第1話(3)
3
5年前。
私、ホークアイはロシア北部戦線で指揮官として戦っていた。全ては人類解放のため。自由のため。我らが尊厳を取り戻すため。雪に紛れて敵を攪乱し、射殺し、時に撤退し、数え切れぬ戦いを経てきた。
ギリギリの攻防を繰り広げながら、我々は徐々に敵を追い詰めていった。
――そしてあの日。
「発射!」
屋上近く、高層ビル12階相当の高さからのミサイルランチャー。
数日前。
人狼たちのアジトを突き止めた我々は、この戦いに終止符を打つべく総攻撃を仕掛けた。
まるで雪の城のような敵陣は、童話「氷の女王」を思い起こさせる。彼らの根城を叩けば、少なくともロシア戦線は解放され、他の地域へ援軍できる。
「先鋒、突撃!」
所有する残り少ない弾薬を注ぎ込んで、敵陣に突撃する。
「おのれ人間めぇっ!」
50名足らずの人狼が吼える。対してこちらは100人近く。数の理では勝っていても、敵が強大である事に変わりはない。
自ら前線に赴き指揮を取っていた私は、何としてでもこの戦いを制したかった。他の戦士たちも同じ気持ちだったろう。皆、いつにも増して士気が高く、殺気が満ち満ちていた。
吹雪の中、風上に陣取った我々は、銃弾の流れやすさからも、僅かながらも勝機を見出していた。
「進め! ヴェアヴォルフどもを皆殺しにしろ!」
「「「おおおおおおぉぉぉ!」」」
我々の咆哮に気圧されたのか、人狼が退いていく。
「撤退だ! 撤退しろ!」
怒号が飛び交う戦場。
着実に人狼を殺していった我々は、遂に奴らの本陣に入り込んだ。
「――――何だ、ここは」
外とは打って変わって、陣内は不気味なほど静まり返っていた。あちらこちらが散らかっており、とても人が住んでいたとは思えない。
「油断するな。奴ら、潜んでいるぞ」
歴戦の猛者5~6名と共に城内を忍び歩く。慎重に。慎重に。辺りの警戒を怠ることなく、奥へ奥へと進んでいく。
外では相変わらず戦士たちが攻撃の手を緩めずにいた。銃撃があちらこちらから遠く聞こえる。
やがて大広間に出た。教会のように広い空間。隠れる場所は何処にも無く、玉座の代わりなのか、木箱の上に人狼のリーダーが座っていた。
ただちに銃を構える。
「待っていたぞ、人間諸君。諸君らは実に健闘した。実に良く戦った。だがこれまでだ。この戦いは、まさしくこの場所で終焉を迎える」
それが何を意味しているのか、その時の私達にはまるで分からなかった。諦念のようにも聞こえるし、まだ奥の手を隠しているようにも聞こえる。背後からは、我らが精鋭たちが続々と集まってくる。
「もはやこれまでだ、ヴェアヴォルフ! 大人しく殺されろ!」
ホークアイが警告する。
すると、人狼はクツクツと笑いだした。
「いや、諦めるのは貴様らのほうだ。人間!」
何処に隠れていたのか、無数の人狼が我々を包囲した。
「だがそれでも、我々の有利に変わりはないぞ!」
「それはどうかな?」
ホークアイの問いに答えたのは目の前の人狼ではなく、真後ろにいた精鋭が1人、カステルだった。
「カステル?!」
「つまりこういう事だ」
後ろから銃撃が始まる。私の周りに居た戦士たちは次々と倒れ、後に残ったのは私と致命傷を逃れた副司令官のブロッケン、裏切り者のカステル、そして嘲笑う人狼たちだった。
「クハハハハハハハッ! 残念だったなぁホークアイ! 私は元から、彼らに協力しているスパイだったのだよ!」
カステルは高らかに叫ぶ。
「き、貴様あああぁぁぁ!」
ホークアイは照準をカステルに定める。
しかし人狼たちに組み伏せられ、睨むことしか出来なかった。
「良いざまだなぁホークアイ? 俺はずっと貴様を手に入れたかった。貴様が苦痛に顔を歪めるのを見たかった! 最後の最後で裏切られる無様な顔を見たかったんだよぉ! 俺らを散々こき使いやがって! てめえには俺たち末端の苦労なんざ分かりもしねぇくせに」
「貴様っ! 司令官を侮辱するとは、許さんぞ! 我らの希望の光を何と心得ている! ロシア北部戦線がここまで戦い続けてこれたのも、全て! 全てホークアイ司令のお陰ではないか!」
