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ミコの影帽子 夢心背話(ゆめうらせばなし)  作者: 心環一乃(ここのわ むの)
第2話 婚約騒ぎと雪の花嫁
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第2話_情報通との再会。放っておけない事情と行動。

 ミコは野を越え山を越え、いくつもの町と村を経て、久しぶりの都にやってきていた。

 その名は、郵便都市ポスティオ。郵便事業・流通事業が俗世の中でも群を抜いて発展しているだけじゃなく、世界的に見ても稀に見る交通の要衝という地の利を活かし、郵便や交易に関する様々な事業に人々が一生懸命取り組んでいったのが都市・都の領域まで発展したとされるゆえん。

 今は白妙しろたえの月。冬の季節。雪の降りそうな寒い曇り空の中、ミコは久しぶりの都市景観を楽しんでいた。自然が木々や動物の営みなら都市は人の営みだ。ベクトルは違っても、どちらも美しさのある風景だ。もっともどちらにも、見えない見辛い見たくない穴があるのも事実だけど。

 が、街を見ていてミコは異変に気付く。最初は変な感覚を漠然と感じていたのだが、じっくりと眺め観察することでそれがなにか気付いたのだ。

 

 街中の人々の様子がおかしい――どことなくよそよそしいし、みんな必要以上に顔をキョロキョロさせている。まるでなにか探しているようだ……。

 

「どうしたのかしら? みんな警戒心を高めちゃって」ミコは思わず小声で思ったことを呟いた。なんてことはない一人言。でも、場所が悪かった。ミコがぼやいた通り、街の人々は警戒心の塊そのもの。つまり、感度も高いのだ。

 周囲の視線が一斉にミコに向けられる。前後左右上下全方角から。その聴覚超反応にミコは無意識にゾクッと身震い。「しまった。余計な一言だったのか」と迂闊な発言を反省するが、視線を向けた街の人々はミコをじーっと眺めると、これまた一斉にそっぽを向いて立ち去っていった。思いがけない解放にとりあえずミコはホッと一息つくが、謎は一層深まった。いったいなにが起こっているの? ちょっと知りたい――好奇心が湧いてきた。

 そうなればまずは情報収集。話を訊くのが一番手軽で手っ取り早いが、ミコは今このポスティオの住人に話しかける勇気はなかった。さっき強張った視線を集中砲火と向けられたばかりで、若干弱気になっていたから。

(見ず知らずの他人はヤね。となると知り合いだけど……)と思考を巡らせるミコ。

 そのとき。

 ピンポン。

 閃いた。もといある人物の顔が脳裏に浮かんだ。ここポスティオに住んでいて、かつ知り合いの人物の顔が。

 気象一族のレインを名乗っていた頃からの知り合いで、ミコに改名したことも知らせている、結構気心知れた仲。まさにうってつけ。

 だが。

(いるかしらね? あいつ、個人事業者だからな〜)

 そう、その知り合いはここポスティオに住んでいるだけあって、郵便事業を営んでいる。しかも個人で。そうなると今訪ねても会えないかもしれない。

 でもまあ、そんな他人の都合なんて知ったことかとどこ吹く風。勝手気ままに旅をしている自分があわせることもないかと、ミコはすぐに思い返し、そいつの事務所に向かって歩を進めだす。行き先はポスティオの路地裏だ。

 

 ジリリリリ。

 ちょっと洒落た音のドアホンを鳴らして、誰かいるかと問いかける。もちろん声には出していない。ドアホンを鳴らすことイコール、問いかけということ。それがミコ=R=フローレセンスの流儀。

 目的地たる路地裏の事務所にやってきたミコは、まずは礼儀とノックしてからこうしてドアホンを鳴らしているのだが、返事はない。全くない。

「お留守かしら? それとも居留守なのかな?」

 ミコは誰もいないことをいいことに、勝手なことを捲し立てる。もっとも根拠がないわけじゃない。今こうして会いに来た相手は、留守も居留守も前科があるのだ。

(わたしに良く似て変わり者だしね……しかたないわね、これ使おっと)

