第253話 記憶の正誤
暗い森の中から、激しい戦闘の爆音と冒険者たちの悲鳴が響き渡る。
その悲痛な声の中には悪態の舌打ちが混ざっていた。
「なんなんだこのガキ共ッ……!」
「ボクたちがここまで手こずるとはね……!」
「あははっ。予想より戦えてるね」
「……」
辺にいる傀儡となった冒険者たちは皆倒れ付し、残るは蠍座とその召喚者のみ。
彼らでこそ悪態を吐いているが、黙ったようすの女の子たちは所々に痛々しい裂傷が覗いており、彼らの間には決して大きな実力差はなかった。
お互いに疲労が見え始めてきたところで蠍座は奥歯を噛み締め、苛立ちを含んだ小さな声で隣にいる男へ語りかける。
「いい加減こいつらに付き合ってられねぇ。アレ使うぞ」
「いいのかい? ここで使えば――」
「うるせぇ!! こんなガキ共に手こずってられねぇんだよ!!」
「あははっ、随分怒ってるね。もっと楽しんでいけばいいのに」
勇者は未だ風の結界の外に出ておらず、変わらず戦闘には参加していない。
仲間が傷つこうとも余裕そうな表情で、彼らはその事実に苛立ちを覚える。
「今からてめぇは俺たちの目の前で二度と笑えねぇようにしてやる」
「やれるものなら是非ともして欲しいなぁ」
「いくよ、スコーピオン!!」
声と同時に彼らの放出する魔力が更に大きくなり、二人は眩いばかりの光に包まれていく。
大きな隙とみた彼女らはここで大きく攻勢へと転じた。
「――皆! 行けるよ!!」
「はぁぁぁぁッ!」
「はっ倒してやりますわ!!」
バニラの補助魔法により強化された二人は凄まじいスピード迫り、一つになろうとしている男たちへと向けて魔力を込めた攻撃を同時に振り抜いた。
「ッ!?」
「届かない……」
――はずだった。
完全に捉えていた彼らの姿は一つになっており、僅か後方のところで避けられており、彼女たちは驚愕の表情を浮かべる。
「……へぇ」
「きゃ――!?」
「わっ――!?」
「ちょ――なんですの!?」
勇者の余裕のある笑みが一瞬だけ消え、シーナの魔力結界が揺らぐ。
一つと成った光から伸びる攻撃が放たれたと同時に彼女たちは強い力で後方へと引かれテその場を強制離脱させられ、勇者の元へと戻った。
「どうやら、ちょっと面倒臭いことになったみたいだね」
「お兄ちゃん、私たちまだ戦える――」
「いいや。もう十分だよ。ここからはマリエルに任せて……先に行こうか」
『逃げられるとでも思ったか』
彼らの放つ光は消え、その姿が顕になる。
召喚士の元の体から大きく変貌しており、骨格が強化され、白黒の髪は逆立ち、蠍の尾が生えだしていた。
何より目につくのが彼の身に纏う甲殻と両腕に取り付けられたような鋏である
黒光りする防具でもあり武器でもある装備からも魔力を放っており、勇者一行を威圧するに十分な存在感を放っていた。
「それが君の聖霊同化ね。來奈以外で完成系を見たのは久しぶりだなぁ」
『あぁ……んだが聖霊同化だけじゃねぇ。俺たちは悪魔の力をも得ているんだ』
蠍座と白黒の髪の召喚士の声が重なったような音を発し、彼は手を広げる。
『例えば……こうだ』
体から嫌な雰囲気の波動が発せられて駆け抜け、勇者たちは警戒を高めるが――目立った変化は起きていなかった。
相手が笑みをさらに深めたようすを見かねシーナはつい声をかける。
「何がしたいと?」
『悪魔の力だよ。お前らも知ってるよな? 七魔衆が束になっても倒しきれねぇあの“悪魔”をよ。その存在が作り出した配下もまた悪魔だ』
「えっ……お兄、ちゃん?」
「ロー、ナ?」
不安な声が上がったのはシーナの前方からだった。
彼女は青い髪を震わせ、左右を急いで見渡すような動作を取る。
見えて当然であるものが見えていないような素振りを見せる彼女から異様な雰囲気を感じ取り、勇者とその仲間たちは顔を潜める。
