第204話 夢か現実か
第十章です。
楽しんでいただければ幸いです。
「ユウ、ほんとに動いて大丈夫なの?」
「今のところはな。正直いえば、筋肉痛の方が辛いんだが……」
「運動不足、ですか?」
「ハードルが高過ぎだっての。あんなハードなことは二度とゴメンだが」
現在俺たちは、ドワーフの里宛の置き手紙を書き終えたところである。
紙はどこから取り出したのかというと、ちょうど良くも隣に設置されているミニチェスト上に、どこか懐かしめいた羊皮紙とインク付き羽ペンが置かれていたのだ。
それもご丁寧なことに、紙の端っこには、細かく俺たち全員の治療費まで書かれている。
間違いなくあの医者のドワーフが置いていったものだろう。行動の二手先まで読まれていたとは。
実際のところ、直接出ていくと伝えたとすれば、アーロンや長老グループに差し止められるのは目に見える。いかんせん優しい彼らだ。俺たちの体を案じてくれるだろう。
勝手に入ってきて勝手に出ていくのはどうかと思うが、あまり長居しても迷惑だろうし、俺たちはもうこの場にいる意味はないのだ。
「治療費高い……です」
「ボクたちのも含まれてるからかなぁ?」
「ユウ、頼んだぞ」
「あんたならやってくれるって信じているわよ」
「……お前らには割り勘という言葉を贈ろう」
アルトとリンクス、さらにミリュまでも流し目で俺を見やり、薄ら笑いを浮かべている。その挙句に、彼らからは“払う気ゼロオーラ”を感じとることができた。何があろうとも自分で支払いを受け持つ事はなく、俺に払わせる気であるようだ。リンクスミリュはともかく、アルトは俺より持ち合わせがあるはずだが――
「アルト、30万Gぐらい出し――」
「ユウ。か弱くて、貧しいボクにこれ以上何を搾り取るっていうの……?」
「っ……こ、の」
実際のところ、彼女は全然か弱くもないし、たまにギルド依頼の協力をしてくれたりするので貧しくもない。
だが、彼女はその美しさを持ってして俺の心を揺さぶるのだ。
ただでさえ彼女は異世界においても群を抜いて美しい女の子だ。それに加えて、何度見ても見飽きないくらいに神秘的なオッドアイの瞳をも持っている。
そんな男を殺す武器を持ちつつも、さらに上目遣いで見つめられてしまえば、どこか男としての本能を呼び覚ますような、黒い欲望が湧き上がってきてしまう。
「――こんな強かったっけか? アルト」
「ボクは変わってないよ? 払って、くれるよね?」
「……くっ、仕方ねぇ」
治療費の合計は元の世界の値段に換算して三百万円ほど。ひっそりコツコツとギルドの依頼を受注して、貯めてきた俺の貯金はこの時をもってして残高は二桁代に突入してしまった。お金を置くわけには行かないので、とりあえずギルドを通して振り込むことにしておこう。
保険がないこの世界での手術代と考えるならば妥当なのかもしれないが、通常よりも高く請求されていないことを祈ろう。相場がわからないので何ともいえないが。
「やったーっ! 後でお礼するね!」
「そのお礼として今払ってくれると助かるんだが」
「さんきゅ、ユウっ! 俺も父さんに頼んで金は返すつもりだから安心してくれよ」
「お前の場合本当に返しそうだな。一応言っておくが、返さなくてもいいからな? 男を立てさせてくれ」
アルトはキャッキャと騒ぎ、無理矢理にレムを巻き込んで小躍りをしていた。無論彼女らも包帯を巻いていたりと、怪我の状況は全治とは程遠いので、あまり無理をして欲しくはないところ。
「で、ユウ。ほんとに挨拶しなくていいの? 私たちがお世話になってた間にもすっごい優しくしてくれたから一言ぐらいは声かけたいなーって……」
「確かにかなり良くしてもらったが……俺たちはこんな状態だ。これからはじっくり休むだけとはいえ、優しいあいつらが見過ごすとは思わないからな」
「ま、まぁそうだけどさ……」
