第210話 休暇一日目 隠し事
誰もいなくなってしまった森の中は少々肌寒く感じられ、背中にいるゲル状の生物は俺に対して話しかけもしない。
気配探知にも生物の反応は彼以外に感じられず、空間ごと世界から切り離されてしまった気分だ。
「プニプニはスライム状態で何を考えてるか分からないが……お前らは話してくれるよな?」
森の奥の方に話しかけているのではなく、自分の体の中に話しかけているのだ。決しておかしい人では無いのです。元の世界の住民から見れば、確実に変な目で見られるであろうが。
(そろそろ、ユウにも教える時期が来たようじゃな……あんまり話したくはなかったのじゃが)
(まぁびしっと言ってしまえば、召喚士なら全員が知っていることなのですけどね)
「契約当初に言って欲しかったんだが」
正直なところ、その当時はレオという聖霊に俺を含め全員がボコボコにされていたのでそんな余裕はなかったが、比較的時間のある今こそ、彼女たちとの契約についてしっかりと内容を理解しなければいけないようだ。
至って真面目な声で淡々と返答した彼女たちも不本意であるようで、こちらに顕現する素振りすら見せない。
契約はしっかり書面を見ることが大事というが、結局行動に移せていない俺がいる。
(ユウよ。いまからお主に伝えることには嘘偽りなく本当のことじゃ。まず最初に、我らがこの世界に生まれ落とされてから、既に戦いは始まっておる)
(まずは我らの正体、そしてなぜこんな霊体で存在しているのか、ばしっと教えましょう――)
この周りには俺と背中に張り付いているプニプニしかいないため、暗い森の中は異様な重圧感に包まれていた。
――が。
「ぜぇ……はぁ……っやっと、見つけたぞ……ナミカゼェ……」
「……何やってたんだよ」
突如草むらを掻き分けて目の前に現れたのは、人間界の全ギルドの代表であるくの一姿の人物、メアリーであった。
俺より数倍も早く森に到着した彼女はいったい何をしていたのだろうか。迷子を村へ帰してくれたのか?
「すまないな……少々方向を見誤っていたようだ」
「ん? じゃ、迷子はどうしたんだ?」
「桃色の髪の女と茶髪の男は見かけたんだがな……追っている途中で見失ってしまったよ」
「……今まで何やってたんだ?」
「衝撃音を聞き取ってな。急いでこっちに来てみればこのようすだ」
一足遅かったと付け足しながらも折れた木々を見渡し、大きく息を吐く。
何故だろう。彼女は一足どころか二足も先に進んでいたはずなのになぜ遅れてこちらに来たのか。そこで俺はあることが頭をよぎる。
「メアリー。森の中で迷っていなかったか?」
「……違うが?」
「目をそらしやがったな」
彼女は組んでいた腕を組み直し、ぷいと別の方に視線をそらす。ソラとファラの誤魔化しによく現れるパターンである。
ギルド長とあろう者がこんな危険度の低い森で迷うなんてあって良いことなのだろうか。
「ギルドマスターのメアリーさんよ。ついでだからここで聞いておくが、何でギルドマスターってことを隠してたんだ?」
「それには深いわけがあってな。決して魔界を彷徨っていたなんて事は無い」
「迷ってたのかよ。しかも魔界か」
嘘が下手なのか、わざとらしくやっているのかは分からないが、優しく教えてくれている。異世界の住民は嘘をつくこと自体が苦手なのだろうか。
そもそも、ギルドを束ねる代表が魔界に訪れる理由も分からない。
「かれこれ五年近く迷っていたことになるが……まさか死んでいた扱いになっていたとはな。ブルーノも私の弱点をよく把握していたよ。理解のある魔族がいなかったら私は死んでいただろうな」
「権力者なのに方向音痴かよ……」
どうやら副ギルドマスターのブルーノの作戦にまんまとハマってしまい、魔界で五年間という凄まじい月日の間を放浪していたらしい。
どこで生き延びたのは分からないが、魔族に助けられたおかげで、今日の命があるとのこと。
アルトのように人間にも優しい魔族が居るので世界はまだ捨てたもんじゃない。
「まぁ私の話はさておきだ。このようすを見るに、既に魔物の討伐を終えたようだな」
「ああ。このゴリラの皮とか回収しようとしたのに、全部この球体に吸収されたんだけどな」
「説明し忘れてたな。それは幻獣をまるごと回収する魔道具だ。便利だろう?」
「便利だけど剥ぎ取りタイムすらなかったぞ。最低三回は恵んでくれよ」
「素人が剥ぎ取りなんてするもんじゃない。質を落とすのがオチだ」
ド正論で返されて有無もいえなくなってしまったが、彼女は不意に指ぬきグローブを装備した手のひらをこちらに向けて差し出す。どうやらビー玉に入っている幻獣を寄越せといいたいらしい。