 脳内で結論を出したミコは、影帽子のがま口チャックを開けて、カバン口からあるものを取り出す。手にしたそれを事務所の鍵穴に差し込み、回して鍵を開けてみせる。用が済んだら引き抜いて、その後ノブを回してドアを開け、当たり前のように中に入る。

 実に自然に。当然でしょと言わんばかりに。

 そう、ミコが影帽子から取り出したのはこの事務所の鍵であった。元々ここで事業やっている奴は友達と呼んでもいいくらいのつきあいがある。ミコと改名した後他の町で偶然出会ったときに旅人につきものの宿の苦労を話したら「そんならポスティオでは俺ん家に寝泊まりしていいぞ」と貰ったのが今手に持ってるここの鍵。実に信用されてるもんだと自分でも思う。家族でも仕事仲間でもないのに鍵を渡してもらえるのだから。

「もしもーし。入りますよー」

 言うだけ言ったら悪びれる様子もなくあけすけと事務所の中に踏み入るミコ。初めて入るがなんの変哲もない、至って普通の事務所に見えた。ステレオタイプという形容詞がぴったりだった。無機質な色で固められた書類棚と作業机。暗めの赤色で染められた来客用と事業者用の二つのソファ。その間に挟まれるように置かれた机の上には灰皿と煙草。

 そこまでを見渡したミコは肩を竦めて溜息をひとつ。「なめられたもんね」とぼやくと影帽子のがま口チャックを全速全開、黒い腕を一本取り出し、ぐんぐん伸ばしてドアで隔たれたある個室の中に壁とドアの隙間を通して入れると、隠れていたそいつに一発ゲンコツを喰らわせた。

「痛てぇ!」

「そこまでよ、ソーム。隠れているのもバレたんだから、さっさと出てきなさい」

 悲鳴を上げた個室の誰かにミコが突き付ける最後通牒。すると水を流す音がしたかと思いきや、ミコにソームと言われたそいつは残念そうに悪態をついた。

「ちぇ〜、バレないと思ったんだけどなー。我ながら名案だと思ったんだけどよお」

「確かに――死角よね。トイレの中って」

 ミコが応じて詞を返す。その詞の通り、ミコが黒い腕で襲撃したそいつの隠れ場所はトイレの中だったのだ。やがて内側からドアを開け、そいつは姿を現した。ミコの予想した通り、この事務所の所長兼郵便ライダー、ソームだった。

「よっ、ミコ」手を軽く上げ、ソームがあいさつしてくる。

「うん。久しぶりね、ソーム」ミコはそのあいさつに答えて手を出すなどということはせず、逆に伸ばしていた黒い腕をがま口チャックの中に引っ込めるだけ。それ以外の所作は一切なし。向けた眼で語るのみであった。その眼力……もとい気迫にソームは若干押され気味。するとその反応に満足したミコは目から力を抜き、自然な笑顔をふるまった。

 それでようやく緊張の糸がほぐれ、二人は自然な会話に臨む。

「あーピリピリきた。ここを見抜いたことといい、千里眼かお前は?」

「違うわよ。千里眼なんて神様でも持ってないって。わたしは視力がいいだけ。ただし観察に長けた推察視力というやつよ。数字は62.0だけど」

「高っ! ほんとお前は……いや、やめておこう。お前アレ呼ばわりされるの嫌いだし」

 一人考えつぶやくソームは「まあ座れよ」と着席を勧めた。ミコは促されるまま、近い方のソファに腰掛けた。向かい側にソームも座る。

「ふぃ〜、さっきまで歩いてばかりだったから休息はとても心地良いわね」

「お疲れさん。お前歩きだもんな、このだだっ広い世界を歩いて旅してんだろ? バイクライダーの俺からすりゃ尊敬もんだよ」

「それほどでも……ないけどね」

「それにしてもよく居留守、しかも隠れ場所がトイレだってわかったな。さっき言った推察視力? どこにピントを合わせたんだ? それっぽいヒントは片付けたつもりだったんだけどよ……」

 ソームが素朴な疑問をぶつけてくる。さっきまでわたしの立場に気を使っていたくせに、やっぱり好奇心が勝るのね。まあ、それはわたしも一緒か――ミコは心の中を渦巻く感情にけりを付けると気を持ち直してソームの質問に答えた。

