第216話 休暇三日目 複雑な味
時は少し遡り、時刻は昼頃。
ボクは町の中心部である噴水広場にてある人物を待っていた。
「ユウたちは楽しくしてるといいけど……ボクは何としても聞かなきゃダメだよね」
周りにいる人々を見回し、少々羨ましそうな目を向けつつ、待つこと数分。ついに目的の人物がやってきた。
一人は若草色の髪を持ち、元気なオーラを持つ女性。もう一人は赤髪で屈強な体つきの男性。
彼らは、コシュマーダに来る途中で出会った二人組であった。
「やほーアルちゃん!」
「!? 突然失礼すぎるだろ!?」
「あはは、気にしないで。君もテキトーで大丈夫だよ。ボクはもう魔王じゃないんだし」
ぎちこない笑みで返したボクに、女性は肩に手を回す。気分を察されたのかも知れない。
「まぁ、それはそれだ。どう? 私たちとコシュマーダの観光でも……」
「ごめん。今日はそのために来たんじゃないんだ」
「……そっか。よし、じゃゆっくり話せる場所も予約とってある! 付いてきな嬢ちゃん!」
そう言って離れると、彼女らは背中を向けてもと来た道を進んでいく。それに従って歩き、なんとも言えない気分のまま追従していった。
「アルト様の事を嬢ちゃんなんて言っているが、お前より圧倒的に歳上だからな?」
「……え?」
「魔族は人間よりも長寿。誰でも知ってる常識だよな?」
会話に混ざることなく、一人ふつふつと考えていた。
現在、ボクが魔界で知っていることといえば、いまや自身の姉であるソプラノが魔界を治めていること。そして、その影響もあってか、魔界の幹部と交信が途絶えているということ。最後に暫く留守にすると話した以来、魔界については自身も避けてきた話題であった。
(それに、もう嘘なんかじゃないんだ。お姉ちゃんはもう――)
優しくて、強くて、守ってくれる姉はもういない。それどころか、帰る場所でさえ怪しいのだ。
魔界へ向かって転移するなら出来る。だが、帰ったところで自分に何ができるというのだろう。自分よりも明らかに力の優れる姉から魔界を取り戻すとか?
(……無理、かな)
知っている頃の姉だったとしても、力では確実に及ばない。その差は絶望的なものだ。
ユウがボクに関して魔界の話題を振れないのも、泣いてしまったことが大きな原因。生きてきた中で最も大好きだった姉にあんな発言をされ、もう、ぐちゃぐちゃになって――
(ユウも、結構気にしてるよね)
あの事があってか、彼は一度も魔界に帰れとは言わないし、魔界に関しての話題をあからさまに遠ざけている。彼の中では、一種のタブーな話題になっているのだろう。
(でも、それは今日で終わりだ。ボクは、ちゃんと魔王として、お姉ちゃんに立ち向かわなきゃ)
そう決心したのはギルド本部から生きて戻り、ユウが気絶していた二日間であった。
ボクは勇者の圧倒的な力を前になす術なく蹂躙された。彼が助けに来てくれなかったら確実に死んでいたといえる。
その死に間にふと見えたのが、自分の昔の記憶。あの頃のボクは弱くて、何も出来なかった。――それはいまも変わってない。信じられない現実を突きつければ、ボクは全く動けなくなる。勇者との戦いでよく分かった。ボクは、精神的に脆い。
(現実。これは現実なんだ。逃げたって、どうせぶち当たるんだ)
受け止めなければ自分が壊れる。ボクは一度壊れてしまい、その結果ユウはそのことに関して話題を切り出せないでいる。彼の反応を見るに、多分ボクより事情が分かっていることも予想できる。
それが、どれだけ情報の共有を詰まらせたことだろうか。
本当に今日で、終わりにしよう。
「アルちゃん? 大丈夫か?」
「アルト様、申し訳ありません、いくら言ってもこの呼び方が……」
「全然大丈夫だよ! 君もアルちゃんで構わないし!」
「いや流石にそれは……」
彼は困惑した表情を浮かべたまま、ボクたちはある喫茶店のような場所に着く。お洒落だが、祭りの喧騒から少し離れた場所にあることもあり、静かに話ができそうな雰囲気があった。
