第289話 決死の覚悟
震える空間にたぽたぽと水が掛けられる音が響く。ミカヅキ、レム、アーサーが川の字で並べられており、それぞれに万能薬が使用されていた。
「うっ!? ぇ……まじぃ……なんじゃこりゃ……!」
「あっ、気が付きました?」
アーサーはあまりの嫌悪感に体を跳ねさせ、首を振って意識を取り戻す。
ぼやけた視界の向こうには真っ白な髪と造られたように整った美しい顔つきに埋め尽くされていた。
寝起きのように混濁した自我は視界とともに鮮明になり、痛みに呻きながら体を起こす。
「え……あ……俺様、生きてるのか……ってお前は……?」
「良かったです! さすがに崩落寸前のダンジョンで三人は運べませんからね」
目が笑っていない、という言葉が当てはまる笑顔を浮かべ、彼女は腰に巻いた鞄に開いた瓶を片付け、未だ動かないレムを背負う。
「なんであんたがここにいるんだ? カムロドゥノンの防衛に勤めてたはず……」
「お互い様ですよ。アーサー王子」
「っ……」
底冷えするほど冷たい声は彼の口を封じるに十分な効力を持っていた。
怪我の具合は重く、万能薬でも彼の状態を完全に治すことが出来なかったため、立ち上がるのにも一苦労である。
「二度と来るかよ。こんなとこ」
「それはなによりです! では帰りましょう」
「……今、外はどうなってる?」
「うーん、一言で表すのは難しいです。とにかく王子様はその人を背負って、今すぐ脱出しましょう」
「その様子を見るに、怒られるで済めばまだいい方、って感じだな」
アーサーの宝剣はすぐ側で転がっており、盗られていないことを確認し、安心した表情を浮かべていた。
ミカヅキを背負い、帰る準備が整ったところで勇者の圧力が更に増したことを感じ取る。
「それで、どうやって帰るんだ? というかどうやって入ったんだ?」
「ブランゲーヌさんが来てます。それほどの事態です」
「……まじかよ」
彼の視線の先に入ったら最後で二度と戻ることはできない……とされている、漆黒の虚無空間が映る。
虚無空間を渡ることができるのは勇者ですら不可能であり、それを唯一可能とするのが”王の三剣“である。
彼らは人間界の国王を守る業務が主であり、人間界の最後の防衛線とされている。
三人はそれぞれ特異な能力を持つが、共通しているのは”無の空間において生存できる術”を持っていることである。その内容は明かされていないが、他人に施したり、限定的ではあるが能力を持ち合わせない者でも通ることの出来る道を作ることも可能だ。
「そんな貴重な人材を出すってこたぁ……相当焦ってるってことか」
「良くも悪くも、ダンジョンの崩壊がなければ王様からブランゲーヌさんと私たちを引き出すことは出来ませんでした。お姫様の機転の良さですね!」
中にいるアーサーでさえダンジョン崩壊は薄々気がついていたが、内部に虚無空間が現れたことは崩壊の末期を意味する。
大規模なダンジョンが崩壊すれば、そのエネルギーは無の空間に飲まれ、そのエネルギーを得た空間は虚無へと変貌し、世界を飲み込まんとして動き、広がり続ける。
それは”世界の意思“とも呼ばれ、突然現れては突然消えていく目的不明の自然現象とされている。
その継続時間とは内包されたエネルギー量によって変動するが、魔王の魔導書がある以上、人間界に甚大な被害を及ぼすことに違いはない。
「崩壊末期だからこそ、ブランゲーヌがこっちまで来れたってことかよ」
「そしてもうひとつ。人間界に魔族が攻めてきました」
「はぁ!? テュエルが同盟結んだばっかりだろ!?」
「そうなんです。目的は宣戦布告と見られてますが……とにかく、人間界は大変な状況に立たされてます。ここでの魔導書確保、及び破壊は人間界での未来に関わります」
「……っ」
歩きながら語られた内容は非常に重く、予想していたよりもずっと大きな規模の話になり、アーサーは頭を抱えたくなるような気分になるが、白神は更に言葉を続ける。
「もっと良くないことがあります。この状況での戦える人材の不足です。救援隊として編成された私たちですが、多数の負傷者、及び死者をを確認してます。中でも星持ち、及びSSランカーを計5名失いました」
「……そりゃ、やばいな」
「……はい。行方不明の方を合わせるとまだ増える見込みです。Aランカー以下の方は二層に着けた人が居ないものの、行方不明者が多く……」
あまりにも無情な事実を耳にしたことで、アーサーはついに顔を青くする。
テュエルや国王が何年もかけて、決して少なくない血を流しながらようやく作りあげた不戦の契りだった。
「……魔族ってやつは……なんでこんなに……っ」
「とにかく、アーサー王子は今後について深く関わる必要があるのと……勇者召喚の儀式が近々開かれる可能性が極めて高いことを共有します」
「……あぁ、そうなる、よな」
勇者召喚は確かに国単位で見れば最高の兵器生産であると言えるだろう。もちろん相応のリスクはある。だが、国を守るために、そして人間の世界を守るためには最善策なのだ。
「最後に、ゆうくんについて話します。ゆうくんは恐らく……国の元で監禁されます」
「……あいつは何もしてないだろ」
「私だってそんなこと許せないです。でも、勇者さんとある程度戦えることが露見していること、闇魔法を堪能に使えることがセリアさんの神託の共有によって判明しました。これを受けたことで、十字騎士団から正式に異端者認定されてしまいました」
「まてまてまて、異端者認定を受けたのは俺様もだろ!? なんであいつだけ……!」