「確かに、ぱっと見では在住居留守の痕跡はないように見えるわ。でも詰めが甘いわよソーム。この煙草、灰の色からわかる熱量から逆算すればついさっきまでこの部屋にいたことがわかるわ。最初は火の粉の赤色光をほんのちょっぴり織り交ぜた白みがかった灰色でね、やがて冷めていくと同時に鉄色寒色系の灰色に変わっていくのよ。トイレに隠れているとわかったのは匂い。あなたわたしが殴って出てこいって言ったとき、流したでしょ? つまりトイレを使っていたのがわかったのよ、微かな匂いで。流していない時点でここにいるそこにいることがまるわかりってわけ。どう、納得した?」

「お見それいたしやした」ソームは深々と頭を下げて来た。そこまで畏まられることでもないと思うんだけど――ミコは正直気後れしたが、まあそれは相手次第だし、自分がとやかく言うことでもないと、あえて指摘することはなかった。

 それに今度はこっちの番――ミコは崩していた姿勢を正してソームに話しかけた。

「わたしもね、あんたに訊きたいことあるのよソーム。そのためにここに来たと言っても過言ではないわ」

「お? なんだ?」

「いや、単なる好奇心なんだけどさ……この街、ポスティオの人達がなんかどうもよそよそしいのよね。警戒心MAXっていうか、みんなすんごい気を張りつめているように見えてなんかあったのかなーって思ったの。んで、ここの住人のあんたならなにか知っているかと思って訪ねてきてみたわけよ」

「おま……ほんとに鋭い観察眼だな」

 ソームは感心半分、呆れ半分といった表情を見せると懐から煙草を一本取り出し、「吸っていいか?」とまずミコに確認を取る。「どうぞ」とミコが返すとライターで火をつけ一服。吸った煙を誰もいない横に吹き出すとその煙草を灰皿に押し付け、語り出した。

「まずはご明察と言っておこう。この街の連中が殺気立っているのは事実さ。さるご令嬢の身柄に賞金がかけられているんだよ。ま、気象一族のレインたるお前にゃ遠く及ばない額だけどよ、この街の有力者……てか街一番の資産家の娘が失踪してな。親父が懸賞金かけたわけ。んで欲に目の眩んだ住人達はその娘っ子を血眼になって探しているわけよ」

「なるほどね。そういうことだったわけか。どうりでみんな疑心暗鬼と猜疑心の塊に見えたわけだわ。きっと誰かに先越されるんじゃないかとか思っているんでしょうね」

 他人事だけに、皮肉たっぷりの嫌味を吐くミコ。お金は大事と悟っていても、あそこまであからさまな連中を見ていると気分が悪くなる。その鬱憤を晴らしたかったのだ。

 とここで、ソームの話を噛みしめていたミコはあることが気になった。早速ソームに訊いてみる。

「ねえ、街の連中は今必死になって失踪したお嬢様を探してるって言ったわよね?」

「ん? おお」

「そのお嬢様って、なんで失踪なんかしたわけ?」

 ミコにとっては当たり前の働きをした思考の産物たる疑問だったが、それを聞いたソームは歯を噛み締め目を細めて、「さすが。いいところに気がつくねぇ」としきりに感心し、挙句拍手までしだしたのだ。そこまでか?――ミコはその過剰反応を訝しむ。しかしソームの調子は上がる一方、遂には顔が緩みだした。ここまでくると疑惑も確信に変わる。ミコはまたもや影帽子のがま口チャックを開き、黒い腕でソームにツッコミを入れた。物理的にだ。

「ぐお!」

「落ち着きなさいな我が友ソーム。あんたはわたしの数少ない友達なんだから、その友達の前でくらいしっかりしてよ」

「お前が笑わせるからだろうよ。まあ悪かったと言っとくぜ。とりあえずこの手、しまってくれ」

 ソームの返事を聞いたミコはその要求通り黒い腕を影帽子へと収める。するとソームはおもむろに立ち上がり、キッチンへと入っていくと、しばらくして菓子折りと湯のみ二つを持って帰ってきた。長話になるってことね――ミコは彼の行動の意図を察し、素直に差し出されたお茶を一口戴いた。旅した身体に温かいお茶はよく沁みた。

