第283話 収束
強大な魔法が衝突した影響で、ついにダンジョンは許容魔力の限界を大きく超え、自壊の速度は更に加速する。
魔導書の封印が解かれたことにより、グウラの胃液によるダンジョン崩壊は一時的に止まっていたが、再び活動が始まり、相乗効果で悲鳴と振動は極めて大きくなる。
「急ぎ撤退だ!」
「やばいやばいやばい!」
「どうなってんだ!?」
正式に緊急帰還命令が出されたのは数分前であるが、元よりダンジョンの異変を感じていた者も多く、上層に拠点を立てていた帰路確保部隊である冒険者たちの撤退は殆ど完了していた。
しかし、連絡も届かず、帰還の気配が無いのは冒険者ギルドの主力たる攻略班である。
「これほど大きなダンジョンが崩れるとなると――いいや、考えるのは止めておこう。今は帰ってこない面々に連絡を届ける手段を見出し、どのように帰還を促すかの策を講じなくては……」
ダンジョン攻略拠点の中心にテュエルは王都から戻ってきており、彼女は赤い甲冑に身を包んだまま、巨大な卓上に敷かれた書面を見て厳しい表情を浮かべていた。
「殿下ッ! 王都の戦況が優勢に動いたため、《王の三剣》の《巨刀》と《星付き》が二名、急ぎこちらに参られましたッ!」
「……分かった、通せ。それと、引き続きランスロットの指揮に従って皆は動いてくれ。国の守りは頼んだぞ」
「はっ!!」
慌ただしく伝令の兵士は下がり、重々しい甲冑の音を響かせながら入り込んで来たのは、全身を金の鎧に包み、背中には大きな麻袋を担いた人物が現れた。
「――ヘイ、辛気臭い顔だな、テュエル」
「二つの戦場を掛け持ちしてるんだ。これでも気張ってる方さ。とにかく、貴殿がこちらに来てくれたことは大いに力になる」
麻袋を置き、兜を外して顔を見せたのは金髪の女性だった。
あまりに強い香水の香りが充満し、その場にいる誰もが顔を顰める。
テュエルは急ぎ指示を出し、麻袋の中身を確認させ、奥へと運ばせた。
「ハリィ、要望のモノは確かに届けた。依頼を聞こうか」
「あぁ。ダンジョンの下層付近にいるであろう勇者と、その付近にいる冒険者たちを貴殿の力で救って欲しい。恐らくこの規模のダンジョンの崩壊だと――」
「――“虚無が溢れる”、としか考えられねぇってか」
「……ああ。貴殿らが来ていたのか。心強い」
「俺は誰かさんに降格させられて剥奪されてますがね。しかし……間違いなくユウはその渦中に居るでしょうね」
金色の甲冑を着た女性の背後にドリュードも居り、彼もまた麻袋を置き、兵士に引き渡していた。
彼の様子は健康そのもので、骨折などによる負傷の痕は見られない。
「一応他の星付きにも連絡は回しましたが……返事をくれたのは彼女だけだった。本当の国難だというのに連帯感がなくて困りますよ」
「よいっしょ……ここで大丈夫ですか?」
「はいっ! ありがとうございます」
彼の視線の先は拠点の外に向いており、その目に映るのは、三メートルほどの高さもある巨大な装置を引っ張り終えた小さな背中だった。
彼女は兵士に対して無気質な表情を浮かべる《白神》であった。
「オールソ、《対虚無魔道具》の起動は一任する。こちらはこちらで勝手に動く」
「あぁ、頼んだ。それと、もし勇者が死んでいたとしても――」
「アンダースタッド」
「……任せた。貴殿らが帰還し次第、《対虚無魔道具》を即座に起動させるつもりだ。しかし、いつ状況が急変するかは不明。……だからこそ、覚悟はしておいてくれ」
「オーライ」
金色の兜を再び被り、彼女は威圧感のある足取りでこの場を去り、二人を引き連れてダンジョンの中へ潜っていく。
「……無を渡る能力、か。――いいや、無い物ねだりしても仕方ない。今出来ることをしなくては」
テュエルは見送った後に直ぐに巨大な装置の上へと飛び上がり、音声拡大の魔道具を使いながら半ばパニック状態になった場の統制を始める。
彼女の《超鼓舞》は、疲弊のピークを感じさせないほど、凄まじい力強さを持っていた。
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圧倒的な衝撃波は思考すら飲み込み、ただ理解出来たのは、スライム状の液体に身を包まれていることと、凄まじい距離を吹き飛ばされていることだけだった。
ダンジョンの外枠だったのか、あまりにも硬い壁に叩き付けられ、覆われていたスライムが炸裂したことで、ようやく凄まじいGから開放される。
「がふっ……プニ、プニ……」
強く体を打ったことで内蔵にも大きなダメージを受け、大量に吐血する。
むしろ吐血で済んだのは奇跡的なことで、スライム片が辺りに散らばっていることから、彼が守ってくれなければ俺はこの衝撃波だけで死んでいたことだろう。
「戻、れ――」
動かない体で必死に念じ、スライム片をひとつ残さず魔法陣に戻すと、急激に魔力を吸われていくような感覚を受ける。
だが、この魔力提供を拒否すれば……間違いなくプニプニは存在を確立できなくなる事が頭の隅で理解できた。
「っ、はぁっ……はぁっ……」
視界がある、ない、分からない。
暗い、静か、寒い。
現実が遠くて、手が届かない。
体を回復する魔力すら、ない。
「く、……そ……」
ソラとファラとプニプニが命を賭して守ってくれたと言うのに、俺は動くことも、思考することも上手く出来なくなっていた。
呼吸することが、あまりにも苦しい。
「――れ、――やれ、人間――実に――脆い」
