第241話 シーナ・レミファス(3)
呆然と座り込んでいた無傷のシーナを確認してほっと胸を撫で下ろし、構えていた腕を下げる。
先程彼女に向けて襲いかかろうとしていた魔物を吹っ飛ばしたのは何を隠そう俺自身の魔法である。悪魔の力なんて何ら関係ない。
「これも計算ずくめとは考えられないもんだ」
そして、きな臭くなってきたのはオニキスと呼ばれる人物だ。
彼こそが魔物を使ってシーナを危険な目に合わせた本人であることは間違いないし、結果的に彼の力説で村長も、シーナの母らしき人物も悪魔の力というのを信じ始めている。どちらにせよ、彼にとって良い方向にしか進んでいない。
「っと、出てきたな」
「では。悪魔の力が必要になればいつでもお呼びください」
「……帰ってくれ」
女神の信仰が篤いこの村で悪魔の力を示すことこそが彼の目的だったのかもしれない。
どこか満足気なオニキスは長い髪を翻し、俺が隠れている方向へと向けて足を進めていく。
「はっ……シー、ナ?」
「おかあ……さん……っ」
シーナも無事保護されたようなのでこれにてこの件はひと段落だろう。
彼女は言いつけを破り、こちらの家に来てしまったことでひどく怒られるであろうが、傷もなく無事で何よりだ。
それよりも――
「どこ行くんだ、お前」
「おや、村の方……ではなさそうですね」
「村の子供に魔物を仕向けた奴をそのままにしておくわけないだろ」
「ふむ……では先程の魔法は貴方が使ったと見て構いませんか?」
「それも知ってて、その余裕そうな表情か」
「いいえ、私は子供へと魔物を仕向けるという実に背徳的な行為に胸を痛めております」
薄い笑みを浮かべ全く変わらず余裕そうな雰囲気を前に、少しだけたじろぐ。なにやら彼の視線には全てを見透かされているかのような不快感がある。
「察しの通り、あの魔物は私の下僕です。そして、あの女の子を襲わせようとしたのもまた事実。これも悪魔への信仰心を篤くするためのこと。必要な犠牲、ですね」
「何にせよ、ろくなもんじゃない。その悪魔の崇拝とやらを広めて何をしようとしてるんだ?」
威圧するかのような強い口調で問いただしても、彼の反応は大きく口を歪めるのみで隣を通り過ぎ、背中越しに語りかける。
「今日の夜。この村はその一夜で大きく変わることでしょう。そして――彼女の信仰も、ね」
「――っ!?」
勢いよく後ろを振り向いたその時、彼が元いた場所には木の葉が舞い上がっていたのみで、姿は掻き消えていた。気配探知にも反応がなく、まるでこの世界から消失してしまったかのような――
「あいつを探すべきか、それとも夜までシーナを監視すべきか……」
恐らく、彼が話した彼女とはシーナのことである。しかし、母親が見てる以上安全であるはず。であるならば、ひたすら彼を探すしかない。
「とにかく、探すか。そうなると……村に戻ってひたすら聞き込みか」
足取りは重く、彼が見つかる可能性は限りなく低い。しかし、彼の考えは間違いなくこの村にとって悪となるものだ。目的がはっきりしない今、この村の行く末を見守るべきか、はたまた見捨てるべきか。
「……記憶が無いとはいえ、シーナに危機が及ぶとなれば動かない理由はない、よな」
目的は決まった。そうとなれば動くのみ。彼女がなぜ俺の記憶が無いのかは不明だが、間違いなく本物であると考えている。だから何としても――守り抜こう。
~~~~~~
私は鍋を見ているという言いつけを破り、勝手に家を抜け出した。外に出ていることを知られたならば、怒られるのも、覚悟していた。
だけど……
「無事で、良かった……」
「お母、さん……?」
お母さんは数秒硬直した後、ふと意識が戻ったような目をすると、直ぐに私を抱きしめ、震えた声で体に顔を埋める。どうして……言いつけを破ったのにこんなにも、優しかったのだろう。
