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気づけば前回の投稿から一ヶ月が経過していた。
遅筆の面目躍如である。亀更新タグに偽りなし!
待っていて下さった方おられましたら申し訳ありませんでした。
妄想。それはボクらが人間であることの確かな証明。
『人間は考える葦である』。17世紀フランスの思想家ブレーズ・パスカルの言葉だ。パスカルは"考える"ことこそが人が人である証だと言いたかったに違いない。"考える"とは即ち"思考"。"思考"とは即ち自己内で思いを巡らすこと。そして、自己内で思いを巡らすこととはそれ即ち"妄想"である。つまりパスカルの言葉はこう言い換えられる。
『人間は"妄想"する葦である』。
"妄想"しなきゃ人間じゃねぇ。
人間として生を受けたからには、ボクらは妄想しなきゃいけないのである。
自分で作り出した妄想で思わずニヤけてしまうのは、言わば人間の業なのである。
だから、一人突然ニヤけ顔を浮かべたボクを遠巻きから気持ち悪そうに見るのはやめてくださいお願いします。
◆◆◆◆◆
五月も中盤に入ろうというこの日の天気は、今日も今日とて快晴だった。
欠伸を噛み殺しながら制服に着替え、眠気眼に朝食を食し、眠気を引きずりながら駅へと向かい、電車の揺れに眠気を誘われ、目的の駅に着いた瞬間目を覚まし大慌てで下車し、意識半分で同じ制服を着た人たちの流れに身を任せ、下駄箱の前でほんのちょっとの期待と落胆を味わい、見知った顔ぶれに眠気顔そのままに挨拶を返し、日当たり良好な窓際前から三番目の我が席にて心地よい微睡みを堪能する。
ああ、いつも通りだ。
平坦で平凡で穏やかな、代わり映えのしないいつも通りの朝だ。
昨夜からあれだけ思い悩んだのがバカみたいだ。
今日というのは昨日の延長である。"今日"という日がいつもと変わりないということは、"昨日"という日がいつもと変わりなかったということに他ならない。つまり、夕暮れの教室であったあれやこれやなど実際にありはしなかったのだ。
考えてみれば当たり前な話だ。放課後の校舎でテロリストごっこする女子高生とかいるはずないし。ましてやそんな娘のごっこ遊びに巻き込まれてイスに目隠しされて拘束され、書道部所属の大人っぽいツンデレ(でも中身はほぼデレ)大和撫子美少女の存在を否定された挙句"下僕"になれと宣告されるなんて、現実の出来事であるわけがないじゃないか。
やはり、あれは白昼夢。
変化のない現実に業を煮やしたボクの脳が作り出した妄想の産物だったんだ。
で、"放課後の校舎でのテロリストごっこ以下略"が夢だということは一体どこからが現実だったのかということだが、これは恐らく夕暮れの教室でイスに座った辺りだろう。で、その後はきっとずっとずーっと待ち惚け。いつまでたっても現れない手紙の君に裏切られショックを受けたボクは現実が受け入れられず妄想の世界へと逃避。そしてあのような突拍子もない白昼夢が作り出されてしまったのだ。
自分の記憶すら塗り替えてしまうとは恐るべしボクの妄想力。日々地道に鍛えてきたのは伊達じゃなかった。現段階でこれならやがては現実世界すら塗り替えられるかもしれない。
だが、記憶を改竄されようとも僅かな情報から真実を導き出すボクの脳みそは流石だな。灰色すぎて言葉もでないよ。あれ、でも記憶を改竄したのもボクの脳みそだよな。記憶を妄想に塗り替えておいてその塗り替えた真実を後からさも凄そうに導き出す。なるほど、これがいわゆるマッチポンプか。
ということで、あれらは全て現実には起こらなかったという事になったわけだ。放課後の校舎でテロリストごっこをする女子高生(中二病)なんて存在しないし、そんな彼女にイスに拘束されたなんてのは妄想上の出来事だし、書道部所属の大人っぽいツンデレ(でも中身はほぼデレ)大和撫子美少女が存在しないなんてことはあり得ないし、"下僕"になれなんて言われた事実はないし、尿意に耐えながら手足の拘束と闘った時間なんて0だったんだ。あ、首筋にタラコなんてのもあったか。なんだよタラコって。どっから出てきた場所考えろ。全く、ボクの妄想にも困ったもんだな。
あーでもさっぱりした。中二病少女から"下僕"になれと命令されるなんて一部の人にとってはご褒美なのかもしれないが、生憎ボクにはそんな特殊な性癖はないし、第一ボクの目指す"青い春"からは遠くかけ離れているじゃないか。なんでボクの脳みそはこんな理想とかけ離れた妄想を作り出してしまったのか理解に苦しむね。
……しかし先ほどは安心したが、"代わり映えのしない日常"、か。
このままでいいのか? 理想を仰ぎ見ながら平坦な日々を足引きずりながらダラダラ生きる自分に安心してしまっていていいのか?
