第275話 抗って、足掻く
辺りには魔力回復薬と思われる小瓶が無数に転がっており、その中心部にいる彼女たちから発せられる仄かな光は遂に弱くなってしまった。
繋いでいた指は解けて離れていく。
「なぁんだ……簡単なことじゃん……」
「っ!? ぼく……ッ!?」
アルトの体は軽い音を立てて倒れ伏すと、ガルドラボーグはすぐさま駆け寄って両手を伸ばし、己の魔力を譲渡しようとして――差し止められる。
「はぁっ……はぁっ……駄目だよ。そんな事したら、君は消えちゃうよ」
「でも、でも……ッ」
「いい、んだよ。これは、ボクが好き勝手にした結果なんだから……」
荒い呼吸のまま彼女は苦しそうに起き上がり、笑顔を取り繕う。
ダンジョンの仕様により枯渇寸前の魔力ですら口元から逃げ出していくので、非常に苦しい状態であった。
震える手で虚空から周りに転がっているようなものと同じ小瓶を取り出し、とろみのある液体を一気に飲み干すと、荒い呼吸で言葉を繋ぐ。
「それに、ね? 君が知らないのは当然、なんだ。だって、その感情は教えて貰えるものじゃ、ないからね」
「……簡単って言ってたけど、ぼくは知ってるの? 」
「うん。でも君は……否定するんだと思う。だって、当時の僕には許された事じゃなかったから……ね」
フラフラと立ち上がり、眉間にシワを寄せながら歯を食いしばってアルトは立ち上がる。
その言葉には僅かなノイズが混ざっていたものの、彼女はその事に気が付かない。
「君はユウと接触した。でも殺せなかった。幾つもの状態異常を与えようとしても、そのことすら出来なかった、でいいんだよね?」
「……うん。あの人に関わるとぼくはおかしくなる。だから何度も特別に殺そうとしたのに……だめだった。ぼくの言う通り、心のどこかであの人を殺すことを……拒否してたんだ」
ガルドラボーグも胸を抑えながら、細い声で、どこか助けを求めるような様子でアルトを見上げる。
元よりガルドラボーグは彼がダンジョンに入ったその瞬間から異様な雰囲気を感じていた。その様子を例えるなら―ッだ突出した釘。
誰よりも目立ち、最敵であるアルトよりも注目されるその釘を見過ごすことなど出来なかった。
だから、第一層での過去世界には脱出困難と思われた他人の世界の中へと飛ばし、第二層では残った人々をユウやその仲間たちに偶然にも遭遇させ、戦わせ、消耗させた。
「結構本腰を入れてあの人倒そうとしたんだけど……逆に助けになっちゃってたんだ……」
「きっと君の表向きは彼を殺そうとしてたからダンジョンの主としての契約違反にはならなかったんだ。君の中で恨みよりも、敵意よりも大きな力を持つその感情は……きっと――ッ!?」
何かを言いかけたところでアルトは床に刺さっていた刀を抜き出し、虚空に向けて高速で二度振るう。
――火花と共に響くは甲高い音であった。
何処からか飛んできた二本の折れた長い針は見た事があるもので、その正体はソラとファラの会話の中で聞き取ったことがあった。
「星蠍の大針……」
「――仕留め損なうとはな。流石はこの階層まで生きる冒険者か」
「へぇ……嫌な時に来るね、君も」
鋭い目付きで針が飛来した方角を睨みつけるが、魔力不足で弱った彼女の様子は隠し切れない。
ぬるりと暗闇から這い出でるように現れたのは聖霊蠍座と呼ばれるであろう人物であった。
特徴的な蠍の尾は彼女へと向けられており、明らかな敵意を感じ取れる。
「同じ姿の女が二人。どういう関係なのか知らないが……地獄に献上するにはうってつけだ」
「……君は見たことあるね。雰囲気も同族には思えないけど」
「あぁ、あれの記憶にあった魔族は君のことか! これはいい。彼によれば余程実力もあるみたいだしね」
白黒髪の男にアルトが剣先を向けても彼はまるで動じず、むしろ余裕すら感じられる。