 そしてついに、ソームが語り出した。事のいきさつを。

「ここポスティオ一の資産家、ロスターム家って言うんだけどな。そこの一人娘クララには、小さい頃からの幼馴染がいて、お互いまあ初恋の相手でおままごとみたいな結婚の約束を交わしたらしいんだよ。でもまあ当人達は真剣で、同じ街に住んでいるのにまめに交換日記もしていた仲だと」

「ふむふむ」

「でもな、幼馴染の相手は昔こそきらびやかだったらしいんだけど今じゃロスターム家には遠く及ばない没落旧家の生まれだったんだな。だから家を再興してロスターム家に、ひいてはクララ嬢にふさわしい相手になるって一生懸命励んでたわけよ。しかもなかなかに現実を見ててな、ポスティオで当たり前の郵便事業じゃ成り上がれないし第一市場が飽和してるだろうとの判断から医療都市メディケアに留学して医者になる道を選んだんだ」

「メディケア?」ミコが鸚鵡返しに繰り返すと、ソームは「ああ」と頷いた。

「そう、半年前――お前さんが解決したあの事件が起きたとこだよ。すまんな、お前はアレ呼ばわりされるの嫌だから思いださせるようでよ」

「別に……偶然の悪戯でしょう? 気にしないわよ、それくらいなら。だってあの事件のことは、解決後別の町であなたと飲んだときにわたしの方から話したことじゃない。自分でも珍しいことをしたとは思ったけどね、そこはまあお友達だから……ねえ?」

 ミコは自分の気難しいこだわりに気を使ってくれるソームを労ると、続きを話すよう頼んだ。ソームもこれ以上はむしろ話が脱線すると理解していたようで、先の話題に戻って再び話しだす。

「ここは郵便事業なら俗世一だけど医療や福祉は数ある都の中でもまだ二流――その幼馴染はそう考えて医者を志したわけよ。なかなかの慧眼だな。どこでも開業医は尊敬される仕事だしよ。おまけにそいつはめっちゃ頭が良かったんだ。学校では常に成績優秀ゆえの学費免除の特待処遇。メディケアには本人の希望もさることながらその頭脳を買った医大の教授陣が奨学金を出すから来てくれって誘ったくらいなんだと。んで、飛び級で合格してその医大に留学したってわけなんだ。当然クララ嬢とは離ればなれになるじゃん? ポスティオって学校少なくてな、二人は幼稚舎から高等部までずっと同じ学校だったんだよ。思春期を経ても変わらない、むしろ育まれた恋心。でもここにきて初めて経験する遠距離恋愛となったわけだ」

「初々しいわね。普通だったら幼い頃の思い出って、忘れ去りたいものだけどね。クララちゃんとその幼馴染は純朴だったわけだ」

「そういうことだな。でもここで問題がひとつ。そいつがメディケアに旅立つとなると今まで続けてきた交換日記ができなくなる。医療先進都市メディケアと言え医者になるには最低でも四年かかるからな。今まで体験したことのない別離を目前に二人は真剣に話し合い、改めてその場で告白しあって互いの気持ちを確認したんだと。んで、見事に両想い」

「ふーん、なんか胸やけがするわね」ミコは腕を組み姿勢を変える。段々とラブラブカップルの惚気話になってきた気がしていたからだ。口にはそれ以上出さなかったが、喋っていたソームもその感覚はあったらしい。こんな詫びを入れつつ話を続けた。

「ああ、話している俺もちょっと辛い。まあ後もうちょいだから、お互い我慢しよう。で、交換日記に変わって文通をすることに決めてクララ嬢はそいつを万感の思いで送り出したんだと。それがちょうど四年前。以来そいつは学業が忙しくて今日まで一度も里帰りはしてないけどよ、月一通の文通はちゃんと続けていたんだ。幼馴染君の単位習得も極めて順調で来年の味酒うまさけの月にはもう卒業だ。在学中からまめに論文出してて高く評価されててな、卒業直後の味酒の月にこっちに帰ってくると同時に自前の医院を開業するって噂だぜ。なんでもメディケアの医療財団や銀行団が融資を持ちかけたらしくてな、先進医療を広めるってなれば聞こえもいいとかなんとかで、互いの思惑が一致したらしいんだよ。もちろんここの住人達も大喜び、実家の株も上がり見事再興に成功して全てが上手くいくかと思われた……ところが!」

