第285話 応報
勇者と魔王の戦いは苛烈を極めた。
魔力が溢れる空間にいるからこそ、お互いの技能だけが勝敗を分ける。
戦闘技術だけをぶつけ合うならほぼ互角であったが――その状態は長く続かない。
状況が動いたのは、遠くの方から発せられた、途方もない衝撃波によって、お互いが吹き飛ばされてからだった。
そのきっかけから魔力供給がピタリと止んでしまったことで、戦況に保有魔力が大きな意味を持ち出した。
「魔導書による魔力供給は終わりのようだ。ここまでだな、魔王」
「く、ぅぅぅ……」
勇者から迸る魔力は常に大きく増幅しているのに対し、アルトは小さくなっていく。
その原因は主に二つで、ダンジョンの崩壊による虚無空間の増加、そして外的要因による崩壊の加速だ。
現時点においても魔導書から魔力は放出されているが、殆どが虚無空間に吸い込まれているため、実質プラマイゼロの状態だった。
「素直に浄化されたらどうだ」
「うる……さいなぁッ!」
火花を散らしながら勇者の光の剣を必死に弾き、がら空きの体へ向けて魔法を放とうとして――姿を見失う。
「ッ!?」
――後ろに彼がいると分かっているのに、体は動かない。
魔力供給が追いついておらず、反応と反射のバランスが取れていなかった。
必死に体を捻ったものの、斬撃は腹部を浅く引き裂く。
何とか直撃は回避出来たが、勇者は未だ止まらない。
光の刃を翻し、地面に転がった彼女を空間ごと引き裂くように、魔力の剣圧を解き放つ。
無理に無理を重ねた回避は続くはずがなく、もう防ぐ手段は無く、もう受ける他なかった。
「っあああああああッ!」
彼女の刀では斬撃を受け止めるには到底大きさが足りず、着弾した瞬間には分散して体を切り刻むように暴れ回り、強烈に吹き飛ばす。
特殊な防護加工をされたアルトの服でさえ耐えきれることが出来ず、咲き乱れた赤い花は白い肌を染めていく。
「……」
「はあっ……ぐっ……!」
血塗れの体でもアルトは刀に寄りかかりつつ、必死に睨みつけて立ち上がるが――勇者は歩み寄り、遠慮なく剣を振るう。
――再び凄まじい金属音。ぶつかり合うのはたった一度。しかし、響いた音は無数に木霊していた。
「しぶといな」
「絶対に――負けるもんかぁぁぁッ!」
二度目の鍔迫り合いは僅かにアルトが優勢であったが、勇者は追い込まれる前に再び距離をとり、軽い溜息を吐いた。
鋭く尖った瞳はアルトのぎらついた瞳とぶつかり合い、未だ戦意があることを察し、思わず小言を漏らす。
「一体いつまで続ける」
「お前が……死ぬまでっ」
「あの頃と何も変わってない。魔族は歴史から学ばないのか?」
「うるさいなッ!」
強い感情を打ち付けるように勢いよく腕を伸ばし、漆黒の槍を撃ち放つ魔法を使うが――彼の一太刀によって魔法は斬り裂かれ、黒槍は霧のように消え失せていく。
「だけど、俺は違う。今度はあの時のようには行かない」
「くっ……」
彼女自身の限界を感じ、魔法の出力が異様に落ちていることを察する。
魔力は減っていく一方、そして解決の糸口はまるで見いだせない状況では、奥歯を噛み締めることしか出来なかった。
「……散々君は悪とか闇とか言ってるけど、魔導書を取って何するつもりなのさ」
「勘違いするな」
呼吸を整える狙いで彼女は一度唇を噛み締めた後、明らかにトーンの低い声で勇者へと語りかける。
しかし、勇者はこちらへと敵意を強めるばかりで、強く警戒度を引き上げてしまった。
「この魔導書は魔族によって作り出されたこの世の癌だ。むしろ、なんでこんなものを作り出したかを尋ねたいところだ」
「ボクたちにとってそれが必要だった、それだけだよ」
「俺たちにとっては不要なんだよ」
怒りを滲ませたような低い声を漏らし、再び勇者は光と化して不規則な動きでアルトへ猛襲する。
空中、あるいは地上で刀剣同士は激しく鎬を削り、金切り音は連続して響き渡る。
「らぁぁぁぁッ!」
大地を砕くような衝撃が何度も加わろうとも、刀身が折れない理由に品質が大きく関わる。魔力の伝導率が耐久力に直結しているためだった。
彼女の武器は伝説級であるが、相対する相手の武器は更に上の階級で、武具の品質の中では最上級である女神級だ。
当然何度も打ち合えば耐久値の低い彼女の武器が砕け、猛攻を防ぐ手段が失われてしまう。
――そんなこと、分かってる、けど!