いいや、ダメだ。そうじゃないだろ。よく思い出せボク。一月ほど前のあの日あの時まで持っていたあの溢れんばかりの夢や希望を。
確かにボクはスタートに失敗したさ。合図と同時に転倒してしまったさ。もうそれは変えようがなくしょうがない事だ。でも、その事を引きずってウジウジと蹲ったままじゃ何も変わらない。だいぶ遅くなってしまったが、落っことした物を拾い集めてそろそろボクもスタートしなくちゃ。
そうだ。今からでもいいから部活動を始めよう。新しい環境で今度こそ一からきちんとやり直すのだ。
そうと決まれば何部がいいかな。……うん、運動部はいいや。練習とか上下関係とか厳しそうだし。第一運動部オーラバリバリの人と上手くやれる自信が全くない。あの系統の人種はボクみたいのとは諸々の構造が違いすぎる。なんで『おはようございます』が『オザマス!』になるのかボクには理解できないよ……。
ということで、入るなら文科系の部活だ。文化系で代表的なのは、文芸部、吹奏楽部、演劇部とかか。文芸部はともかく、吹奏楽部と演劇部は結構運動部よりなイメージあるなぁ。やっぱ入るんなら遅れて入部してきたボクを温かく迎え入れてくれる活動内容が緩い部活がいい。
あ、そういえば書道部も文科系じゃないか。大人っぽいツンデレ(でも中身はほぼデレ)大和撫子美少女ときゃっきゃうふふしながら半紙に文字を書く部活動か……。
いい。実にいい。文字を書くだけというその緩さといい、大人っぽいツンデレ(でも中身はほぼデレ)大和撫子美少女ときゃっきゃうふふできる特典といい、凄くいいぞ。
考えれば考えるほど、これしかないという気がしてきた。
すぐそこにはバラ色の妄想。さよなら平凡で退屈な日常。ようこそ青く輝くボクの春。こりゃー今すぐ入るしかない。入部届はどこだ―。
素晴らしき未来にボクの気持ちは有頂天。ついでに眠気も最高潮。若干早めに登校したからまだHRには時間があるし、この幸せに浸ったまま微睡みに身を任せてしまおう。
そうして旅立とうとした僕の意識はしかし、外部からの刺激によって強制的に引き戻された。
とんとん、とんとん。
机に突っ伏した格好のボクの肩を誰かが叩いている。
なんだよーじゃますんなよーせっかくいいきもちなんだからさー。とりあえず無視だ無視。
とんとん、とんとんとん!
こちらに反応がなかったからなのか、先ほどよりも強めに肩を叩かれる。
っち。んだよもうマジ空気読めよ。
寝ている人間に対するこの無遠慮なこの行い。どうせ植木辺りだろう。
煩い。ボクの心地よい眠りを邪魔するな。そういう気持ちを載せてこちらを叩いてくる手を払いのける。
ゆっさゆっさゆっさ!