「ローナ、大丈夫?」
「お兄、ちゃん……? ねぇ、どこ? お兄ちゃん!?」
「ローナ、俺はここだよ」
「ローナ!!しっかり!!」
『……ハハハ……どうやら、運悪くそいつがお気に召したようだ』
「何をしたのですか」
ローナに仲間たちが声を掛けるも、まるで聞えたようすがない。それどころか、手を広げ、フラフラと何処かへ歩き出そうとしている。
勇者は彼女の手を取り、優しく握るが……彼女の動揺は収まらない。
シーナの冷たい声と勇者たちの猛禽類のような視線がスコーピオンたちへと突き刺さる。
『奪ってやったのさ。そいつの視覚、聴覚、触覚の三つをな』
「随分と大きく出たものですね。そんなことが可能だとは思えませんが、強いていえば幻術魔法に近いものでしょう?」
『いいや。俺たちが奪ったのさ。このシャックスの悪魔の力でな』
彼の背後に浮かび上がったのは黒いオーラに包まれ、邪悪な雰囲気を感じられる不定形な“ナニカ”であった。
近寄り難く、本能的に忌避を選択するであろうその存在はシーナが何度も感じたことがあるものであった。
「まさか……本当に……?」
『おおっと、動くなよ勇者。お前の仲間の三つの感覚が潰されたくなければ、なぁ?』
「……」
勇者は静かに腕の内に貯めていた魔力を霧散させ、小さく溜息を吐く。
彼の顔つきに余裕の表情は存在しないが、それ以外の感情も浮かんでいない。ただ無表情である。
「それで、俺たちに何を求めたいんだい? 命?」
『そうだなぁ。まぁ今に出てくるさ。黙って、動かず、見てろよ』
彼が合図を出し背後に振り向いた方向から足音が響く。
森の暗闇から出てきた姿を見て勇者とシーナは息を呑む。
「オキニス、さんっ!?」
「シーナ。久しぶりだね。君が過去世界から戻れたことを察するに……私が封じた記憶も少し戻ってしまったみたいだね」
正面に見据える相手は彼女が何度も何度も心の中で思い描いていた人物だった。
白髪の長髪でスーツを来ており、隙のない糸目の顔つきは間違いなく過去世界で見たことがあるものと一致する。
唯一記憶との差異がある点を上げるとすれば……耳だ。彼の尖った耳はエルフの特徴である。
「へぇ、君ってエルフなんだね。人間って聞いてたけど」
「もはや隠す理由はございませんので……それと初めまして、勇者様。貴方にお会いできる日を心待ちにしておりました」
「この状況でどの口が言うんだか」
勇者に笑みはない。彼の底知れない圧力が放たれ、シーナの風結果が大きく揺らめき、木々すら騒ぎ出す。
「威圧しようとも無駄ですよ。勇者サンガ、我々の目的は二つです。シーナ・レミファスと貴方が隠し持つ女神の杖をこちらへ寄越しなさい」
「……」
直ぐに断りたい気持ちが彼から伝わったが、彼がちらりと視線を逸らせばローナの三つの感覚と思われる光の塊がスコーピオンの大鋏に掴まれていた。
つまり、彼女の命運は敵の手中にあるため、容易に断ることは不可能であるといえる。
「シーナ、君が過去世界で何を見たのかは私には知り得ません。しかし、それは事実でないことは確かです。あの過去転送は作られたもの。よく考えてみてください」
シーナは彼の言葉を聞いてハッとする。
彼女の記憶は曖昧なものの、過去世界は“『もしも』夕が来ていたなら”というIFによって構築させられていた。
しかし、実際に彼が当時のシーナに会いに来ているはずは無いと断言出来るだろう。過去に戻る魔法なんて彼女ですら聞いたことがない上に、そもそも彼女の記憶は夕と知り合ってまだ少ししか経っていないため、それほど多くもない。
このことから作られたものであることは明白だ。
顔色を変えたシーナを見てオニキスは落ち着いて話しつつ、彼女に手を伸ばす。
