第205話 休暇 一日目
「長期休暇、だって?」
(そうそう! 事務員さんしかいなかったよー)
(ワタシたちもどこか行きたい……です!)
(レムもアルトも暫くは出禁だぞ。怪我治すまでな)
命からがら帰ってきたのにも関わらず、顔も名前も知らないような数名の事務員さんしか学園に留まっていないらしい。当然そうなれば知り合いも居るとは思えないし、ただいまとも言うに言えない状況である。
ふと壁にかけられた時計を見れば、アルトたちが部屋から出て行ってから既に二十分ほど経過していた。また気絶でもしていたのだろうか。あまりに時間の流れが早い気がする。
(ええっ!? どっか行こーよ!? こんな怪我は良くあることだって!)
(動けなくなるような怪我が良くあっちゃダメだろ……)
(えっと、あるとが寂しそうなのでゆうのへやに戻ってもいい、ですか?)
(べ、別に寂しくないし!? ユウが無事で安心してるだけだし!?)
(お前らもかなり仲良くなったな)
念話越しに笑い声を交えながら話している二人を感じていると、本当に無事でよかったと思う。これに懲りてわざわざリスクを負うような言動は控えたいものである――が、竜人の里での経験が生かされていなかった事例もある。この出来事はよく頭に刻んでおかなければ。
(そうそう! レムもやっとからかいが言えるようになってくれたんだよ! )
(ワタシだってもっと仲良くなりたい……ですよ?)
(ふふっ! ボクもだよっ)
(必殺 くろいえがお の磨きがかかるな。俺からしても嬉しいよ)
ギルド本部での進行において、俺はもちろんのこと、彼女たちにも何らかの変化があったようだ。アルトにしては何やら距離が近くなった気がするし、レムも積極的に話しかけてくれるようになった。
ふと考えれば、円卓の騎士の一人であるケイが、突然アルトとレムの匂いを嗅ぎ終わった後、彼女たちは本気の形相で俺に助けを求めるような顔をしていたっけか。
どれだけ強くても女の子は女の子、ということだろう。
「――なんで俺はこんなことを考えてるんだ? 昔はそんなに意識しなかったはずなんだが……」
一度嘆息をつくと、頭の中で流れる声がどこか遠くの音のように感じられ、ふと、物思いに耽っていく。
以前、というよりはギルド本部に向かう前の意識としては、俺の中では女の子である以前に『心強い仲間』であったのだ。
だが、現在がそれが反転しており、仲間どうこうより、女性であるといったイメージが強く現れているのだ。
その証拠としてアルトのあざとい御ねだりに負けるし、ただ話すだけであるのに胸の中がこそばゆい気持ちで一杯になる。まるで中学生に上がって、性差を意識し始める男子のように。
『――じ、汝よ』
「ん、ああ。シャナクか。どうしたんだ? そんな掠れた声して」
悶々とした気分になっていると、頭の中に女の子が声だけで惚れてしまいそうなほどいい声が流れてくる。しかし、その声はどこかノイズがかっており、まるで調整不足のラジオのようにも感じられた。
そういえば、俺が呼び出しても出てこなかったくせして自分から語りかけるとは何事だろうか。冷め切った夫婦関係か? そうなってくると主従関係とは一体なんなのかという疑問が浮かび上がってくる。
『やっとか。汝、何をしていた』
「何をしていたってお前こそだ。呼んだって返答すらしないし」
『吾は世界と関わっているのでな、暇ではない――と、言いたいところだが、これは置いておこう。汝は吾との交信が不可能な間に、誰と、何を話していた?』
「その質問はプライバシー的に宜しくない気がするんだが。なに? 嫉妬?」
その声の調子はクリアになり、なおかつどこか真面目トーンで、シリアスシーンがよく似合いそうな彼の姿が思い浮かばれる。口調が口調なのでなんの緊張感もないが、俺のボケに返答が無いことから、彼は本当に知りたがっているようだ。
「……教えたって、お前はそいつの事を知らないだろ? それより、何で呼び出し無視したのか聞きたいんだが」
『ただ汝への返答が無駄の極みに思えたからだ。吾は質問に答えたぞ。次は汝だ』
「どんだけ知りたいんだよ……お前が勝手に外に出ればいいだけの話だろう?」