「分かってるとは思うが、ドワーフの里の事は他言するなよ?」
ドワーフの里の存在は、人間界や魔界は勿論のこと、一番仲の良いと噂されている獣人界の中でもごく一握りしか知られていない。
主な理由として、他の種族と比較して戦闘に関しての力は弱く、身体能力も低いことが主な要因となっている。
魔界と人間界の関係が良い例で、領地争いが一般化されているため、身近に戦闘が発生しかねないこの世界においては、戦いをどれだけ回避するかが長く生きることが秘訣である。
なので彼らはこの地底という場所で領地争いには加わらず、ひっそりと生きていたのだ。
「あの先生にもいわれたわ。そんなことは分かってるわよっ!」
「安心してくれよユウ。ミリュはそんな事をするやつじゃない」
「念のためだ。リンクスも頼むぞ。――さて、と」
真っ白く囲まれた部屋を見渡し、おおよそ二日ぶりに足を床につける。足の裏からはペタリと冷たくて硬質な感触が返ってきたため、神経が千切れていたり等と、脚部には大きな問題はなさそうだ。――あまりにもひどい筋肉痛を除けば。
「歩けねぇ……」
「えっと、ホントに大丈夫?」
「すごく痛そうな顔してる……です」
痛覚が廃れきったかと思いきや、しっかりと機能しており、動かすなといわんばかりの激痛を絶え間なく発信し続ける。
確かに体に大きな負担を掛けて無理をした覚えはあるが、歩けないほどひどい筋肉痛なんていつぶりだろうか。
「は、は……っ、魔法使う分には問題ないって。悪いけど、そこに掛けてある俺のローブを取ってくれないか? 流石にこのまま出かけるわけには行かないし」
「いや、ユウこれはな……」
リンクスが口篭りながらも、汚れきった魔導士の黒ローブをハンガーから下ろして持ってきてくれると、俺の目の前で広げる。しかしそれは――
「もう、修繕のしようがないんだよ」
「ああ……そりゃそうか」
当然ながら胸部を貫かれてしまえば服まで攻撃は届いてしまうし、腹部に巨大な槍を受けてしまえば、衣類なのだから穴は開く。
竜人の里でもローブに穴が空いてしまっていたが、今回はその一個だけではない。なにせ俺はギルドの地下部屋で、白神やその仲間によって何度も何度も体という体を弄ばれ、穴を開けられ、痛ぶられながら殺されたのだから。
「流石にこれを着てくのは……俺でも無理か」
ローブの背面を見れば、乾いてこびりついた己の血液と、まるで蜂の巣の穴を大きくしたような、それはまたひどい状態であった。残っている生地の方が少ないくらいボロボロで、その穴の向こうにいるリンクスの困ったような顔つきが見えてしまう。
「服も防具も買わないとな……既にお金はゼロに近いが」
「こんなんだしさ、服はどうすんだ?」
「魔法学園の制服でも使うさ。汚したくないんだけどな」
これを除けば、防臭の加護が施された元の世界での高校の制服のみである。これもまた数多くのリューグォとの戦闘でズタボロになってしまっているのであまり人前では見せられるものではない。
「服が買えるお金を貯めるまでノーダメ縛りで、依頼を受け続けるしかないか。なかなか病み上がりの体ではしんどいな」
「いざとなれば金銭面でも頼ってくれていいからな!」
「ハンパ無い高利子で貸し出してそうだ」
「そんなことないからな!?」
何だかんだで話し込んでしまった。体の状態は幾分か楽にはなったが、筋肉痛にはここ数日ほど悩まされそうである。
「――さ、お話しもここまでだ。魔法学園に戻ろう。忘れ物があるならい取りに行ってくれ」
「忘れ物も何も、私たちは誘拐されたんだもの……」
「ボクたちはユウならそういうと思って終わらせてあるよ!」
「おわってる、です!」
ミリュの悲しい呟きが耳に届いたが、一応彼女らは連れ戻すことが出来たのだ。まずは無事を喜ぶことにしよう。
そして金欠を……何とかしなければ。