「シーナが付いてきていたことは、魔法薬の匂いで既にわかっていたんだ。だが、あの時、あの男の背後にいるナニカによって、その当時の記憶が全く無くなっている。今では気付けの魔法薬で正気に戻っているが、先程のナニカを見てからの記憶が全くないんだ」
こんな凄まじい勢いで話し込むお母さんは見たこともなかった。様々な出来事が一気に起こりすぎて、頭がもうこんがらかっていた。
「えっと、何かって、なんなのですか?」
「っ……すまないシーナ。これだけは言える。あれは女神様の敵、悪魔だ。あの男、オニキスは、悪魔だ。これ以上絶対に近づいてならない」
「……でもあの人は優し――」
「だめだっ! これだけは、絶対に……止める」
お母さんが言っていることはまるでよく分からなかった。だけど、彼と会うことを必死で止めてくれていることだけは、分かる。
でも、心の裏の本当の私の回答は真逆だった。
彼に会いたい。いや、ここで会わなければもう二度と魅力的な彼に想いを伝えることは出来なくなってしまうだろう。
そんな思いがお母さんの言葉を取り込もうとして――遮る。
「――だから、彼には絶対に近づいては行けない」
「分かり、ました」
嘘がバレている、かもしれなかった。実際、私はお母さんの話を九割適度聞き流していた気がする。
それは甘い時間のようで、どこかぼんやりとした一瞬の出来事。彼のことを考えていたためだろうか。
「とにかく家に帰ろう。あの男は得体が知れなさ過ぎる。シーナ、今日だけでいい。今日だけでいいから……部屋から出ないでくれ。お願い、だ」
そんな言葉を遠くに感じ、妙な浮遊感と真っ白な光が体を包んだその瞬間。
懐かしい薬品の匂いが鼻をくすぐった。
「……あれ?」
――家だ。この感覚は一度だけ昔味わったことがある。転移、という技術だった気がした。一瞬で元の場所へ帰れたのはその魔法のおかげだろう。
「貴重な転移石、どうして使ったんだろう」
疑問が疑問を産み、頭の中がさらにぐちゃぐちゃになってしまった。
だけど、足は勝手に動く。その先は扉の向こう。
オニキスさんに、会いに――行かないと――
「……」
一度だけ、ドアノブを回す手が止まる。向こう側から鍵が掛けられていたのだ。そこでやっと自我が少しだけ目を覚ます。
「お母さんに、出ちゃダメって言われた。だから出ちゃ、ダメ」
頭では、分かってた。だけど、ドアノブを回す手は止まらない。
壊さんばかりの勢いで繰り返し、繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返し回し続ける。
――ああ、魅惑的な声が、聞こえる。
「……」
ドアノブを回す音はひたすら遠くなり、頭の中の声は大きくなっていく。オニキスさんの声に似た、甘く蕩けるような声。
「……精霊、さん?」
声の正体が分かった途端、重い音のような声とドアノブを回す音はピタリと止む。
そして、一呼吸を置いた途端、より一層はっきりとした声と音が聞こえ、頭の中が混濁していく。
「あなたは……精霊、さん?」
『ぉ……ぉ……』
「オニキスさんに会わせて欲しいのです。会わなくては、いけません」
『ぅ……ぉ……ぉ』
その声に応答するかのように、背後で重い何かが落ちた音が聞こえた。
ドアノブを回していた手のひらは真っ赤で、ヒリヒリとしている。
しかし、視線は音が聞こえた方に集中し、その美しい光に夢中になっていた。
「……オニキス」
彼から貰った、彼と同じ名前の宝玉だった。頭の中がハッキリしていないときだったけど、どこか怪しい光を放っていた気がする。
「あなたが、精霊さん、なの」
『――我は……精霊、ハルファス。汝に目的を遂行させる力を与えん――』
光は一層強くなり、意識が溶かされていく。ああ、これで彼にまた会えるのだろうか。
