第280話 意思を引き継ぐために
最初に感じたのは倦怠感。次に命を奪い取るかのような寒さだった。
まずい。不味い。
そして、とても、
寒い。 寒い。
「か、はっ……」
体から全ての空気と熱を抜かれてしまったように、世界が遠のいていく。息を吸い込み、呼吸をすることも出来なかった。
完全なる指揮者は元々魔王の加護が身に宿っている時にしか使えない、あまりにもコストが高すぎる魔法である。
それに、この空間は魔法を使うと何倍もの魔力を余計に取られてしまう性質がある特殊な階層だ。
足りなかった魔力は生命エネルギーを代替物として無理やり魔力へ変換させられ、指先一つすら動かすことできないほどエネルギーを奪われてしまう。
膝から崩れ落ち、動く気配のない腕からは追い討ちのように血液が漏れだしていく。
焦る。死が目の前に迫り、焦る。
だけど何も出来ない。
まばたきを起こすエネルギーが無ければ、心臓を動かし、脳を動かせるのも後何秒持つのかすら不明。
分からない。それすら分からない。
「……ぁ……」
僅かに呼吸が出来たが……そこまでだった。急速に視界が黒一色に染まり、凄まじい耳鳴りが頭の中で響き渡る。
「ゆ……う……」
愛しい彼の姿はだんだん溶けて見えなくなっていく。
情けない。情けない。
ガルドラボーグを安心させるどころの話ではなかった。
全部、終わってしまう。
皆は魔導書のために協力してくれたのに、当の本人がこのような姿で終わる、なんて。
意識が朦朧とし、何も考えられなくなって――
――鋼同士が噛み合うような金属音が耳鳴りを貫いて耳に入ってくる。
その音はどんどん近づいてきて……すぐ目の前で止まった。
視界は真っ暗で何も見えていないが、何かがボクを見下ろしている。
それだけが確かな事実だった。
「……」
再び金属音。あぁ、そうだ。この音は重鎧が擦り合わされて発せられる音だ。
魔族たちは戦場に行く前に、いつも魔王へ挨拶をする。何人もの魔族たちがこれを着て戦場へ向けて駆け抜けて……死んでいく。帰って来ることの出来る戦士の方がずっとずっと少ない。
だから、この音が聞こえる時は――いつも、苦しい。
国のために戦ってくれるのに、ボクはいつも簡単な言葉しか言えなくて――
『――そうね。いつもあなたの代わりに、わたしが言葉を投げかけていたわ』
「……ぇっ」
耳鳴りは激しく鳴り響いている。しかし、二度と聞くことが出来ないと思っていた彼女の声を認識出来ている。
まだボクは……生きている!
「ぅ、あっ……ぁっ……」
どくん、どくん、と体は鼓動し、何者かの力が入り込んでくる。
どこかで感じた事のあるその力は――ユウの魔力だった。
彼の魔力は恐ろしい程に体に良く馴染んで溶けて、温かく混ざり合う。
まるで、一度貰ったことがあるように懐かしく、そして泣いてしまうほど嬉しく感じてしまう自分が居た。
耳鳴りは鎮まっていき、生命力は僅かながら、しかし確実に戻ってきた。
だから、ほんの微かに声が出る。
「なん、で……? ゆ……う、居る、の?」
「――残念だけどあの奇人は居ないわ。でも……この様子を見るに修理されて正解だったようね」
「この、声……嘘……っ」
瞑った目から雫が溢れ、 震えた片手で体を起こし、ようやく瞳を開く。
焦点は合わず、まるで曇りガラスの向こうの人影を見ている視界であるが――この声の正体をボクは知っている!