「避けきれない……ッ」
横凪の斬撃を流すことが出来ず、大きく吹き飛ばさせられてしまう。何とか着地は上手くいったものの、刀身よりも先に柄を握った手に限界が来てしまった。
まるで高圧の電撃を受けているような感覚で手に全く力が入らない。
刀を落とす重い音と、アルトの呻き声が同時に響き渡る。
「っ、あ……ッ」
「君と打ち合っているのは滅悪の聖者、勇者サンガだ。元より君が勝てる要素はない。それに――なんのために俺が打ち合いなんてめんどくさい手段を使ったと思う」
「っ、わざと打ち合ってたってこと?」
「ようやく気づけたか。だが、もう遅い」
彼女は手の平をゆっくりと開くと、手から腕にかけてヒビのような亀裂が入り込んでいた。
割れ目からは光が漏れだしており、彼女の両手は割れかけた陶器のように危うい。
勇者は聖なる魔法を極めている。だからこそ、神聖騎士のような浄化の魔法も使うことが出来る。
彼がずっと行っていたのは剣を経由してアルトを少しづつ自壊させていく呪いだった。
魔力耐性の極めて高い彼女でさえ、彼の魔法は侵食する。
「その体じゃ剣を持つことすらままならない。ここで確実に仕留める。もう抵抗出来るのは終わりだ」
彼の剣はより強く光を解き放ち、一瞬の閃光の後に真っ白な刀身が現れる。
天ノ剣の真の姿がついに顕現したのだ。
「……滅魔のために作られた、全ての魂を浄化し、洗練して作り上げた霊剣、だった、ね」
「それだけじゃない。これには無数の魔族の魂の他に歴代勇者の魔力をそのまま引き継いである。お前の戦況を分かりやすくしよう―― 」
彼は動けない彼女を見やると、剣の切っ先を向け、魔法陣をいくつも展開して魔力放出の構えをとる。
冷酷極まる瞳は、まさに絶対零度だった。
極まった感情はついに人間らしさすらも奪い取っている。
「お前はたった一人で、俺と歴代勇者、そして百を超える魔族と戦っている。分かるか? 今ならわかるだろう。これまでの戦いは無意味だと」
「……無意味、なんかじゃ、ないッ!!」
亀裂が広まっていない左手を伸ばし、純粋な闇魔力を無数に放つ。
声を荒らげて、魔力の全てを球体に変換し、解放するかのような猛攻撃であった。
「――無意味。今の結果を見てお前は何思う」
しかし、勇者から溢れる光に触れるや否や、闇の魔力は呑まれ、解け、消えていく。
もう攻撃すら届かない。
――そんなことは分かっている。諦める訳にはいかない。
――でも、どうすればいいの?
「ぁ、ああああああッ!」
「あぁ、分かる。その絶望は自然なものだ。それでいい。これで俺は容赦なく、お前を殺すことが出来る」
心に、隅に、体に、思考を溶かす光が広まる。
意識が融ける、融かされる。
だめ、だめ。考えて。考えて。魔力が足りないとか言い訳にしかならない。
「もう終わりか?」
「……っ……ぁ……」
伸ばした手の先にある黒い魔法陣はチカチカと点滅を経て、解けて消えていく。
魔力の潰えた彼女は、立つことすら出来ないほど疲弊していた。
瞳は虚ろに、体と心は擦り切れている。
折れて動かない脚にはもう力が入らない。
「永い戦いだった。これでようやく一つ終えられる――」
「っ……」
暗く狭くなった彼女の視界で認識できたのは、光り輝き白く靡く勇者、そして、小さく遠くにある闇色に光る魔導書だった。
震えながらも手を伸ばす。助けたい、でも……届かない。
こんなにも、近くにあるのに、こんなにも、厚い光の壁が立ち塞がる。
「無様な姿だな魔王。最後に命乞いか。だが、お前はそのような人間たちをも殺し尽くしてきた。分かるか、これが因果応報だ」
「へ、ぇ……なら、ボクの善行も……死ぬ前なら帰ってくるんじゃない、かな」
「……魔族に善行があるわけが無いだろう。遺言は終わりだ。浄化えろ――」
彼の纏う風と光は強烈に増幅し、遥か上方へ向けて剣が掲げられる。
もはや彼女は抵抗の意を見せない。床に座り込み、ぎゅっと目をつぶったままだった。
脳裏には夕の姿や、仲間の姿が高速で流れていき、過去の記憶――ガルドラボーグを救えなかった後悔の念がある。
嫌だ、嫌だ、まだ諦められない!