当然渡すが、念には念を入れておこう。
「約束。忘れないでくれよ」
「ああ。代わりに受け持とう。ちなみに、幾らなんだ? その借りた金の金額は」
「120万Gだ。当然、二言はないよな?」
「……なぁ、どうしたらこの短期間でそんな巨額の借金が作られるんだ。まだ魔法学園に編入して何ヶ月だと思っている?」
「人生いろいろだ。保険は入っとくべきだよ」
「まだ私より若いお前が言うか」
なんとなくステルスマーケットに繋がりそうなのでここで切っておくことにする。
金額を聞いた瞬間にメアリーの顔色はみるみる悪くなり、まさに白目を剥くといった状態にまで悪化してしまった。
やはり、ギルド長からしてもこのような反応も見せるので生半可なお値段ではないのだろうな。
「で、これにて依頼は完了だよな?」
「そ、そうだな。あとは迷子を探すだけなんだが……」
「いや、迷子の二人はもう転移石で移動してったぞ。いや、逃げたって言った方がいいのか?」
「無事だったのか?」
「こっちに襲いかかってくるぐらいだ。そんくらい元気だったよ」
彼らがどんな関係で常日頃を過ごしているかは分からないが、次に出会ったら話す機会があるだろう。何せ俺も彼らも同じ学校に通っている生徒なのだから。
ソラとファラの情報と統合すれば大体の事柄は理解できると思っている。
「それならいいんだ。私が走った甲斐もあるというものだ」
「介入すらしてなかったけどな」
ふと気がつけば、肌寒い風が通り抜け、ざわざわとした森にも生物の気配がどこからか戻ってきた。動物たちも幻獣がいなくなったことで住処に戻ったのだろう。
「――さてとだ。村への迷子の説明もこちらで任されることにしておこう。それと、金の話だが……どこに振り込むのかはまた後で指示してくれ。120万とはいえ、ギルドの資産を使うんだ。そう簡単に経費で落とせるものじゃない」
「よく分からんが任せたよ。……村には一人で戻れるよな?」
「転移石を使うから問題ない」
「それこそ無駄遣いだろ」
だが彼女の場合だと、使わなければいつ村に到着するか分かったもんじゃない。森の中だけで迷走していたほどなのだから。
「ではな。また後で話すとしよう。準備が出来しだい魔導書のダンジョンについても話したいことがある。アルトも連れてくるといい」
「……おう。ありがとうな」
メアリーは転移石を取り出して地面に叩きつけると、光に包まれながら消えて行った。相変わらず派手派手な演出の転移である。
なんだかあっという間に依頼は終わってしまい、呆気なさもある。ゴリラ型の幻獣は本当にリューグォ並に強い相手であったのだろうか。
「で、ソラとファラさんよ。話は戻すか?」
(何だか小っ恥ずかしいくなってきたのじゃ)
(今までのことを考え直してみるとかっかと顔が赤くなってきました。明後日話すのでまた次回にでも)
体の内側から聞こえてくる彼女たち言葉とは裏腹に、感じ取れた感情は“恐れ”であった。
それも俺が何度か経験したことのある、懐かしくて、あまり思い返したくない、一人ぼっちの時の寂しさへ繋がる恐怖。
離れたくない、との言葉の意味が彼女たちの感情に最も近いといえる。
そのためか、俺もついつい同情してしまい、それ以上掘り下げることは出来なかった。
「まぁ、気が向いた時に話してくれればいいさ。やばいならさっさと話してくれれば助かるけどな」
(す、すまぬな! なっはっは)
(ひらりと気が向いたら話すことにしましょうか)
空元気だ。一心同体ならぬ、三心同体であることから、彼女たちの感情は嫌なくらい感じ取れる。聖霊という枠組みにおいてはなかなか沼が深そうだ。
「まぁ、ゆっくり休んでてくれよ。そっちだって魔力の使いすぎで消えかけてたんだろ? ちゃんと自重しろよ」
(うぬ。そうさせてもらおうか。なんかノリで使いすぎたのじゃ)
(ついついどばっとやり過ぎてしまいましたね)
マシニカルでの大鬼の戦いで見せた超電磁砲は、彼女たちを構成する己の魔力を攻撃に使う技であった。それもあってか、とてつもない威力であったが、反動が何より大きすぎる。今後は使う機会が無いことを祈りたい。テンションが爆発してしまうくらいに男のロマン砲だったが。
「俺も、戻るか」
プニプニはいつの間にか召喚魔方陣へ戻っていたので、すぐさま転移の魔法を使い、寮へ戻る。借金が無くなったため幾らか心は軽くなったが、新たな問題が出現したこともあり、より一層体は重く感じられた。
「聖霊、ねぇ。精霊と何が違うんだか……シャナクもプニプ二も教えてくれる気配はゼロ。ちゃんと自分の目と耳で確かめろってことかね」
そんなことを呟きながら、俺は森から離脱した。