~~~~~~
気配探知に意識を集中しつつシーナが転送されたであろう村に戻る。
残念ながらオニキスが見つかることはなく、道中に彼の道しるべとなるものなどの収穫もなかったが、村の中へと入り、シーナが無事であることは確認出来た。
「シーナが無事ではあるんだけど……村の中から魔物の気配がする。それもすっごいやつ」
ところがどっこい、村の中は騒然としており、村人の集団は俺が歩いてきた方角へと向け、慌てたようすで走ってきている。
背後へと流れる村人を見送るさなか、この村に初めて到着した際に話した村人がいたため、無理やり肩を掴んで問いかける。
「っ!? 何しやがる――ってお前はさっきの!? 」
「お急ぎのとこ悪いけど、なにがあったんだ?」
「この村に魔物が出たんだよッ! この村には魔法使いの結界が貼ってあるっていうのにだ!!」
「結界……? そもそもあったのか?」
「とにかく、あの魔物が大人しいうちにさっさとあんちゃんも逃げろ!!」
彼は掴んだ手を無理やり振り払い、先にいる村人たちのところへ走っていく。
シーナといえば転送させられて以来ずっと動いておらず、眠ったように動かない。となると、彼女はこの事態を知らない可能性が高い。
「とにかく、魔物退治といこう」
急いで魔物へと向けて走り出し、慌てる村人とは逆方向へ進み続ける。
すぐに見えてきたのはこの村の戦士であろう屈曲そうな男たちであった。
「こいつ、なんで動かないんだ?」
「分からねぇ。けど、魔物のくせに襲いかかっても来ねぇのはなんてだ……?」
観察眼で目視しない以上、相手のレベルすら分からない。そのため、魔物の姿を一目でも見ようとして戦士たちの脇をくぐり抜け――
「――っておめぇ! あぶねぇぞ!」
「ぐぇっ」
られなかった。一人には首根っこを捕まれ、もう一人には大きな腕で差し止められる。
魔物のようすは唸り声のみしか聞き取れなかった。
「あんな見たこともねぇ魔物相手に対面しようとか何考えてやがる! 」
「そんな貧弱な体でどうにかなる相手じゃねぇぞ!?」
二メートルほどに近い大男たちに凄まじい形相で怒られてしまい、ほんの少し怯んでまうものの、不意に思いついた納得のいく文を口にする。
「あー……えーっと……俺は冒険者だよ」
「……は?」
「……村、長。そうだ! 村長に依頼されてこの村に来たんだよ。だから手を離してくれ」
「……お前が、か?」
二人の差し止める手が緩んだのを見て少し強引に振り切り、人混みの中心、魔物との距離はおよそ三十メートル程の空白の間へと足を踏み入れる。
その瞬間――
「まてッ! それ以上近づくな――」
「おっと――」
その一歩踏み出したその瞬間。人を軽く吹き飛ばしてしまいそうな突風と共に、体が凍りつくような凄まじい殺気に当てられる。
その雰囲気の変わり方は周りの野次馬の村人も、前列にいた戦士たちも感じ取ったようで、大半が吹き飛ばされ、腰を抜かす。
「……へぇ」
近づいた回答は、これ以上近づくな。と言いたげな圧倒的なプレッシャーであった。その魔物の姿は予想以上に巨大で、狼型の魔物だった。その全長のサイズはおおよそ五メートル。この魔物が立ち上がったならば、さらに巨大になるだろう。
(結構な血が出てる。ってことは幻獣か)
前足を折って隠してる理由は恐らく怪我の状態を気が付かさせないためだろう。
その狼型の魔物の裂傷は深く、小さな血溜まりが出来ているほどだ。
「フェンリル、レベルは170。状態異常は……腐食? お前ほどのやつが誰にやられたんだか」
観察眼によってこの幻獣のレベルと名前が分かったことで警戒度と緊張は一気に跳ね上がる。
彼からしたらこの村の中の人間なんてほぼ無抵抗の餌だろう。しかし、襲わず、ただ威嚇するのみ。
怪我をしているとはいえ、明らかに幻獣とは思えない思考である。