 ここでソームは話を一旦打ち切り、人差し指を一本上に突き立てた。その演出にミコは思わず固まってしまう。

(ソーム、聞き手を話に引き込むのうまくなったわね〜。ここからが本題ってわけね)

 ミコは友の話術向上に内心感動しつつ、次の話を待つことにした。あの切り方で終わり、そして続きがあるのだから、期待できそうだと、ちょっとワクワクしてきてもいた。

 そして間を溜めてしばらく時間が流れる。お互い黙りこくって、見つめ合って引っ張る展開。そして遂にその「時」は来た! ソームが立てていた人差し指を折り畳んで拳に戻して続きを話し始めたのだ。

「この結婚の約束、当人同士は真剣だし友達仲間、果ては街の知り合い達も微笑ましく見守っていたらしい。だけどたった一人、強烈な反対派がいた。そいつの名はハンニバル=ロスターム。クララ嬢の親父さんでここポスティオ一の郵便事業会社の社長という敵に回すのはヤバすぎる奴だった。この親父さんが頑固な上に親バカでね、昔から愛娘のクララ嬢が没落した家の坊主と仲良くしているのが気に入らなかった。でも豪放磊落な人物な奴でな、子供心にした結婚の約束なんて成長するにすれ自然と解消されるもんだと思っていたようなんだよ。だが二人の絆は予想以上に固かった。次第に危機感を抱いていって先月柞葉ははそはの月に相手の卒業、及び開業医となる知らせを聞いてようやく自覚したんだと。俺に言わせりゃ油断大敵観念しろだ。だがハンニバル、諦めの悪い奴でね、今頃になって娘に向かって『あんな奴よりこのロスターム家にふさわしい男と結婚しろ』って、勝手にまあそれなりの資産家の御曹司とのお見合い婚約を迫りだしたんだよ。もちろんクララ嬢はこれに烈火のごとく反発。使用人達がうろたえるほどの家族喧嘩が起こったらしいぜ。結局クララ嬢が折れなかったことに業を煮やしたハンニバルは、遂に娘の意思も無視してその御曹司との婚約を決めて、大々的に発表しやがった。これにクララ嬢も堪忍袋の緒を切らしてな。家出出奔しちまったってわけ。この突然の出奔にさすがのハンニバルも慌ててな。それもそのはず、もう式の段取りも全部終えていたからな。肝心の結婚式に花嫁がいなくちゃロスターム家の面目も丸つぶれ。それでハンニバルの奴、即日都市警察に圧力かけて戒厳令を敷かせたんだ。お前さんポスティオに入るのは簡単だったと思うけど、これは入る者拒まずの論理。逆に今このポスティオを出ることは難しいぜ。で、出口を押さえたハンニバルは一刻も早くクララ嬢の身柄を確保するためにその身柄引き渡しに法外すぎる懸賞金をかけたんだ。これに街の連中も欲に目が眩んでな、お前さんも見た通り、あの有様ってわけなのさ」

 お終い――そう締めくくったソームは長い熱弁で乾いたのどを潤すべく、湯のみを手に取りお茶を飲む。ミコはその様子を見守りつつ、聞いた情報と見た情報を交錯させて道を開く。その先にあるのは納得という名の満足と答え。そして気になる最後の疑問。

「ソーム、もう話せる?」

 ミコは既に湯のみを置いていたソームにお伺いを立てる。するとソームは快活な顔で「おう、大丈夫だぜ」と答えてくれた。

 ならいいか――ミコは気になってしょうがない疑問をぶつけてみた。

「話をさっきから聞いててさあ、引っかかったとこがあるんだけど」

「ん? 説明不足か? どこだ……言ってみ」

「ロスターム家のクララちゃんだっけ? その子と結婚の約束をしてメディケアに留学したっていう幼馴染君の名前はわかんないの? 全然出てこなかったからさ……」

「ああ、そこか……」ソームはしてやられたと言った体の顔をして苦笑した。その顔を見た時点で、ミコは答えを察した。出されるより先に指摘する。

「知らないんだ」

「ああ」ソームは首肯した。なるほど、それじゃしかたないわね――ミコは納得した表情で引き下がった。これ以上の追及は、野暮というものだろう――そう思ったから。

 ところが。

 ソームは何を思い立ったか、いきなり立ち上がり、事務机の方に移動してファイルやら電話やらいじくりだした。ミコは突然の行動に詞も出ない。しばらく経ってようやく自我を取り戻し、なにしてるのと訊くとソームはこう答えてくれた。