「セリアさんは……その、行き過ぎとの事で、ブランゲーヌさんの命令で既に回収済みです。恐らく直ぐに“調整”が行われる思います」
「……調整、ね。白神さんはそれに関して何とも思わないのか?」
「思わない、といえば嘘になりますが、元が元なので……」
「……すまん、失言だった」
「いいえ、気にしないでください」
アーサーは白神が完全な人造人間であり、セリアたちのような神聖騎士は不可全な人造人間であることを理解している。
白神が人間のようになった理由はハート型のパーツが抜き出されたためと考えられているが、不明なところがあまりにも多い。
「あの“お姫様“には内緒にしてくれよ。俺様はお前のこと人間だと思いたい」
「お気遣いありがとうございます」
色々思うところがあったはすだが、白神はそれ以上の発言をしなかった。
アーサーは夕の居場所について聞きたい気持ちがあったものの、ブランゲーヌがこの場にいない時点で既に確保に動いていることが予想できる。
彼が今できることと言えば、人間界に帰ることだけだった。
揺れが目を覚ました時より大きくなってきたと感じたところでに 、アーサーたちはブランゲーヌが作成した脱出口へ辿り着く。
白神はまだ助ける人がいるはず、とのことで残る意思を見せていた。
「レムとミカヅキはこっちで何とかする。だから早く上がってこい、って伝えてくれ」
「任せてください。ゆうくんは私の命に代えても助けます!」
「……なんか、ユウに関わると若干テンションが高いような……まぁいいか。頼んだ!」
彼は道を通って見えなくなることを確認した後、白神は魔力を介さない通信機を使用し、ドリュードへと連絡を取る。
ブランゲーヌがオニキスと呼ばれる男と戦闘を行ったため、彼が夕の確保を担当していたが……全く返答がない。
「……ゆうくん」
彼の名は彼女にとって特別だった。
だからこそ、絶対に助ける。全てを敵に回したとしても。
「いまから、いくね」
~~~~~~
強大な魔力が破壊の意思をもって何度も、何度も、ぶつかり合う。
終わりの見えない戦いには、お互いの体を傷つけ、破壊の嵐はより鮮烈さを増していく。
「しぶといですね」
「あははははははははははははは!!」
質量を持った黒辻風は光線を切り裂きながら勇者へと猛襲し――輝かしい剣の一閃によって霧散する。
「や、べぇ……っ」
既に満身創痍の夕は戦いの余波で生まれた衝撃波に耐えるのも必死であり、倒れたアルトを守りつつ戦いの隙を伺う。
体力の都合上、命の全てを出し切っても魔導書を獲得できるかどうかは怪しい。
限界に限界を超え、今にも気を失いそうであるため、今すぐにでも取りに行きたい気持ちがある。
「とはいえ……っ、こんなんじゃ攻撃一発でもくらったら死ぬっての……!」
一際激しい衝撃波が生まれ、夕はアルトを覆って必死に耐える。
女神の杖を手に入れて覚醒したシーナはほぼ全開の状態であるが、勇者の本来の力を取り戻したサンガは酷い状態でありながらも対等の状態を維持していた。
「これが女神級武具の力ってわけか……」
「ええ、その通りですが……あの状態で対等に戦われると……勇者の力というものに”嫉妬“してしまいますね」
「あはははははははッ!!」
彼は目や腹部、頭から血を流し、狂ったような声を放ちながら無作為に破壊の光を撒き散らし、シーナは夕に当たらないように配慮しつつ攻撃を受け流し、ときには跳ね返す。
「……っ」
勇者の魔法には全て《聖混呪》が付与されており、魔王であったアルトでさえ解呪できない複雑な毒が仕込まれている。遠隔的に接触しているため、空中に漂う魔力を介して彼女にも侵食が始まった。
「ですが、私の本領はここからです」
彼女の瞳が淡い柴色を光を放ち、それらは感情を持ったように渦を巻く。
足元からは黒風が吹き荒れ、いつからか形を作り、鸛のような化身が背中に現れる。
「――妬ましいですね。非常に」
言葉も表情も冷徹に。しかして感情は吹き荒れる。
『ギョアアアアアアアアアッ!』
「あははは、は?」
これまで通り空中に浮かびながら向かい来る黒風の鸛を切り裂こうとして――彼の笑顔が崩れる。
「が、ふっ」
「妬ましいので、貴方よりも大きな出力にしました」
「あは、はああああははははははは!」
一撃では鸛の化身を切り裂くことが出来ず、そのまま体を貫こうと直進する。
彼は凄まじい光片を吹き散らしながら強く吹き飛んでいき、壁に強く叩きつけられて――彼の纏っていた光はジクジクと黒い粒子の侵食が始まる。
「ぶっ……はっ」
魔法を放った相当の反動がシーナにも返ってきたようで、彼女鼻や口から血を吹き出し、足をつく。
「シーナっ」
「私は……いい、です。はやく……いってください、ユウ……ナミ!」
「……ありがとうッ!」
夕はその言葉で全てを賭ける心が決まり、内部にいるシャナクの力を借りつつ、立ち上がり、一気に階段を駆け登る。
「ぁ、ぐっ……づああああああああッ!!」
ダンジョンのコアである魔導書に触れさせまいと、ダンジョン側からの激しい魔力抵抗が起こり、夕を吹き飛ばそうとするが――弱っているのは同様であり、意地と意地の張り合いが決着を分ける。
「と、ど、けええええええええええッ!」
彼からすれば何分にも渡る鍔迫り合いであり、シーナから見ればほんの少しだけの拮抗だった。
「……おめでとう」
そんな声が微かに聞こえた。
――彼の黒く染まった指はガルドラボーグに届き、これまで聞いた中で最大級の悲鳴がダンジョンの中、外、そして魔界にまで響き渡った。
ご高覧感謝です♪