第259話 嫉妬の矛先
この気持ちにハッキリと気がついたのはいつからだったのだろうか。
確かに元々私はその気持ちが強い方であったと思う。負けることがひたすら嫌で、手段を選ばずに徹底的に目標を超えることを続けた結果、SSランカーにまで上り詰めることができたと自負している。
その気持ちの根源は……やはり私が精霊に負け、操られてしまった結果、村を自らの手で滅ぼしてしまった己の弱さに依拠するのだろう。
何者にも、どんな相手にも負けない圧倒的な力が欲しい。
一心に、そして純粋であったはずのこの思いはいつから穢れていたのだろうか。
『……しい』
――あるいは、元より壊れていたのか。
自我を失うほどに、相手を殺したくなるほどに強い気持ちを抱くことなどなかった……はずだった。
――あぁ、そうだ。彼だ。
彼に出会ってから、私は間違いなくこの気持ちに狂わされていたのだ。
私がSSランカーに成り立てである数ヶ月前、ギルドから軍隊蜘蛛の討伐依頼が舞い込んできた。
拒否など具の骨頂。私自身が権力的にも、そして身体的にも強くなるためにはギルドに言われるがままに従うのが究極の回答であると何度も言い聞かせていた記憶がある。
「――本当に、何から何まで癪に障る召喚士ですね」
転移した男を追う気力もなく、悪態を吐いてカウンターに置いてある飲み物を口に含む。
言いたいだけ言わせておけばいい、普段ならこれで解決できるはずだった。
「……ご馳走様でした」
しかし、心の隅に住まう黒い気持ちはまるで晴れることがない。他人は他人、何言われようが気にしないはずなのに、苛立ちは拭えなかった。
「……おかしい」
懐から取り出したのは若草色をした六角柱の水晶である。これは録音をすることが出来る非常に安価な魔道具で、再生も非常に簡単だ。
魔力を流して耳元に響くのは先程までこの場に居た男の召喚士の声だった。
『ほう、なんでそこまで知ってるんだ? 辺りに人の気配はなかったはずだが』
何度繰り返し聞き直しても彼が嘘を言っている様子はないし、現に軍隊蜘蛛の血痕が森の中に存在した以上、彼が討伐したとしか考えられない。
なにせ、ギルドから派遣された高ランカーの冒険者は私だけであるためだ。
サイバルのギルドに所属する最高ランカーはSランクのバンリであるが、彼が出撃した記録はない。
「Fランカーで召喚士で、その肩書きでありながら軍隊蜘蛛を討伐? 馬鹿馬鹿しい、虚勢でしょう。上に報告する必要はありませんね」
詳しいことはサイバルのギルドマスターから追って聞いておけば良いだろう。流石にマスター相手ならば彼も虚勢を張り続けることは難しいと考えられる。
「所詮はFランカー、ギルドを甘く見過ぎですよ」
受け付けに渡物を頼み、サイバルのギルドを後にする。
この証拠を元に、瞬く間に彼の化けの皮は剥がされ、私自身の心の荒みは収まる――はずだった。
「冗談でしょう?」
「……本当だった。あの召喚士が死体ごと持ってきた時は叫ぶかと思ったよ」
「今、その亡骸はありますか」
「ついてこい」
後日サイバルのギルドマスターから連絡があり、比較的冷静なつもりで会いに行ったが……心の中に巣食う闇が更に広まった感覚を今でも忘れられない。
「そんなっ……!?」
「私もあの召喚士の話を聞いた時には口から嘘ばかりだと思っていたが……全て事実であるとこの死体が教えてくれたよ」
「いいえ、いいえ。きっとこれは偽物――」
「ここにある事実を否定してどうする。なんの解決にもならないぞ」
ピクピクと跳ねる蜘蛛の死体の脚を辿れば、いくつもの裂傷と流血痕が確認できた。
それを見て私は心の中に僅かながらの喜びを感じられることが出来た。
やはり彼がこの幻獣を倒した訳ではない、と。
「なら、この幾つもの裂傷はどう説明しますか? Fランカーの召喚士がAランク相当の敵を相手に近接戦闘ができるとでも?」
「残念だが……あいつは武器を使える。何の武器を使っているのかは不明だ。その根拠として、これを見て欲しい」
懐から取り出されたのは紙袋に包まれたナニカであった。
渡された包みをゆっくりと開けば、まるでブーメラン状の道具が姿を現す。
非常に鋭利に作られており、殺傷目的に作られていたことは一目で理解出来た。
「……これは?」
「件の召喚士が持っていた道具だと思われる。アイツはシラを切っていたが……見た目と同様に嘘が下手だった。間違いなく彼が所持している得物の一つだろう。そして――」
ギルドマスターが手を叩くと手袋をつけたスタッフが扉を開けて入り込み、先の折れた剣を手渡してくれた。
それは枯れ枝のように軽く、どこかこの世の物では無い違和感を感じられる。
「……」
「恐らくこれもだ。信用に値しないのは痛いほど分かる。だが、もしそれが事実だとしたら?」