部屋に帰るとアルトもレムもいなかったが、千切られた紙が机の上においてあり、書置きが残っていた。
『また明日ね。おやすみ』
「……なんか、逃げたことの罪悪感がすごい」
休日の初日から心も体も動かされた重傷上がりの召喚士であった。汚れてしまった制服を脱ぎ捨ててベットにダイブして――意識は沈んでいった。
~~~~~~
屍の草原を超えたその先、魔族でさえ寄り付かない黒い平原を超えれば、闇よりも真っ黒な王城が佇んでいる。
その場所から時折響き渡る悲鳴は、フワフワの浮かび上がる人魂のような蒼い炎を揺らし、照らす範囲は僅かに広がる。
「あははっ、まぁ名前から分かってたようなもんだけどね。でもまぁ、見るからに協力は望めなさそうだけど」
骸をイメージした玉座に肘をつきながら水晶を覗き見るのは地面にまで付くほど長い髪を持つ女性。
まさに闇を吸い尽くしたかのような漆黒の髪は大きな水晶を持ち上げており、まるで一つの触手のようにうねり、仕事を終えれば光が届かない暗闇の向こうへと消えていく。
「雷属性の魔法、レオとの交戦、お前との戦闘。すべて見せてもらった。女神の関連も確実だ」
「何があってあの魔王の娘と一緒になってるのかは分からないけど……確実に強くなってるとは思うよ」
「女神の加護だろう? それにしては、効力が弱すぎる気もするが」
「なら、能力は魅了関係かな? まぁそれだったら面白いけどね」
また一つ、蒼い人魂が玉座の隣に出現する。そこから照らし出されたのは真っ暗なゴシックドレスと白いフリルに身を包み、まるで高貴な姫をイメージしたかのような美しい女性であった。顔つきからしてまだ成人はしておらず、黒い瞳からはギラりとした眼光が確認できた。
「だとすれば、あの女が墜ちた理由も辻褄が合うな」
「えっと……マシロ、だっけ? もう何年前になるんだかなぁ」
「道具の名前なんて覚えていない。ただ、私が強くなるだけの土台だ」
「あははっ、可哀想にね」
「データは十分、量産も可能だ。もう捨てる頃合だっただろう。適当に生き埋めでいい」
浮かび上がった水晶には、いくつものロボットが映し出される。顔も体もまだ出来てはいないものの、骨格は既に完成されており、兵器の製造工場なような雰囲気が漂っていた。
「レオ」
「はい。姫、こちらを」
「っと、……あはは……やっぱり、復活は間違いないみたいだね」
「面倒なだけだ。下僕共に任せて終わりたいところだが……そうもいかないようだ」
次に水晶に映し出されたのは魔界の都市――であった場所。
数々のビル群はへし折られており、中央部には半径二キロはあろうという巨大な穴。数々の施設は完膚なきまでに破壊されており、無数に瓦礫の山が築かれていた。
「監視エリアが五分でこのように」
「五分かぁ。あははっ、結構大きい都市なだけあって大分持ったね」
「相手の数は?」
「今回は、一人でしたが……四分と五十秒ほど眠っていました」
「実質十秒か。他のと変わらないな」
水晶の映像は途切れ、次の映像が映し出される。それは、たった二秒間の映像だけであった。
「これは……」
「本拠です。侵入まで二十日ほどかかりましたが、使える映像はこれだけになります。申し訳ございません」
「むしろ、よくこんな長い間録画できたね。凄いなぁ」
「当然、私は消されかけましたが……姫の助けがなければどうなっていた事か。クフフフフ……」
その映像では、アルトによく似た人物で、黒と赤のオッドアイを持った流麗な黒髪をもつ女性。ソプラノであった。
しかし、彼女の姿をしっかりと捉えられたのはたった一フレームのみだが……それはピースを添えた笑顔であった。明らかに録画していることを知り、情報が流出しようとも恐れている事は無い。
「恐らくこの者も、今回復活した一員かと」
「どっかで見たことある気もするけど……ピースって……あはは」
「魔族が……随分余裕だな……」
明らかな怒りを浮かべ、爆発しそうなほどの魔力が高まるが、無駄なことと察するとすぐさま収める。
「次だ。レオは三日後もう一度向かわせる。休めろ」
「御意。クフフフフっ……」
「で、俺はどうすればいいかな? お姫様」
「勇者の立場を使ってこの情報を王都に流せ。現状は変わらないだろうが、計画を早める必要性がある」
「あははっ、りょーかい」
「そろそろ餓鬼共を餌に使う。波風 夕を釣るためのな」
「じゃ、彼とは現状維持ってことでいいかな?」
「自分で考えろ」
「あははっ、こわいこわい」
また一つ、悲鳴が人魂を揺らし――炎は消える。裏の鬼もまた、動き出し始める。
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