「だ、れだ……」
やけに頭の中で木霊するのはコツコツと響くブーツの音と、男性の声。
頭の近くで足音が止んだと思えば――
「がはっ!?」
メキメキっと嫌な音がした。
視界に一瞬だけ光が戻ったあと思えば、早送りのように光景が切り替わっていき、体は床を滑る。
凄まじい痛みの原因は、腹部を蹴られた為だと今ようやく分かった。
「ごほっ……げほっ……」
「あぁ全く。人間は実に脆く、そして愚かですね。使い魔などに力を注ぎ、自らの体を癒す余裕も無くすとは……」
「がぁっ……はぁっ……!?」
足で転がされ、そして踏みつけられて思わず苦痛に呻き、口から血が吹き出る。
必死に歯を食いしばって足の先から辿れば……そこにはオニキスが居た。
半ば悪魔と化した彼は、非常に冷たい目でこちらを見下ろしている。
「貴方の中にある隠された力は、非常に高位なものである結果が出ています」
「力、だ、と……?」
「ええ。その力は我々が求めていたモノ。そして我々が求めていた魂です。この力を貴方は無意識に使ったことで、シーナ・レミファスに関する何らかの記憶を得た。魔力だけでは測定出来ませんので……」
ジャキン、金属が伸びるような嫌な音がする。
ゆっくりと目を横に向ければ、鎌のような刃先が俺の首元へと向けられていた。
「貴方の魂ごと頂きたく存じます。これにて、我らの計画は大きく進歩します」
「進歩、だと……?」
「ええ。我らが主を復活させ、世界を正しい形に戻す。これが我らの目的です」
「……ッ」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねる。
世界の……正しい形?
シーナは普通を奪われ、自由を奪われ、愛する故郷も何もかも全て奪われたというのに、何が正しい形なんだ?
シーナは必死だった。
ありとあらゆるものを注ぎ込み、失った普通を取り戻そうと人間としての楽しみを捨ててまで、強く生き、しがみついてきた。
それは凄まじい嫉妬の嵐に包まれようとも、本人の目の前では隠し通すほどの強い覚悟である。
そんな人間を生み出すことが、正しい形なのか?
「ふ、ざ……けん、な」
「おや。まだ抵抗する気力はありますか……いけませんね。魂は純粋なものに限りますのでッ!」
「が――っ!?」
再び蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられる。
しかし、意識はむしろハッキリする一方だ。
立てる、まだ歩ける、走れる、殴れる。
そして、殺せる。
――確かに痛い。死ぬほど痛い。けど、まだ立ち向かうことは出来る。
きっと彼女は、もっと強い痛みを抱えながら今まで戦って来たのだから。
「その風が吹けば倒れそうな状態でも……私に歯向かうと! くくく、面白い」
「シーナの、普通を、奪いやがった、てめぇに……差し出す、もんは、何もねぇ……ッ」
自らの血に濡れた顔を拭い、ゆっくりと、そしてフラフラと立ち上がる。
今にも倒れそうだが、シーナの気持ちになれば、倒れる訳にはいかない。
彼女は嫉妬に包まれながらも、自分の命より、俺を助けるという手段を取った。
シーナにも、ソラにも、ファラにも、プニプニにも、命を助けられた俺に今出来ることは――
「お前を殺し、今を、そして未来を生き延びること。それだけが、皆の意志を繋ぐ唯一の手段」
「その体で何が出来るのです? 殺すなどと口は回りますが……頭が回っていないようですね」
「お前は俺の中に隠された力があるって言った。なら、それを叩き起こすだけだ」
「……出来るものなら。その前に私が――刈り取りますがッ!!」
一瞬で距離を詰められ、大鎌が俺の首元に向けて振るわれていた。
世界は凍りつき、写真のように固まっている。
そんな中で、動くことができるのは彼しかいない。
――彼は俺の背中に居る。俺の中に居る。
今なら声が届くと分かっていた。
『お前の意思が極めて収束したことで、我の意識が蘇った。久しい、と呼べる状況でも無いようだが』
「あいつを殺す為の力をよこせ」
『無論。我は殺戮の権化。しかし、確認しておこう。我の力を使うことはお前はまた闇へと数歩近づく』
「あいツを殺せルなら、いくらでもやる。だから――力をくれ。シャナク」
『クハハハハハッ!! 良いだろう! 存分に使えッ!!』
世界が動き出す。
同時に鎌が振り払われた。
しかし、鎌が俺の首元を通ることは無く――
「弾かれて――!?」
「『黒土螺旋』」
シャナクの声と同時に腕を突き出せば、オニキスの体に黒渦が描かれ、その中から漆黒の槍が生えだし、彼の体を貫く。
――しかし、手応えはない。
彼が大きく顔を歪めた途端、体は一瞬で崩壊し鴉の羽を散らして消えた。
「逃がすかよ。絶対に、殺す」
「その瞳、やはり間違いないようですね――クフフフフフフフっ」
上空から鎌を振り下ろされていたが、来るのは分かっていた。
紙一重で回避し、蹴りを叩き込むが――あまり効いていないようだ。
「ああ! 間違いない! その瞳! その魔力! 貴方です! 貴方の魂を探していましたッ! 」
「気持ち悪い。さっさと死ね――」
お互いに距離を詰め合い、魔力衝突が引き起こされる。
赤い瞳が交錯し、彼はより酷く顔面を歪めたのであった。
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