第286話 己の原動力
「クフフフフフフ」
「これでもまだ余裕かよ……ッ!」
シャナクの力を借り、戦い始めて五分が過ぎた。
現在の戦況といえば同等か。
……いや、下手をすればこちらが押されている状態だ。
マチェベルで勇者すら圧倒できた彼の力を借りているのに、オニキスを倒すのには足りていない。
「どうしました? その程度で終わりでは無いのでしょう」
彼は冷やかに笑って軽く足を踏み鳴らすと、衝撃波を生み出し、こちらが撃ち込んだ魔法を全て吹き飛ばす。
涼しそうな顔を浮かべているが、俺といえば通らぬ攻撃に苛立ちを覚えている。
不意打ちにも近い形で黒土螺旋の攻撃魔法が通ったものの、それ以来一度も攻撃を与えられていないのだ。
「ふむ……しかし、こんなものですか?」
「余裕そうなのも今のうちだ――」
体内にある憎悪を呼び起こし、対敵特攻を発動させる。
心の隅に黒い泥が湧いていくような感覚があるが……気にしてはいられない。
――彼を、殺す。ただそれだけに集中する。
「おや――」
シャナクの魔力を存分に補填した刀を抜き、灰色の世界を渡る。
急加速について来れなかったのか、無防備な彼の首は難なく吹き飛んでいく。
落ちゆく彼の表情といえば、ゆっくりと口元を歪めていた。
その様子が癪に触り、刀を翻して追撃をかけようとした――その時。
(離れろと言っているッ!)
「ッ!?」
シャナクの意志と相反が起こり、体の硬直が起きてしまう。
オニキスへの殺意は秒ごとに増幅しており、それ以外の意識も曖昧なものとなっていた。そのため、彼の言葉など聞く余裕もなかった。全て重なり、絶大な隙を晒してしまう。
「やはり、そこにいるのですねぇ、我が主よ……!」
オニキスの首と別れた体は一秒も経たずして大きく膨れ上がり――爆発した。
避ける間など微塵もなく、真っ黒な血液と黒い霧は一気に炸裂して、あっという間に飲み込まれてしまう。
「ぐ、ああぁぁぁッ!?」
黒い液体と霧は型を成し、三体の獅子となって、右腕と両足に噛み付いてくる。
生まれ出たそれは実態と化しているだろう。
噛み付かれた激痛で僅かに正気を取り戻し、全身から魔力を放出する。
三体の獅子は闇色の波動によって消し飛んでいったが……背中から憎たらしい声が響く。
「まだ血は黒くないのですか。となるとまだ適合して日は浅いと」
「て、めぇ……」
振り向いて睨みつけたはいいものの、足に力が入らず、片膝を付いてしまう。
直ぐに治療を終わらせたかったが、何かが邪魔をして傷が塞がらない。
「おやおや、そう怖い顔をしないでください」
彼は近づくと同時に、出血痕を指ですくい、口へと運ぶ。
テイスティングを楽しむ彼の姿は心底気持ち悪いが、状態解除を使う余裕は出来た。
「んん……あぁ、甘美ですね。それに間違いなく……この世の味ではない。なるほど、納得ですね」
「ッ!」
既に相手は間合いの中だ。
殺すことに躊躇などなく、握った刀を下段から上段にかけて思いっきり振り抜いた――
「いけませんねぇ。これ以上無理をすると貴重な血が失われてしまいますよ」
バギン、と嫌な音がした。
刀の切っ先は既に無く、半ばから折れていたのだ。その結果、刃は彼に届くことなく空振りに終わってしまう。
「……っ」
「何、疑問に思うことはありません。ただ腐って、自然に折れた。それだけの話です」
その言葉を聞いた瞬間、まだ治療の済んでいない右手が酷く痛み、傷口から融解させられていく感触があった。
直ぐに状態解除を使ったが、進行を抑えるだけで、回復が間に合わない。
その痛みはまるで、白神に体を溶かされた時と同じように――!
