第287話 求めた果て
夕の背後から響き渡るのは爆発音、剣戟の音、そして追ってくるは足音だった。
もう彼は満身創痍であるが、足を止める訳にはいかない。
「はぁっ……はぁっ……もう少し……」
「――ああもう!待てって言ってるだろ!」
全身黒甲冑のドリュードは何かを覚悟した声を上げ、夕を追いかける速度を超えて、ついに立ち塞がる。
彼の様子に疲れはなく、夕が突破するには非常に困難であった。
「頼むドリュード……どいてくれ。俺はアルトの所に行きたいんだ」
「だからその様子で何が出来るんだっての! 魔力も尽きかけてるし、ましてお前の腕なんて――」
「でも、行ってみなきゃ分からない!」
「分かるんだよっ、アルトは俺たちに任せてお前は地上に戻れ! ほら、マシロもなんか言ってくれよ!」
「……」
彼の背後からコツコツと足音を響かせ、白神が俯いたまま迫っていた。彼女はすぐ側まで寄ると足を止め、感情を乗せていない無機質な声語りかける。
「ゆうくん、どうしてそこまで無理をするの?」
「……それが、俺だからだ。ましろさん、分かってくれ」
「分からない。分からないよ、ゆうくん。なんでそんなに傷ついても、君は先に行こうとするの?」
「ましろさんにも大切な人が出来たら……きっと分かる。ドリュード。お前ならきっとわかるはずだ。この先に行かせてくれ」
ましろさんは“大切な人”という単語があまり理解できなかったらしく、ハイライトの無い瞳をぱちくりとさせて、硬直した。
ドリュードへもう一度視線を向け、五秒、十秒と見つめ合う。
彼は、剣のある背中へと手を伸ばし――何とも面倒くさそうに口火を切る。
「……まぁ、分かってたさ。オレがなんと言おうともお前はそうなるってな。ギルドに攻め入った無謀野郎がこの程度で止まるはずがねぇ、か」
剣へと伸びた手は髪の毛へと移り、掻くような動作を見せる。
彼からは止めようとする意欲は全く感じられず、ため息が大きく響いた。
「はぁぁぁ……またオレは師匠にボコられるだろうな。だが、お前には過去との決別を付けさせてくれた恩がある。これを無碍にしろってのはオレの性根に反しちまう」
彼はゆっくりと夕に近づき、懐から真っ黒な液体が入った小瓶を取り出し、手渡した。
未だ硬直している白神に対してドリュードは大きな声で語りかける。
「マシロ! オレはやっぱりユウに付いていくことにしたわ! 師匠によろしく頼む!」
「……え? 何でですか!?」
「大切な人の重みはそれほどでかいってことだ」
「大切な、ひと……?」
彼女の脳裏には空白の記憶の砂嵐に紛れ、とある情景が思い起こされる。
それは、遠い遠い昔の記憶。絶対に忘れてはいけない、大切な記憶なはずだった。
でも、よく見えない。
彼女は不意に発生した強烈な頭痛に側頭部を押さえる。
「っ……」
「そういう訳だ。だからとりあえずこれを飲み干せ」
「……確認だけど、睡眠薬とかじゃないよな」
「オレこんな格好良いこと言ってるんだぜ? それは男としてダサすぎるだろ」
「……だよな。ありがとうドリュード」
夕は既に観察眼のスキルによってその薬液の内容を理解している。
凄まじく粘度の高い液体は一気に飲み干そうにも時間がかかり、顔色はますます悪くなっていく。
「ぷはっ……うっ、え。まっ……ずぅ……」
「吐かないのは流石だ。じゃ、さっさと行くぞ少年」
「あ、あぁ。まじで……助かった。ありがとう、ドリュード」
「後でちゃんと返せよな。まじで希少な万能薬なんだからよ」
白神は去り際でドリュードに声を掛けられても動かず、この場に置いていかれてしまった。
しかし、彼女はそんな事を気にする余裕はなく、微かに見えた“自分のものでは無い”記憶を何回も思い返す。
「私は……夕、くんを……知って……た……?」
「……ましろさんを見る度に、真白を思い出す――けど、いまはアルトに集中させてくれ」
分からないことに直面すると、目をぱちくりさせる癖がある。それが夕の知っていた 上崎 真白だった。