「いや、お前の質問に答えられない自分がなんだか歯痒くてな。今資料や関係各所への聞き込みで調べてるとこ」

「別にそんなに気を使わなくてもいいのよ。単純な好奇心なんだから」

 ミコは遠慮気味に声をかけるがソームの決意は固かったらしい。電話を耳に当てながら資料ファイルをパラパラめくっている。その熱心さを垣間見たミコは心境が変化するのを感じていた。自分のためにこんなに一生懸命やってくれている――なら、邪魔するのは野暮というもの。友達なら信じて見守ろう、そう考えたミコは暇となった時間を持て余してしまい、とりあえずお菓子を一口戴いた後にお茶のおかわりを勝手知ったる我が家と言わんがばかりに自分で注ぎにキッチンにまで行く始末。ソファに戻ってアツアツのお茶が注がれた湯のみを両手で保持してホッと一息心を落ち着け、いよいよお茶で癒されようと口に含んだその瞬間――。

 ソームの調べものが終わり、ミコの質問への答えが出た。が、それはミコを少なからず動揺、動転させるものだった。

「わかったぜ。幼馴染君の名前はシャーロック=ローだ」

 ブッ!

 のどまで入ったお茶が逆流してミコの口から吹き出した。思いっきりむせてしまい、ミコは苦しみに悶絶する。

「けほ、けほっ……」

「大丈夫かミコ? いったいどうした……?」

「いや、ちょっと驚いちゃって……とりあえず、拭くものと若干の猶予を頂戴」

「お、おお」

 ソームは急ぎキッチンの方からタオルを持って来るとミコがこぼしたお茶を拭き取る。そして元いた場所に戻るとミコが落ち着くのを待っていてくれた。その気遣いがミコにはとてもありがたかった。

 それにしても、思わぬ事態である。はたしてこれは偶然なのか。それとも、運命なのか……。ミコは戴いた猶予の間に考えてみるが、こればっかりは答えが出なかった。

 そういうことなのね――ミコが気持ちを整理したら、身体もようやく落ち着いた。

「ごめんね。もう大丈夫」待っていてくれたソームにまずありがとうの意味も込めて、ミコは声をかける。

「そっか……よかったぜ。でもどうしたんだ? いったい……」

 ソームが投げかける逆質問。立場が逆になったわね――ミコは逆回転を始めた歯車のちゃっかりした音色が少しおかしくて笑ってしまう。その様子を訝しんだ様子の向かいのソームに心配しないでとだけ告げた後、ミコは全ての理由を話しだした。

「あなたが調べて上げてくれた幼馴染君、シャーロック=ローね。わたしの知り合いなのよ」

「なに! そうか……だから驚いてお茶を」

「そう。しかもそれだけじゃないわ。あの坊やは……シャーロックはね、半年前わたしがメディケアで解決した事件捜査の際、わたしの子分として一緒に行動していた奴でもあるのよね」

「はあ!」ソームは今度こそ本気で驚いたようで机を叩いて立ち上がった。やっぱり……それくらいの衝撃よね――と、ミコはソームの大げさな反応にも理解を示していた。むしろ嬉しいくらいだった。同類、ここに居たり――みたいな感じで安心できる。

 しかし聞き手が立ちっぱなしでは話が続かない。そこにソームも気がついたようで掌返すかのように着席。そしてその勢いのままミコに訊き返してきた。

「シャーロック=ロー、こいつがお前さんの話に出てきた事件捜査の際つきまとってきてとても鬱陶しかった子分だっていうのか?」

「ええ。あいつは自称助手とかのたまっていたけどね。まあ現役の医学生は検死に使えたから傍に置いといたんだけど……あいつ、そんなに頭良かったっけ?」

「そりゃお前さんと比べるのは酷だろ」ソームは即答するが、ミコは「そうかしら」と怪訝な顔を崩さない。自分の記憶の中にいるあいつは、自分の思考が導いた真実に驚いてばかりのどこにでもいそうな若造だったから。