「づ、ぁぁぁ……あああぁっ!? なんだ、これ、熱い……っ!?」
「私の魔法を受けたのです。それは当然、腐り落ちるのが運命というもの」
「く、ディスペ――」
「ですが、貴方はどうにも受け入れられていないようだ」
必死に状態解除を使い続けたが、彼の膝蹴りによって顎から吹き飛ばされ、更に追撃として回し蹴りが腹部に突き刺さる。
抵抗できる間も無く、本棚を破壊しながら吹き飛ばされてしまった。
砂煙と朦朧とした視界の中でも、本能は未だ危機が去っていないと警笛を鳴らしている。
しかし、体は動かない。底冷えするような恐怖が足元の冷たさとして感じられる。
「が、ふっ……」
「なるほど、未熟ですね。器がまだまだ浅い。我が主の力を引き出し切れていないのも納得です」
「なに、いって……やが――」
首を思い切り掴まれ、逆方向へ向けて強烈に投げられた。
床を捲りあげながらようやく停止したが、ダメージは極めて重い。
「ぐ……ぁぁぁぁ……っ」
「ではなぜ、我らの用意した依代に降臨したのではなく、このような器で呼び声に答えたか。ようやく納得が行きました」
必死に意識を集中し、左手でもう一度│黒土螺旋を放つ。
黒い渦からドリルのような円錐状の魔法を解き放ったが――彼はニヤリと口元を歪め、片手で火花を散らしながら受け止めている。
「貴方が異邦人だからですよ。ナミカゼ ユウ」
「ぐだぐだと訳分からねぇこと……言ってんじゃねぇぞ……ッ!」
シャナクに詳細を聞くのは後だ。いま必要なのは力だ、彼を圧倒するにはまだ足りない。足りない。足りない。
フラフラと落ち着かない足に力を込めて立ち上がり、シャナクにもう一度問いかける。
「……あいつを圧倒できる力を寄こせ」
『これ以上は汝の体が限界を迎えよう。そもそも、我が力を与えたとして勝てる相手か。もう一度考えることだな』
「知るかよ……あいつは殺す。絶対に、俺がどうなろうとも……殺してやる。それが出来る手段があるならな、悪魔にだって魂を売ってやる……!」
口元が歪んだ。それは、この場にいる誰もが意図していない歪みだった。
「おや。まだ力を隠していたのですか」
未だ黒土螺旋を受け止めているオニキスでさえ予想していなかった事態が引き起こされている。
視界の半分が黒く消失する。体の中の何かをもぎ取られた感覚。
――体が軽くなった。
「ハハ、はは、……よクぞ言った」
「……」
「では、試しに――撃ち込んでみようか? 吾が“種子”へ向けてな」
意識が曖昧だ。ほぼシャナクの思い通りに操られている状態だろう。
だが、これでいい、やつを、殺せればこれでいい――
「《黒爪》」
「お、やぁ? これはいっ、た、い――」
ピッ、と虚空を切る動作で腕を振るわれた。
その瞬間、オニキスの上半身と下半身が分かたれた。魔法も、黒いスーツもお構いなく通り抜けていく。それどころか背後にある物体すら全て同じ切り口でズレて落ちていく。
「誠に使えぬ体だ」
心から失望したように。
しかし、どこか安心したように。
俺の振るった腕は、痛みの耐性すら貫いて――白く、爆発した。
「あああああああああああああああああああああああああ」
叫び声を上げた。白神に痛みを与えられた時とは違う、別格の、別次元の、痛み。
この体では入っては行けない領域に踏み込んでしまったのだ。
誰に教えられた正解でもない。しかし、間違いなくそれを実感した。
腕はある。しかし、もう動かない。使いたくない。魂が灼かれている。
肩まで黒く染まっており、黒い稲妻は痛みで全てを消し去ろうと、俺の魂を痛めつけていく。