「……もし。もしこれ程までに力を持つ人が居ると知ればギルド本部が黙っていないでしょうね。彼が軍隊蜘蛛を倒してようが倒していまいが、何らかの手段で取り込まれ、ブルーノに使い潰されるのがオチでしょう」
「あぁ、その通りだ。ここからは私の考えだが、間違いなくあのままの状態のナミカゼ・ユウは力を持て余し、何らかの事件を起こすと考えている。召喚士狩りの件と言い、限度が分かっていない。彼の持つ力が身の丈に合っていないと言えばいいのだろうか……」
「何が言いたいのですか?」
苛立ちを含んだ言い分に窘められたのか、彼女は軽く咳払いをし、指を組んで真面目な表情で話し出す。
「アイツがこの世界でまだ生き延びられるように止めて欲しい。あの様子だとギルドの闇にまで突っ込みそうな勢いだ。まぁ、具体的にいえば――」
渡されたのは二部の書類であった。
その内容は闘技大会の出場申請の旨が書かれている。その内容に驚いてしまい目を見開き、渡した本人に説明を求めるよう視線を送った。
「これは――」
「一度挫折を味わわせてやって欲しい。このままじゃ間違いなく大変なことを起こす。そんな気がしてならないんだよ」
書類を読み終えた時にこれから頼まれることは何となく察することは出来た。
そんな面倒なことを受ける義理はこのギルドにはないし、シーナ自身にも動く気は無かった。
「……いいですよ」
しかし、声は自然と肯定の意を示す。それはまるで心からの喜びとばかりに頬は意識していないのに僅かに緩んでいた。
彼を挫折させる。その一言に間違いなく私の心は動かさせられ、内に住み着く悪魔は自然と彼との戦いを求め始めたのだ。
当時の心情は間違いなく黒。純粋な人間の悪意だった。
――ぽっと出の成り立て冒険者が、長い間辛い戦いを続け、今を戦い生きる冒険者に負けるはずがないでしょう。
「……そう、か。頼んだぞ」
「ええ。ではまた」
――はず、だった。
「《大嵐空間》」
闘技大会で彼との初戦闘。
初撃で仕留めようと思っていたが……存外にしぶといかったのだ。
SSランカーでも仕留めきれないFランカー召喚士となれば高ランカーとしての箔が落ちるというものである。
故に強力な魔法で一気に仕留めようと試みる。
「《風巻き》!」
「なっ」
――が、彼は逆回転の同じような魔法をぶつけることで私の大魔法を打ち消したのだ。
召喚士なのに、Fランカーなのに、高ランカーに匹敵する程の魔力が彼のどこにあるというのか。
「……妬ましい」
相手に気づかれないようにギリリと下唇を噛む。
現に、彼の扱う魔法に思うところはいくつもある。
例を挙げるならば、魔法の操作があまりにも乱雑であり、洗練されたものとはとても言い難いことだ。
彼の魔法は圧倒的な魔力量で魔法を炸裂させ、その破壊力で全てを押し潰すのみ。魔力を差し引けば彼の内に存在するのは中等教育程度の僅かながらの技術だ。
――そう分かっているのに、勝てない。
(理不尽、この一言につきますね)
私は悪魔の力の作用によって体の成長が止まってしまい、外見と実年齢は一致しないが、ナミカゼ・ユウとの実年齢の差はそれほど無く、年齢はほぼ同じであると考えられる。
非常に若い年齢と言われる身でありながらもSSランカーにまで上り詰められた理由は誰よりも魔法を鍛え、体を鍛え、そして努力してきたためだ。
この努力量だけならば誰にも負けない自信はある。それだけ厳しく成長してきたのだ。
努力してきた側であるからこそ、ナミカゼ・ユウの魔力量のような、天性のものに歪に醜く憧れ、渇望する。
「ええ。なら……私も貴方に嫌われるのを覚悟して、本気でいきましょう」
彼の好意を獲得し続ければ理不尽な魔力の根源を探ることができると考えていたが……ここまで押された以上私自身の精神が持たない。氷のような冷静を繕った顔の裏である対策を講じる。
論外な力には、論外な力を。
――悪魔、ハルファス。
それが、私を操り村を滅ぼさせた正体だ。
女神の杖に封印しきれなかった悪魔の力の一部分は私の体の内に残っている。
誰が封印したのか、それともオニキスが何かをしたのか、それは私自身にも分かっていない。
しかし、その僅かな悪魔の力は幸か不幸か私が最も望む“力”を与えてくれた。
SSランカーになるまでこの呪われた力に何度も助けられたし、この力が無ければ私はSSランクにまで辿り着けなかっただろう。
神聖騎士がこのサイバルの街にはいないことは確認済み。使うなら今しかない。
「っ違う、欲しいのは……これじゃ……ないッ!?」
身に宿る悪魔の力を解放すれば、底知れぬ魔力が体の内より湧き出て目の前の相手を滅することが出来る――はずだった。
魔力は体の中に急速に満ちていくが、それと同時に明らかに私のものでは無い記憶が脳内に無理やり押し込まれていく。
こんなこと今まで経験がない!!