 だから――意外だったのだ。あの子がそんなにできる子でしかも恋に一途な純情青年だったなんて。

「わっかんないもんね。わたしの目も節穴なのかな……?」

 ミコは自分の抜け作ぶりを軽く自嘲する。さっき推察視力が62.0とか自慢したのもちょっとアホらしく思える。こんな大事なことを見抜けず放置していたのだから。

(それとも、別にそんなに重要なことでもないという意味かしら――)

 思考の歯車を逆に回して逆説的に考えてもみるミコ。だが、心が受け入れる答えはそっち側ではなかった……。

「やれやれ。また血が騒いじゃったわ……」

 ミコは観念したようにソームには聞こえるか聞こえないかの小声でそうつぶやくと、よっこらせと勿体振った風に立ち上がり、手を組んで頭上に持ち上げて背を伸ばしてから一言、

「探しますか。クララちゃんとやらを――」と宣言したのだ。

 反対側のソファで座ってその様子を眺めていたソームも憑き物の落ちた清々しい顔でミコの一連の行動を見守ってくれていた。そして一言、

「そうくるだろうと思ってたぜ。お前さんはそこそこ世話好きだもんな。こんな事情を知っちまったら、放ってはおけねえタイプの奴だ」

「うん」ミコは恥ずかしがることもなく素直に肯定する。自覚があるから、なんてことはない。この性格は死んでも消えても直らないのだろう、きっと……。

「手助けするぜ。仕事はこの間終わったばかりで、俺もちょっと暇だしな」

 ソームもまた立ち上がり、ミコと同じ高さに視線を上げて助力を申し出てくれる。

 シャーロックよりかは役に立ってくれるわね――ミコは少々不謹慎な評価をする。が、事実なのでしょうがない。先程のソームの台詞ではないが、比べるのは酷だろう。

「ありがと。じゃあ早速だけど、クララちゃんがいなくなったのはいつかわかる?」

「ああ、それはわかる。今月白妙の月の8日だな」

「今日は22日だったわね……。戒厳令か敷かれたのも8日なの?」

「ああ」ソームは首肯する。「クララ嬢が最後に目撃されたのが7日の就寝時。翌日8日の朝に使用人が起こしに行ったときに失踪が発覚したらしい。残されていた書き置きを読んだ使用人は事の重大さに気付きすぐにハンニバルに報告。一時間もせずに戒厳令が出たそうだ。ここは都だから命令、特に戒厳令なんてのは緊急ラインの電話使うからな。街の規模を鑑みても、クララ嬢が既に街を出たって可能性はないだろうな」

「言い切れるだけの理由があるの?」まっすぐなミコの質問。まあ自分基準で考えているから他人にあてはまるかはわからないが、ミコだったら抜け出す際は乗り物を使う。こういうのはスピードが命、いかに早く、どれだけ遠くに行けるかが重要だからだ。

 だが、どうやら他人様の考えは違うらしい。ソームはミコの問いにこう応じた。

「ロスターム家の屋敷にあるビークルは全て手つかずだったそうだ。いなくなった時間帯が夜だけに公共の交通も休んでいるし、あとはタクシーなんかを呼んだ可能性もお前さんは考えているんだろうけどよ、その線もなさそうだぜ。ロスターム家の屋敷には舗装されてない道を使わなくちゃ行けないんだけどな、その日そこを車が通った痕跡――轍は残ってなかったそうだ。逆に残っていたのは足跡、靴のサイズと型からクララ嬢のものに間違いないそうだぜ。あと戒厳令を敷いた直後に近隣12の町や村の警察にも捜索依頼を出したそうだが、発見報告はない。ポスティオに近隣12の町と村を足した領域は直径80キロにもなる。とてもじゃねえが徒歩では抜けねえだろ」

「なるほどね」ソームの説明を聞き取ったミコは、思考の歯車を回し、回路を起動させる。

(皆が寝静まった時間から戒厳令が敷かれるまでの間にこの都及び近隣のエリアを徒歩で抜けるのは確かに厳しいわね。となるとクララちゃんは逃げたのではなく隠れたってことか……。懸賞金に目が眩んだ街の連中が血相変えて探しているのもその証左。失踪から二週間が経ってもなお発見できないことからして、おそらくは匿っている共犯者がいるのでしょうね。徒歩で移動できる場所……? 足跡……えっ?)