野郎、叩くの止めたと思ったら今度は体を揺すってきやがった。そうまでしてお前はボクを寝させたくないのか。
「あーもううるさい! いい加減にしないとその芝生頭に枯葉剤を散布する――」
「おはよう錬太郎。眠そうね。昨日はよく眠れなかったの?」
顔を上げた先にあるのは、想像していた顔ではなかった。
あまりに予想外な人物の登場に言葉を切って茫然と見上げるボクへ、その人物は親しげに話しかけてくる。
「それと、先ほどのセリフは私に向かって言ったのかしら? もしそうなら主に対する下僕の態度というものをきちんと教え込む必要がありそうね」
眼前の夜を凝縮した様な美少女の顔に、特徴的な三日月が浮かび上がる。
彼女の言っている事が理解できなかったボクは、助けを求めて周りを見渡してみることにした。
今来たばかりであろう植木も、遠くで談笑していたであろう伊勢崎とその友人たちも、入学後速攻で付き合いだしたクラス内最速カップルのあんちくしょうとその彼女も、クラスに居る見知った顔全てが例外なくこちらを見ていた。
雑多な音で溢れていた一年A組がシンと静まり返える。
目線は合えど、誰も彼もが石化したかのように反応を返してはくれない。
ボクはゆっくりと視線を前へと戻した。
「この"夜の女王"たる私自ら話しかけてあげたというのにその態度、本格的に教育が必要なようね」
目の前の彼女は変わらずボクには理解できない言葉を話していた。
眠気で鈍ったシックスセンスが、今更うなりをあげ始める。
『今日というのは昨日の延長である』。
認めたくない現実に、ボクは机に突っ伏し目を閉じた。
◆◆◆◆◆
――目を覚ませば全ては夢だった。
なんてことはもちろんなく、彼女はその後も休み時間の度に話しかけてきた。
「私は主。貴方は下僕」「私に選ばれた事を光栄に思いなさい」「嬉しすぎて言葉も出ないのは理解できるけれど、私の言葉に何の反応も返さないいただけないわね」「錬太郎、起きてこっちを向きなさい」
教室内は相変わらず静まり返り、数多の視線がボクと彼女に集中している。
この一方的な会話に参加することなく時折こそこそとした内緒話を行う彼ら彼女らはただの傍観者でしかなく、教室内にボクの味方は一人として存在しはしなかった。因みに植木は伊勢崎君と一緒になって教室で一番遠い所から高みの見物を決めていた。
味方のいないボクはただただ自分の殻に閉じこもり耐え忍ぶ戦法をとった。というか単に寝たふりしていた。これは逃避ではない。妄想力を鍛えているのだ。こんな時でも自己鍛錬を欠かさないとは流石ボク。マジストイック。
そうして、時間は昼休みへと移る。
これまではなんとかやり過ごしてきたが、ここは流石にそうはいかない。ボクも食べ盛りの男子高校生。ここで何も食べずに午後の授業を空腹で過ごす、なんて拷問は真っ平だ。
と、いうわけで事前に作戦を考えた。
作戦名はずばり『光への疾走』。
内容は単純だ。授業の終礼と共に弁当を引っ掴み、最速でもって"自由"という名の光の元へと疾走するのだ。
作戦名を『多重加速』とどちらにしようか迷ったが、やはり光への疾走の方が今の自身の心情にマッチしていていいな。この授業中ずっと悩み続けたかいがある。格好良過ぎて身震いするね。
「きょーつけ、れーい」
『ありがとうございましたー』
日直の号令と共に一斉に皆の頭が下げられる。
――今だ! 作戦決行!
「――ぐえっ」
前方斜め四十五度から起き上がると同時に事前に机の上に出していた弁当と共に素早く踏み出した自由への一歩は、しかし地に着くことはなかった。
締まる首元。後退する身体。遠ざかる光。
バカなっ、光の速さよりもなお速いだと!?
「もしかしたら具合が悪いのかと心配していたのだけれど、その分だと大丈夫そうね。安心したわ」
ボクの襟元をがっちり掴んでいるのは言うまでもなく一つ後ろの席の彼女。
お、おーけーおーけー。
落ち着けボク。出鼻を挫かれたがまだ負けたわけじゃない。大事なのは結果だ。ここから彼女にその手を離させ、教室から脱出できれば成功なんだ。ここから先は言葉の戦闘。大丈夫、ボクの灰色の脳みそにかかれば説得の一つや二つ楽勝さ。
「お弁当を用意しているなんて準備がいいじゃない。今日から昼は私と共になさい。いいわね?」
『あ、これもう自分じゃ無理っすわ』
振り向いた瞬間。ボクの脳みそ(灰色)は白旗を挙げた。
彼女の目が語っているのだ。"逃がしはしない"と。
だ、だがまだだ! まだ負けてない!
「い、いやっ! ボクもう友達と食べる約束してるから!」
ボクにはいるんだ、共に幾多の戦場を駆け抜けてきた頼もしき戦友がなぁ! 届け! このSOS!
教室の端にいた植木に向け飛ばした決死の救難信号。それにヤツは小さくふっと笑みを浮かべる。
届いたぁっ!
植木は隣の伊勢崎君と一言二言言葉を交わすと頷き合う。
「オレ今日昼飯忘れてさー。購買行かなきゃなんだったわー」
「オレも朝買った分だけじゃ足りねーや。一緒に行こうぜ」
「おー、行こう行こう。ついでに今日は外で食おうぜ」
「いいねー」
ヤツラは何気ない風を装って、静かにひっそり教室を後にした。
……。
…………。
………………ヤロオオオオオオォォォォォ!! 逃げやがったなああああああぁぁぁぁぁ!?
「お友達と、なんだって?」
「……いえ、なんでもないです」
「そう。それじゃ着いてきなさい。行くわよ」
「………………ハーイ」
もはや万策尽きた。
ボクにはもう、大人しく彼女の先導に付き従う以外の道は残されてはいなかった。