『契約だ。汝を殺すことはしない。その変わらぬ魂を持つ限りは、な』
魔法とか。敵意だとか。生だとか。死だとか。考えられない。
痛みで押しつぶされてしまう。
「く、はは、はは。ようこそ、こちら側へ。我が主の力を借り、ついに扉を開きましたか!」
腕を抑え、座り込んで叫んでも痛みは消えない。収まらない。
オニキスの声がした。だけど、関わっている余裕などない。
意識を維持していなければ、間違いなく俺が俺でなくなってしまう。
ずるりと嫌な音がする。
彼の分かたれた上半身と下半身はいつの間にか元に戻っており、悪魔は先程よりも歪んだ笑顔でこちらに向かってきている。
「そう抵抗なさらずとも。主の魔力を充分に満たした腕がある限り、それは、永遠と貴方の魂を灼き続けます。素直に意識を手放すことをお勧め致しますよ?」
意識が溶けていくように、俺の声叫び声は遠く、小さくなっていく。
あぁ……分かった。俺の叫びはきっと、いまのが俺の魂のままでいられる最後の抵抗なのだろう。
でも、もう、遅かった。掴む藁すらなくなっている。戻って来れない闇は既に体の全体を沈めていた。
「ぁ、あ、ぁ……」
「……」
――シャナクは、貴方とは絶対に関わってはいけない存在だった。
でも、これは貴方の命を繋ぐ、唯一の存在だったんです――
闇に沈んだ心臓の奥の方から、小さくて今にも消えそうな声が響く。
懐かしくて、でも恨めしくて……様々な感情が黒に埋もれた体の中で渦を巻く。
あぁ――記憶が形になった。
いつも彼女の声が聞こえるのはこんな暗い空間だった。
『シャー、リン……?』
『貴方の魂は、――によって、潰えようとしています。今の現状を打破する方法はただ一つ。貴方の魂をもう一度強く輝かせるしかありません」
『どう、すれば、い――』
心で返事をするのことすら限界だった。
今にも沈む。闇に沈む。
未だ意識が有り続けられるのは、彼女のおかげだ。
話している相手が、ほぼ全ての事情を知った女神であると魂で分かっているからだ。
『私は、貴方に直接何をすることも出来ない。出来るのは、ただの助言だけです。さぁ……もう一度思い出してください。貴方は何故ここに来たのか。貴方は誰のためにここに来たのかを』
もう思考は殆ど回っていない。しかし、彼女の声は突き刺さるように受け止めることが出来る。
なんのために、俺はここに来たん、だっけ。
体に埋め込まれた回答は――殺害。
シーナを、仲間を、あらゆる存在を傷つけた彼への復讐、そして、このような卑劣な事象を作った世界への報復だった。
『それは貴方が本当に行いたいことですか? 』
『そう――』
殺意に沈んだ心に一筋の澄んだ光が差し込む。今まで抱えていた感情が誤った方角を差している事を実感する。
『――じゃない』
――いいや、違う。違う。俺は、アルトの魔導書を取りに、ここまで、来た。
それは、全て、彼女の喜ぶ姿を見たいためだった。
多くの人を巻き込んで、多くの人を置いてここまで来た。
それは何のためか。
アルトのため? これからの未来のため?
確かに間違ってはいない。
だが、その原動力となるのは何か。
「アルトは、自分が、異世界、でも、生きてこれた、心の支え、だ。だから、だから……ッ!」
『……はい。夕さんじゃないと、ダメなんですよ。代わりなんて居ないんです』
「つ、ぅ、お、おおおおおおおおおおッ!」
闇の沼から体が浮き上がる。
右腕は動かない。だけど、両足は動く。もう片腕だって動く。
なら、這い上がれるッ!
