第234話 神聖騎士と風魔法使い
「どうかしましたか?」
シーナの風魔法による一撃で魔物が紫霧を吹き上げて消えていく。その奥には白銀の鎧に身を包む女性がおり、ぼんやりと空を見上げていた。その顔はどうにも儚げで、何かを失ったかのような喪失感を帯びている。
現在シーナと十字騎士団の一人であるセリアは魔導書のダンジョン攻略の参加条件である依頼の達成を完遂し、後は報告するだけ、というところまで漕ぎ着けた場面である。
「――スミレの神威を感じられなくなりました」
「すみ、れ? 何を言っているのですか」
「いえ、独り言です。彼女は役割を果たし、先に神界へ帰ったのでしょう。非常に信仰熱心な娘であったたため……残念です」
「そうですか。私にはなんら関係のないことですね」
魔導杖を背中に背負い直し、冷たい目でセリアを一瞥した後に彼女が見るのは倒れ伏した人物。
どこか太り気味のその男は、魔物に襲われていた所を彼女たちに助けられたようで、念仏を唱えるかのように小さく連続して感謝を伝えていた。
「ありがとう……ありがとうっ」
「流石はSSランカーの風魔導師。この程度の魔物は蹴散らせますか」
「本当にこれが一番難易度の高い依頼だったのですか? 私はもっと高難度のものを想定していたのですが」
「この依頼の適正ランクはB。これが最大です」
その返答にどこか不満そうなシーナは、倒れている男性の真横を通り抜け、帰路へつこうとしたところ彼は気がついたように起き上がり、彼女の足を掴む。
「……なんですか」
「待ってくれっ! 名前を、名前を、教えてくれ!」
「触らないでください」
どこまでも嫌そうなシーナは掴まれた足を振り払い、さらに先へと急ぐ。彼女は男性を救うつもりは毛頭無く、依頼の敵を狩りにいっただけであったのだ。
そのようすを見ていたセリアは早歩きで追いつくと、淡々と彼女に話しかける。
「彼は何度も女神様へ助けを求めていました。慈悲はその程度で結構ですが、貴女は何をそこまで急いでいるのですか?」
「私は今すぐにでも力が欲しいんです。こんなところで、止まるわけには行かない」
そう言い放つと彼女はさらに速度をあげてこの場から立ち去っていく。その反応を見てセリアはぼそりと呟く。
「悪魔の考えることはやはり分かりません。主よ。しばし目をお瞑り下さい。すぐに――」
「な、なぁ姉ちゃん!!」
「はい。何でしょうか」
セリアは天に向けて祈り終えたところで、男性は立ち上がり、彼女を足元から頭のてっぺんまで見渡す。
「や、やっぱりだ! その剣を重ねた十字の紋章といい、その神々しい雰囲気はっ――」
「十字騎士団が一人、セリアと申します。それが何か?」
「なっ!? 本当に王国の騎士だと!? なんで、あんたらがこんな所にいる!? しかも、十字騎士団ってぇいえば普通の騎士よりもヤバいやつ――」
「神罰の代行を努めさせていただいておりますが、何か?」
彼はその返答を聞くと数歩下がり、顔に影を落として怯えたような表情を浮かべ――足をたたんで敬礼の姿勢を取る。
この世界での神聖騎士団という団体は比較的位が高く、冒険者すら敬礼の姿勢を取ることを強いられているようた。
「つ、つうことはこの付近に悪魔が居るって――事ですよね?」
「ええ。それはもちろん。その為に私が派遣されているのですから」
「まじかよ……みんなに知らせねぇと――」
「いいえ。その必要はありません。間もなく私が浄化しますので。寧ろ、広められたらこちらの活動に支障が出るため、ご遠慮願いたいのですが」
「っぅ!? も、申し訳ありませんっ」
淡々と感情を読ませない口調で言い放ったため、彼は威圧されていると勘違いし、さらにひれ伏す度合いを高める。
「――ああ、そうですね。ちょうど良かった。貴方にお願いがあります」