「ここだね! 予約は取ってあるからさっさと行こうか!」
「アルト様、お体の具合が悪いのであれば遠慮なく――」
「大丈夫だって! ボクは、ボクだから」
「……そうですか。分かりました」
やはり、彼も気にしている。今から魔界に関する話題を振ることに躊躇しているようすがよく分かる。
どれだけ魔界が酷い状況になっているのか、魔界にてボクがどのような扱いを受けているのかは想像がつかない。
けど、これは自分が遠まわしにした代償だ。
少々混雑した喫茶店に入り、席に付く。目の前の二人の面構えもどこか緊張気味だ。
「さて、最初に私たちも改めて名乗っておこうか。私はエマってんだ。苗字は――まだこいつと一緒に考え中だ。もちろん、私は人間だ」
「アルト様、改めまして私はグルーエルと申します。元々は魔族の討伐部隊の体隊長を務めさせていただきました。本日は宜しくお願いします」
「あんたは硬いねぇ……」
「お前が柔らかすぎるんだが!? ……っと、申し訳ございません、アルト様」
困ったような表情でエマはグルーエルに対して文句を付けると、彼は息の合ったツッコミを入れた。まさに夫婦漫才だろう。
「仲いいんだね」
「そうそう聞いてくれよアルちゃん。私のことがいつも恋しいのか、毎日のように朝は手を繋いで――」
「ヴォゴホッホンッ! ……いまはそんなどうでもいい話をしてる場合じゃないだろう、エマ。アルト様も困惑しておられる」
「えー……これだから男は物事をすぐ先に進めたがる……丁度頼んでたものも来たし、初めよっか」
店員さんはトレイの上からコップの中に茶色い液体が入ったものを配膳し、一礼した後に去っていった。……これ、なんだろう。
「あー……そのようすだと、やっぱり魔王様でも知らないのかなぁ」
「いい匂い? なのかは分からないけど、これほんとに飲めるの? 泥水みたいなんだけど……」
「ククッ、アルト様も俺と同じ感想を抱いているぞ。やっぱりエマの価値観がおかしいんだな」
「えー、すっごい美味しいんだけどなぁ……そもそも、みんなそう言うけど、これを見つけるのに何年かかったか分かる!? 三年よ三年!」
「美味いのは認めるが、如何せん色が悪い」
彼女はどこか拗ねたようすで、湯気の立つコップに注がれた茶色い液体を音を立てて飲む。こんな匂いは長い間生きてきたのひ、初めての香りであった。いい匂いだけど、警戒度の方が上回る。
「うん。ちゃんと味も問題ないね。離れてる間に味が崩れてたりでもしたらどうしようかなって思ってたわー」
「アルト様もどうぞ。毒なんて入っていませんから。入っていたなら人間界を壊しても構いません」
「う、うん」
「ちょっとー、それ私が困るんですけど」
二人の会話を遠目に見ていたが、改めて目の前の茶色の液体を見つめる。
毒の香りには思えないが、嗅いだこともない。飲むべきか、飲まざるべきか。考えに考えた結果――
「ごめん。やっぱり飲めなさそうかな」
「そ、そんな長考して無理しなくてもいいって。今回の話題はコーヒーじゃないんだからさ」
「こー、ひ?」
「やっぱ知らないかぁ……魔界にも獣人界にもチェーンを広げなければ……でも資産がぁ……」
「またよく分からないことを。とりあえず、アルト様、確認ですが本当にアルト様と見ていいいんですね?」
彼らはとはまだ出会ってほんの数時間ほど。良くしてくれる彼女らには悪いが、魔王を務めている頃には毒殺を狙ってきた者も多くいたのだ。そのため、どうしても信用できなかった。
「うん。ちょっと防音の結界を貼らせてもらったけど、ボクはアルト=サタンニアだよ。これで信用してくれるといいんだけど……」
指を振って防音の結界を貼り、変幻を目の部分だけ少しだけ解除する。おそらく、彼らにはボクの瞳は茶色ではなく、赤と青に見えていることだろう。
「……綺麗だね」
「そのお美しさ、やはりアルト様に間違いありませんね。いえ、むしろ磨きがかかったように思えます」