これは、一体!?
『君、随分狂った魔力をしてるね』
『はっ――汝のように暗く不定形な魔力も記憶にないな』
『ふふっ、だって私……魔王だもん?』
『問答は無意味。やれ――ハルファス』
『御意』
『んーじゃ……インヴィディアちゃん、お願いね♪』
『貴方のお望みとあれば……』
全く姿の見えない影が二つ、語り合ってぶつかり合って――弾ける。
私はハルファスの記憶を見ているのだろうか。
(はっ……!?)
気がつけば全面暗黒の空間の中で、ハルファスと私が向かい合っている。
鳥人間のような異形の姿の彼が一歩私に近づけば、体の一部が崩れ落ちていくような激痛が走る。
(ぐぅっぅ……!?)
それは幻の痛みなのか、それとも私の体が悪魔へと変わっていく過程なのか――私には分からなかった。
(貴方の顔なんて――見たくないッ!! 私は貴方みたいな悪魔じゃ――ない!!)
(いいや。お前は悪魔だ)
(違うっ……違う!!)
一歩づつ近づかれる度に、シーナの体は激痛と共に足元から崩れ、再構成される。異形の形となった脚部は、見慣れた自分の脚では無くなってしまい強く恐怖心を煽る。
(お前の抱いているその感情、その嫉妬心こそ、俺の糧。さぁ、もっと俺を強くさせろ!!)
「消えて消えて消えて消えて……消えてぇぇぇ!!」
心はいつしかナミカゼ・ユウの嫉妬心で埋め尽くされていた。
なぜ私はあんなにも努力したのに――努力のない天性の才能に負けてしまうのか。
そんなのおかしい。おかしい。おかしい。
「あああああっ!!」
……気がつけば私の体は空へと吹き飛んでいた。ナミカゼ・ユウに致命傷すら与えることは出来なかったのだ。
――ああ、負けたんですね、私は。
あれだけ耳障りだったハルファスの声は聞こえず、意識が飛びそうな狂おしいほどの嫉妬心はいつからかどこかへ消えて無くなって――心はとても穏やかになっていた。
「……」
私を戦闘不能にした武芸は見たことの無いもので、それが私の心を落ち着かせてくれたのかもしれない。
倒れ付した私に向かって歩いてきたナミカゼ・ユウは何かを話している。
何を言っているのか分からないが、この大会に出た目的を話して欲しいのだろうか。
「この大会に出た私の目的は二つ。一つは貴方の事を知ること。もう一つ……は。これだけ戦えられればもう満足です」
恐らく、これは人生で最大の嘘をついた。
満足なんてしていない。むしろ、彼への興味が尽きないばかりだ。
この嫉妬心が収まりを見せているなら、私が嫉妬に狂わない限り――彼の力はどこから出ているのかを知るきっかけが見つかるかもしれない。
彼について行くのが力を得るのに最善手と薄れゆく意識の中で、微睡みの暗闇の中で確信して――狂気にまみれた嫉妬心を押さえつけながら私は彼を仲間と思えるようになれた。
「……はっ」
目が開く。
どうやら私は眠っていたらしい。
首を起こして周りを見渡せば……隣に白い狐の獣人の子供と竜の羽を持つ竜人の子供がいた。
記憶が混濁していて今何処にいるのかすらよく分からない。
「私は――ッ!?」
何かを話そうとした途端、胸がズキンと疼く。
この痛みには記憶がある。ハルファスと対面した時のような、自分の心を失っていく痛みだ。痛い。痛い。痛い。
「ユウナミ。貴方は」
痛みに背中を押され、ふらりふらりと立ち上がる。
辺りに無数にある鏡に映った私の目は全て――黒く染まって、赤く光っていた。
「心の底から妬ましいです」
私の中で精霊さんが何度も、何度も叫ぶ。
この痛みから解放されるには彼を殺すしかない、と。
鏡の中に居る私は案内するよ、と嬉しそうに口を緩め、ゆっくりと歩き出していく。
あぁ、妬ましい。この心の痛みを感じない貴方が……酷く羨ましい。
ご高覧感謝です♪