続け様に八当たりするカステルに、傷を負ったブロッケンが怒鳴った。
そんなブロッケンを、カステルはジロリと睨む。
「部下の言葉もまともに聞かない司令なんざ司令じゃねぇ! バカにしやがって! テメエらはいつも俺を馬鹿にしやがる。ふざけんな! この俺様が司令をやってりゃ、もっと早く人類は勝ってた! だがもうこうなった以上、人類に勝機はない。俺様が、ヒーローになれたのによ!」
言ってる事が滅茶苦茶だった。
しかし当の本人は気付いていない。
私は逆にカステルを嘲笑ってやった。
「フフ、ハハハハハ! カステル! 哀れな男だ。貴様は自分がどういう感情に陥っているか分かっていないな」
「・・・なんだと?」
「今のお前を支配しているのは、唯の“嫉妬”だ! そんな子供じみた感情に突き動かされて裏切るようなら、お前はまだまだ未熟者だ! アハハハハハハ!」
「貴様、貴様、貴様ぁ!」
激昂したカステルが、ホークアイの腹部を思いっきり蹴りつける。何度も、何度も。
「こふっ!」
「司令!」
「かはっ・・・けはっ・・・」
咳込むホークアイを見下ろしながら、カステルは深く息を吐いた。
「言いたい事はそれだけか、傷女」
私の前髪を引きちぎるように掴んで、カステルは自らの眼前に近づけた。
「貴様には、自分がどういう立場にあるか分からせる必要があるな」
顔を地べたに放られ、私が組み伏せられているのを良い事に、上半身の服をビリビリに引き裂かれた。
「き、貴様っ」
「犯してやる。抵抗力も無くなる程に、女に生まれなければ良かったと思える程に、いやむしろ、俺に可愛がってもらった事に歓喜する程に、俺を嘲笑った事を後悔させてやる。クハハハハハハハ!」
カステルは、いきり立つ自分の肉棒を取り出す。
「さぁ、まずはその顔から汚してやるれぁっ!?」
一体何が起こったのか、情け無い声と共にカステルは吹き飛ばされていた。
周りの人狼はおろか、ブロッケンや他の戦士たちも唖然としている。
そこに、1人の男が立っていた。まるで嵐。暴風雨の如く現れた災害が、苛立ちを露わに言葉を投げかける。
「何をしているかと思えば、女1人に寄って集って強姦しようとは。何と浅墓で傲慢で野蛮な連中だ。さして人間と変わらんではないか、馬鹿どもめ」
黒ずくめのタイトな服装の男。どうやら彼がカステルを蹴り飛ばした張本人らしい。
対して人狼たちは怯えきっていた。いや、驚きすぎていた。
「貴様っ、貴様! 何故ここにいる!」「黒ずくめ」
「気まぐれ男」「殺戮者」「蒼い牙」「女たらし」「反逆の自由主義」「従僕」「白銀狼」「ウルフ・ヴァン・レイヴェント!!」
羅列された幾つもの異名。それは、いま目の前に居る彼の二つ名に他ならない。ウルフと呼ばれた男は、彼らに忌み嫌われているようだった。
空気を読まないのか、黙々と淡々とウルフは口を開く。
「何故ここにいる、だと? そんな事は問題ではない。問題なのは貴様らがやろうとしている事だ。私は私の信念に基づいて行動しているに過ぎない」
人狼たちが狼狽える。
この男は正気ではない。
「私は人間の味方でも、人狼の味方でもない。何故なら私は、私の理想のために戦っているからだ」
正気ではないが、確実に我々を敵だと認識している。
ならば殺す。殺すしかない。
「ヴァァァアアアアアアァァァンっ!」
幾多の人狼が叫び、突撃する。
だがしかし。彼らの生首が跳ねる。見れば喉元真っ二つ。叫ぶ間も無く真っ二つ。いかなる手段を用いたのか。疾風迅雷、まさしくウルフは彼らを皆殺しにしていた。
後に残されたのはホークアイとブロッケン、傷を負った他の戦士たち。そして指先を赤く染めた殺戮者、ウルフ。
かくしてロシア戦線は一旦幕を閉じる。
だが双方が受けた打撃はあまりに大きく、故に暫く戦争は起こらなかった。
我々は勝利したのでもなく、負けたのでもなく、痛み分けに終わったのである――――。