もう既に亡くなっているし、ましてやこの世界でなんて決して出会えない存在であるのは彼自身が1番良く分かっている。
しかし、白神の存在は彼女を彷彿とさせるのに十分な要素であった。
「おい少年、本当にこっちで合ってるのか? なんかやばい魔力を感じるんだが!?」
「間違いなく合ってる。この先にアルトは居る」
「オレの間違いじゃなけりゃ――というか確実に勇者の魔力なんだよなぁこれ!!」
急ぎ角を曲がり、光の向こうへ直進すれば――図書館の中とはまるで思えぬ光景が広がっていた。
床には無数の宝具が転がって刺さっており、どの武器も防具も超一級品ばかりである。
まるでその場で幾人もの戦士が亡くなった墓標であるかのように佇むそれらは、明らかに異なる世界を作り出していた。
「なんだ、これ――」
「アルトッ!!」
夕は異様な空間には目もくれず、駆け出していく。
彼の視界には……血だらけで倒れ伏す彼女しか映っていない。
「なぁ……なぁっ……起きてくれよ……アルト……」
「……また。来たんだ」
「……サン、ガ……」
彼女の息もある。魔力もまだある。しかし、風前の灯だった。
勇者は壁に寄りかかっており、肩から腹部にかけて大きな裂傷があった。
アルトを助けたい一心で直ぐにドリュードに助けを求めたが、あいにく持ち合わせはないようだ。
それどころか――
「全然……回復しないっ……!」
「遅かったか……ユウ。だめだ。これは……治せない」
「っ、どうしてだよ!?」
必死の形相で彼女へ回復魔法を送り続けるが、ただ両手が光り、魔力が放出されているような感覚だった。何も手応えがない。
夕がオニキスから攻撃を受けた際、回復が出来なかったように、アルトにも妨害魔法が施されている。
「状態解除……が……」
その対応策として状態解除の魔法を使ったが……彼女の状態異常の解消に至るには凄まじく難易度が高かった。
オニキスから受けた時よりもさらに複雑で、一つでも間違えればアルトの体が暴走を起こし、炸裂してしまう。まさに彼女に内包する物は時限爆弾であるり
「これ以上、出来ない……っ」
「……あぁ。それがいいさ。なんせ、勇者の魔法だ。単なる状態異常じゃない。幾つも幾つも、無数の毒や呪いを重ねて出来た勇者専用の《聖混呪》だ。オマケに自己増殖までついてる。もう、助からない」
「良く見えてる。流石は一ツ星だ」
自らの血で汚れた勇者はふらつきながら立ち上がる。
大きな裂傷を癒そうにも、こちらも回復魔法が効かないことを察し、ため息を吐く。
「悪を浄化し、これにて攻略は終えた。一ツ星、お前はあの悪魔野郎と戦ってる女を助けてやれ。俺は勝利の前にやることがあるからな」
「ちっ……威圧感を交えて言うことかよ。これが本来のお前の姿だってのか」
「御託はいい。行け。この姿はいつまで持つか分からないが……ケリをつけないと行けない奴がいる」
そうして彼が視線を戻す先には――アルトを壁に寄りかからせ、俯いた顔の夕が居た。
彼から猛る雰囲気は、まるで襲いかかる前の獣だった。
「おいっ! やめろ! お前が勝てるような相手じゃねぇぞ!?」
「分かってる。この気持ちに飲まれたら、俺はまた“喰われる”。だから、今できることを、するッ――!」
「ッ」
短い呼吸が二回、姿が消えたのは二人。
遥か高い階段のすぐ手前で二つの影が火花を散らしてぶつかり合う。
「そんな武具と力じゃでは俺にも、あの本にも届かないよ。“成り損ない”」
「う、るせぇッ!!」
夕は最後の刀を持ち、ガルドラボーグへと全力で真っ直ぐ駆け抜けたが、それを更に超えた速度で勇者が立ち塞がる。
彼の黒く染まった片手は未だ動かないことから、勇者の斬撃を防ぐことが精一杯だった。
「ほらな。お前は勝てない」
「その割には随分きつそうだけどな……ッ」
お互いの片手に持った武具は激しく火花を散らし、再び離れる。
夕の作戦は勇者が動けない内に魔導書を取りに行くものであったが、自分の左手に輝く亀裂が入ったことで、痛みと共にその難易度を思い知ることになった。