~~~~~~
こっそりと転移を終えてただいま学園寮。思えばこの部屋にはギルドから招待状が届いたあの日以来来ていなかったっけ。
「おお! ユウの部屋すっげぇ綺麗だな!」
「以外だわ……てっきり汚くしてるかと」
「アルトとレムがよく来るからな。綺麗にしておかないと」
「え……それってダメなんじゃ――」
「そんなルール無いもんね! ね!」
「そうですっ!」
確かに普通は駄目なんだろうが、彼女たちはごく普通に破ってくる。バレなきゃよかろうの精神なのだろう。
こういう時には、リンクスとミリュに先生方に報告されないよう圧力を加えておくべきなのだろうか。
「――まぁ、俺たちもやってるし人のことは言えないけどな」
「わ、私は知らないし!?」
「お前ら……」
実は彼らの関係は俺たちが思った以上に進展しているのかもしれない。じつは彼らはもう肉体関係にまであったり……いや、これ以上はよそう。カップルを隠すのは学生でありきたりなのだ。気にしてはいけない。
「と、とにかく! 俺たちは学園長と話してくるからな!! 何話すのかは分からんが」
「あんたは動けないから仕方ないけど、アルとレムは大丈夫よね?」
「りょーかい! じゃ、行ってくるね!」
「いってくる、です」
そういうとリンクスとミリュは逃げるように出ていき、アルトとレムも笑顔を浮かべながら出ていった。
誰もいなくなった部屋は、やはりどこか寂しかった。溜息を吐くと同時に、どこかから冷たい風が流れて、頬を撫でる。
目を瞑り、座り込んでいたベッドに倒れかかるように仰向けで寝転がる。ドワーフの里で感じた極上のフワフワさはこの寝床にはないが、何よりも落ち着く。
「シャナク。いるか? お前にはまだまだ聞きたいことがあるんだか」
暗い空間の向こうで背の高い軍服の男性を想像する。中二病な言動でなければ凄まじく格好いい男性なのに、どこか抜けていて残念系イケメンと化しているその姿を。
――だが、返事はない。
「ほんっとに気まぐれだなアイツは」
「ふふっ、そうなんだよ。魔王はね、気まぐれなんだよ?」
「――ぁ?」
左耳にこそばゆい声が届く。だが俺は、その声に対して返答すら出来なかった。
耳から入り、脳が全て侵されてしまうほど甘ったるい音を聞いた瞬間に、思考と体は硬直し、心拍数はギアチェンジをすっ飛ばして跳ね上がりだした。
――聞こえた声に抱いている気持ちは、絶対的な恐怖。死が、真隣にいる。
体温が、グングン下がっていく。誰だ。誰なんだよ。俺の隣にいるのは!?
「目を開けて」
「――っ!?」
「君に、会いに来たよ。ナミカゼ ユウ」
「……お、ま、は」
緊張で口の中はカラッカラに乾いており、滑舌は酷いものであった。だが、それは目の前の化け物を見れば些細なことでしかない。今すべきことは、直ぐにでもここから逃げることなのだ。
「《移動禁止》 だよ?」
「なんだよ、そりゃ……っ」
転移魔法を使用したつもりなのに、魔法が発動していない。否、それは何か強大なものに遮られている気がする。その力はとんでもなく権力があり、俺なんかでは逆らいようがない程に大きなものだ。
さらに、今の状況では、俺は指一つ動かすことが出来なかった。寝返りを打つことも、目の前にいる化け物から目を逸らすことさえ不可能なのだ。
「改めて、久しぶりだね。ユウくん」
「ソプラノ……サタンニアっ……!?」
アルトにかなりそっくりだが、彼女よりも大人っぽく、そして真っ黒な髪を持ち、黒と赤のオッドアイをも持つ美少女。間違いなく、死んだといわれていた彼女の姉だ。
現在ソプラノは俺の腹部の上で馬乗り状態となっており、重みは感じないが、覇王である彼女の存在はしっかりと感じ取れる。故に、俺は突き立てられた刃物を薄皮一枚越しに味わっている気分である。
なんでだ、なんでこんな所に突然現れた!?