『……召喚士とは考えられない発言だ。確かに主人の命令による 強制還元 を吾らが同意すれば現界を解除することが出来るが……吾らが主人の同意なしに勝手に現界することは不可能だ。例外はあるらしいが、吾が知ったことではない」
どうやら精霊になってもいいことばかりではなく、世界そのものから制約を受けるらしい。彼が最初に言っていた世界と関わっている、ということもあながち間違いではないのだろう。
「と、いうことだと……お前らは色々世界から縛りを受けているわけだな。よくもまぁお前もそんな存在になろうとしたな」
『その分、利点が多いものでな。そろそろあの退屈な苦痛も飽きてきたものだ。契約は些か面倒ではあったが』
「ん、牢獄の扉を開けただけじゃダメなのか?」
『……ここからか。少々長くなる。掻い摘んで説明してやろう』
シャナクの過去は女神から聞いたきりで真実かどうかは分からないが、彼は元々人間であるらしい。
説明に関してだが、契約の流れは聖霊たちやプニプニと比べればこれまた面倒で、まず最初に俺の中でシャナクが精霊に成ることから始まる。この時点ではまだ彼は契約を交わしていない仮の主従関係である。
第二ステップとして、鬼の頭部を攻撃する際に彼に体を預けた時だ。その時彼は俺の体で勝手に召喚魔法陣を制作し、その中に入って真の契約精霊だとなったそうな。
基本的に魔物や魔獣、そして精霊は召喚魔法陣の中へ入れてさえしまえば契約完了だ。強制だろうがなんだろうがお構いなくである。
しかし、聖霊は特別な存在らしく、その契約に詠唱が必要らしい。
『ざっとこんなものだ。汝の無知にも呆れる』
「あ、ああ。教えてくれて助かった」
よくよく考えれば、俺はソラとファラに何を目的として契約したのか分かっていない。対等な関係だけで彼女たちは俺の召喚対象になったということだろうか。流石にそうは考えにくい。
『因みにだが契約内容は覚えているな?』
「流石にそれは、な。お前の体を取り戻すまでだろ?」
『それを聞いて少々安心した。もし契約を一方的に破棄しようものならば、器そのものがこの世から消失するからな』
「おうおう、おっそろしいな」
どうやらこれはアルトがテュエルと交わした契約と同様のようなもので、約束破りには大変なことが起こるらしい。内容はメモ帳にでも書いておかなければ。
――しかしまぁ悲しいことに、ギルドにて俺たちの医療費を振り込んでしまえば、そんな予算すら無くなってしまうのだが。
『さぁ、これで二つだ。ここからは吾の問いかけに、正直に、答えろ』
「ちっ……どうも飲み込みがいいと思えば、やっぱりそういう事か」
割と親切に解説してくれたのは、俺ができる限り抑えていた情報を引き出すための口実を作るためであろう。一つはソプラノ関連だろうが、こいつは少なくともこの世界において俺より賢い。二つ目に何を聞かれるか分かったもんじゃないが、少々不安である。
『まずは先程の問いかけだ。汝よ。なぜ吾との交信を断ってまで、秘匿な会話を行った? そしてその内容を吾に呈示せよ』
「……それ、二つだよな?」
『内容は一緒だ。一つである』
「そ、そうですか。まぁどうせ分からないだろうし、いっか」
『なら、吾も姿を見せるとするか。二日も床に伏していたのだ。まさか呼び出せるであろう?』
なんだか、気絶したことが悪いように聞こえて仕方がない。人間の防衛本能なんだよ。睡眠と同じなんだ。きっとそうである。
「召喚――っておおっ、魔法陣が真っ黒だな」
手のひらを広げ、ベットの外に向けて魔法陣を展開すると、真っ黒な陣が出現する。
幾何学模様のこれは一つ一つが違っているようだが全く判別がつかない。
聖霊たちは金色の魔法陣で、プニプニは青の魔法陣。そしてシャナクが真っ黒な魔法陣だ。はたして人の趣味が出るのかそれとも種類分けされているのかはまったくもって不明である。
「久方ぶりだな。いや、こうしてこの世で会うのは初めてか」
「よっす。相変わらずな格好だな」
彼は赤いラインがほのかに光る黒い軍服を着ており、男のロマンと共に赤く輝いている。そして真っ黒な眼帯をしており、もう片方の目の色は真紅に染まっている。ただひたすらに男の子の理想の格好良さをつぎ込み、更にはアニメ出てきそうな理想的な顔立ち。そして白髪という、元の世界ではコスプレでもしない限り見ないであろう姿だ。それも半端なくクオリティが高いやつで。