「ユウッ!あいつと打ち合うんじゃねぇ!」
「……」
「毒を以て毒を制す――とはならない、か」
彼がちらりと見やるは光を纏った剣である。
勇者の最終兵器である天ノ剣は輝きを纏う状態、つまり、彼の武具は鞘に込められた状態と同義である。
だからこそ、打ち合ってもなお夕の刀は折れていない。
夕は魔法纏の毒を用いて彼の状態をさらに悪化させる狙いであったが……勇者の前に一度の攻撃で与えられるのは至難の業である。
それどころか、左手には僅かに白く光るヒビが入り込んでおり、《聖混呪》を受けてしまっている。
「……お前、前の時と同じように俺を倒せるとでも思ってるのか?」
「あわよくば、な」
「このとおり――無駄だ。諦めろ」
光の剣を掲げると、彼の中から光が吹き荒れ、体が癒されてくと同時に、夕の与えた毒は嘘のように消えてしまった。
つまり、闘技大会であったように不意をつくことも、意地悪く落とし込むことも困難である。
「くっ……」
「いくらこの女の傍にいたお前でも、これ以上は無駄だと分かっただろう。大人しく消えることだな」
勇者の腕がブレて消える。
直感的に左へ飛んだその瞬間、今まで立っていた場所は凄まじい勢いで裂け、床からは激しい閃光が吹き荒れる。
あまりの威力に吹き飛ばされ、また再び魔導書は遠のいてしまう。
「勇者の加護もなく、なぜお前は俺に関わる」
「ぐっ……さて、な……ッ!?」
頭を振り、無理やり意識を覚醒させた時には既に勇者は白い髪を靡かせ目の前に居り、彼は勢いのまま拳を振り抜く。
重傷を受けているというのに圧倒的な戦力差だった。
夕が吹き飛ばされ、立ち上がろうとする度に、勇者は明確に彼の肉体へダメージを重ねていく。
「なぜお前は立ち塞がる」
「ごはッ」
「なぜお前は勇者の邪魔をする」
「ぐあっ」
「なぜ勇者に勝とうとする」
「なぜ魔族側に付く」
「なぜお前はまだ立ち上がる」
何度も殴り飛ばされ、何度も蹴り飛ばされ、例え首を掴まれ、そのまま壁に投げつけられても……彼は砂煙の中、起き上がる。
その様子はあまりにも惨めであり、ドリュードはあまり悲痛さに声すらあげられない。
ドリュードは勇者に逆らうことなど出来ない。しかし、夕の味方でありたい。
ここで助けの手を伸ばしたところで、何にもならない事は彼自身よく分かっている。だからこそ、彼は歯を食いしばりながら見ていることしか出来ない。
「お前は、なんだ?」
「お前には、一生、わからね、よ」
夕は一度も勇者に攻撃を与えられず、血だらけの状態だった。
しかし、まだ彼の瞳は死んでおらず、諦めの光はどこにも無い。目指すはただ一つ、階段のその先である。
「ユウ……もう、やめろ……」
「……無様な姿だな」
「はっ、言ってろ。俺は、アルトのために、命を捧げる覚悟が、出来てる。こんな痛み、何でもねぇっ!」
魔法纏の雷を使い、最速で真っ直ぐに魔導書へ向けて駆けだしていく。
勇者のすぐ側を通った瞬間、はっきりとしたため息を耳にした。
「――そうか、だからお前は勇者になれなかったのか」
階段に足をかけたのに、踏みしめる段差はそこには無い。
宙に浮いている。視界がぐるぐる回っている。
腹部が重く、衝撃の波は容赦なく暴れ回る。
「勇者にそんな感情は要らない。お前には勇者の素質もなかったな」
「かはっ」
空気を吐き出させられ、再び地面を滑り、転がる。
夕の精神はまだ折れていない。しかし、体はついに言うことを効かなくなった。
立とうとしても、立てない。呼吸が上手くいかない。
「要らない。不要。お前は俺の求める人間じゃないな」
「ひと、一人好きになれない……てめぇには、言われたく、ないな……」
「この世界に"それ"を求めるのが間違ってるんだよッ波風ッ!」
声を荒らげ、彼は光に包まれた剣を解放し、魔力の余波による突風が髪を激しく揺らす。
それは、彼の感情の大きさとも比例していた。
「俺たちは裏切られ、利用され続けてきた!何年も!