「覚えててくれたんだね。嬉しいよ。でもね、二ヶ月という予定よりも早く私が来れるようになったってことは――もう分かるね? 君を、そして人間界をいつでも滅ぼせるって事だよ」
「ま、さか」
ここで思い浮かぶのは遠征の帰りのワンシーン。馬車内で俺は目の前の彼女の声を聞き、イメージを見た。そこでは二ヶ月後に彼女の手下がこの人間界を攻めることを宣戦布告していたのだ。
これに留まらず、更に彼女は口角を吊り上げ、冷酷な視線を当てながら口を開く。
「君、女神に護られてたね?」
「っ!?」
「ふふっ、やっぱりね。でも――なんらかのトラブルがあって、女神は君を守ることができなくなってる。その結果、私たちは君に、そして君の仲間に近づくことができるようになった。これで合ってるかな?」
「……!!」
第二女神から伝えられたことを参考にすれば、恐らくこの情報は正しいといえる。その証拠として、シャーリンが対応していたケタ違いの戦闘能力をもつ相手が目の間にいるのだから。彼女はこの世界に干渉し過ぎたせいで、女神の中で何らかの処罰を受け、そのせいで俺たちとソプラノとの超えられない壁が存在ごと消えてしまったと考えるのが妥当か。
……ということは、彼女からはもう逃げられないってことか。
「ふふっ、そんな怖い目で見ないでよ……ゾクゾクしちゃう」
「お前は、なんでここ、に来やがった。アルトを殺すため、かよっ」
精一杯の威圧感を含めて睨みつけているが、彼女にとっては子犬が威嚇しているようにしか思えないだろう。
勇者なんて比べ物にならないほどの覇王の雰囲気を持ち、なおかつ飄々としてるようすを目の当たりにしてしまえば、もう既に平伏したい気持ちに駆られてしまう。
「んー、それもあるけど、まだその時じゃないかな? 今回の一番の目的は、ユウくんに会いに来ただけだよ?」
「……は?」
「私はね、簡単に終わらせるのは嫌いなんだ。だから、君も、アルトも、そして獣人のあの子も、時が来るまでは生かしてあげる」
「なんだよ、その時って――」
「それ以上は、ひ、み、つ♪」
動けない俺の唇に、細い指が当てられる。通常だったら唇に触れたなどと騒ぐだろうが、現在の状況であるなら話は別だ。この当てられている指を例えるなら、生命を刈り取る刀の峰だ。現在の俺の命は、彼女の手の内だ。ここで殺されても、何ら不思議ではない。
「獣人の子も、君への想いが大きくなって、アルトも君を恋愛的な意味で世界で一番好いている――だけど、最後は、心も、体も、全部、私のモノだからね」
「悪い、な。俺は予約済みだ」
「ふふ……もうすぐ私の手下が君を盗みに行くけど、構わないよね? 約束は二ヶ月だったけど、もう少し早めに向かわせようかな?」
口では笑顔を作っているも、目は全く笑っていなかった。ただその表情にひたすら恐怖を覚え、逃げるように瞳を瞬いた後には……
「つ、ぅ――いな、い?」
だれも、いなかった。見慣れた天井が視界を埋め尽くしている。腹部の上から感じられる、刺すような圧力も霧散しており、俺の部屋は至って通常通りの雰囲気に戻ってきている。
「夢、じゃ……ないよな」
気がつけば呼吸は荒く、汗が吹き出ている。口の中はカラカラで、呼吸する度に喉が痛いほどだ。
「いつか……戦わなきゃ行けない時がくる、のか?」
自由になった体を起こし、震えの止まらない右手を広げる。それはまるでアルコール依存症であるかのように細かく動き続けていた。
やはり、あいつだけは次元が違う。勇者よりも上、白神の対面した時よりもさらに感じる大きな恐怖。ただひたすらに、恐ろしかった。
(ユウっ! もしもしー!)
四肢の先から先まで震えが止まらない中、ある念話が頭の中に元気よく割り込んできてくれた。声は似ているものの、間違いなくアルト本人だ。
(……あ、ああ。もしもし? どうした?)
(あのね、いま――学園は長期休暇なの! リンによると、先生も今日は打ち上げ? らしくて、職員室の中にも人は全然いなかったよー!)
ご高覧感謝です♪