「あはは……そんなことないって」
エマも、グルーエルも同時に覗き込んでくるので、少々恥ずかしくなってしまった。このオッドアイはお姉ちゃんと同じで、生まれながらのもの。魔王の加護を受けた証ともいえる、ボクがボクであるしるし。
「ほんとに、可愛いねアルちゃん。俺のお嫁にこい」
「なんでそんな渋い声になってるんだお前は……」
「話、進めてもらっていいかな?」
「あ、ごめんごめん。アルちゃんは覚悟してきたんだよね。さっきから焦らしてるつもりは無かったんだけど……」
催促すると、彼女は真面目な表情になり、こーひーを啜って一息つく。
同時に、ボクも不意に崩れ出さないように覚悟をより強いものにした。
「じゃ、なに聞きたいかな?」
「なら最初に、なんで魔界のことを知ってるか聞いていいかな?」
「あー、それだと私たちの出会いから今の魔界の事情まで全部話すことになるんだけど、いいかな?」
「気にしないよ。お願い」
「じゃ、ちょっと長くなるね。……ふう、魔王様って意識すると、なんだか緊張するなぁ」
彼女は深呼吸をするとこちらをじっと見つめて表情を崩す。
「私は人間。なんの能力もない、普通の人間だったの。でも、それはある日突然変わった。魔族でも及ばないような、強大な力が手に入ったの。なんでなちょっと内緒にさせてもらうけどいいかな?」
「大丈夫だよ」
「で、人間ってのは突然力が手に入っちゃうと、使わずにはいられなくなるわけだ。そして、誰も自分に適う相手がいないと分かると、そりゃなんとも傲慢になっちゃうわけで。そんで向かったのは魔界だ。人間界で魔界に行くのは禁止だってのは知ってるかい?」
「結構勇者とか来たんだけど……」
「あ、あれは例外。まぁ例外――か。だよね?」
「俺に振るなよ」
彼女は少し考えた表情をし、困り果てたのか、隣にいるグルーエルに助けを求めたが……玉砕した。雰囲気を和らげようとしているのか、突然動揺を見せた彼女の心理はボクは良く分からなかった。
「それでだ。自分の力を過信し過ぎた私は留まることなく魔界に手を伸ばした。……それが、この結果さ」
彼女は履いていた靴を脱ぎ、靴下をも脱ぐ。そして見えたのが……鋼の脚部。
彼女は、義足であった。
義足や義手は、戦闘を完全にやめる決断をすれば、日常用のサポート品としてさほど費用は掛からないが、それが戦闘用であると、価格は跳ね上がる。
更に、連結する際に激痛が走り、その痛みでショック死する例も少なくないのだ。
この世界であまり発展していない部分でもある。
「これも戦闘用だけど……足一本、まるまる持ってかれたよ。ただの魔族やら魔物、幻獣なら余裕だったけど……アイツはだめだった。……まぁ、今となっちゃ笑い話だが……本気で死にかけたわけだよ」
「魔界の何にやられたの?」
「ファヴニール。あんたの命令で封印した幻獣だ。知ってるだろう?」
「……報告で角が片方折れてたって聞いてたけど、まさか」
「ああ。私がやったよ。その時にはほんとに死に際だったけどね」
あははと乾いた笑いを浮べながらカップを手に持つがその手は……零れそうな程にカタカタと震えていた。
彼女は本当に死を目前にして、消えることの恐怖を知っている。
「やだね。今でもあのことを思い出すと震えが止まらないよ。ほんと、こいつがいなきゃ私は、ね」
「ファヴニールは、知性があるのはご存知ですね。エマは本当に酷いとしかいえないほど、怪我の状態が酷いものでした。そこで私はエマが人間だということを知りながら……匿いました。なぜだが分かりませんが……こいつを助けなきゃいけないという意識に駆られて」
「そっか。むしろ、よく助けたってボクは褒めたいな」
彼らは自然と手を重ねており、そこには真の愛を感じることが出来た。しかし、ファヴニールが封印されたのはかなり前で、おおよそ六十年ほど前の話なのだ。
人間は短命なので、衰えも早い。なのに、彼女はまだ若々しい。若薬の秘薬でも使っているのだろうか?