後ろへとガルドラボーグを引き下げつつ少しづつ距離を取ろうとするものの、あちらは薄い笑みを浮かべさらに距離を詰める。
「っ……何でボクたちを狙うのさ」
「ここに居る奴は俺たちの目的に関して邪魔なやつしかないって天啓があるんでな。皆殺しに限るって話だ」
彼らの言葉や雰囲気から、戦いを回避することは厳しい状況であった。
背後に居るガルドラボーグは知らない相手に姿を見られたことに驚いており、細かく震えている。
警戒を強くしつつも、アルトは背中越しに小さく口を開く。
「ねぇ、ボク。君は今からユウに会って話をしてきて」
「……え?」
「そしたらきっと、君の気持ちが何なのかに気がつけるはずなんだ。ここはボクがどうにかする。さぁ――行って!」
「え……あっ、会うって、その、心の、準備が――」
「――逃がさねぇぞッ!」
蠍座は一気に距離を詰めて尾を振るい、もう片方の男は腰に指していた短剣を抜き出して投げつける。
「邪魔はさせないッ!」
投げつけられた短剣は彼女の手によって摘むように受け止められると、素早く持ち替えられ、両手に持った武器は二つは硬質な蠍の尾とぶつかり合って火花を散らす。
「曲芸師かぁ? おもしれぇ!」
「うるっ……さいッ!」
口を大きく歪ませた聖霊はより一層力を強め、アルトは歯を食いしばって耐えるが――粗末な短剣では強力な攻撃を受け止められないのは明らかである。
魔力を足裏に込め、足元から魔法を放とうとしたその時――
「だめッ! この階層で魔法は禁止されてる――!」
「ッ!」
「オラァっ!!」
ガルドラボーグの鋭い声に魔法を放つ既のところで反応したアルトは無理やり魔法をキャンセルすることに成功する。
しかし、集中が逸れてしまったために尾の攻撃を受け止めきれず、彼女の軽い体は軽々と吹き飛ばされ、書架へと叩きつけられてしまう。
「さぁて、まずは一発だ」
「魔法で追撃、と行きたいところだけど、そこの女が言うに魔法は使っちゃダメと見えるね」
蠍座はバックステップで召喚士の元へと戻り、白黒髪の男が手のひらを砂埃舞い散る中心へと向け――ガルドラボーグの震える視線を感じて笑顔で腕を下ろす。
一方でアルトはまだやれると言わんとばかりに本を吹き飛ばしながら砂埃の中から現れ、口元を拭いながら刀を構え直していた。
「あ、アルト……」
不安そうなガルドラボーグはアルトに近づこうとして――差し止められる。
彼女は再び前へと踏み込み、蠍座とガルドラボーグの間に立ち塞がって大きく息を吸い込む。
「行くんだガルドラボーグッ! ボクたちに恥ずかしいとか思ってる時間はないんだ! ボクはボクだし、キミはキミだ!今の行動を決めてるはボクたち自身の意思なんだ!」
「アル、ト……っ」
「行かせねぇよ。そいつには散々聞きたいことが今出来たもんでなぁッ!」
蠍座は尾を高く掲げ、針を二発射出したが、アルトは先程のダメージを感じさせないほどに機敏に反応し、再び針を打ち落とす。
「――貰った」
――が、振り抜き終えた残心のままのアルトのすぐ側で光ったのは鋼色を反射する短剣であった。
針と投擲短剣の同時攻撃は流石に予想外であったようで、アルトは刹那に目を大きく見開き、ガルドラボーグは短い悲鳴を上げ、顔を隠す。
「――はあっはぁ!いい狙いだ!」
「自らの腕を犠牲にするんだね。面白い。尚更その子に聞きたいことが増えたよ」
「……え?」
いつまで経っても来ない痛みに不思議に思い目を開けると、迫っていた短剣はアルトの腕を貫いており、背後に居るガルドラボーグから見える剣先からはボタボタと赤い血が溢れ出していた。
「そ、んな……なんで、なんで、そこまでしてぼくを……!?」