「……む、何をそんなに見ている」
「何でもない。で、俺が話したことだが――まぁ、挨拶だぞ。ただの挨拶」
「誰とだ」
「化け物だ。そうとしかいいようが無い」
彼女は想像するだけでも恐ろしい存在だ。その相手が顔つきがホラーであろうが、美貌だろうがおそらく関係ない。本能に直接訴えかける死の恐怖はその場にいた本人しか分からないだろう。ドリュードも一度、あの恐ろしさは身をもって味わったはずだ。
「汝よ、先程から何を誤魔化している。名前を言え」
「メンヘラかよお前は。――正直いって怖いんだよ。名前を呼んだら本当に出てきそうだからな」
「焦らすのも大概にしろ。汝の精神を闇に葬っても良いのだぞ?」
「あーはいはい。わかったって。出てきたら責任取れよな? 名前は――ソプラノ。ソプラノ=サタンニアだっ」
満身創痍の状態ではあるが、その言葉を口にした途端に体に魔力を回し、臨戦態勢をとる。主に逃げるための準備だが。
過剰な反応だと思われがちだが、彼女なら『やっほー! 呼んだ?』と背後から声を掛けられることもやる気になれば可能なのだ。なにせ、籍を置いているであろう魔界から、一瞬で俺の目の前に現れることすら出来るのだから。
「――っ」
一秒後、何も起こらない。二秒後、周りには誰もいない。三秒後、後ろにも……いなかった。
「何をしている。気でも狂ったか?」
「……こ、ないのか?」
「はぁ……来るわけがないだろう。何十年前にその者は死んだと思っている? 地下深くで幽閉されていた吾でさえそのことは知っているぞ。勇者が倒したとなれば尚更だ」
軍服の男は壁に寄りかかりながら目頭を抑えつつ嘆息する。どうやら彼には俺がおかしい人に見えているようだ。
この反応を見るに、ソプラノが生き返っていることを知らないのだろうか。
「嘘だと思ってるのか?」
「それ以外何がありうるのだ。死人が生き返るだと? 何をおかしなことを。あの魔王を殺しきれていなかっただけであろう」
「いやいや、ほんとにいるんだって」
「汝の脳内は黄泉の花畑か?」
「誰があんなやつとお花畑に行くかよ」
更に大きなため息をつくシャナクをみていると、無性にイラッとする。
確かに死人と会ったなんて世間で言い放ってしまったなら、その途端に周囲の人間からの冷たい目を当てられ、鋭い視線のナイフを無数に突き立てられるだろう。
だがしかし、ここは異世界だ。振り返ってみれば、俺なんてトラックの体当たりでミンチにされてからこっちに来たのだ。死から生き返っている本人である。
「汝。真面目に話せ。あやつが生き返るだなんて吾にも想像したくはない」
「至って真面目だが……お前も会ったことがあるのか?」
「当然のこと。――だが、今はそんな話を聞くために吾が顕現しているのではないぞ」
どうにも信じられないようだ。何だか霊能者の気持ちがわかった気がする。彼女もお化けなのかもしれないが、そう想像すると少しだけ恐怖感が和らぐ。質感といい確実に本物だったが。
「どう言ったら信じてもらえるんだ……?」
「――幾分汝のことが分かってきたな。嬉しくはないが」
困っていたところでシャナクが壁から背中を離し、ベランダへと繋がる大窓の前へと移動する。その表情は影に覆われてよく見えなかったが、どこか口角が釣り上がっているかのようにも見えた。
「――もし、もしの話だ。かの者が生き返っていたとなれば……世界の均衡が崩れるぞ? あの者は異常の極みだ。吾から見ても、な」
「俺からしたら人間界も身分が平等じゃないし、均衡も何も無いと思んだが……天下のシャナク様でもそう思うか。こりゃ勝算が見いだせそうにないな」
「だが、戦うのだろう?」
「さぁ――どうだかな」
座り込んでいたベットに仰向けに倒れ込み、天井を見上げる。シャナクでも無理なら、今の俺は彼を超えるような実力を身につけなければいけないということだ。果たして、あいつが来る前にどれだけ強くなれるのだろうか。
「汝よ、生きている内にすべきことはすべきであるぞ。例えば、侍らせているあの女共だ。いつまで汝は手を出さないでいる?」