「お、お願い?」
そのようすを見て何かを思い出したセリアは懐からお金取り出して手渡し、薄い笑みを浮かべて耳打ちする。
その声は甘美なもので、耳元で語りかけられてしまった男性は脳内まで蕩けてしまうような快楽に包まれる。
「探してほしい人物がいるのです」
「はぅ、ぁ―― ?」
「一人は――です。この方は貴方もご存知なはず。そしてもう一人は――」
「……りょうかい……しまし、た」
彼女が離れると、男性は脚の力が抜けてしまったかのように崩れ落ち、ピクピクと痙攣して動けなくなってしまった。
一方でセリアは離れると同時に鉄仮面のような冷たい表情に戻り、地面を見るかのような生気のない視線で男性を見下ろす。
「女神の甘言。まさかここまでの効果があるとは思いませんでした。後は他の十字騎士に任せるとしましょう。闇の気配も街にある事ですし」
そう言い放った彼女は倒れた男性を置いてこの場からゆっくりと立ち去っていった。
「――面倒な」
セリアが男性から離れた一方で、そう嘆息するシーナは既にマチェベルの街に到着しており、その場で困った事件に遭遇していた。
「ぅ、ガぁァっ!」
「うわあああっ!」
「なんという、悪魔が――っ!」
「悪魔がっ! 悪魔がここにいるっ!!」
「女神様っ! 女神様ぁっ!」
彼女が到着して間もなくのことであった。広場にて憲兵が集まっているかと思えば、悪魔と呼ばれている男が暴れているという騒ぎが起こっていたのだ。
暴れている彼は軽鎧に短剣を装備しているため、冒険者であると見られるが、問題は何故悪魔と呼ばれ何故暴れているか、である。
「確かに、あれは悪魔憑でしょうね。もっとも、昔の私のように乗っ取られている状態でしょうが」
やれやれと呆れたような感想を抱き、彼女はその喧騒から離れ、遠回りする手段を取る。
――彼女は知っていた。悪魔に取り憑かれてしまうとその後どうなってしまうのかを。
(ああ、やっぱり気持ち悪い)
思い返す度に胸元を抉るのは過去の記憶。
辺境の小さな村で、初めて恋心のようなものが芽生たその時に――悪魔が私の元へ降臨したのだ。
私の育った村は非常に小さな村だったこともあり、女神様への信仰は他の場所よりも篤い場所であったと思われる。
村のみんなで女神を強く信じていたからこそ、あの事件で私は女神という存在を全く信じられなくなった。
あの悪魔によって私自身の体を思うように動かされて、村を焼き尽くしてしまい、祈っても、祈っても、いくら祈っても届かないあの空虚感を感じてからは二度と――
「っと、すみません」
「……」
一人で考え込みながら歩いていると、ふと肩がぶつかる。帰ってきたのは硬質な感触だった。
「……まっしろな、服? でもなんで硬い感触――」
「ごめんなさいっ、ちょっと急いでるので失礼しますっ!」
すぐ脇を走り去って行ったその人物は、美を追求して完成されたものであると断言出来るほど、美しかった。まるでそれは作られたものであるように。
「なんで、白神が、ここに」
彼女は夕たちよりも先に帰ったため、白神、もとい上崎 真白のことは知らない。もちろん、彼女のロボットとしての機能は失われ、自我が生えていることさえ。
ドリュードがブルーノを倒し、夕とアルトで勇者を退けたことは聞いていた。だが、彼女が現在どうなっているのかはたった今初めて知ったのだ。――まだ、生きている。
「なにをしているのですか?」
「……はっ」
戦慄していた状態で話しかけられたため、声をかけられた方向から自然と距離をとる。背中の杖まで取り出して、彼女はもはや混乱していた。
「私と戦うとでも?」
「……すみません。少々混乱していました」
我に返り杖を下ろす。目の前にはなんら動揺していない神聖騎士の一人、セリアが居た。