「私と共に来なさい、シーナ。この攻略を終えた暁には解呪だけでなく、君の封じられた記憶すら呼び覚まし、あの母親を解放すると。君があの村に悔恨を抱いているのは知っている。まずはあの村の記憶を取り戻し、懺悔することが一番の報いだよ」
「お母さんを――拘束していると?」
「ああ、心配には及ばない。君が正しい判断をしてくれる限りは……ね?」
『勇者サンよ。そろそろ杖を出したらどうなんだ?』
理性と欲望と魅了の魔術が内側で渦を巻いて揺らいでいる。その事実は彼女自信が誰よりも理解していた。
彼の言ったことが全て正しく行われる確証はないし、ある部分では嘘をつかれているのかもしれない。
しかし、彼に会うことこそが今まで長い冒険をしてきた全てであり、この時のために彼女は全てを注いできたのだ。
例え、嘘であろうとも私は彼に縋るしか道がない――
「隙あり」
『なぁっ!?』
彼女が俯いて一歩を踏み出したその時、前方から驚きの声が上がる。
三つの光の塊はスコーピオンの手の内から消失しており、代わりに黒い木の葉三枚がヒラヒラと零れ落ちていく。
そして勇者の手の内には三つの感覚であろう光の塊が浮かび上がって存在していた。
「あははっ、変わり身の術、ってね」
「……どういうことです、スコーピオン」
『な……有り得ねぇ!! あの光は能力を持つ者しか触れられねぇはずだぞ!!』
勇者の顔は晴れ、オニキスは静かな怒りに顔を曇らせる。
鋏から零れ落ちた木の葉を勢いよく踏みつけたがそれは足と共に地面に埋まるのみ。
「触れられない? なら触らなければいいだけ。そうでしょ」
彼を伝って三つの光は手を繋いだローナへと吸い込まれていく。
目の光を取り戻し、彼女はぱちくりと瞬きをして辺りを見回す。
「ローナ、怖かったね」
「お兄……ちゃん……っ!!」
「「ローナ!!」」
ローナたちが勇者へ抱きついたその瞬間、スコーピオンの両腕の大鋏が間近に迫っていた。
しかし彼は慌てることもなければ、避ける素振りも見せずにボソリと呟く。
「マリエル、力の三割を解放することを許すよ」
「承知しました」
声が響き光が迸る。
マリエルに攻撃を受け止められたスコーピオンの体には幾つもの光の筋が円を結ぶように浮かび上がる。
「なんだ、こ――」
その瞬間に目を見開いて退いたが時既に遅し。光の線が斬閃となって彼の体を切り付けていた。
『がぁぁぁぁぁっ!?』
ノイズ混ざりの絶声がオニキスのすぐ隣で発せられ、彼の装備していた甲殻は全て爆砕し、血が流れる。
「あははっ、反応は良かったけどね」
「聖霊同化状態のスコーピオンの甲殻をたった一度の攻撃で全て割るとはっ……!?」
「言っておくけど」
勇者は風の結界を歩いて外に出る。腕には白く輝かしい魔力が込められており、オニキスは彼の近づいた分だけ足を下げる。
「勇者を舐めない方がいいよ。悪魔とかよく分からないけど――」
「引きますよッ!!」
「――俺の敵じゃない」
勇者が腕を持ち上げ魔力を解き放ったその瞬間。音が消失し、この場にいる全ての視界が真っ白に染まる。
あまりにも強烈で熾烈な一撃は遠く離れた夕たちも、レムたちも、そしてこの階層にいる全ての生きとし生けるものを包み込む。
「あははっ、ついつい感情込めすぎちゃった」
「う、うっ……」
「荒まじい……魔力ですね」
戦闘慣れしている彼女たちさえも甲高い耳鳴りが起こるほどの轟音が止み、風の結界の境界に土砂が勢いよく降り注ぐ。
「逃げたね。転移はしてなさそうだし直ぐに追いつけるけど……別にいっか」
いつもと同じように笑う勇者の視線の先には半径一メートルほどに刳り抜かれた大地がどこまでも……どこまでも続いている。
「さてと、次は――」
『ギョアアアアアアッ!!』
勇者の聖なる魔力を感じ取り、この階層における空の覇者であろう巨大な鷲が猛スピードで迫る。
仲間たちは慌てふためいていたが、勇者はそのようすを全く介せず腕を上げてもう一度魔力を込めで語りかける。