「……互いの合意がついて、それから俺の根性があれば――って、お前はアルトたちの事悪く言い過ぎだ。あいつらは他とは違うっての。他の女性さんたちはそんな深く関わったことないから分からんがな」
「いいや、女なぞどれも変わらぬ。吾がどれだけの女を堕としてきたと思っているのだ? 交えれば最後。自然と吾を求めるようになるのだぞ」
「いま無性に貴方様に向かって中指を立てたい気分に駆られてます。世界中の女性に謝れなさい」
シャナクはこちらに振り向き、不敵な笑みを浮かべる。お前みたいなモテ男には、いつまでたってもチェリーな俺の気持ちは分からないだろうな。一つ一つの関係を大切にしたいのだ。
「そんなものだから汝は女聖霊に意気地無しといわれるのだ。男たるもの、常に女より上を行け」
「あー……これは性意識に冠するジャネレーションギャップか。シャナク、お前の発想は古い。あまりにも古すぎるな。いまは男女平等世代だぞ? 下手したら女性の方が強いっての」
「女はただ三人除いて信用ならぬ。これは吾の長い経験から言えることだ。その身に宿した吾の加護と共に深く感じるといい」
「加護? ――って、お前も惚れてる人が一人どころか三人も居るじゃねぇか……説明力皆無だぞ」
シャナクは再び窓に振り帰ると、何処か懐かしげな表情でベランダから景色を眺め始めた。案外――というか、口調のまんま浮気性であったらしい。浮気ダメ絶対。……まぁ、黙れチェリーなんていわれたら封殺されてしまうが。
「非常に不服ではあるが、吾と汝と魔力の相性は非常に良いらしくてな。吾の力や精神力は汝に伝播しやすくなっている」
「最初が余計だ」
「汝も感じているのだろう? 女たちへの意識の変わり様を」
「……お前のせい?」
「如何にも。いつまで自分を押しとどめておくつもりなのだ?」
どうやら、最近の彼女たちへの意識の変わり具合は彼の精神力が影響していたらしい。もしかして、距離が近くなっていると感じていたことも自意識が大きくなり過ぎたせいであるのだろうか……。
ただ、これから分かることは一つ。
「シャナク、お前は惚れっぽいな?」
「……存ぜぬ。吾の質問は終わりだ。失礼させてもらおう」
「そうかよ。分かった」
どうやら、二つ目の質問はここで使わないらしい。いつの間にやら損得関係が成立していた俺たちであった。
シャナクが黒い霧となって消えていくと同時に、真逆の方向から扉が乱暴に開かれる音が聞こえる。それもワイワイしたようすで。
「あれ? 誰がいた?」
「ただいま、です!」
「ユウ君!? その怪我大丈夫!?」
両手に手荷物を持ったまま蹴破るように部屋に入ってくるのはアルト、レム、そしてラクナである。そういえば彼を見たのは久しぶりな気がする。
「いや、誰もいないさ。おかえり。ラクナも久しぶりだな」
「うんっ! ただいま!」
「らくなが、ゆうの怪我を直してくれるらしい……ですっ」
「自分の薬がもう一度役に立つって聞いて飛んできたよ! 勿論、アルトさんとレムさんにも作ってあげるからね! あ、ユウくん、ここで焜炉を使っていいかな? 自分持ってきたんだけど……」
うん……? ラクナの薬は腹部に穴が空いた状態でも効果をいかんなく発揮してくれたのは覚えているが、確か味って……
「え……ぼ、ボクは大丈夫かな?」
「わ、ワタシも……大丈夫、です」
「駄目だよっ! 包帯は勝手に外しちゃったらしいけど、とりあえず自分は自分に出来ることをしてみるよ」
アルトとレムが止める声を無視し、ラクナは俺が竜人の里で負った怪我に対して有効であった、特性ポーションの制作にかかる。
彼の行為は限りなく善意なので、無理矢理に止めるまもなく、ポーションは無事三人分が完成してしまい、その後、男子寮に二つの女子の悲鳴が響き渡ってしまった。
ポーションの感想? 例えるならブロッコリーと青菜の臭い部分を抜き取ったセロリの飲料だったな。
体の痛みはみるみる取れていったとはいえ、口の中と胃の中では嵐が巻き起こっていた。
次週からは定期更新を目指そうと思っております。予定では金曜日……の夜の方ですが、執筆速度があまり早いものではないので投稿の目安として頂ければ幸いです。
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