疑問に思ったが、今回の話題はそれでは無いので放っておく。
「生活も何もかも、私はグルーエルに助けられて何十年。いつの間にか、私たちはこんな関係だ。……お前さんが魔界を離れるまでは」
「エマは変装をして魔界に溶け込んでいたが、アルト様が離れて以来、見ない顔が魔界の中に見られるようになりました。それが、お亡くなりになったと思われていたソプラノ様と、七つの大罪です。彼らはアルト様が帰ってこないのを見計らい、私たちが全く気が付かないうちに魔界を占拠してしまいました」
「ああ。今でも覚えてるよ。最初に言った言葉が『今から、私が魔界の王様だから。逆らうヒトは是非ともかかってきてね!』って明るい声で言い放ってさ。それも、一人一人の“意識”に直接だ」
「七つの大罪っていうと……おねーちゃんを除いたおとーさんの七人の特別な護衛だったよね。どの人もボクより……強かったな。でも、そんなあっという間にどうやって――」
魔界といっても、都市部や街は人間界よりも数倍多い。そして、ボクが魔界を離れたのはたった数ヶ月前。
もしもボクが支配をやり直すとなれば、数年かかることだろう。一つ一つの街に圧倒的な力を示さなければならないのだから。
「その日から次第に魔界は変わっていくようになりました。その原因として、街々の消失にあります 」
「私たちも最近知ったんだけどね、あの女に逆らうと……比喩なしに、消される。笑うしかないくらい圧倒的な魔力に押しつぶされて……私たちが知ってる限り、十個の街が消えた」
「私たちは第五武装都市という少々小さな都市にいたので私たちがいる間は都市に被害は及びませんでしたが……いまはどうなっているか分かりません。その当時は街が消えるなんて実感すら湧きませんでしたが……この人間界に来る際に思い知りましたよ。ソプラノ様は、いい意味でも、悪い意味でも、魔族であると。もともと街があった場所は、ただの黒い谷になっていました」
「なん、で?」
声が震えているのが分かる。彼らは街が消えてしまい、ただの“穴”になってしまった場所を見た。それも十回も。
理解できない。優しかった姉が、何故そんなことをするのだろう。
「弱きを守り、強きを挫く。ソプラノ様は全く逆でした。強い都市のみが残り、弱い街は魔界に残らなくなっていきました。気分により消されてしまった場所もありましたよ」
「当然、そうなれば次第に生活は圧迫されるし、弱いものは強くなろうと必死になる。近所付き合いなんて上っ面だけさ。奪い合いだよ。あれは。生産地点だった街が一瞬で消されるんだからね」
「ソプラノ様は支配した当初、魔界からの出国を禁止していました。ですが、毎日のように街が消える恐怖、食にありつけるかどうかも怪しい生活を続けてきており、私たちは遂に限界を迎え――」
「そして、魔界から逃げちゃったわけだ」
彼らの表情は重く、暗闇が落ちている。まとめると、魔界ではボクが抜けて直ぐにソプラノが現れ、力による支配が始まったらしい。気に食わない都市や、力の弱い街があると消失させられる。
圧倒的で、完全なる絶対王政。たった一人の魔王の支配。
「お姉ちゃんは、そんなこと……しないよ?」
「……現実はちがうんだよ、アルト。もう、あの女のせいで何百万人という人々が殺されてるんだ。食べ物にありつけない子供だっているし、もう酷いもんだ今の魔界は。大きな都市ばかり発展してる」
悔しそうな顔をしながら俯くエマに対して、グルーエルは申し訳なさそうな顔をする。逃げてしまった罪悪感もあるのだろうか。
「当然、こんなことになれば反乱は起きます。が、反乱を起こし、王城の門を叩いたその瞬間、その者たちは全員一瞬で、その場所から消えてしまったのです」
「これが一番の難点なんだけど……消えたやつらが、“新たなヒトとして別の思考を持って、別の都市で生活してる”んだ。分かりにくいかもしれないけど、以前と同姓同名で、同じ顔のヒトがいる。だが、以前の記憶は無くなって、別の街で働いている」
「その者が生活している街は、ソプラノ様がゼロから作り上げた街で、確実に生きることが望める都市。私たちも立場を捨て、最初はそこに向かっていました」
「――だが、分かったよ。消えたヤツらはあそこに飛ばされて、恐らく洗脳に近い何かを常に受けてる。なんて言うかな、ソプラノに対する信仰心ってモノが感じられた。それがその街にいるだけでどんどん頭の中を埋め尽くしていくんだ」
「自分が自分で無くなる恐怖。そのようなものを感じました」
ソプラノは歯向かう者や、弱いものを消すだけではなく、“作り替える”。どうやらそのように考えていいようだ。