「クワイア……どうして……!」
「感謝ならガルドラボーグに言いなさい。あの子、どうやら最後まで戦うことを決心したみたいよ」
ゆっくりと焦点が整い始め、目の前にいる彼女の輪郭が浮かび上がってくる。
それは黒い角フードを被り、明らかに幼いものの、口調が妖艶な少女が……ボクの頭を優しく撫でていた。
思わず目を擦り、目の前の現実を疑ってしまう。なにせ、あまりにも有り得ない出来事なのだ。
魔導書をこのダンジョンに預けたその日からクワイアのことを目にしていないし、何度呼んだって現れることがなかったこの銀髪の少女である。
まさか、本当に自分は死んでしまったのではないかと疑問に思ってしまう。
「馬鹿ね。わたしの後ろをよく見なさい」
「うしろ……?」
もう一度目を擦ってクワイアの後ろにいる影をじっと見つめる。
その姿は、まさに白い騎士だった。
フルプレートの甲冑騎士であり、跪きながらも落ちていた刀を両手で掲げていた。
どうやら先程聞こえてきた金属音は彼のものであったらしい。
「攻撃はしないでちょうだい。確かにコレは魔導書を守護する四騎士の最後の一人。でも、ガルドラボーグの命令によって動いたあなたの恩人よ」
白騎士が掲げている刀は光を発しており、魔力が放出されていることが分かる。
しかし、この空間における魔法の使用は自らの首を絞める行為と同義である。
『コォォォ……』
「君は……自分の魔力をクワイアの顕現に使ってるってこと?」
「そうよ。これがガルドラボーグの最後の意志。あなたを助けるというものよ」
小さな少女から体力と魔力を分けてもらったため、血の滴る腕を抑えながらフラフラと立ち上がることが出来た。
「えっと……何がどういう事なのか説明してもらってもいいかな」
「……どうやらその時間もなさそうね。とにかく、あの騎士に従いなさい、いいわね」
「えっ、ちょっと――」
何十年ぶりに会ったというのに彼女はそれだけを言い残し、光に包まれて消えていった。
今分かっている中で確かなことと言えば、ボクはクワイアに助けられ、ガルドラボーグにも命を救われたという真実だけだった。
「えっと――ッ!?」
白騎士がこちらに向けて刀を差し出していたので受け取ったその瞬間、頭から氷水を掛けられたような凄まじい悪寒が体全体に走り回る。
この気配は――ソプラノに似た気配。しかし、どこか違っている。
「なにか……来そうな感じ」
白騎士は刀を受け取ったことを確認すると姿勢を正し、近場にいた白馬へと跨り、こちらを見つめるように固まった。
どうやら後ろに乗れと言いたいらしい。
――が、少し遅かった。
「ッ!?」
何かを感じとり、お互いにこの場から飛び去った途端、元いた空間は一瞬にして超重量で極めて太い脚のようなもので踏み潰され――ゆっくりと持ち上がる。
スタンプされた場所はものの見事に足跡状にくり抜かれており、凄まじい威力が窺えた。
そして ボタリ と何か大粒の液体が上から降り注ぎ、カーペット、そして床を溶かしていく。
降り注いできたそれは――酸だった。
「わっ!? 何さ!?」
白騎士の馬の嘶きが響き渡り、視界は急に切り替わる。
どうやら白馬に乗った騎士が移動しながらも、無理やりボク担いで連れ去ったろうとしているらしい。暴れて降ろしてもらおうとしたが――後ろにいた魔物の姿を見て体は固まる。
「なに、あれ……っ!?」
それはあまりにも巨大な片足一本の飛竜だった。ワイバーン型の翼竜であり、非常に肉付きも良いことから、恐ろしく強力な個体であることが伺える。
翼竜は雄叫びを上げるとこちらへと向けて一気に飛翔し、凄まじい速度で接近してくる。
「ちょっと離して――ッ!?」
かなり早い速度で移動している最中に降ろされてしまえば怪我をするが、翼竜に丸呑みされるのはマシだと考えて暴れた――その突如、魔物は目に見えぬ力に押し飛ばされたように、そして殴られたように吹き飛ぶ。