『行ってらっしゃい。夕さん』
「俺はああああああッ!!」
ドバッ!と飛沫を立てながら漆黒の沼を抜け、へばりつく黒泥を振り払って、再びダンジョンへと戻ってくる。
魔力がもう枯渇しているのも、腕が動かないのも変わりない。
――だけど、まだ戦える。
いや、あいつを超えて、彼女に向かわなくてはならない。なぜなら、目標はもう直ぐそこなのだから。
「……流石は選ばれた器、と言った所でしょうか」
「お前を相手にしてる余裕は……これっぽっちもないんでな」
オニキスは僅かに目を細めた程度で、あまり驚いてない様子だった。
動かない右腕をだらりとさせながらも、左腕で最後の一本の刀を抜き取る。
「アルトと一緒にこの世界で生きる。誰にも邪魔なんてさせるかよ」
「……く、ふふはははははっ、それは結構です。ですが、その体で何ができると?」
顔を抱えるほどの大笑いを浴びせられても、俺は特段感情を抱かなかった。
笑いたければ笑うがいい。
それよりも、深く考えるべきはこの状況の突破法だ。
「――なんの音だ?」
遠くの方より巨大な鏡が割れ、鏡の欠片が落ちるような音が響く。
そこで、彼と俺の気が一瞬だけ――逸れた。
「――はぁぁぁぁぁぁッ!」
俺の背後より、凄まじい、一陣の風と雄叫びが通り抜けた。遅れて、強烈な香水の香りが漂ってくる。
この香りはつい最近嗅いだことがある――
「ゆうくん」
「え――」
気配もなく、後ろから何者かに抱きつかれた。
何がどうなっているのか分からないが、背中には柔らかい感覚と、腰には白銀の義手が巻かれている。
「いっぱい、頑張ったね。あとはお姉ちゃんに任せて」
「真白……さん?」
「うん。そうだよ。だから、ゆっくり――」
「うぉっと!? 少年は無事だったのか――!? って!? 何がどうしたらそうなってんだ!?」
「ド、リュードなのか? なんで、なんで、ここに!?」
背後の二人はドワーフの里で会った以来である。
今抱きついているのは……俺が知っている真白さん、ではなく、白神だ。ブルーノの支配から逃れた人造人間である。
そして、遅れてやってきたドリュードも、黒い鎧を装備しており、普段では見ない格好をしている。
「おやおやおやぁ……これはなかなか珍しい方に出逢いましたね。これも主の導きでしょう」
「王の三剣、ブランゲーヌだ。それにしても相当な実力だなぁ、ユーは」
「お褒めに与り、光栄ですよ、《巨刃》、ブランゲーヌ」
「混乱してると思うがとにかくだ。待たせたな、助けに来たぜ、少年」
ドリュードは笑顔を見せて兜を被り直し、オニキスへと襲いかかろうとしたが……ウェイトッ!と強い声がかかり、思わず構えを解いてしまう。
「なんだよ師匠!?」
「ハリィアップ。その“異端者”を地上まで連れていけ。ここは十分も持たないぞ」
「うげ……まじかよ。……とにかく、そういうこった。大人しくしとけよ」
「ゆうくん、ここは大人しく私たちに従って――」
間違いなく、彼らは俺の身を案じて地上まで送り返そうとするだろう。
分かっていたから、俺の体は既に動いていた。
「ゆう、くん?」
「ましろさん。ドリュード、本当に悪い。だけど、俺、行かなきゃ」
「!? 奴を止め――」
ブランゲーヌの言葉はオニキスの猛攻撃によって遮られた。
ましろさんの拘束が緩んだ隙を付いて、魔法纏を用いた雷光の速度でこの場を立ち去る。
「おい!? そんなやべぇ状態でもまだ戦うつもりかよッ!」
「う、そ……? ゆう、くん?」
呆然とした白神を置いて、ドリュードは追いかけて来ているが、気にする余裕はない。
アルトの魔力反応は恐ろしい勢いで小さくなっている。
例え己が身がどうなろうとも、全身全霊を果たして彼女の元へ向かうことが、俺の全てであった。
ご高覧感謝です♪