「悪魔」
「……は?」
「微弱ながら貴女からは悪魔を呼び寄せる匂いがしますよ」
「……知りません」
シーナは極度の緊張感により、悪魔憑を使用しかけていたのだ。セリアからは本気の殺意を感じ取り、思わず背を向け、歩き出す。
「悪魔を飼っているとなれば他の新聖騎士が動き出します。こんな街中でその悪魔を使うのは控えてください。私が貴女を浄化さざるを得なくなります」
その後、神聖騎士たちは悪魔への感知は凄まじく敏感であったためか、帰り際に何人かの騎士に職務質問された。シーナの反応は一貫して無視であったが、セリアの助けもあり、何とか宿屋までたどり着いた。
この話しかけられる母数が増えた理由は、先程の暴れていた人間が悪魔に憑かれていることを誰かが報告し、そのせいもあってか巡回する神聖騎士が増えたためであるだろう。
「神聖騎士とは……これほどまで敏感なのですか?」
「ようやく分かりましたか。闇属性と悪魔には本当に敏感なのですよ。私たちは」
ここでシーナに疑問が湧く。セリアは神聖騎士の一人で、確実に悪魔に対して嫌悪感を抱いている。それは、これまでの彼女の対応からよく感じ取れた。
「セリア、あなたと学長との契約は何ですか? あなたは悪魔が嫌いなのでしょう?」
「ええ。契約がなければ今すぐにでも貴女を浄化しているところですね」
「だったら――」
「――いえ、待ってください。そんな質問よりも大変なものが近づいています」
セリアはそう言葉を言い放つと素早く立ち上がり、窓を開け、キョロキョロと上下左右を見渡す。忙しなく動く彼女を見て、シーナは質問内容を誤魔化しているのかと思い、問いかける。
「私の質問に答えてください。契約とは一体なんですか?」
「答えられません」
「何故?」
「――少し黙って頂けませんか?」
それは、初めての強い口調であった。彼女はロボットか何かをだと思っていたが、もっとも人間らしい怒りを感じとった気がした。
「では、質問を変えます。あなたは一体なにを――」
『グルゥヴァゥァァァァッッ!!』
――その瞬間、一声聞くことすらおぞましい鳴き声が空から豪雨のように降り注がれた。あまりの音圧に窓ガラスが割れ、宿の壁にヒビが入る。
「 「ぁぁ、ぁ」」
二人同時に耳を塞ぎ、うずくまる。その声を聞いているだけで魔力が抜けていき、頭が真っ黒く染まっていくかのような感覚に包まれていく。
「邪、龍が、な、ぜっ!?」
シーナには聞き取れなかったが、セリアは顔を真っ青にしながら立ち上がり、もう一度割れた窓をのぞき込む。すると――
「あははっ♪」
「……は?」
真っ黒な雲を引き連れるのは真っ黒な東洋型の龍。その大きさはとんでもなく巨大で、明らかにこの世のものではないオーラが放たれている。人間が適うような相手ではない、そんな気がしてならなかった。
そして何よりもセリアが驚愕したのが――
「真っ黒な髪の、女」
はるか上空にいる女性と目が合った。もちろん、彼女はその者の正体を知らない。知らないような者が――
「邪龍にのって、いる?」
まるで理解出来なかった。なぜ、邪龍が居るのか、何故伝説にしか出てこない邪龍を乗りこなせる者がいるのか。
十字騎士団で上の実力を持つ彼女でさえ、何がなんなのかまるで理解が及ばない。
龍はそのまま過ぎ去っていき、はるか虚空へと消えていった。
「……近年の悪魔が憑く現象が増加しているのと、関係しているというのですか、神よ……」
割れたガラスで真紅に染まってしまった手を合わせ、彼女は空へ向けて祈る。
「報告、しなければ」
「……セリア?」
彼女は光に包まれて掻き消える。
その場に残ったのは完全に破壊された小部屋と、小さな魔女だけだった。
ご高覧感謝です♪