何十年もだ! だから俺たちは変えるんだよ。この魔導書の圧倒的な内包魔力を使って――この世界を、ルミナを……俺たちのいた世界に近づけるッ!」
パキン、と何かにヒビが入るような音が響く。
彼の中で何かが壊れていくのか、裂傷からは血が吹き出し、同時に真っ白な波動が広まっていく。
丹田を撫でれられるような、心臓を持ち上げられているような、脳を舐められているような、圧倒的な不快感が全身を駆け巡る。
「この世界の人間は守るべき存在であって、そこに感情を持つ必要は無いんだよ。ただ笑って、ただ愛想良く、ただ力を見せつければ、簡単に世界なんて支配できる。あはははっ、ねぇ、そうだろう一つ星!」
「ド、リュード?」
すぐ近くで重々しい金属音が響き、嫌な予感がして、その方向へと首を向ける。
「――勇者、さま、ゆうしゃ、さま」
「っ!?」
足元から崩れ落ち、彼は神を見上げるかのように指を組んでいた。
瞳に生気はなく、ただ勇者様と、呟いている。
無機質な生気だけがそこにある。それ以外はない。
――いや、人間らしいこと全てはあの波動によって認められてないのだろう。
彼の鼓動を身に受ける度、意識が強く引っ張られていく。
吸われる。思考の全てが白く溶けて、奪われていく。
あった、かい。
「あははっ!お前も、この世界に染まるならただの人形になればいい! 上崎のように!」
「か、み、さ、き?」
全て奪われるその最後に、そんな声が響く。
上崎さんは、真白さんは、死んだ。
俺は、何も出来なかった。
なら、この意識を離せば――アルトはどうなる?
彼女はまだ生きているのに。まだできることがあるのに、諦めるのか?
「つ、う、おらああああああああああああッ!!」
喉がを張り裂ける思いで生を叫ぶ。
ここで諦める訳にはいかない。
まだ、まだ戦える。まだ、俺はあの本を取りに行ける!
「また……邪魔が増えた」
鼓動が止んだ。意識の吸引も、魂の乖離もそこには無い。
体の痛みが、己の生存を主張する。
「――しっかり立ってください。ユウナミ」
「……え」
二度と聞けないと思っていた声に、彼は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
鈴のような声音は凄まじく透き通っており、一つの決別を終えたような、どこか開放感に溢れる声だった。
「まずはお礼を言いましょう。貴方のおかげで、私は片思いを終わらせました。無の空間での暮らしはあまりいい物ではありませんでしたが、己が身を振り返るには十分な時間でした」
「……シーナ?」
「はい。シーナ・レミファスです。今の姿は……まぁようやく元の状態へと戻った、ということでしょう」
外見年齢に似合わない見た目をしていたシーナは――身長と骨格に明らかな成長を遂げており、その身に纏う魔女服も悪魔らしい刺々しいドレスローブへと変わっていた。
しかし胸部には変わりが――
「どこ見てるんですか? 勇者よりも先に貴方を倒してもいいのですが」
「……俺を倒すだって?」
「ええ。恩返しにはそれが一番手っ取り早いかと」
シーナはムッとした表情のまま宙に浮かぶ勇者へ向け、背中から大杖を取りだし、彼へ向ける。
その手に持っていた杖は見覚えがあり、夕は思わず声を漏らす。
「女神の、杖」
「ええ。おかげさまで」
「……杖を取り返したところでどうなる」
「最高の状態の貴方であれば、私はどうなっているかなんて、想像にかたくありません。ですが、貴方はご存じですか? いくら勇者の体とはいえ、既に限界が来ていることを」
勇者の口の端からは血が垂れており、アルトから受けた裂傷、同時に出血も内蔵に甚大なダメージを与えている。
さらに、多すぎる魔力量に体が耐えきれず、剣を持っている指は白く染まっていた。
夕の腕と同じ現象が彼の体で始まっていたのだ。
「諦めていただけると大変助かりますが……どうしますか」
「あ、は、あははははははははははははッ!! ああ! いいさ! もういい! 結局この世界はそうだ!
こうやって、誰もが邪魔をするッ! 全員消してから――俺たちが創り直す」
「そうですか」
勇者の剣が振り下ろされると同時にシーナの杖から真っ黒な辻風の魔法が放たれ――また新たな戦いが幕を開ける。
ご高覧感謝です♪