「また、私たちはまたそこから逃げたさ。街全体に掛けられてるあの魔法は、魔族に対してめちゃくちゃ有効らしくてな。こいつも洗脳されてた」
「……いまでも、恐ろしい。全て捧げ、生を得る。捧げなければ死、といった心情でしたから」
「とりあえずこいつをボコして街を出たんだが……」
「人間界手前で七つの大罪の一人、スロース様に見つかってしまい……あっという間に死の淵の寸前まで追い込まれました」
「ありゃ、魔族なんて甘いもんじゃない。邪神みたいなもんだ。勝てない。絶対あんなのには勝てないって確信したよ。今でも思い出すだけで震えが止まらないさ」
そう言って二人は同時にこーひーを勢いよく飲み干す。彼女にとっては二度目の体験だったこともあり、余程精神的にダメージを受けたらしい。
「やっぱ、人間なんだよ。私は。生きたいって、強く女神様に祈った。強く、強く、強く」
「私も、願いました。せっかく手にいれた幸せを離したくないって、何度も願いましたよ」
「女神様はそんな私たちを――見捨てなかったんだよ。それに対して毎日感謝して祈ってるさ。もうダメだって時に、助けてくれたのが……七魔衆の一人。絶癒のハウルさんが来てくれたからさ」
「七魔衆って……あの?」
「そうです。あのとき、偶然薬草収集に来ていたらしく、本当に奇跡的に助けられましたよ。万能薬まで使ってもらったのですから」
七魔衆。全ての種族の中で七人しか選ばれない、この世で最も力を持つとされる人たちだ。昔、お姉ちゃんがこのうちの一人だったけど、死んじゃってからは魔界の中ではジャイが代役を務めていたっけ。
七魔衆には鉄の掟があり、国に干渉せず、戦争に参加しないというものがある。戦力が高すぎるため、世界が壊れかねないからだ。
「んで、いまの魔界の情報を伝えた代わりに、ハウルさんは私たちを人間界に連れ帰ってくれたのさ」
「それで、今の生活がある。かなり長くなっちゃったが、今の話をぜーんぶ纏めると、私たちはソプラノの生活がキツくて魔界を抜け出して、スロースに殺されかけて、ハウルさんに助けられた。逃げる過程で魔界を見た限りで、深くまではわからない。……焦らすつもりは無かったが、これが全部わかってる事さ」
大きく息を吐きだし、二人は少しだけ残っていたこーひーを飲み干す。
未だに手の震えが見え、彼女はそれを見られたと思い、すぐに机の下に隠した。
「アルト様、これだけは伝えておきます。ソプラノ様は、以前のソプラノ様ではありません。完全なる別人です」
「……うん。ありがと。おかげで色々分かったよ」
ボクもちょっと聞くのに疲れちゃったのか、大きく深呼吸する。コーヒーの特有の香りが胸いっぱいに広がり、くらい気分が少しだけ和らいだ。
(もう、あのお姉ちゃんは居ないんだ)
そう思うと、やはり寂しい。
生き返ったとずっと思ってた。いまは何か勘違いしてるだけなんて、思ってた。
(いないんだ)
お姉ちゃんは、何で生き返ったのか、なんでボクが魔界から離れた瞬間に魔界を狙ったのか、まだ分からないことだらけだ。だけど、今回の話で分かったこともいっぱいある。
「ボクは――」
「っと、もうこんな時間か。外も暗くなったな」
「じゃ、そろそろ私らも仕事に戻るとしますかね」
「え、仕事?」
そう言って、エマは勢い良く立ち上がり、懐に閉まっていたエプロンを取り出す。
「何を隠そう、私がハウルさんにコーヒーをプロデュースしたのだからな!! そう、俺が! 俺たちが店長だッ!!」
「時々一人称変わるのやめないか……? それに店長はお前だけだぞ。アルト様も困惑してるだろう?」
「……えっと」
「ハウルさんは植物のプロでもあるからね。コーヒー豆に近いものを提供してくれてるのさ。何を隠そう、ハウルさんがコーヒーのファン第一号だからね!」
「お前の言ってる事は時々分からなくなる時もあるな……」
よく分からない内に話が進んでしまっている。そして、よく分からないうちに話を終わりに持っていかれてしまった。
「まぁ、暫く私たちはこの店にいるつもりだし、聞きたいことがあったらまた明日おいで!」
「今日は長話でお疲れのはずです。コーヒーを飲んでぜひゆっくりしてください。もちろん、お代はお気になさらず」
「あ……うん。そう、だよね。ありがとう」
ボクの状態を見て気遣ってくれたのだろう。去っていく二人と心情を察し、止めることは出来なかった。
「……」
目の前に置いてあるこーひーはすっかり冷めてしまっている。暖房の効いた場所でボクは一口飲んでみる。
不思議な風味と、不思議な苦味が体全体に行き渡る。
「……こーひーって、苦いんだね」
様々な感情が絡み合う中、コシュマーダの夜景を肴にもう一度冷めたこーひーを口に運び、一人そう呟いた。
ご高覧感謝です♪