「……この気配やっぱり……!」
「よぉぉおおッ! 良い奴に連れ去られてるじゃねぇかぁ! お姫様ぁッ!」
巨大な翼竜を拳一つで吹き飛ばしたのは七つの大罪のマモンだった。
追い立ててくる敵は彼へと切り替わり、口元を歪めながら凄まじい足音を響かせて迫り来る。
「っ、なんで追ってくるのさッ!」
「決まってるだろぅ! そいつが最後の鍵だからだ――ぜぇっ!」
「わっ!?」
しばらく逃げ続け、追いかけるのに飽きが来たのか、マモンの力を貯めたモーションを確認した。しかしその瞬間、視界と体は一気に上昇する。
白馬が飛び上がり巨大な拳の振り下ろしを回避することに成功するが――彼の攻撃の威力は凄まじく、亀裂の広まる速度は異常に速かった。足場が崩れてしまい、このままでは着地が上手く出来ない。
「――っ!?」
また視界が切り替わり、勢いよく投げられたこと察する。
放られた先は亀裂が入っていない床の上で、着地出来ずに転がってしまった。
一方で――
「はっ! アイツを逃がすなんてよく出来た魔物じゃねぇかぁッ!」
『ガ、ガガ……』
亀裂に足場を取られ、転んでしまった彼らの真下は無の空間である。
崩れた足場に転がされ、満足に動けないところで、マモンの巨大な拳が白騎士へと叩き落とされた。
凄まじい金属音と衝撃波は健在で、ギリギリのところで攻撃を防ぐ事が出来たことが分かったが――
「ヒヒィォンッ!」
「ぉぅ!! いい捨て身じゃねぇかァ!」
白馬は叩き潰されそうになっていた主人である騎士を救うため、強く嘶き捨て身の突進を行う。
大きな馬であったため、攻撃の威力は高いことが推測されたが――突撃を受けたマモンはビクともしていない。
それどころか、自分の大きさと同じくらいの馬を持ち上げている。
「だが、足らねぇなぁ!」
『グッ……』
マモンのターゲットが白馬へと向けられたため、攻撃の手から開放された白騎士は直ぐに無の空間に沈みゆく足場を離れ、動けないボクを担いでこの場から離脱し始めた。
何としてもボクをマモンから逃がそうとする意思を強く感じ、思わず問いかけてしまう。
「君も……君の相棒も……どうして?」
『我ガ君ノ、願イ。我ガ君ハ、オマエニ、全テヲ、託シタイト、思ッテイル。最後ノ、願イ。絶対ニ、遂行スル。ソレガ、我々ノ、最期ニ、成スベキ、コト』
「ガルドラボーグ……」
これを聞いて何となくこの騎士たちのしたい事がようやく分かり始めた。
そして、ガルドラボーグは自分の命はもう持たないことを理解しており、だからこそダンジョンの主としての契約事を無視し続けていると察してしまった。
背後から白馬と思われる断末魔が聞こえて胸が痛くなる。
ガルドラボーグたちが作ってくれた時間と命が瞬く間に消えて無くなっていく。
心に溢れた無力感は、固く握られた拳に込められる。
「守られてばかりじや……いやだよ……ボクは、過去のボクを傷つけただけで、何にも――」
「――はっはぁ! 鬼ごっこは終わりだぜぇ!」
凄まじい魔力を感じる部屋にまで後もう少しで辿り着きそうなのに、本当に後もうすぐなのに――彼は上空から降り注いで立ち塞がった。
よく見れば彼も彼で酷く血に濡れ、体に幾つも穴の空いた状態であるものの、まだまだ余裕そうであった。
『ナラ、今スグ、魔導書ノ、部屋ノ前ニイケ。我ハコレヲ、トメル』
「あぁ? たかだか傀儡人形がタイマンはれるのかぁ? うっしっし……」
『ゴォォォォォッ!』
「っ、あのでっかい魔物もまだ生きてるの……っ!?」
なぜマモンともあろうものが傷だらけでいることにも驚いたが、恐らく彼の狙いはボクと魔導書だ。
だからこそ、絶対に思い通りにさせてやるもんか。
ガルドラボーグの願いは絶対にボクが叶えてみせるんだ。
利用出来るチャンスがあるとするなら、それはきっと――!