――まだ、死ねないんだ……!
彼女の生きたいという強い執念に反応したのか、遠くにある魔導書は一瞬だけ光を押し退け、漆黒に輝いた。
急に現れ急に消失した魔力反応は、勇者が起動しようとしている魔法から意識を逸らすのに十分だった。
――だからこそ、“彼は”まだ生きている。
『――ァァァ、アぁ、アぁ!! ユウ、しゃああァぁあああッ!!』
「……っ、何、お前――」
暗い目の裏の世界で響いてきたのは、 この世の音とは思えないほど、おぞましい叫び声だった。
その何らかの妨害によって、彼は魔法を未だ発動出来ていないことを瞬時に察し、すぐに目を開き、顔を上げる
「……っ」
彼女は思わず声を失った。
現在勇者を襲っている姿は――知っているのに、分からない。
いや、アレが“自分”の姿だと認めたくないのだろう。
割れた爪、黒く塗りつぶされた瞳、汚れて引き千切れそうな体。なにより目を引いたのが、全てにおいて憎悪で塗り潰された彼女の表情だった。
どうしてそうなってしまったのか、など考える暇はなく、不意に背後から肩を掴まれる。
『……ねぇ、聞こえてるかな、ぼく。これが本当に今できる最期のお手伝いだよ』
「ガルドラボーグ……なの?」
『君が何を言ってるのか、聞こえないし、いま触ってるのが君の確証はない。けど……ぼくは、これでようやく、ぼくとしての役目を全うできるんだ』
目の前で自分と同じ姿の憎悪の化身が爪を立てており、光に抗い、勇者も怒りの表情を見せている。
傷だらけのアルトは後回しにしているのだろう。
『ぼくとグリモワールは、魔族を助けるための力だ。つまり、ぼくの意識も、本当に最後の魔力庫。意識を構築する魔力はきっと膨大なはずなんだ。これを全てを君に与えることで、君と、魔族の未来を守る可能性が与えられる』
「……ガルドラボーグ……」
『アレはずっと遠い未来の君の姿だ。僕の呼び掛けに反応してくれないし、ずっとこのダンジョンにいた。けど、きっとこのために、今の君を救うためずっと待ってたんだ」
黒い輝きがアルトの体を撫でるように纏わると、それは体の亀裂を消し、腕を通って近くにある刀に収束する。
欠けてひび割れた刀は元通りになり、それどころか、数十年以来見られなかったクワイアの存在も知覚できる。
「こ、れ……」
『全力でやりなさい。私たちがそれを支えるわ』
『ぼくたちの意思、魔族の意思、勇者になんか消させるものか。アルト、後は……任せたよ。ちゃんと、ぼくを……取り返してね』
アルトの目に光が戻ると、刀を握り、足元から黒いオーラが一気に沸き立つ。
その豹変は勇者にも感づかれ、未だ黒と白の衝突に決着が付けられなくとも、彼は彼女へと向け声を荒らげる。
「その体で……何が出来るんだ!? 魔族ッ!」
「全力の一撃を放つ。ボクの、ボクたちの……全力を!!」
両手で刀を握り、大きく振りかぶる。
勇者の光にも劣らない凄まじい魔力は勇者のとある記憶を呼び起こす。
――そうだ、以前も魔王からこの一撃を受け、俺の意識は崩落して――
過去の記憶から、受けてはいけない攻撃と判断し、防御を固めようとして――呪いの鉤爪が、彼の光の障壁を貫いていた。
思わぬ衝撃に、準備のタイミングを失ってしまった。
『ウアアアアアアッ!!』
「この……魔族共がああああああああぁッ!」
「はぁぁぁぁぁぁッ!!」
アルトが刀を振り下ろし漆黒の魔力と衝撃が全てを呑み込み――聖なる光と深淵に至った闇の魔力が炸裂する。
凄まじい轟音と三人の叫び声が響く中、最も最初に声が潰えたのは――未来のアルトだった。
「ユウヲ、マもっ、テ……」
「らああああああああああっ!」
「つ、ぅ、おおおおおおおおッ!」
彼女の声がアルトの脳裏に響いた瞬間、
高層ビルの窓ガラスが連鎖して割れるように、無数の弾けた音がした。
そして彼の体から吹き出て、空から降り注ぐのは真っ赤な血ではなく――無数の武具だった。
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