念の為、もう一歩だけ――
「お、おいっ!?」
「――っ、風属性の魔法か」
岩の塊のような圧力のある突風が真横を掠め、頬に浅い傷と微かな血が滲み出す。
……ああ、この行為でわかった。恐らく彼は人間と敵対する気がそもそも存在していないのだ。
武装をしていないことを示すため、両手を上げながら一歩、再びもう一歩。
――やはり、襲ってこない。もう距離は彼を触れられるまでにある。その分、いつ襲われても不思議ではないくらいの殺意に当てられているのだが。
「触ってもいいか?」
「……」
「だめ、なのか」
刀とでも話せた経験があったため、何となく話しかけてみる。すると、意外とすんなりと相手の気持ちが掴めたのだ。もちろん、明らかな殺意と共にだが。
どうしようかと座りながら考えていると、戦士たちは人と幻獣が意思疎通するという異常な光景をみて辺りはざわつき始める。
――そして。
「……ゥゥゥゥ」
なにかに気がついたのか、まるで地獄の悪魔のような唸り声を上げつつフェンリルは空を見上げ、全身の毛を逆立てる。それと同時に脚を震わせながら立ち上がろうとして――崩れ落ちる。
「あ、ぁぁ、あぁあぁぁッ!?」
そんな声が聞こえたのはどこからだろうか。まるで一瞬で夜になったかのように視界が暗くなる。それと同時に、気配探知に凄まじい反応が出現した。アラームが脳内で鳴り響く。200レベル以上の大変強力な敵性生命体の証である。
「災厄の、竜」
「でっっか……」
その暗くなった理由は一瞬で分かった。原因は、真上にあったのだから。
西洋型の真っ白な竜は真下にいる俺たち一瞥した後、遠くの山の奥の方へと飛んで行ってしまった。そのはばたきの衝撃波はこちらまで響く。
「あ。あいつにやられたのか?」
「……」
「スキあり。状態解除――」
フェンリルに向かってその魔法を唱えた瞬間、俺はフェンリルの巨大な尾の一振によって、呆気なく吹っ飛ばされていた。その事実だけが一瞬で理解出来た。
視界はめちゃくちゃで、雪に埋もれた田んぼを五回ほど跳ね、木にぶつかって肺から空気が無理やり吐き出させられる。
「が、はっ、ふっ……くぁっ……えげつ、ねぇなっ……」
障壁が付いているのにも関わらず、全て持ってかれた上に、50mほど吹き飛ばされてしまった。
さっきまでいた人混みが遠くに見えるのだから。
「……」
一方で吹っ飛ばした本人のフェンリルは遠くにいるこちらをじっと見つめていた。その表情は潰れていて見えなかったが、なにかの感情はあったのだろう。
「腐食状態の解除。感謝しろっての」
立ち上がりつつ体中についた雪を払いながら呟くと、フェンリルはゆっくりと立ち上がり、そのまま上空へとひとっ飛びで消えていった。
「いててて……やっべぇ威力だな」
立ち上がろうとして、ふらつく。
何とか元の場所まで戻り、戦士たちに向けて話しかける。
「どうよ。追い払ったぞ」
「お、おい。あんたは……大丈夫、なのか?」
「割としんどい」
笑いながらそう答える。が、実際のところ、彼の尻尾攻撃でさえ、アルトの全力の一撃よりも強烈だった。
下手をすれば命まで奪われかねなかったほどである。そろそろ防具も鎧とかにした方が良いのだろうか。
「村長、彼が」
「……無事かね?」
「あ、さっきの……」
シーナの母と共に現れたのは杖をついて茶色の服を着た典型的な村長であった。また、シーナの母は変わらずなにか考え込んでいるような表情で、話しかけられるような雰囲気ではなかった。
「冒険者と聞いたが……その実力は本物であると、彼から聞いた。そこで頼みがある。無論、断ってくれても構わない」
「聞くだけ聞くけど……なんだ? まさかあの竜を追い払えとか?」
「……その、まさかじゃ」
少しだけ、目眩がした。
俺はこの調子で大丈夫なのだろうか。
ご高覧感謝です♪