。そしてそれを使ってくれたんだから』
「――未来?」
未来人のシク=ニーロにとってミコに言われる憶えのない詞が聞こえたことは不可解極まりないことだった。痛みも思考も、一瞬停まる。詞を失い、我に返れない状態。
するとそんなシク=ニーロの状況を見透かしているのかのように、電話先のミコは驚愕ものの“種明かし”を披露した。
『あんたの電番は水族館で初めて対面したとき、あんたが背中を見せたときに把握した。わたしの推察視力はね、背中を見ればその人物の全てが見透かせるのよ。秘密にしていることほどよくわかる。なぜなら背中は顔と違って嘘をつかない正直者だからね。そう、背中こそ最大の死角、そこに気付けなかった時点で、あんたは負けに傾いたのよ』
「背中、だと……そんなもんでボクの番号を盗むだなんて。バカにしてるのか、ヴヴッ」
『たかだか生まれて十数歳のお子様に言われたくはないわね。こちとら人生三周目、人生観だけじゃなく経験値も違うのよ。そう、その目を先に向けていれば……背中を過去に預けていればあんたもそこに辿り着けたのに、あんたは真逆のことをした。未来に背を向け、未来から目を逸らした。つまらないとでも思ったの? あんたが生きた時代の先の俗世は設計図持ちすら時を越えて殺せる力を持った、ワクワクウキウキの遠望郷だったのにねー』
「『管理・調整世界』のさらに未来、だと……ヴッ。そうか、ミコ=アール、オマエが“根回し”していたのはその時代だったのか!」
『そゆこと♪ 今をつまらないと断じ、この先もそうだろと安直に予測したあんたが目を背けた未来はわたしたちの時代ともあんたの生まれた時代とも違う、予想を超えた新俗世になっているみたいよ。なんせ「設計図破り」と「時間警察」が存在するんだからねー』
「その時間警察に根回しして、ボクを死刑に……させた、わけか」
『そう。あんたは余罪には事欠かないからね。でもね、時間警察にはあんたがこの時代で起こした一連の事件だけで裁いてもらったわ。それでも死刑――きゃあ〜素敵!』
ボクが死ぬのがそんなに嬉しいのか――シク=ニーロは内心痛みとともにぐつぐつと煮えたぎるものを感じながら、同時に判明した事実に関して確認を取る。
「……つまりなんだ、ボクを悪さできないようにするってのはアレか? 最初から自分で手を下すつもりはなくって、証拠を送って然るべき機関に、余所者に裁かせるつもりだったのか……よ。ケホッ!」
シク=ニーロは自身にとって辛い予測を血と一緒に口から出した。それは最も認めたくない現実。必要悪の最高傑作と名打たれたシク=ニーロにとって、最大の屈辱。
されど現実は残酷。いや、ミコ=R=フローレセンスは残酷だった。一切の情を挟むどころか、今までで一番楽しそうな声で明朗快活ハキハキと予測を事実と認めたのだ。
『せいか〜い♪ 正直わたしの相手にあんたは役者不足なのよ。構ってほしかったのなら準備に最低でもあと14年はつぎ込むべきだったわね、あわてんぼうさん。それにわかってると思うけど、わたしはあんたが嫌いだから。必要以上に絡みたくないの。それだけ。大人しく自分の存在を認めてくれる時代にいればよかったものを。あんたは徒に動いちゃった。無茶な冒険の結果は結局いつもと同じ。“悪いことしたら罰が当たる”って格言そのまんま。どんなに認められていてもたとえ必要とされていても善性をもたないあんたは如何なる時代も貫通する「真っ当に生きていたい人間の総意」には負けるしかなかったのよ。ま、もっと簡潔に言えばあんたはしくじった、だから死ぬ。それだけなんだな〜ほんとにさ。ま、冥海には時間軸は存在しないから、今度は真っ当な人間に生まれることを願うのね。じゃあね、死にゆくおバカさん……あれ、まだ買った通話時間残ってるわね。切るのももったいないし……じゃあ笑って埋めますか。ふふふふふ、にゃっふぁっふぁっふぁっ――』
ミコは散々笑いに笑って未来電話の通話が切れるまでシク=ニーロの破滅を心底喜んでいるかのような声で笑い続けた。そしてミコが買ったであろう通話時間が期限を迎え、通話は二人が何をするまででもなく、実にあっさりプツッと切れた。
斃れたシク=ニーロに残されたのは、初めて感じる負けたことに対する屈辱と、回避できない死への恐怖。電話が切れてからと言うもの、もはや動く気力さえ失われていた。
「なんだよ……なんだよこれ。なんで、ボクが? しくじった? う、う、嘘だ嘘だそんなことある訳ない。ボクは誰よりも必要とされて、常にその期待に応えてきたんだぞ。もし仮にしくじったとしてもやり直せるのが人生だろ? う……やだ、やだ、いやだ死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない! まだやりたいことたくさんあるのに、こんなところで終わりたくない。死にたくない……死にたくないよぉ。ヴッ!」
そこまで一人言を呟いたシク=ニーロはここで今までで一番の量を喀血した。逆流した血を吐くだけでも相当の痛み。シク=ニーロは思わず仰け反り、俯せから仰向けへと姿勢を変える。皮肉にも、空も血を連想させる真っ赤な夕焼け色だった。その色が目に入ってきた途端、急激に身体が動かなくなっていくのをシク=ニーロは感じた。末梢の指先が動かず、感覚そのものが消えている。そして全身余すことなくその感覚はシク=ニーロの身体を覆いつくしていった。残るのは首だけ。それでもシク=ニーロは生きることを諦められなかった。しかし――。
(嫌だ! 死にたくない。助けて、誰か、助けて……)
既に時遅し。末期の詞を音にして発することもできずに、シク=ニーロは死亡した。享年16歳の生涯だった。
その肢体は吐き散らかした血で真っ赤に染まり、血は倒れ寝転がった地面にさえ染み渡る。
そんな赤だらけの肢体の中で唯一、赤に染まっていない部位があった。そこは――。
目。
泣いていたのだ、シク=ニーロは。透明で純度の高い涙、それだけが血にも闇にも染まることなく、一筋の線を描く雫として、目から溢れ目尻から零れていたのだった――。