 顎に指を当て思索中だったミコの頭の中、真実の海に垂らした釣り針に引っかかった魚――もとい疑問。早速ソームに訊いてみる。

「ねえソーム、ちょっといい? あなたさっきクララちゃんの足跡が本人と照合できたとか言わなかった?」

「おお、言ったぜ」

「それってまさか、その日の天気が雨だったってこと?」

「ん……? 俺はその日仕事で遠出していたからわかんねえけど多分そういうことだろ。なにを……って、ああっ!」

 ソームがミコの質問に込められた真意に気付き大声を上げる。「ちょい待て、すぐ確認する」と言ってすぐにその日の新聞を確認し始める。程なくしてソームは「あったぜ!」と叫んでミコにその新聞を放り投げた。空中をブーメランのように回転しながら飛んでくる新聞。ミコはそれをキャッチすると真っ先に天気欄を確認する。その日は、やはり――。

 

 雨だった。

 

「俺も鈍ったもんだぜ。お前さんはミコ=R=フローレセンス。でもその前は気象一族のレインだったんだよな」

「そうよー。雨を呼び、雨を使い、雨を知る。それがレインの持つ力。わたしにとってはこれ以上ないヒントになるわね。うん、今月の7日〜8日はこの地方一帯雨だったようね。なら簡単だわ。雨の匂いで検索、追跡できる」

「二週間前だぜ? 匂いとか残っているもんなのか?」ソームが訪ねてくるが、ミコは人差し指を立てて振り、「チッチッチ」と答える。

「甘いわね。わたしの雨識感覚は水滴のカテゴリが『雨』であるなら百年前のものでも探知可能よ。発見報告が無いってことは、クララちゃんは雨の日に移動してから隠れたまま。なら可能性は十分よ」

 ミコはレインとしての能力を説明し終わるとソームに少し黙っているように告げ、目を閉じて嗅覚に意識を集中させる。

 雨の匂いに限定して嗅ぎ分けさらに日時と対象人物で絞り込む。検索すること数秒――すると、感じるものがある。それこそ探していた目標の情報!

「見つけたわ。ここから西に約8キロね」ミコが開眼し、探知した情報を提供する。

「マジで?」ソームが目を見開いて感嘆する。ミコ同様目を大きく開いているが、そのもととなる感情は大いに違うだろう。彼のそれはミコの超感覚に対する驚嘆だろうから。

「疑うより見せた方が早いわ。行きましょう」

 ミコは被っていた影帽子の鍔をつまんで深く帽子を被り直すと、テキパキとした動作でさっさとソームの事務所を後にする。その様子を目の当たりにしたソームが「ま、待ってくれ!」と叫びながらガサゴソ物音を立てる。事務所のドアを既に通り抜けていたミコに届くドタバタ音。しまった、またしくじっちゃった――ミコは一人旅のノリで行動してしまった自分の不覚を反省し、閉じたドアに背中を預けてドア越しに声をかける。

「ごめんね。見せた方が早いわなんて言っちゃって。急がないのが……わたしの流儀なのにね。待ってるわ、あなたのこと」

 そう言って目を閉じるミコの背中に伝わるのは、ソームの出発準備の様子。やがてこっちに向かってくることがわかるとミコはよっこらせと預けた背中を解き放ってドアから距離をとる。と同時にドアは開き、支度を整えたソームが出てきた。

「待たせたな」

「いいのよ。じゃ、ついてきて」

 ミコはふんわか柔らかく微笑むと、先導して歩きだした。後ろからソームの足音がついてくる。夕暮れの茜空が、街に焼き付く中、二人は沈む夕日を追いかけるように、西に向かって歩いていった。

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