「……あの時のままのボクだって分かってるからだよ。誰も頼る人もいなって……きっと、君はあの人に出会えなかった世界のボクなんだ。だから、君の気持ちを考えれば、こんな痛みなんて……どうって事ない」
俯いた顔を上げ、短剣が突き刺さった腕をだらりとぶら下げながらも、アルトの視線は未だ鋭く二人を睨みつけていた。
その痛々しい様子を見てガルドラボーグは瞳を濡らす。
「誰のためじゃない。なにより“自分のため”に……会うんだ!ガルドラボーグッ!!」
「っ……!」
短く息を飲んだ彼女の足元からは強い光が湧き上がる。
当然逃げとも呼べる行為を相手が見過ごす訳もなく、二人は同時に迫り来たが、アルトは震える腕で刀を掲げ、魔力を放出し始める。
「ボクの邪魔は……させないからああぁッ!!」
「「!?」」
彼女の全身全霊で放った魔法は《完全なる指揮者》であった。
彼女が所有する魔法の中で最も魔力消費の大きいため、威力は申し分の無いものである。
高速で接近していた二人は、不可視の壁に叩きつけられたかのように空中で動きを不自然に停止し、呻く声を上げる間もないまま超速で暗闇の彼方へと吹き飛ばされて行いく。
「……いって。君は確かめるんだ。その気持ちが何なのかを」
「……ありがとう。アルト・サタンニア」
ガルドラボーグが光の中へと消えていったその瞬間、アルトは操り糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
負荷が極めて大きい魔法の反動は、ダンジョンの制約によって更に倍増されている。
マイナスを大きく上回った魔力消費はもはや生命維持に関わるほどだが、彼女はそれを分かっていながらも使用に踏切った。
光の中でガルドボーグは涙を拭い、ただ真っ直ぐに波風 夕の元に向かう。
「馬鹿だよっ……ぼくは……っ!」
その声はどちらに向けられたものであったのか。
光の中で高速で移動し続ける彼女は、胸の片隅に在った妙な違和感が、彼に近づくに連れて大きくなっているのを感じていた。
心の奥に鍵をかけて仕舞っていた溢れんばかりの記憶が胸の内から飛び出しそうな錯覚で、思わず胸を抑える。
「……ユウ・ナミカゼ」
彼の名を呼ぶとまた胸の疼きが大きくなる。
彼についての記憶は有ると言えば有るが、これまで見ることは適わなかった。
何故なら、彼という“人間”に対しての記憶を見ることは、魔族の誇りを傷つけることになるためである。
さらに、彼女にとって魔族の誇りとは、自分が自分であるという最後の個性であるため、この誇りが無くなるということは、自我の損失に繋がる。
よって、現在までユウ・ナミカゼがどういった人物なのか、そもそも何故アルトの記憶の中に彼の記憶があるのかも知らなかったのである。
しかし今の彼女は個性よりも自分の意思を優先しようとしているのであった。
「ぼくは“ぼくの意思”で感情の正体を知りたいと思う。例えぼくがぼくで無くなったとしても、それがこの感情を知るのであれば、悔いは無いんだ」
自分のために動け、と言っていた。
その言葉が何らかのトリガーとなったのか、もはや彼女に迷いはなかった。
何十年と苦しめられた問題の回答が目の前に浮かび上がり始め、目まぐるしい速度で頭の中を駆け巡る。
「あ……あぁ……あぁぁぁ……」
これらの思い出は彼女たちにとって余程大切にしていたのだろう。
一つ一つの記憶を思い返すたびに大粒の涙が溢れては光の中へ消え去る。
あまりにも感情の詰まった呻き声はこれまで見ることを拒否していた後悔としても、記憶を取り戻した歓喜としても聞き取れる苦しげなものであった。
「ぼぐは……っ、ぼくはぁぁぁぁ……」
彼女が最後に見た光景。
それはアルトも何度か夢に出てきたワンシーンであったが、ガルドラボーグにとっては探し求めていた“感情”の正体をハッキリと認識させるものだった。