「ねぇ、俺たちを乗せてくれないかな?」
ドスの効いた声を上げて勇者の目が怪しく光り、シーナたちが回避の用意をしようとしたその時だった。
「あ、れ?」
大鷲には目と鼻の距離にまで近づかれたが、既の所で空中で停止し、先程の魔法で弱った木々をその羽ばたきで吹き飛ばす。
「ううっ……風の結界越しなのにすごい突風ですわ」
「あははっ、どうやらこの森の最奥部まで送ってくれるみたいだ」
大鷲は地面に降り、勇者へと頭を下げる。そのようすは明らかに異質なもので、魔物を従えた勇者、という矛盾の光景にこの場にいる誰もが絶句する。
「言ったでしょ? この試練は変容するってね。実際、この空間は前来た時とは大きく異なってるし、それに魔力を吸われるなんてことも無かった。まぁなんでかって言えば来る度に試練の内容が変わってるからなんだけどね」
そうは言いながらも勇者の手は大鷲の首元へと動き、大鷲の首を優しく撫でていた。
気持ちよさそうに赤い瞳を細くする魔物の姿に仲間は見覚えはなく、シーナも例外ではない。
「だけど、大鷲はいつも空にいるし、どの試練でも何度も邪魔をしてきたんだ。きっと関係があると思って、調教の魔法を使ってみたら――この状況ってわけさ。そもそも、転移を使えないこの空間じゃ、こいつの背に乗る以外にこの階層からの脱出法はないんだけどね。最初来た時この空間を抜け出すのにはかなり時間がかかったよ」
「……いつも、ですか。つまり、あなたは何度もこの試練に挑んでいるが、一度もこの先へと進めたことがないということですか?」
シーナの言葉を聞いて勇者は笑顔で肯定の意を示す。この先は彼ですら突破できない壁が待ち構えていることを知り、仲間たちの体には力が入る。
「だからこそだよ。今度こそ突破したいから君も居るし、装備を整えて仲間も連れてきた。――今回は絶対に突破するよ。女神に誓って信じてくれていい」
大鷲に跨り、勇者は手を伸ばす。彼の真面目な顔に仲間たちは元気な声で応答し、その手を掴んで魔物に乗り込んでいく。
「最初から呼べばよかったのでは?」
「あははっ、つれないこと言うなって。俺たちが先に行き過ぎると困るやつも居るんだし……さ」
遠くの方を見つめる勇者の手を掴み、広い大鷲の背に乗り込む。
魔物に乗るのは当然初めての出来事であるが不思議と彼女の鼓動は高鳴らない。
「君が過去世界から抜けられた理由はだいたい予想はついてる。だけどこれは――あははっ、彼に直接聞いた方がいいかな?」
「なにを言っているのかがさっぱりです」
嘶きのような鳴き声に森が大きくざわめき出す
その声に反応し魔物たちが近寄ってきたが、彼らの乗る大鷲の姿を見て全員が逃げ出していく。
一連を見ていた仲間たちは黄色い声をあげると共に徐々に離れていく地面から黒い空へと視線を逸らす。
「オニキス本人が介入してきたのも予想外だったけど――ここからだよ。本当の攻略戦ってやつはね」
勇者は羽毛に包まれながらも横になり、相変わらず不敵な笑みを浮かべる。彼の脳裏に浮かび上がるのは、ダンジョンの番人か、はたまた教団と呼ばれている者たちか。
勇者の何を考えているのか分からない表情を見て今後についての思考を停止し、シーナは再び本を取り出して顔を覆い隠し、ボソリと呟く。
「オニキス、さん」
過去世界で彼が言い放った“悪魔の力”という単語。先程の一連の動きを見れば過去世界そのものが“嘘として”作られたものとは決して断言出来ない。
その言葉が彼女の中で何度も反芻し、彼を想う気持ちと共に大きくなっていく。
この恋焦がれる気持ちも、過去の記憶も、偽物だと否定されているし、自分の頭の中では分かっているはずだった。
――オニキスの言った私の封じられた記憶。真実はこの中に眠っているのだろうか。
ご高覧感謝です♪