「こっち……向いてッ!」
最低限の魔力を利用し、魔法空間からアイテムを取りだした。それはユウがくれた特殊な力が込められている短剣であり、
その発射先は此方へ向けて飛翔してくる巨大なドラゴンだ。
「ほぅ?」
「っ……やっぱりきついなぁ……」
マモンの横を通り過ぎて素早く伸びた短剣は、竜の腹や竜翼に突き刺さり、爆発や凍結を引き起こす。
魔法の効果は思っていたよりずっと弱く、魔力を使った反動で酷く頭が痛んだが――
『ゥゥゥゥ……アアアアアッ!!』
「狙い、通りっ……」
「あぁー? オレに狙いをつけてんなぁ。地上からこっちまで連れてきてやったの誰だと思ってんだァ?」
片足の翼竜はマモンへと狙いを定め、大きく開いた口をから火炎球を解き放ち、彼は抵抗することも無く飲み込まれていく。
作戦通りに事が運んで、ひとまず心の中が落ち着く。
この場において、翼竜を除けば敵意を持っているのはマモンだけだった。
そして、魔物からしても最も脅威に感じられるのは彼であり、先程の短剣攻撃を彼が行った事と見せかけることで、敵意を擦り付ける。これが作戦だ。
「このまま行って!」
「――うっしっし! いいぜぇ! 先に行けばいぃ! 後で全てを奪ってやるよぉ! オレは強欲だからなぁ!」
声に従って騎士はすぐに駆け出し、ボクを担いだまま魔導書の在り処まで一気に距離を詰める。
獄炎の燃ゆる中からマモンの余裕ある声が聞こえたが、この際気にする余裕はなかった。
担いだまま騎士はスピードを落とすことも無く角を曲がり、区画を超える。
そして、跨いだ瞬間に――胸の中からむせ返るような聖なる気配を感じた。
魔族にとって、毒となりうるこの気配は……一つしかない。
「っ……凄い、魔力密度なのに……もう、目の前なのに……!」
そして、遂に。辿り着いた。
――だけど、まだ届かない。
絶望的で、容赦のない絶壁が未だそこにある。
――なんで、こんな所で……
「……やぁ、何十年ぶりだっけ。魔王。君がここに来ることは分かってたよ」
「……白、勇者」
「でも君はまだ後ででいい」
目の前には真っ白な髪を圧倒的なオーラで逆立てた勇者サンガが居た。
何時もの茶髪の彼とは違い、本物の勇者だ。魔族を何万人も殺し、ボクの両親を殺した……憎き、相手ッ!
「って、……え?」
「悪いけどもう容赦なんてしない。今度こそ、確実に悪を……滅ぼす」
気がつけばボクは上へと放り投げられており、ふと地上に目を向ければ――白い騎士が三つ、輪切りにされていた。
魔力で構成されている体のため、血は出ていない。だけど、僅かに感じていたガルドラボーグの魔力は消え失せ、虚空へ溶ける。
「鍵は揃った。さぁ、開帳だッ!」
大扉に張り付いていた結界が解け、遂にガルドラボーグの最後の城壁が崩壊する。
凄まじい突風と魔力の奔流が辺り一帯に流れ込み、上空に居たままのボクも、足を付いていた白勇者も呆気なく吹き飛ばされ、書架に叩きつけられてしまった。
「がはっ」
「ぐっ……」
凄く近くて、遥か遠い、闇色に輝く魔導書、ガルドラボーグが遂に目の前に現れた。
数メートル隣には魔力に満ち溢れている白勇者で、視線の先は――ぶつかり合う。
「ふッ!」
「破ッ!」
気合いの声と共に、お互いの武器を首へと向けて振り抜き、お互いの攻撃を防ぎ合う。耳を割るような甲高い音が響き渡るが、視線は鋭く火花を散らす。
やっぱり、仕留めきれない。
だけど――
「ガルドラボーグはボクだっ! お前なんかには……絶対に渡さないからッ!」
「やっぱり最後はお前が立ち塞さがるか……魔王。もういい、やっぱりお前を最初に、完全に浄化すよ」
あまりにも濃密な魔力が満ちるこの空間では、五秒もあればお互いの魔力は全回復し、十秒経てば体が溢れる魔力に耐えきれず爆発する。
つまり、お互いに魔力は無限に使用可能。ガルドラボーグを得るためには純粋な戦闘技能の高さが求められていた。
「らぁぁぁぁッ!」
「はぁぁぁぁッ!」
漆黒の刀と白銀の剣が咬み合う。
――引き起こされた衝撃は脆くなったダンジョンの階層全てを震わせるほど、凄まじいものであった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ご高覧感謝です♪