『あはは、無駄だね。君みたいな小さな子は好きだけど、魔族だからね。殺しておかなきゃ――ね?』
勇者が真っ白な髪を靡かせると、涙目で襲いかかったソプラノを片手一本で強烈に吹き飛ばし、アルトへ向けて白くて黒い笑顔を浮かべる。
『さわら……ないでぇぇっ!!』
『あは、はははははははははッ――はァ?』
アルトへと伸ばされた手はビタリと止まって動かなくなり、白い勇者はまるで壊れた玩具のように首をぐるりと後ろへ回す。
『はぁっ……はぁっ……そう、焦るなって』
『なんで人間が俺の事を攻撃したんだ?』
彼が動きを止めた理由、それは背中に闇属性の魔法が着弾したためであった。
そして、彼の視線の先に居るのは――あのナミカゼ・ユウ。
息は荒く、今にも倒れそうなほどボロボロの様態にも関わらず、彼は立って笑顔を浮かべていた。
まるで余裕のない笑顔に、ボクたちは心を揺さぶられていたのだ。
『ほら、な……言ったろ。お姫様は……俺が守るってなぁぁぁぁッ!』
その一言で、ボクたちは彼に対して“恋”に落ちたのだ。
ずっと、人間だからと見下していて、面白いからという理由で傍に起き、使用人そのものであった彼は、与太話を本当に実行し、救ってみせた。
だからこそ、ボクたちはその時に誓ったのだ。
――弱い彼も、強い彼も、喧嘩した時も、愛し合ったときも、ずっと支えていこうと。
『なぁんだ……簡単なことじゃん……』
涙も、愛おしい気持ちも、後悔も止まらない。しかし、この気持ちこそ、ぼくがぼくであり、ボクたちである証拠だった。
「なんで今まで見なかったのかなぁ……」
――涙ぐんだ声でそう呟いたその瞬間。
身体が不意に脈打ち、口から魔力が嘔吐のように飛び出す。
同時に、彼女の体には変化が起きていた。
先程まで見ていた記憶にヒビが入ると、一欠片ずつ暗闇に溶けていき、割れ始めているのだ。
「かはっ……はぁっ……はぁっ」
心地の良い彼の声はノイズがかかり、一部分は欠落してしまっている。
グウラの胃液による侵食が、ついにダンジョンの核にまで至ったのだ。
「――そん、な……せっかく、思い出せたのに……あぁ……あぁッ……」
侵食は恐ろしい勢いでますます進んでいく。
もはやこの自我ですらタイムリミットを刻み始めていたのだ。
しかし彼女は――まだ抵抗を試みる。
「嫌だ嫌だ嫌だッ!……どうせ死ぬならッ! 最後まで足掻いてやるッ!!」
彼女は自分を戒めているダンジョンの制約を苦痛に叫びながら自らの手で破壊し、転移を行ってしまった。
ダンジョンの制約を不履行した場合、ペナルティとして課せられるのは――自我に対して極大な苦痛、かつダンジョンそのものの死である。
自らの命を投げ打って転移で向かった先は――波風 夕の元である。
彼の姿は……やはり変わっていない。
愛おしいあの姿のままのだった。
目を丸くしており、ガルドラボーグの突然の出現に驚いた様子である。
それも全て――愛おしい。
「ガル――!?」
「ぼくの大好きなへんたい。目ぐらい瞑ってよ。こんなやつの相手をするより、君はやることがあるでしょ?」
止まった世界で、彼の頬を撫でる。
本物だ。どれだけ時間が経とうとも、幻想でない本物が、今目の前にいる。
――あぁ、会った瞬間からこんな感情を持たせるなんて。やっぱり君はへんたいだよ。でも、それでも――
「やっぱり、ぼくは君が来てくれるって分かってたんだ。知らないうちに、期待をしてたんだ」
「何の話――!?」
「さようなら。ずっと、そしてこれからも――」
最後まで言いきれることも無く、ガルドラボーグの最後の足掻きは終わってしまう。
深い、深い暗闇の中で彼女は愛おしい感情を抱いたまま沈んで溶けて、消えていってしまった。
ご高欄感謝です♪